ALICE   作:オンドゥル大使

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第2話 平穏な『日々』

 

 ジリリ、と目覚まし時計の音が鳴り響く。

 

「むぅ~……」

 

 精一杯の遺憾の意を示して唇を尖らせつつ、そのスイッチを押し込む。寝ぼけ眼で捉えた時計は朝七時。今しがたまでの大スペクタクル極まる戦いと、それに付随しない寝間着姿の自分を何度か感覚し、やがて虚脱感に苛まれる。

 

「夢ぇ~……」

 

 がっくり来た気分でいると階下から声が弾ける。

 

「そろそろ起きなさーい! 遅刻しちゃうわよー」

 

「……むぅ。今起きようと思ったのー! ……何だか、ヘンな感じ。こんなの……あたしの記憶の片隅にでもあったのかな……?」

 

 それとも、とベッドの脇に置かれている最新ゲーム機へと視線を注ぐ。そう言えば寝落ちするまでゲーム三昧だったのだ。そのせいもあって、あんな夢を見てしまったのだろう。

 

 思えば自分のような小市民には見合わない火花散るバトルが深層意識に滑り込んだのもさもありなん。

 

 寝間着から濃紺の制服に着替え、慌てて階段を降りたところで、あっ、と視線がかち合う。

 

「……お姉ちゃん……」

 

「何よ。朝から嫌なものでも見た、とでも言いたげね」

 

「……別に。お姉ちゃんはいいの? 慌てなくって」

 

「おあいにくさま。大学生はその辺は自由なの。大変よねぇ、高校生って言うのはちょうど人生の分水嶺で」

 

「……お姉ちゃんに分かって欲しいわけじゃないもん」

 

 不服そうに頬をむくれさせていると、姉に頬っぺたをつつかれてしまう。その模様に思わず笑顔になり、脱衣所に向かっていた。洗面台でちょうど母親がメイクをしている。

 

「おはよ、お母さん」

 

「ちゃんと起きないと。幸子ちゃんが迎えに来ちゃうわよ。――有栖」

 

「分かってるってば。あたしなりにちゃんと考えてるの」

 

 文句を漏らしつつ、有栖は歯磨きと洗顔、それにナチュラルメイクと順繰りにこなしていく。

 

 癖のない艶やかで絹のような金髪にパツンと白いリボンを通す。頭頂部でちょうど結んで意識するのはウサギの耳。ちょっとしたアクセントにするのがお気に入りだ。

 

「母さん。有栖の成績ってどうなの? こんなんじゃ、目標偏差値には足りないでしょー」

 

「もうっ! お姉ちゃん、うるさい……」

 

「そうねぇ……。担任の先生からはもうちょっと数学を頑張るように言われていたかな。あっ、妙子。あんたも大学、ちゃんとやっているのよね? 単位落としたなんて、冗談でも言わないでよね」

 

「それはそれは、もちろんの事ですよ、お母様。……なんつって。学費出してもらってるのにサボるのも変じゃないの」

 

 わざとらしく恭しく頭を垂れた姉――妙子の大仰なパフォーマンスに母親は心底参っているほどではないようで、娘の朝からの冗談を笑い飛ばすくらいは出来ている。

 

「まぁ、あんたにはさほど心配はしてないけれどね。大学で変なサークルだとか、変な先輩だとかには注意しなさいよ。あんた、第一印象はいいからね」

 

「それは褒めて貰ってるって事?」

 

「バカ。心配してるって事」

 

 お互いに軽口を交わし合う母親と妙子はやはり気が合うのだろうと思う。有栖は身支度を終えてから食卓へと向かうと、既に朝食が準備されていた。スクランブルエッグにコーヒー、それと食パンにはジャムが塗られている。汁物はさっぱりとした春雨スープだ。

 

「……減塩食って言うのかな。こういうの」

 

「おバカ。母さんがせっかく作ってくれたのに文句言う子が居ますか」

 

「いいのよ。最近ちょっとね……。私も客員教授のお仕事があるから、見た目には気を遣わないと」

 

 母親も食卓につく。えんじ色のスーツに身を包んだ母親の職業は大学の客員教授であり、途中までは妙子と一緒の通学路だ。有栖だけが正反対の方向にある高校に通う事になっており、若干の疎外感は否めない。

 

「けれどさ、最近結構物騒だよねー。ほら、ガス爆発だっけ? 新都心のほうで」

 

 妙子がテレビを点けると昨夜の事件が軽く触れられており、散発的に起こるガス爆発が取り上げられていた。

 

『やはり、自警団を作るべきなのではないでしょうか? こうも立て続けに事件が起こるとなると……』

 

『しかしですね……。負傷者はゼロなのです。なら、様子見をする事こそが……』

 

「……私、こういうの嫌いねぇ。みんながみんな、責任の押し付け合いをしているって言うか」

 

「そう? どうせ朝のニュースなんてこんなもんだって」

 

 妙子はリアリストのようで実のところはミーハーだ。現に話題が切り替わり、最新のトップチャートを駆け上がるアーティストを追っている。手にしたスマホ端末でSNSの評判を探る事も怠らない。

 

 現代を生きる人間の縮図とも言えるだろう。有栖自身、その気がないと言えば嘘になるが。

 

「有栖。髪の毛はちゃんと手入れしておきなさいよね。あなたはせっかく綺麗な金髪なのよ? 長いと枝毛とか面倒だろうけれど、毎日やらないとあっという間に衰えちゃうんだから」

 

 母親の警句を受けつつ、有栖は髪の毛を指先で巻きつつ話題を適当に聞き流す。

 

「こら。聞いておきなさい。あんたの金髪は父さん似なんだから」

 

 妙子の言葉に有栖は嘆息をつく。

 

「ここに居ない人の事を言ってどうするの?」

 

「確かに。それは言えてるわ」

 

 朝食風景にちょっとしたスパイス。劇薬とまで行かないのが、親子女子三人で住んでいる自分達の距離感だ。

 

 父親の事は別段タブーでもない。

 

 むしろ別れてさっぱりとしたと言うのが母親の評価であり、父親の話題は意外にも頻繁に上がる。

 

「けれど、気を付けなさいよ? あんたみたいな金髪女子、案外狙われるんじゃないの?」

 

「狙われるって……お姉ちゃん、考え方がおじさんだよ……。第一、あたしそんなに可愛くないもん」

 

「そりゃーそうだ。ちょっと多めに見積もっちゃったわねぇ」

 

「……この!」

 

 有栖はあまりにも無節操な妙子の言葉に頬をつねり上げようとするが、力だけなら姉である彼女のほうが上だ。それに幼少期から散々泣かされてきた相手に今さら勝てるわけがない。

 

 逆に頬をつねり上げられ早速、有栖はタップしていた。

 

「本当にザコよねぇ……。ゲームばっかりが得意だなんて、将来は自宅警備員?」

 

「げ、ゲームの腕ならお姉ちゃんに負けないんだから!」

 

「へいへい。じゃあせいぜい、ゲームじゃ無双気取ってなさいよねー」

 

 適当にあしらわれ、食事を終えてから全員で玄関の前で最終点検をする。

 

「鍵よし! ガスの閉め忘れなし! じゃあ今日も!」

 

「頑張っていきますかぁ……」

 

 明らかなやる気の感じられない妙子に母親が釘を刺す。

 

「ちゃんと単位落とさないようにしなさいよね。じゃあ改めて……」

 

「篠崎家、ファイッ!」

 

 三人で手を重ねてから今日の気合を入れ直す。妙子と母親は同じ道筋を行き、有栖だけが逆方向であったが、その孤独もさほど長続きしなかったのは緑地公園で手を振る短髪の少女の姿を認めたからだ。

 

「幸子……!」

 

「おっそい! 有栖の家っていっつもそうだよね。何で決起集会みたいな事やってんの?」

 

 先ほどのやり取りが見られていたのだろう。有栖は困惑して頬を掻く。

 

「何なんだろ……。その日一日を気合を入れて戦うためかな……」

 

「絶対ヘン! ……ま、変なところも有栖の家の醍醐味かぁ。ねぇ、そう言えば一週間前に貸した新譜、そろそろ返してくんない?」

 

「あっ、持ってくるの忘れちゃってた……」

 

「マジ? ……まぁ、別にいいけれどさ。有栖、睡眠不足?」

 

「えっ……何でそうなるのかな……」

 

 歩きながら道すがら、幸子はうーんと考えを巡らせる。

 

「何か……今日はヘンなな感じがするから。夢見が悪かったとか?」

 

「……当たらずとも遠からず……かな」

 

「ゲームしながら寝落ちしたでしょ? よくないと思うんだよねー」

 

 幸子に指摘されると、有栖も大きくは出られない。何せ、そのゲームの対戦相手は幸子本人なのだ。

 

「やっぱり、技の構成だとかを考え直すべきなのかなぁ……?」

 

「と言うよりも、有栖は最初のほうに手に入れた奴に執着し過ぎ! もっとスタメンは変えて行かないと勝てないよ?」

 

 その言葉に有栖は困り果ててしまう。

 

「けれど、さ……。せっかく長い時間をかけて戦っているんだから、やっぱりあたしは好きな“ポケモン”で勝ちたいなぁ。ほら、金銀の時の四天王の……あの人が言っていたじゃない。“強いポケモン、弱いポケモン”……だとか」

 

「“そんなの人の勝手”だっけ。あれってもう二十年ほど前じゃないの。それに、ポケモン勝負で勝とうと思ったら、案外ゲスい戦法の動画とかも観るし」

 

 幸子とここ数日間、毎晩のようにプレイしているのは全世界的に流行している巨大なコンテンツタイトル『ポケットモンスター』の最新版だ。

 

 有栖はアクションゲームこそ苦手だが、ポケットモンスターに関してだけで言えば幼少期からプレイしており、それなりに愛着もあるのだが、対人戦で勝とうとするとどうしても弊害が出てくる。

 

 しかし、プレイする事自体は嫌いになった事はない。新作タイトルが出れば、一か月は熱中する。とは言え、本当のいわゆる「廃人」プレイヤーに比べればライト層で、タマゴ技や特殊個体の色違い厳選をするほどの情熱はない。

 

「けれどさぁ……有栖ってもっとさ、お高い趣味をするもんだと思われてるんじゃない? ほら、お紅茶だとかスコーンだとか、そういうの」

 

「うち、あんまり余裕があるとは言い難いし、そういうのはないってば。お母さんも客員教授で色々と飛び回っていて忙しいし、お姉ちゃんは大学生だし」

 

「私らもあと一年程度頑張れば、大学生活。夢のキャンパスライフ、かぁ……。何だか自覚症状ないなぁ。こんなんで本当に大人に成れるのかなぁ……」

 

 幸子の疑問は恐らく、この日本で高校生活をしているほとんどの人間に当てはまるだろう。ある意味では凡庸で、ある意味では万能で。

 

 有栖自身、しんどいと思った事は少なくはない。勉強についていくのがやっとの身分で、なおかつそれほど頭がいいとも思っていないのだ。

 

『自然エネルギーとの共存、共栄を! 姫宮財閥はあなたの生活を変えます!』

 

 自然エネルギーとの共存を標榜した姫宮財閥の飛行船が空を舞う。街頭広告が目まぐるしく色彩を湛え、次々と切り替わっていく。

 

「……学園都市って言ったって、そう大層なものでもないしなぁ。私らのやっている事って、結局はただの学生身分でしょ? 何だかああして飛び回られると急かされている感じって言うか……こら! そんな高いところから言ってるんじゃないっての!」

 

「幸子ってば……恥ずかしいよ……」

 

 飛行船に野次を飛ばす幸子を宥めながらも有栖自身、この生活は変わるのだろうかと疑問はあった。日本でも有数の財力を誇る姫宮財閥の学園都市。籠の鳥、と言うわけでもないが、このような場所を知ってしまった以上、都市部に流れるのもましてや山間部に赴くのも何だか違う気がして、将来を誘導されているように感じてしまう。

 

 実際、ほとんどの市民は姫宮財閥のお膝元の企業に就職するのがこの街の常識だ。その事に何の疑いも持たず、敷き詰められたレールの人生に異を唱える事はない。

 

「……まぁ、食わせてもらっているのにこうしてナマイキ言うのはあれなんだけれどさ。……けれど、何だかねー。私達ってまともな大人に成れるのかなぁ」

 

「幸子はまともだってば。あたしのほうが不真面目」

 

「そう言えば……レポート提出期限、相当引き延ばしてもらってるんだって? あんなのちゃちゃっと適当にやっちゃえばいいのに」

 

「それは……。だって、分かんないもん。この街で生きてきてよかった事を羅列しろ、なんて」

 

「バカねぇ。真っ当に考え過ぎだって。ネットから拾ってきた情報をコピペでいいじゃん」

 

「それは……! それは何だか、不真面目と言っても違うような気がして……。ねぇ、もういいじゃない。すぐに学校に行かないと遅刻しちゃう」

 

「それもそうだ。まぁ、年がら年中多感な悩みの有栖と私も違うって事なのかなぁ、っと! 先に着いたほうがお昼奢りねー」

 

「あっ、ズルい! 幸子ってば……!」

 

 駆け出した幸子の足には簡単には追いつけない。万年帰宅部の自分と違って、幸子は陸上部。ぐんぐんと引き離されていって、有栖は息を切らしながらギリギリで校門を潜る。

 

「はい。有栖の奢りー。なぁーに食べよっかなぁ」

 

「も……もう……。幸子の勝負は……いつだって、突然だから……」

 

「息切れ過ぎ。もやしっ子ねぇ」

 

 教室に入るなり、すぐさまホームルームが始まる。何やらざわついているのを感じ取り、有栖はクラスメイトに尋ねる。

 

「何かあったの?」

 

「転校生だってさ。朝、職員室に行ったのの情報筋」

 

「何ッ! それは聞き逃せませんなぁ、有栖クン!」

 

「も、もう……。幸子ってば大げさ……。転校生なんて珍しくもないでしょ……」

 

 取り成しつつ席に着くとすぐに担任教師が入ってきて座るように促す。

 

「はい、皆さんの中でも少しだけ噂になっているようですが転校生がいらっしゃっています。入って」

 

 カツカツと無機質な靴音を響かせ、一つ結びの茶髪を揺らす少女の相貌に有栖は思わず腰を浮かして指差していた。

 

「あっ……!」

 

「どうしました? 篠崎さん」

 

「あ、いえ……その……」

 

「まぁ、有名な生徒さんなので、知っていてもおかしくないですけれど。自己紹介をお願いできます?」

 

「――姫宮。姫宮綺咲です。よろしくお願いします」

 

 凛として名乗った少女――姫宮綺咲はそのまばゆい瞳を全体に振り向ける。

 

「はい、苗字から分かる人も居るでしょうけれど姫宮さんはこの学園都市、姫宮財閥を統括する社長令嬢でして……確か両親のご都合で?」

 

「はい。お世話になります」

 

 唖然としている有栖へと担任教師は声をかける。

 

「篠崎さん? もういいかしら?」

 

「あっ……はい……」

 

 消え入りそうな声で恥じ入って座り直すと、周りのクラスメイトの囃し立てる声が聞こえてくる。

 

「席は……ちょうど篠崎さんの隣が空いているわね。じゃあそこに座ってもらえる?」

 

 何の感慨も浮かべず、綺咲は席に着く。有栖のほうが挙動不審になって会釈してしまったほどだ。

 

「……そ、その……よろしく……?」

 

「何で疑問形なの」

 

 スパっと返されてしまい、有栖は困惑顔になってしまう。

 

「……だ、だよね……。うん……」

 

 

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