ALICE   作:オンドゥル大使

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終局 愛と勇気の物語【ALICE In Mythology】
最終話 『夢幻』の国の『少女』


 

 じりりり、と枕元でけたたましい音を響かせる目覚まし時計の騒音に有栖は手を伸ばしていた。うぅん、とまだ眠気が残っている。そう言えば、昨日は夜遅くまでゲームでボイスチャットで喋っていたのだ。

 

 寝ぼけまなこを擦りながら、有栖は目覚まし時計を止めてから、それから小首を傾げる。

 

「……何だか、とても長い、夢を見ていたような気がする……」

 

 未だにまともに働かない脳内で惰眠を貪ろうとした矢先、扉が荒々しくノックされる。

 

「有栖! 有栖、いい加減目を覚ましなさい! あんた今日、何の日なのか忘れたわけじゃないでしょうね?」

 

「……うぅん……お姉ちゃん、うるさいぃ……」

 

 布団を今一度被ろうとして、無理やり扉をこじ開けたのは妙子であった。そのまま布団を捲り上げられ、有栖はカーテンから注ぐ太陽光に目を細める。

 

「……あんたねぇ。さすがに万年、遅刻癖があるって言ったって、今日は……」

 

「今日……あれ? 今日? お姉ちゃん、もうっ! 何でもっと早く起こしてくれなかったの!」

 

 大慌てで出かけの支度を始める自分に妙子は肩を竦める。

 

「だってあんた、さすがにこれだけ大事な日の前に夜更かしなんてしているからでしょ。そういえば、ずっと夜中中に鳴っててうるさかったんだけれど」

 

 妙子が指差したのはベッドから滑り落ちたスマホであり、しまったと有栖はその鬼電を取る。

 

「……その、もしもし……?」

 

『……何が言いたいのかは分かるよね?』

 

「……ごめんっ! いつの間にか寝落ちしていたみたい!」

 

 通話先で平謝りすると、通話相手は不遜そうに鼻を鳴らす。

 

『……あり得る? 夜中ずっと使ってレート上げようって話だったのに』

 

「ごめんって! ……埋め合わせはするからさ」

 

「有栖、そんな事言ってる場合? さっさと顔を洗って着替えておきなさいよね」

 

「……もう、お姉ちゃん、うるさいぃ……」

 

 しかし抗弁を発しながらも今日だけは遅れてはならないのだ。朝自宅を整える間に、粗相をした相手へと謝罪する。

 

「ごめんね? 何とかするから……!」

 

『何とか、ね。じゃあ、レートを上げるのに育成ね』

 

 ゲーム仲間である相手の要求には応えるほかない。有栖は不承ながらも頷いていた。

 

「……分かった。またね、“キャロル”」

 

『本当に……ちゃんとしてよ、“おかあさん”』

 

 通話を切ってから、有栖はスーツ姿に袖を通す。未だに馴染まないスーツルックはいずれに会う日が来るのだろうかと懐疑的にもなる。

 

「……呆れた。あんた、ゲーム仲間に“おかあさん”なんて呼ばせているの?」

 

 戸口の前で待っていた妙子の言葉に、有栖も頬を掻く。

 

「……何だかよく分かんないんだけれど、ずっと呼ばれてるんだよね。あたし、そんなにおかあさんっぽいかな?」

 

「あんたはいつまでもガキでしょ。まったく、せっかく送ってあげるんだから、時間を有効活用してよね」

 

 その言葉にはむっとしつつ、有栖は洗面所に向かっていた。顔を洗って、ナチュラルメイク。絹のような金髪を梳き、それから最後の仕上げは赤いリボンをウサギの耳を思わせる形状でぴょこんと立たせる。

 

 リビングに向かうとテレビで報道特集が組まれており、その表題に朝食の準備をする母親が着目する。

 

「名探偵ですって。本当の居るのね」

 

 数々の難事件を解決に導いてきたという、現役女子大生の名探偵がインタビューを受けている。有栖にしてみれば、探偵業と言うのは安定するのかどうかは甚だ疑問だ。

 

「……赤沢霧子さん、か……」

 

「有栖、今日のトーストにはイチゴジャム?」

 

 特別な時には母親はハムエッグを作ってくれる。今日はそれをオーダーしていた。

 

「それにしても、意外よねぇ。あれだけ勉強嫌い、色々と面倒だとかなんだとか言っていた有栖が、まさか私と同じ大学に入学してくるなんて」

 

 妙子は一足早く母親の朝食にありついている。シャキッ、とサラダを頬張りながら発言には癖栄するしかない。

 

「……お姉ちゃんが進学なんて出来ないってずっと言うんだもん。さすがに反抗はするよ」

 

「ある意味じゃ、思春期が功を奏したって言うわけか」

 

 女三人、ずずっ、とホットコーヒーを啜る。そう言えば、受験勉強の甲斐もあってブラックを飲めるようにもなっていた。

 

「それにしても、有栖が進学してくれて助かったわ。言っちゃ悪いけれど、あんたちょっとそそっかしいから。社会に出るとなれば不安で……」

 

「そそっかしいじゃなくって、満足に社会人経験もないのに、でしょ? 有栖ってまだ世の中を甘く見ている節はあるからねぇ」

 

 母親と妙子の懸念に有栖は、そんなものかなぁと怪訝に窺う。

 

「……何だかね。あたしって結局、ある程度の普通って言うのを、享受するんだなとは思うの。それがどう転がるのかは分からないけれど……でもきっと……」

 

 きっと何かしらの未来には引っ掛かるはずだと信じる。どれだけ苦悩の中に揉まれても、それでも全力で生きていればどこかで芽が出るはずなのだ。

 

「……有栖によくある楽観主義ねぇ。けれどまぁ、あんたなりに未来の事、考えてるんじゃないの? 私はそれなりには応援してるわよ。だってあんたが見出したものなんだからさ」

 

 いつもなら妙子はこういった時にも嫌味を漏らすのだが、さすがに実の妹が大学入学となれば意地悪を言わないらしい。それもある意味では意外な一面であった。

 

「……なんか、ヘン。お姉ちゃんが優しい……」

 

「おバカ。あんただってもう女子高生じゃないんだし、いつまでも子供のままじゃ居られないって事よ」

 

 それもそうか、と有栖は朝食を終えてコーヒーを飲み、そして最終点検を行う。

 

 女子は第一印象が命だ。そう思いながら有栖は、どれだけの人間が自分に興味を示してくれるだろうと感じる。

 

 ともすれば路傍の石に過ぎない価値なのかもしれないと鏡に向かっていると、クラクションの音が響く。

 

「ほら! 有栖、とっとと乗りなさい。まったく、免許取ったばっかりなんだから、事故らせないでよね」

 

「有栖もお姉ちゃんもちゃんと間に合うように行きなさいよ。あっ、でもスピード違反は厳禁ね」

 

「分かってるってば。無理せず大学まで行くわよ」

 

「それと有栖。……あんたの髪の毛はお父さん似なんだからさ。大学の前で写真は忘れないようにしなさいよ。送らないとだし」

 

「ここに居ない人の話はしないでよ」

 

 妙子の反応にそれもそうか、と母親は微笑む。

 

「じゃあ、今日もやりましょうか。篠崎家ぇ――っ!」

 

「ファイッ!」

 

 全員でお互いを鼓舞しつつ、有栖は妙子の走らせ始めた車のバックミラーで手を振る母親を認める。

 

「……ねぇ、お姉ちゃん。あたし……優柔不断かな?」

 

「それも今さらじゃないの。でも、まさか私の大学に通うって言い出すなんてね。偏差値全然足りなかったのに」

 

 どこかむくれている妙子は、有栖の勉強法で入学出来ると思っていなかったのだろう。実際、自分もそう思っていないのだから、これも意想外である。

 

「……結局……決めかねた感じだったなぁ」

 

「幸子ちゃんは? 同じ大学じゃなかったのは意外だったけれど」

 

「幸子はスポーツ推薦。陸上で頑張るみたい」

 

「ふぅん……いつまでも一緒なんだと思っていただけに、ちょっと意外ねぇ」

 

 それは自分の台詞でもある。幸子は元々陸上部でタイムを一秒でも縮めるために努力していたが、自分はというとギリギリまで勉強してこなかったのだから、怠惰でしかない。

 

「ねぇ、お姉ちゃん――」

 

 そこまで言いかけて不意に横合いの小道から突っ込んできたのは原付であった。妙子が慌ててブレーキを踏む。すると、原付の相手はヘルメットを外して長い長髪を振る。

 

「大丈夫でした……? 怪我は……って、有栖ちゃんに妙子さんじゃないの。どったの、こんなところで」

 

「それはこっちの台詞……って言うか、ツバサ姉! ちゃんと前見て走ってよ!」

 

 助手席から言ってのけると、ツバサはいやはや、とヘルメットを撫でる。

 

「スクーター通学もやってみると案外、悪くないって言うか……。あっ、でも今の……。事故じゃない……わよね?」

 

「私達が申告すれば事故になるけれど?」

 

 運転席でハンドル片手にぴくぴくと頬を引きつらせる妙子に、ツバサはまったまたーと笑顔になる。

 

「ご冗談を。……えっ、って言うか本当に事故になんないわよね? こんなところで事故ってたら話になんないって言うか……」

 

「大丈夫だから。ツバサ姉もこれから大学?」

 

「うん、入学コンパの前準備って奴。有栖ちゃんも、妙子さんと同じ大学って言うんなら、私の後輩ね! ……どう? マジにサークルに入ってみない?」

 

「サークル勧誘は学校の中でしてよ、翡翠さん?」

 

「あっ、これってヤバい奴だ。……じゃあねー!」

 

 スクーターを走らせるツバサの後ろ姿を眺めていると、妙子が苛立たし気に嘆息をつく。

 

「まったく。あんなでも在学中に作家デビューって言うんだから、うちの大学も適当って言うか……」

 

 ツバサは小さい文学賞に引っ掛かり、晴れて小説家デビューと相成ったが、相当に多忙を極めているのか最近はカワセミ書店が開いている事も珍しくなった。

 

「……ねぇ、お姉ちゃん。あたしさ、やりたい事とか、やらないといけない事とか……全然分かんないけれど、大学生になってよかったのかなぁ……」

 

 ふとした疑問に妙子は何でもないように応じる。

 

「バカねぇ、あんたも。そういうモラトリアムが大学生活なんだから。……頼むから、ヘンな男子に引っ掛からないでよ。あんた、そういうの特に思うし」

 

「引っかかんないよ。……お姉ちゃんはあたしを何だと思ってるの?」

 

「バカで愚図でドジな……私の妹よ」

 

 何だか分かり切ったような事を、久しぶりに言ってくれたような気がして有栖は貶されたのに嫌な気分ではなかった。

 

 大学の前で駐車場に滑り込んだ妙子は、途中までだからね、と言い添える。

 

「入学式には行けないから。私は私で忙しいんだし」

 

「お姉ちゃんのサークル、入ったほうがいいのかなぁ」

 

「どっちでもいいわよ。それに、所詮は大したもんでもないし」

 

 妙子とは一旦別れ、有栖は大学の入学会場に向かっていた。確か式典が行われるのはこっちだったはず、と歩きスマホで地図を探っていると不意にぶつかってしまう。

 

「わっ……!」

 

 お互いにつんのめり、有栖は鞄に詰めた入学の手引をぶちまけてしまっていた。それは相手も同じのようで、あわあわと地面を探る。

 

「メガネメガネ……」

 

 相手の探っている眼鏡が自分のほうにあったので、有栖はそっと差し出す。

 

「これ……?」

 

「あっ、ごめんなさい! 不注意で……」

 

「ううん、あたしもよそ見してたし……。ねぇ、あなた……」

 

「あぅ……。その、荷物ひっくり返しちゃった……」

 

 どうやら相当慌てていたらしい。その中にふと、有栖はチャームを見つける。

 

「……これ、もしかして『ポケモン』の?」

 

「あ、はい……。ジャラコって言う『ポケモン』で……」

 

 そう言って金色のジャラコキーチャームを鞄から下げた少女に、有栖も同じようにポシェットに付けているグッズを見せる。

 

「あたしも……『ポケモン』のファンなの。えっと、セビエって分かるかな? 結構、マイナーなポケモンだけれど」

 

「氷・ドラゴンタイプですよね。えへへっ、私も結構知ってるんですよ……って、ああっ! こんな事している場合じゃなかった!」

 

 大仰に驚いた相手に有栖はスマホの時間を見やる。

 

「まだ時間はあるし、ゆっくりと鞄の中身を戻そっか。……えっと、あなたは……」

 

「私は……綺咲、です……」

 

「苗字は……」

 

「えっと……姫宮、綺咲って言うのが、私の名前……」

 

 赤縁眼鏡の少女はうろたえ気味にそう口にする。サイドテールの黒髪に、白いリボンが眩しい。顔を伏せ気味なので相貌は窺えないが、それでも有栖はヒメミヤ、と口にしていた。

 

「えっ! 姫宮……って、もしかして姫宮財閥の? それって、『ポケモン』を作った会社じゃ――!」

 

「しーっ! 声大きいですよ……! ……だから、あんまり名乗りたくないのになぁ……」

 

 しゅんとした少女――姫宮綺咲の様子が可笑しく、有栖は思わず吹き出してしまう。

 

「……そっかぁ。『ポケモン』作った会社のご令嬢さんって事?」

 

「……ご令嬢って程じゃ……。でも、お父さんもお母さんも、過保護なんです。あれ……」

 

 綺咲が指差した先には、隠れていると思っているのか綺咲の両親らしい男女が連れ立っている。

 

「……あれ、ずっと?」

 

「……はいぃ……。もう、大学生なんだからいいって言ったのに……」

 

 恥じ入るように顔を伏せた綺咲に、有栖は何だかとても愛おしくなって、それから悪い考えが湧いてくる。

 

「……ねぇ、じゃあ……振り切っちゃわない?」

 

「ええっ……! いいんですかね……」

 

「いいんだってば! だって、あたし達、もう十八歳なんだし! ……それにね? 親にしてみれば、意外な一面を見せたほうがいい事もあるんだから!」

 

「あぅ……そうなのかなぁ……?」

 

 懐疑的な綺咲の手を、有栖は引く。多少強引であっても構わない。今は、綺咲と一緒にこの桜並木を駆け抜けたい。

 

「……行こっ! 綺咲ちゃん、でいいんだっけ?」

 

「あの……あなたは……?」

 

 そう言えば名乗っていなかったか。有栖は、手を引きながら改めて、己の名前を名乗る。

 

「……あたしは――篠崎有栖。よろしくねっ!」

 

「“アリス”……」

 

 風が吹き抜ける。綺咲の黒髪をなびかせて、その面持ちを露わにさせていた。

 

 まばゆいばかりの緋色の瞳が、眼鏡の奥で驚愕に見開かれている。

 

「……どうしたの?」

 

「あ、ううん。何だか……とても懐かしい名前のような気がして……」

 

「そうかな? ありふれた名前だとは思うけれど……」

 

 とは言え、褒められるのは悪い気はしない。有栖は入学式会場に向かう一筋の道を駈け出していた。

 

「あ、あの……! 篠崎さん、って呼んでいいでしょうか……?」

 

 戸惑いがちな声に、有栖は笑顔で返す。

 

「うんっ! あたしも綺咲ちゃんって……もう呼んじゃってるね。それでいいかな?」

 

 綺咲は引っ込み思案なのか、僅かな逡巡の後に頷く。

 

「……私……こんな距離で話した人、はじめてかも……」

 

「そう? まぁ、あたしも。大学生活で友達を作っていかないとって思っていたから。強張っていたのかも。ちょっと反省……って、綺咲ちゃん! お父さん達、追って来るよ!」

 

「わっ、本当だ……!」

 

「行こっか!」

 

 綺咲の躊躇いがちな指先が、そっと自分の手を掴む。まるで、二度と離さないかのように、ぎゅっと。

 

「……うん。行こう、篠崎さん……!」

 

 すれ違う人の数々。厳めしい大学教授らしき男性に連れ立った、助手らしき女性が声を上げる。

 

「待ってくださいよぉ、教授ぅ~……! 大学の入学式なんですからぁ~」

 

「トリア、お前はいつもそうだな。……すぐにとは言わないが、ゼミを決めてもらわないといけないだろうに」

 

 別の新入生グループだろうか。

 

 ギャルっぽいファッションに身を包んだ少女がふふんと鼻を鳴らす。

 

「よーやく来たし! ……さぁーて、待ってろ華の女子大生生活! 今どきJDになってやろうじゃん!」

 

「ちょ、ちょっと、兎真さん……声、おっきい……」

 

 後ろに控えた民族衣装を纏った少女が周囲を見渡してこわごわと首を引っ込める。

 

 それぞれの生活と、それぞれの生き方。それぞれの色彩の明日。

 

 桜色の季節を超え、自分達はきっと――そう遠くない未来、大人になるのだろう。どんな大人になるのだろうか。どんな風に、青春を謳歌していくのだろうか。

 

 道筋は見えない。

 

 けれど、暗く陰っているわけではない。

 

 どこまでも茫漠とした将来が、どこまでも輝かしい未来として続いている。

 

 繋いだ手を一つ、有栖は掴んでその先へと駆け出していた。

 

 いつまでも子供ではいられない、そんな未来。

 

 いつまでもモラトリアムを演じられない、桜がいずれ散るようにきっと季節は巡っていく。

 

 自分達の思惑なんて無視して、時間だけは無情に。

 

 けれど、永遠もあるはずなのだ。

 

 そのきっかけが、この手に繋いだ友情ならば今は信じたっていい。

 

 未来はきっと、不完全。

 

 だからこそ――描ける先は、無限大の旅路のはずなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポケットモンスターHEXA11 ALICE 完

 

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