ALICE   作:オンドゥル大使

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第15話 コバルトの『消失』

 

 響き渡った声に綺咲は目線を振り向ける。投光器から放たれる逆光で顔が見えないが、その声から昨夜戦ったゴースト使いであるのは明白だ。

 

「……どういうつもり? 転生者がトランプ兵団と手を組むなんて」

 

「手を組んだ、と言うよりは様子見、だったかしらぁ。呪いの傷を受け、毒の傷まで受けてあなたのジャラコはかなりのダメージを受けている。現状の転生者で、あなたを一番に仕留めると言うのは何も破綻していない」

 

 トランプ兵団は知っていたのか知らずか、いずれにせよ、相手の手腕が一歩上であっただけなのだろう。

 

「……一つ。私の事が気に食わないのなら好きにすればいい。なんだって他人を巻き込んだの」

 

「あらぁ、筒抜けぇ? さすがは天下の姫宮財閥のご令嬢さん。けれど、あの子は私の味方よ? そんななのに、あなたは孤立無援で戦うしかない。難儀よねぇ、一人でしかないって言うのは」

 

「一人じゃない。ジャラコが居る」

 

 その言葉に応じるかのようにジャラコが鋭く鳴く。逆光の主はせせら笑ったようであった。

 

「いいけれどぉ……歯ごたえのない勝負は勘弁ねぇ。ヤバチャ、悪の波導、連射」

 

 その言葉が紡ぎ出された時には全方位から漆黒の波導が発生させられていた。綺咲はまず真正面に駆け抜け、包囲陣を突破しようとしたが直後に肉体を激震し突き抜けたのは縛るかのような嫌な感覚であった。

 

 膝をついた綺咲へと「あくのはどう」が浴びせかけられようとするのを、今のジャラコでは防げない。ここまでか、と瞼を閉じようとして声が劈く。

 

「ドオー! ポイズンテール!」

 

 ドオーが間延びした声で鳴き、尻尾に纏いつかせた毒で綺咲に命中する分だけの攻撃を弾き返す。「あくのはどう」が跳ね返り、周囲のビルに粉塵を巻き起こす。

 

「……どういうつもりぃ?」

 

「どうもこうも……。お前ら転生者に最後の最後まで利用されたまま……終わって堪るか! どうせやるんなら、マシなほうにつくまでだ!」

 

「それは間違った判断なのだと、教えてあげるわぁ……。ヤバチャ、ナイトヘッドで狙い澄ましなさい」

 

「ナイトヘッド」の呪縛を受けて平時ならば軽やかに攻撃を避けてみせる綺咲にはどうしようもない。心臓が縛り付けられるかのような痛みに耐え忍びつつ、ジャラコに命令を下そうとしてその眼前に降り立ったヤバチャがティーカップ状の肉体を自ら砕く。

 

 その瞬間、ジャラコから気力と気概が失われていくのを感覚していた。今のは「おきみやげ」だ。自身を瀕死状態にする代わりに、敵ポケモンを大幅に弱らせる事が出来る。しかし、通常の転生者ならば瀕死までポケモンを追い込む事はない。その戦略を支えているのは恐らくゴースト使いの信条だろう。一体くらいは倒れても、大した事がないという。

 

「……気に入らない戦術ね。道具以下にしか思っていないのが透けて見えるわ」

 

「それで結構よぉ……。どうせ、転生者として勝ち抜けなければ意味がないものぉ。さて、引導を渡してあげるわねぇ」

 

 霧子が一歩、また一歩と近づいてくる。

 

「ナイトヘッド」で心臓が痛み、ジャラコに命令するような気概も起きない。集中力を研ぎ澄ませようとすれば、すぐさまヤバチャに攻撃されてしまう。

 

 畢竟、手詰まりの領域に達していた。

 

 霧子はヤバチャ六体分の「みがわり」と「おきみやげ」を持っている。投げれば機能する爆弾と同じだ。そして、爆弾は起爆してこそ意味がある。

 

 その点で言えばこの戦い方は上策と言えるだろう。自らは手を汚さず、そしてリスクを背負ってもいない。

 

「……一つだけ。あなたは篠崎さん達をどうする気なの……」

 

「どうする、ねぇ……。本当ならあなたと同士討ちをさせても良かったんだけれどぉ、ここまで追い詰めたし。こんなシナリオはどう? “姫宮綺咲は他の転生者に敗北した。その転生者を倒すために協力しよう”なんて」

 

 恍惚の表情を浮かべる霧子に綺咲は吐き捨てる。

 

「……最低のシナリオね」

 

 ぴくりと眉を跳ねさせた霧子は、ヤバチャを操る。

 

 ヤバチャの放ったのは「メガドレイン」でジャラコの体力をさらに奪う。

 

「諦めなさぁい……。もう体力はレッドゾーンよ。第一、私に勝てるような算段があるとは思えないのだけれどぉ?」

 

 綺咲は周囲へと視線を配る。ドオーの主であるトランプ兵団はヤバチャと霧子に仕掛けようとしているが、明らかに戦力不足なのは分かっている。加えて自分は転生者と言う身分上、トランプ兵団の下っ端にしてみればここで潰えて欲しいのだろう。

 

「じゃあ、さよならね。姫宮財閥のご令嬢さんも、ここで打ち止め――」

 

 霧子が指で爪弾き、ヤバチャに「おきみやげ」を実行させようとする。確実に自分の命を摘むつもりなのだろう。その予感に綺咲は決して視線を外さなかった。ここで易きに流れれば、ここで諦めてしまえば、それはこれまでの自分の足跡を否定する事になる。それだけはあってはならないのだと、より鋭く睨んだところで霧子へと振りかかったのは水滴であった。

 

「……なにこれぇ? 水……」

 

「――シズクモ。水浸し」

 

 唐突に戦域に割って入ったのは泡の躯体に身を押し包んだ節足のポケモンであった。それを操っているのは――。

 

「……ウソ、でしょう? 篠崎さんと一緒に居た……」

 

「……あなた、確か転生者じゃなかったはずよねぇ? 何でぇ?」

 

「何でも何もないでしょう。――私も、転生者に成ったから」

 

 確かツバサと名乗っていた女性はアルセウスフォンを翳す。自信に満ち溢れた立ち振る舞いと、そしてシズクモと呼称されたポケモンが霧子を見据える。

 

「……新しい転生者ぁ? ……けれど、そんなので勝てるなんて、甘いんじゃないのぉ?」

 

「言ってなさい。シズクモ、頭突き!」

 

 シズクモが鋭く鳴いてヤバチャへと突撃する。しかし、その攻撃が無効化されるのが霧子には分かっていた。

 

 タイプ相性上、ノーマルタイプである「ずつき」はゴーストタイプに通用せず、すり抜ける――それを霧子も理解しており避けようとするそぶりも見せない。

 

「だからぁ、そんなの無駄――」

 

 その言葉が消え入る前にヤバチャへとシズクモの一撃が食い込む。まさか、と震撼した霧子へとさらに追撃の攻撃が実行される。

 

「バブル光線!」

 

 ほぼゼロ距離で放たれた「バブルこうせん」の出力に転生者である霧子自身が無様に地面を転がる。

 

「……どうして……ヤバチャに通じるはずが……」

 

「最初の一撃で布石を打っておいた。シズクモの水浸し攻撃で、あなたのヤバチャは水タイプになっている」

 

 霧子がアルセウスフォンでステータスを確認しようとしたその時には、シズクモの「みずてっぽう」が放たれ、霧子は逃げ場を失っていた。

 

「……水タイプに……一時的とは言え……?」

 

「そして……私達は君を助けに来たのよ、姫宮綺咲さん」

 

「私……達?」

 

 綺咲はこの場に踏み込んできた人影の気配を感じ取る。振り向かずとも分かる。その正体は――。

 

「セビエ、凍える風でヤバチャを封じて!」

 

 吹き抜ける凍結の旋風が水タイプと化したヤバチャを凍て付かせていき、ほんの数秒でヤバチャの動きは鈍っていた。

 

「……あなたは……」

 

「綺咲ちゃん……っ。助けに来たよ……!」

 

「……何で? 赤沢霧子と同盟を結んだはず……」

 

「予感がしたの。……とは言っても、夢で見ただけなんだけれどね。綺咲ちゃんは霧子さんと戦っているって。もちろん、霧子さんには恩がある。だから、ここはお互いに身を引きませんか? そうすれば誰も傷つく事も――」

 

「ふざけないでぇ……! せっかく姫宮綺咲を倒せるって言うのに、それをふいにしろって? あなた達には分からないかもしれないけれど、チャンスを逃せばそれで終わりなの! 願いを叶える術は永遠に失われる……! だから――死んで」

 

 砕けたはずのヤバチャから放たれたのは「あくのはどう」で、綺咲は寸前に回避したが有栖には間に合わない。

 

 その攻撃が完遂される――その瞬間に綺咲は思わず叫ぶ。

 

「避けなさい! アリス――ッ!」

 

 眼前に迫った漆黒の波導はしかし着弾前に霧散する。

 

「シズクモ! バブル光線で拡散させる……!」

 

 シズクモの放った「バブルこうせん」が「あくのはどう」の勢いを削ぐ。その直後、有栖は地を蹴ってセビエに命じていた。

 

「セビエ! ドラゴンテールで!」

 

 セビエが中空に舞い上がり、身体を丸めて「ドラゴンテール」を蒼い力場を滾らせて放つ。それを遮るのはまだ残存する霧子のヤバチャであったが、これまで「みがわり」と「おきみやげ」で散々酷使したためか、防御は容易く打ち砕かれていた。

 

「……私が、負ける……? こんな新人の転生者に……!」

 

「降伏してください。霧子さんは、あたしの恩人ですから……」

 

「殺したくない、って……? 本当、おめでたいわねぇ……。あのサナギラス、あの場所に撒き餌をしたのは私だって言ったらぁ?」

 

 綺咲には確信がある。恐らく霧子の言っている事は真実だ。だが、選ぶのは有栖である。

 

「……篠崎さんが選びなさい」

 

「それは……あたしは……霧子さんが……そこまで悪い人だって思えないって言うか……」

 

「そう。……残念ね」

 

 残りのヤバチャの纏っているティーカップ型の表皮が砕ける。否、これは自滅したのではない、「くだけるよろい」による素早さの向上だ。

 

 その一時的な速力からの「ふいうち」が有栖を襲い、セビエが反応する前に有栖の周囲に展開したのは吸収技である「ギガドレイン」の包囲網であった。

 

「……なに、これ……。力が入んない……」

 

 思わずへたり込んだ有栖へと霧子が手を払う。

 

「ヤバチャ、アルセウスフォンを破壊しなさい。そうすれば決着がつくわ」

 

 残り一体だ。

 

 ヤバチャが宙を駆け抜ける。綺咲は決断を迫られていた。迷っている時間がコンマ一秒でもあれば、きっと有栖は失格となる。

 

 ならば――それを阻止出来るのはこの場において新参者のツバサでも、ましてやトランプ兵団でもない。

 

「……ジャラコ。手段を選んではいられないわ。――進化なさい」

 

 アルセウスフォンを掲げる。その画面からもたらされた光の螺旋を受け、ジャラコの躯体が一回り巨大になる。表皮を擦り合わせて反響音を拡散させるのは両腕と足腰が丈夫になった痩躯であった。

 

 鋭い眼差しが今に有栖へと襲い掛かるヤバチャを捉える。

 

「――進化、ジャランゴ。ボディパージ!」

 

 ジャランゴと呼称されたポケモンは纏った鋼の肉体を削り、瞬間的な加速度を得る。その速力はヤバチャを追い越し、有栖の眼前に佇んでいた。

 

「……この速さは……!」

 

 霧子が次手を打つ前にその腕に青い色調を帯びてジャランゴが貫手を放つ。

 

「ドラゴンクロー」

 

 実行された一撃がヤバチャを貫き、有栖にあと数センチで触れるところで硬直する。完全に粉砕されたヤバチャが消え失せてから、霧子は膝を折る。

 

「……ウソ、でしょぉ……? ここまで……やってきたのに」

 

「運がなかったわね」

 

 ジャランゴの爪が霧子へと据えられる。今に斬撃がその身体を引き裂くかに思われたが、背中にかかったのは意想外の声であった。

 

「ま、待って! ……綺咲ちゃん、何をするつもりなの……?」

 

「赤沢霧子を殺すわ。そうすれば少しはマシになる」

 

 今に命令を下そうとして、有栖の手が袖を引く。その眼に浮かんだ透明度の高い涙の粒が顎に伝い落ちる。

 

「……ダメだよ、ダメ……。だって人殺しなんて……そんなの絶対に……」

 

「あなたが殺されるところだったのよ?」

 

 これで反論が来ないと思っていたが、有栖は頭を振って抗弁を発する。

 

「そんなの……! そんなの結果論だよ! あたしは……霧子さんの事を、一時の気の迷いだと思ってる! ……だから、殺してしまうなんて……そんなの絶対にダメ……」

 

「たとえ自分が死んでも?」

 

 突き付けた問いかけに有栖は一拍だけ逡巡を浮かべたが、その眼差しから逃れずに頷く。

 

「……うん。あたしは誰かを殺してまで……願いを叶えたくなんて、ない」

 

「そう。ご立派な心掛けね。けれど、現実はそうはいかない」

 

「ちょっと! 有栖ちゃんを助けれくれたのは礼を言うけれど、元はと言えば私が介入しなかったらあなたも死んでいたのよ?」

 

 ツバサの忠言も少しだけ鬱陶しいが、綺咲は涼しげな面持ちで応じる。

 

「誰も助けてなんて頼んでいないわ。それに、あなたはまだ新米転生者。どうせ、赤沢霧子とやり合えば負ける可能性だってあった」

 

 こうして言い合っている間にも無為な時間が過ぎる。綺咲は決断しようとして、不意に反射したアルセウスフォンの眩惑に反応が遅れる。

 

「油断したわねぇ……! これでヤバチャを回復すれば、私の勝ち――!」

 

 霧子の逆転の言葉が紡がれるのと、綺咲のジャランゴが爪を払ったのは同時であった。咄嗟の判断だったのだろう。霧子の翳したアルセウスフォンが砕け散る。

 

 その行動に目を瞠ったのは霧子自身であった。

 

「あ……ああ……! 何で、こんな……! 私はぁ……っ!」

 

 アルセウスフォンを中心軸にして時空が乱れる。積乱雲のような黒い靄が発生し、直後には霧子の肉体がねじれていた。

 

 比喩でも何でもなく、霧子の身体はアルセウスフォンを基点にして渦巻き、そしてこの世に存在した欠片を一つも残さずに消滅したのだ。

 

 有栖もツバサも声が出ないようであった。それも当然だ。目の前でこの“ゲーム”の結果を突きつけられたのだから。

 

「……今の……」

 

「チェシャーから聞いたでしょう? アルセウスフォンを失えば、強制的にリタイアになるって」

 

「でも、リタイアって……。今のはまるで……この世から消し去られたみたいな……」

 

 綺咲は有栖へと振り返る。僅かに気圧された様子の有栖へと、綺咲は言い聞かせる。

 

「……何でも願い事が叶うなんて、そこにリスクなんてないと思ったの? 私達、転生者はそれこそ死と隣り合わせ。戦うのなら……戦い続けるのなら、もっとちゃんと考えてみる事ね。それがどのような帰結を辿っても、後悔のないように」

 

 綺咲は有栖の脇を通り抜ける。有栖が振り返って何かを言おうとしたのが気配で分かったが、それでも何の言葉も懸けられなかった。それも当然だろう。

 

 自分は――形は違っても人殺しのようなものだ。それを見せつけられて、それでも寛容になれるのならば、その人間はどこかが壊れているのだろう。

 

 戦域から離れる際の足音は、自分でも思っている以上に冷たかった。

 

 

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