ALICE   作:オンドゥル大使

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第28話 道行く先の『円環』

 

「ああ……っ!」

 

 ふと、手が届く。

 

 枕元でジリリと忙しく不快な音波を鳴らす目覚まし時計へと、有栖の手は届いていた。

 

 顔を起こす。身をよじって、感覚を確かめる。

 

 朝陽が窓辺から差し込んでおり、ベッドを照らし出していた。

 

「……夢ぇ……?」

 

 生々しい夢であったのか。じっとりと汗を掻いている。

 

 喉が酷く渇いていたので、有栖は階下に降りたところで妙子と遭遇する。

 

「あら、早いのね」

 

「……お姉ちゃん……。あれ? お姉ちゃん……だよね?」

 

「なぁーにを言ってるのよ。ねぼすけさん」

 

 パチンとデコピンされて、有栖はじんと痛む額を撫でる。

 

「……不思議。ちゃんと痛い……」

 

「あんたもいつまでも不思議ちゃんやってるんじゃないってば。母さんも朝から忙しいんだからさ」

 

「あ、……うん。顔を洗ってくる……」

 

「……今朝はいやに素直ねぇ……」

 

 妙子の言葉を背に受けながら有栖は洗面所で先ほどまで見ていたはずの光景を思い返そうとしていた。鏡に映った自分の姿。

 

 ぼさぼさの寝ぐせ頭の金髪に、酷い顔色の素肌。ふと、指先で頬をつねってみると、やはり痛みはある。ならばこれは、夢の延長線上ではないのだろう。

 

「……あたし、ヘンな夢見ちゃったのかな……」

 

 歯磨きと洗顔、髪を梳き、いつも通りのモーニングルーティン。ナチュラルメイクを施してから、白いリボンを巻きつけ頭頂部でぴょこんと跳ねさせる。

 

 制服に着替えてリビングに戻ると、妙子と母親がテレビのニュースをチェックしていた。

 

「……相変わらず新都心は物騒ねぇ」

 

 そうぼやく妙子の隣に座り込む。

 

『新都心では、ガス爆発の報告があり、姫宮財閥のセーフガードがその鎮圧にあたりました。犯人グループと思しき十数名は、現在取り調べ中であり……』

 

「怖いわねぇ。ほら、有栖。あんたの分」

 

 トーストにジャムが塗られている。赤い赤いストロベリージャム。それを目にして、何か大事な事を忘れていないか、と不安に駆られる。

 

 この飽きるほどに続けてきた日常も、自分の存在も、何もかも根底からしておかしいのではないか、と。

 

「……ねぇ、お姉ちゃん。ヘンな事件とか、起こってないよね……?」

 

「ヘンって?」

 

「……たとえば……その、巨大なポケモンが……学園都市を踏み潰しちゃう……だとか……」

 

 所在なさげに口にすると、妙子はこちらを真正面から覗き込んで額を合わせる。

 

「……熱は……ないみたいだけれど」

 

「怖い夢でも見たんでしょ。有栖は昔から、そういうところがあるからねぇ」

 

 何でもないように朝食を取りながら母親は新聞記事に目を走らせている。妙子もスマホを弄りながら、今話題の炭酸飲料のCMを眺めていた。

 

「……ねぇ……ねぇってば。お姉ちゃん……」

 

「鬱陶しいわねぇ……。何よ。今日はやけにしつこいじゃないの」

 

「……その……ないよね? 人が踏み潰された、だとか……ポケモンが……」

 

「あんたの言うポケモンって……あれの事?」

 

 妙子が指差した先にあったのは新作タイトルの情報が出た『ポケモン』のCMであった。

 

『夏はポケモン!』

 

 映画の告知も順調のようで、毎年恒例の催しが行われるらしい。

 

「……じゃなくって。あたし……ポケモンを……」

 

「あんたねぇ。寝る前までゲームばっかりしてるもんだから、ごっちゃになっちゃったの? もう高校二年生なんだから、そういうのから卒業なさいよ」

 

「……そうだ、“ゲーム”……。これは、“ゲーム”なんだって……。でも、何で……?」

 

 どうして学園都市が破壊されていないのか。どうして、母親も妙子も無事なのか。有栖はふと、立ち上がっていた。それに対して妙子がびくつく。

 

「うわっ……びっくりしたぁ……。急に立ち上がらないでよ」

 

「……あたし……これって、夢……?」

 

「……デコピンじゃ足りなかった? それとも、本当に熱があったり……?」

 

 心底心配しているのか、妙子が手を伸ばして額に触れる。有栖はその手を払い除けて、天井を眺めていた。アンティーク調の照明器具が薄ぼんやりと朝方の朝食風景を照らしている。

 

「……ねぇ、お姉ちゃん。お母さん。この学園都市って……壊れただとか、何かが来ただとか……そういう事ってないよ……ね?」

 

 その問いかけに母親も妙子も顔を見合わせるばかりであった。

 

「……壊れた……って話は聞かないわねぇ。母さんは?」

 

「特に何も……。有栖、具合が悪ければ学校休む?」

 

「あ、いや……あたしの気のせいなら……いい」

 

 トーストを頬張り、有栖は身支度を整える。自室で鞄を引き寄せたところで、不意に滑り落ちていたのは自分のスマホであった。

 

「あっ……」

 

 それが目に入った途端、有栖は硬直する。

 

「……あたしのスマホ……こんなのだっけ……?」

 

 白く刺々しい装飾が施された、どこか神々しささえ感じさせるスマホを掴み取った瞬間、脳髄が痺れる。

 

「あ……あぅ……っ!」

 

 眩暈と激震の記憶が鳴動し、有栖は一度だけ身を折り曲げたが、やがて天井の照明を仰いで、それから呟いていた。

 

「……なに、この記憶……? 夢の……何なの……?」

 

 自分の経験の中にない記憶と衝撃的な光景の数々に、有栖は無理やり足に力を入れ、努めて明るく玄関を出る。

 

「行って来まーす!」

 

「気を付けてねー」

 

 そうだ、何もかもおかしいではないか。『ポケモン』の実在も、学園都市を自分が壊したなどと言う誇大妄想も、何もかも――だと言うのに、有栖の足取りは沈んでいた。

 

「……幸子……幸子は……?」

 

 いつもの曲がり角。いつもの交差点の手前で、よっ、と手を振る姿を目の当たりにする。

 

「……どったの? いつもよか早いじゃん。さては有栖~、私をのけ者にしようとしたなぁ~!」

 

「……幸子?」

 

「うん? 何で疑問形?」

 

 不意に堪え切れなくなって有栖は幸子を抱き留める。幸子は狼狽を隠せずに周囲へと視線を配る。

 

「ちょ、ちょっと! 有栖ってば、人目があるってば! って言うか、人目があろうとなかろうと私らはそういうカンケイじゃないでしょー!」

 

 思わず大声を出したらしい幸子に、有栖はそれでも離せずにいた。夢の出来事とは言え、幸子は目の前で殺されたのだ。動揺に嫌な汗が滲み、鼓動が早鐘を打っている。

 

「……幸子は……生きているんだよね?」

 

「もうっ! ヘンな事は言わない! って、それー……新手のイジメ?」

 

 幸子の笑顔を目の当たりにして、有栖は杞憂だったのだと自分に言い聞かせる。あの血に染まった真っ赤な破壊の光景も、記憶の中にこべりつく死の臭気も、何もかもが夢の残滓でしかないのだと。

 

 たまにリアルな夢を見る事もあるだろう。路面電車は定刻通りに到着し、ガタンと揺られながら学校に辿り着く。

 

 しばらくすると担任が入ってきて、着席を促していた。

 

「はいはーい、皆さん、席につきましたか? では……早速ですが、転校生を紹介したいと思います」

 

「転校生だって? どんな子だろうねぇ」

 

 幸子の言葉に有栖は不思議なデジャヴを抱いていた。この感覚を自分は“知っている”のだと。

 

 だが、入って来たのは二人の少女であった。

 

 片方の背丈は低いがどこか勝気な瞳をした、お団子頭の少女であった。その薄桃色の眼差しが全員に向けられる。

 

「中国から来ました。リー・マオフェンと言います。日本語はまだ上手ではないので、よろしくお願いします。リーでもマオフェンでも、どっちでもオーケーですよ」

 

 花のように微笑んだ少女――マオフェンに対してもう一人は背の高い濡れ羽色の髪をショートボブに切り揃えた、端正な顔立ちの少女であった。背丈は見た限りではこのクラスの誰よりも高い。

 

「ボクは美月。綾坂美月です。皆さんと仲よく出来ればと思っています」

 

 どこか雅にさえ映る美月と名乗った少女の言葉に有栖はどこか茫然としていた。知っているはずの光景に、知らないはずの少女が二人も現れれば、動揺もする。

 

「じゃあ、席は……ちょうど高峰さんのところが一つ。それともう一つは……あら? 今日は姫宮さんはお休みなのかしら?」

 

 その言葉に有栖は思わず立ち上がる。

 

 クラス全員がぴりついたところで、有栖は担任に問いかけていた。

 

「……先生、姫宮って……姫宮綺咲ちゃんの……事ですか?」

 

「あ、うん。先生、何か可笑しな事を言ったかな……?」

 

 それは妙なのだ。

 

 全てが自分の妄想、夢の産物なのだとすれば、綺咲がこの学校に居るはずがない。いや、そもそも全て空想なのだと断じてしまっていいのか。

 

 有栖は自ずと駆け出していた。

 

「篠崎さん! どこへ……!」

 

 背中にかかる言葉を無視し、有栖は階段を駆け上がっていく。どうしてなのか、予感があった。それに衝き動かされ、屋上に続く扉を開く。

 

「……あら。早かったのね」

 

 ただ何でもない事柄のように――綺咲は屋上の鉄柵にもたれかかっていた。

 

「……綺咲ちゃん……。綺咲ちゃんなんだよね……?」

 

「……その分だと、これが夢か現実かも分からない感じのようね。それもそうか。まさか“コール”を選んだなんてね」

 

 どこか剥離していた現実感がこの瞬間、ぴったりと合った証拠であった。有栖は踏み出し、アルセウスフォンを握り締める。

 

 語りかける記憶の残滓。脳髄に叩き込まれていく、現実の数々。これを夢なのだと思えればよかった。だが、目の前に綺咲が居る真実が、これがただの妄想ではない事を補強する。

 

「……お願い……っ。綺咲ちゃん……! これは現実なの……?」

 

 綺咲は逃げるそぶりも見せない。それどころか自分の眼差しを真正面から、そのまばゆい緋色の眼差しで見返す。

 

「……どっちとも言えない、と言うのが本当のところよ。あなたは“コール”を選択した。それによって、以前のものが現実であったのか、それともこれが現実なのかは別解が入ってくる」

 

「はぐらかさないで! ……あたしは……たくさん人を殺したの……?」

 

 とてもではないがこの双肩にそのような罪を背負えるとは思えない。綺咲に肯定して欲しいわけでも、否定して欲しいわけでもない。ただ、明瞭な答えが欲しいだけだ。

 

「……そうとも言えるし、そうでないとも言える。あれはこれから起こるかもしれないし、あんなざまはもう起こらないのかもしれない」

 

 綺咲は屋上から校庭に視線を向ける。有栖はわざと言葉にしないのか、ともどかしかった。

 

「……何が……起こったって言うの……?」

 

「今は、明確な事は何一つ言えないけれど、あなたは最高得点を前“シーズン”で稼いだ。だからこそ、まだ“ゲーム”は継続している」

 

「……そうだ、“ゲーム”……っ! あんな事が起こるなんて……!」

 

「急かないで。私もああいう形の“カタストロフィ”は初めてよ。他の形は何個かあったけれど」

 

「……“カタストロフィ”……って、何?」

 

 綺咲は嘆息をついてから、校庭を駆けていく陸上部の生徒を目線で追っていた。

 

「……私だけでは情報精度に欠ける。篠崎さん、放課後に時間はある?」

 

 唐突にそのような事を問われるのは想定外で、有栖は戸惑ってしまう。

 

「……放課後って……」

 

「私の言説を補強する人間に会いに行くのよ。二人じゃ、状況証拠としては乏しいけれど、三人ならばまだ分かるでしょう?」

 

 綺咲はどこまでも超然と立ち振る舞う。まるで、あの凄惨を極めた“ゲーム”などなかったかのように。否、なかったと信じたいのは他ならぬ自分自身だ。

 

 だが、克明に血の赤と死の臭気が思い起こされる。どう足掻いたとしても、この記憶を保持したまま生き永らえる事など出来ない。

 

「……分かった。けれど、その人って……?」

 

「あなたも知っているはずよ」

 

 そこから先の授業はまるで頭に入らなかった。まだ生きている幸子と、これまでの事を全て覚えている綺咲――一体どちらを信じればいいのか、まるで分からない。

 

「有栖、いつもみたいのツバサ姉のとこに」

 

「ごめん、幸子。今日は先約があって……」

 

 綺咲のほうへと向き直ると、幸子は何やら訳知り顔になる。

 

「……転校生と? ふぅーん。まぁ、いいんだけれどね」

 

 幸子にどう誤解されたのかは分からないが、有栖は足早な綺咲に続いて路面電車に飛び乗る。いくつかの路線を超えたところで、辿り着いたのは学校であった。

 

 しかし、そこはただの学校ではなく、この学園都市でもトップクラスの進学校である。

 

「……あの、ここは……」

 

「黙って見ていて。そろそろ来るはず」

 

「あっれー? ヒメじゃん。何でここまで来てんの?」

 

 聞き覚えのある声に有栖は目線を向ける。

 

 淡い茶髪にインナーカラーの赤のコントラストを加えたツインテール。そこに往年のギャルファッションを取り入れ、その好奇心旺盛の眼差しが自分を値踏みする。

 

「……早谷兎真。あなたに説明を求めたい、って」

 

「……説明も何も、もうほとんど分かってるんでしょ? “カタストロフィ”を超え、“コール”を選んだって言うんなら」

 

「混乱しているのよ。私だけでも説明してもいいけれど、二人のほうが手早く済む」

 

「なるほどねー。名乗ったかと思うけれど、あーしは早谷兎真。兎真って呼んでいいよ」

 

「……兎真さん……」

 

「うぅーん、どった?」

 

 気安い笑みの相手に有栖は当惑する。本当にこの少女が――幸子を殺したのか。その疑念を前に、綺咲が先回りする。

 

「大方、あなた篠崎さんに接触した時に嫌な出会い方をしたんでしょう。私と同じで」

 

「心外っ! そんなに悪い出会いだったかなぁ?」

 

 むすっとする兎真に有栖はその名を呼びつけていた。

 

「……兎真さん」

 

「うんうん? なに――」

 

 言い切られる前に有栖は思いっ切り兎真の頬を張っていた。その行動に関してで言えば綺咲も想定外であったようで、硬直している。兎真はまだ熱の籠る頬をさすり、それから返答していた。

 

「……んで、これで気は済んだ?」

 

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