ALICE   作:オンドゥル大使

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第3話 追いかける『自己』

 

「休み時間は持ちきりだねぇ」

 

 クラスメイト達が代わる代わる綺咲に質問しては談笑するのを、有栖はどこか遠巻きに眺めていた。

 

「うん……だよね……」

 

「どったの、有栖。らしくないって言うか……」

 

「あ、うん……。初対面……だよね?」

 

「何で私に聞くんだってば。けれど、まさか姫宮財閥の社長令嬢とは。こんな平々凡々な学校になんて通うかねぇ」

 

 学園都市は厳格にランク付けがされており、有栖達の通う学校は中の上程度。明らかに将来を確約された一人娘が通うようなランクではない。

 

「ちょっといいかしら」

 

 立ち上がった綺咲の眼差しがこちらに注がれる。有栖は心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥っていた。

 

 そのまま迷いなく、その足並みがこちらに向く。

 

「少し体調が悪くって。保健委員はあなたよね? 篠崎有栖さん」

 

「あ……そう……です」

 

「こら! インネンつけようって言うの!」

 

 幸子が庇うように前に出るが綺咲は気圧された様子もない。

 

「保健室を案内してちょうだい。それ以外にないわ」

 

「何だとぅ……この……!」

 

「幸子ってば! あたしが案内すればいいんだよね……? じゃあ、こっち」

 

 有栖が廊下に出て綺咲の様子を垣間見る。本当に体調が悪いのだろうか、と思うほど綺咲の視線と、そして立ち振る舞いに翳りはない。

 

「……その、姫宮さんって……」

 

「綺咲でいい。姫宮って言うと他の人の眼が邪魔なのよ」

 

「あっ……じゃあその……綺咲……ちゃん?」

 

 無言の返答に有栖は戸惑いっ放しで少しでも沈黙をなくすために話題を探す。

 

「その……! こんな時期に転校なんて珍しいね。ご両親の都合って言っていたけれど……」

 

「姫宮財閥には色々と言えない事もある。それが何であれ、あなたに詮索するような趣味があるのならば別だけれど」

 

「ま、まさか! 綺咲ちゃんの事を詮索なんて、そんな……」

 

「篠崎さん。いいえ。篠崎――有栖さん」

 

「は、はひ……っ」

 

 思わずかしこまってしまう。フルネームで呼ばれる事には慣れていない上に、何だか教師や大人に呼ばれるような響きを伴わせている。

 

「昨晩、どこかに出ていた事はないわね?」

 

 それこそ有栖にしてみれば意想外でしかない。夢の中の出来事だと思い込んでいた綺咲と、そして彼女の操る謎の生命体。

 

「えっとぉ……。もちろん、夜遊びなんてしてないよ……? それがどうして……」

 

「そう。けれど、気を付ける事ね。あなた、ちょっと“ついてる”わよ」

 

「……ついてる……?」

 

「ここが保健室ね。案内ありがとう」

 

 その言葉の意味を解する前に、綺咲の姿は保健室の扉の向こうに消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅーむ……。“ついてる”、ねぇ……」

 

 話をある程度聞いた幸子が放課後にカフェテラスの対面の席で考えを巡らせる。有栖はと言えばレポートの追い上げに忙しく、そんな中で綺咲からの言葉には戸惑うばかりであった。

 

「そう。“ついてる”ってさ。何の事だろう……」

 

「それって、ツイてるって事じゃない? 運がいいって事だってば」

 

「運がいいのなら、あんな剣幕で言う事ないのになぁ……。あたし、悪い事したかな?」

 

「そもそもの話。あの転校生とははじめましてなんだよね?」

 

「あー……うん。ある意味では……」

 

「ある意味って? ああいう言い分、よくないよ。どこかで喧嘩でも買ったんじゃないの? それをツイてるって……もしかして社長令嬢は仮の姿で、実際には元ヤン?」

 

 首を傾げる幸子に有栖は言い辛そうに口元をもごもごとさせる。

 

「その……綺咲ちゃんがさ。もしも……あたしの夢に出て来て、それで……怪獣みたいなのと戦ったって言うと、信じる?」

 

「いんや。有栖の頭がどうかしちゃったと思う」

 

「……だよねぇ」

 

 がっくりと肩を落としながら、有栖はレポートの提出期限に追われてタイピングを行う。この街に貢献出来る自分の存在価値を探せと言われても難問だ。どうしたって、堂々巡りの考えに囚われてしまう。

 

「……ちょっと頭の体操に行こっか。ほら、馴染みの本屋にでも」

 

「店長に会いに? ……迷惑じゃない?」

 

「迷惑なもんですか。どうせ客も来ない時代錯誤の本屋なんだからさ。私らみたいな女子高生が潤いを与えてあげようってわけ」

 

 幸子の考え方は相変わらず底抜けにポジティブだ。有栖もこれ以上考え続けるのは限界で、その提案に乗って路面電車のホームに向かう。二駅ほど乗った先、複雑怪奇に折れ曲がった裏通りの先に、翡翠色を基調としたステンドグラスが特徴的な「カワセミ書店」はある。

 

「おっすー。大将、今日もやってるー?」

 

「幸子ってば……居酒屋じゃないんだから……」

 

 こちらの言葉に書物から顔を上げたのは眼鏡姿の女性であった。大判の大長編にしおりを挟み、それからむぅと眉間に皺を寄せる。

 

「……何だ。お客さんかと思ったらいつもの賑やかしか……。何の用? 二人とも」

 

「何って。ツバサ姉を励ましに来たんだってば。今日も全然お客さん来ないねー、って」

 

「それって冷やかしじゃないの? まぁ、いつも通り随分と仲がよろしい事で」

 

「ツバサ姉はさ、友達とか居ないの?」

 

「……失敬だなぁ、君。私だって大学に友達の一人や二人……いや、百人や二百人は……」

 

「居ないんでしょ? わっかりやすー」

 

 幸子に笑われるのを、ツバサは嘆息をついて受け流す。

 

「……いいのさ。私は孤独を愛する小説家見習い。文学には馴れ合いなんて似合わない」

 

「とか言っちゃってー。ツバサ姉似の陰キャがこの間、コンビニで働いているの見たんだけれどー」

 

「な……っ! 何で知って……!」

 

 取り乱したツバサに幸子はにんまりと笑う。

 

「どう? 口止め料」

 

「……バカを言うな。って言うか、はかったな……。まったく、有栖ちゃんはこんなのと一緒で悪い子になってはいけないぞ」

 

「幸子はラインを超えちゃうんだからなぁ、もう」

 

「こんなのとは何さ! ……って言うか、今日もお客さん来ないんだねー。ねぇ、ツバサ姉はおばあちゃんから受け継いだこの本屋をいつまでやるつもりなのさ」

 

「そりゃー、君。私のデビュー作が平積みで並ぶまでだ」

 

「ほうほう。それだと永劫叶わない気がするけれど」

 

 ツバサが大判の本を翳して幸子の頭をポンを叩く。幸子は面白がってそれから逃れようとするが、カワセミ書店は狭苦しく、そして置いてある本もほとんど趣味の代物ばかりで今どきの雑誌はほとんど取り揃えていない。電子書籍に紙の本が追いやられて久しいと言うのに、本棚に詰められているのは古めかしい純文学の文庫ばかりだ。

 

「ツバサ姉……。これはなんて読むの?」

 

「なになに……? これは古い文学だな。タイトルは『スタンド・バイ・ミー』だったか」

 

「ねぇ、ツバサ姉。もっと面白そうな本はないのー?」

 

「……幸子ちゃん。私はね、これでも最新作の構想に忙しいんだ。君らのようなモラトリアムを描き放題な女子高生と違うんだからね」

 

「女子大生だって似たようなもんじゃん。それに、ツバサ姉は友達居ないんだから、せっかく来てあげてるんだからね」

 

「……本当に失礼だな。有栖ちゃん、奥の棚をはたきで掃除してくれない? 君らの溜まり場になってるんだ。それくらいは手伝ってくれよ。幸子ちゃんもね」

 

「えーっ! どーせ、本なんて埃が勝手に積もるんだから、馬鹿馬鹿しい……」

 

「それが本に対しての敬意が足りてないと言うんだ。有栖ちゃん、ちょっとでいいの。私だけでは手が及ばなくって」

 

「じゃあ、お手伝いします」

 

 はたきを受け取ったところで、幸子は今しがたまでツバサが読んでいた本を掻っ攫う。

 

「有栖は真面目だねぇ。この本、随分と擦り切れているけれど、新品じゃないの?」

 

「中古で買ったんだ。古書店はいいぞ」

 

「中古って……。何だか変なニオイするー」

 

「それがいいんだろうに」

 

 幸子とツバサのやり取りを聞き留めつつ、有栖はカワセミ書店の奥に進んでいく。書棚が狭苦しく並んでおり、人一人分通るのがやっとだ。

 

 ぱたぱたと埃を払っていると、不意に気配を感じて有栖は視線を振り向ける。

 

 そこに居たのは長身の女性であった。

 

 黒と白を基調としたゴスロリスタイルに近い服飾を纏い、マジシャンが使うシルクハットの帽子を被っている。薄桃色の髪をおさげに結っており、瞳は澄んだ青であった。

 

 見ない顔だな、と思いつつ有栖は女性の読んでいる本の題名を盗み見る。

 

「――『不思議の国のアリス』、良い本ですね」

 

 まるで心の中を読み取られたような気がして、有栖は硬直する。女性はこちらへと振り向き、それからふふっ、と笑う。

 

 有栖は不格好に愛想笑いを浮かべていると、女性は屈んで目線を合わせ、それから首を傾げる。

 

 どこかくすぐったいように漂う甘い色香と、微笑みを絶やさぬかんばせが印象に映る。

 

「貴女……“ついて”いますね。それだと、早く呼び出さないと、死んでしまいますよ? 綺麗なお嬢さん」

 

 思わず息を詰まらせていると、唐突に幸子が呼び掛ける。

 

「有栖ー! ツバサ姉の奢りでカフェに行こうよー! どーせこんな本屋、やる事なんてないんだしさ」

 

「えっ……でもお客さんが……」

 

 振り返ったその時には、女性の姿はない。その代わりに、平積みの本の上に置かれていたのは『不思議の国のアリス』であった。

 

「……どったの? 誰も居ないところでぼんやりして。ツバサ姉のバイト代があるって言うから、とっとと奢ってもらおうよ」

 

「いや、でも……ええ?」

 

 綺咲との邂逅と、そして謎の女性との遭遇――どちらも偶然で済ませるにしては。

 

「いいからッ! ツバサ姉の気が変わらないうちに!」

 

「……まったく。これでもカツカツなんだぞ?」

 

 ツバサが着ていたエプロンを置き、外出用のコートに袖を通す。背格好自体は野暮ったいものの、豊満なスタイルを隠し切れておらず、セーターが余計にそれを際立たせている。

 

「……恵体だなぁ……」

 

 有栖は自分の真っ平の胸元を撫で、大きなため息をつく。比べるものでもないと思うが、どうしても比較するのは人のさがだろう。

 

 書店を出る際に有栖は一度だけ確認していた。

 

「……ねぇ、ツバサ姉。本当に……今ってお客さん居ないよね?」

 

「うん? そりゃー、居ないでしょ。悔しいけれど君らの言う通り、閑古鳥が鳴いているのがうちの本屋だからねぇ」

 

「有栖、何か変なんだってば。転校生の一件もそうだし、今日は何だかぼんやりしてるって言うか……」

 

「……そう、かな……?」

 

 鍵をかけ、ツバサと幸子に足取りを合わせつつカフェへと向かう。談笑を交わす二人に比べて、有栖は言葉少なであった。

 

 夢の延長線上のような出来事に、今しがたの女性の発言。どれもこれも、薄ら寒いものとして有栖には感じられる。

 

「あっ……また光化学スモッグ危険地帯だってさ。最近多いよねぇ」

 

 幸子の端末に送信されてきたのは学園都市で頻発する光化学スモッグ警報だ。視界の一角で不意に濃霧が発生し、その発生源に近づかないように警戒網が張られる。

 

「この学園都市も、過ごすのには悪くないんだけれど、こういう事が頻発すると永住するのにはちょっとねぇ……」

 

 ツバサも辟易した様子で別ルートを辿ろうとしたその瞬間、有栖は端末を取り落とす。

 

 それを引っ手繰ったのは素早く、小さな影であった。黄色の残像を空間に残して、一瞬のうちに駆け抜けていく。

 

「……あ……」

 

「あれ? 有栖。どうしたの?」

 

「……端末取られちゃった……」

 

「えっ? スリ? それとも泥棒?」

 

 幸子がひさしを作って周囲を見渡すが、見つけ出せないようである。しかし、有栖には端末を奪っていった小さな黄色い姿がはっきりと見えていた。

 

「……ツバサ姉も幸子も……見えてないの? あれ……黄色い……」

 

「あれ、って……?」

 

 黄色い獣はひげを有しており、どこかネズミを想起させる丸っこい形状をしていた。小刻みに尻尾を揺らし、こちらを挑発するようにわざとらしく後ろを気にする。

 

「……追わないと……!」

 

「待ってって! 有栖の言ってる黄色いのって何? いきなり走り出したら危ないってば……!」

 

 幸子の制止を受けながらも有栖は駆け出していた。黄色いネズミにはまるで追いつけそうにない。雨どいを伝い、パイプを蹴って縦横無尽に黄色いネズミは疾走する。有栖自身、体力に自信はない。このまま奪われてしまう事も視野に入れていたが、不意に景色が開ける。

 

「……ここって廃棄区域の……」

 

 濃霧が周囲を埋め尽くし、その中で黄色いネズミが不意に甲高い鳴き声を発して噛み締めていた端末を落とす。有栖は咄嗟にそれを拾い上げるが、端末の液晶画面が割れており、使い物にはなりそうになかった。

 

「……どうしよ……。今月ピンチなのに……」

 

 その時、頭上から唸る声が聞こえてくる。何なのだ、と仰いだ有栖はあり得ないものを視界に入れていた。

 

 全長としてみれば、甲殻類がほど近い。茶褐色の痩躯に、両腕に誇示する大きな鎌。鋭い眼光が射る光を灯し、有栖を狙っている。

 

「……なに、これ……」

 

 大鎌を持つ生物が大上段に鎌を振るい落とす。その一撃はブンと空を切り、一撃だけでも相当な威力であるのが窺える。

 

 循環パイプが砕け、噴出する水蒸気。

 

 湿気った景色の中で、一際声高く咆哮する不明な生物。

 

 有栖は逃れようとするが腰が抜けて動けない。何よりも、この生命体は何なのだ。既存生物とは一線を画する存在感に、明らかに捕食者の威容を誇る。

 

 鎌が薙ぎ払われ、有栖は不格好によろめくばかり。

 

 その時、霧の最奥に人影を見たような気がしていた。それもただの人間の姿ではない――鎖帷子を纏った胴体が長方形の人間であった。

 

 まさかこの段になって幻を見るようになってしまったと言うのか。中世の衣装を想起させる人物が手を払い、疾駆の生命体が鎌を振るい上げる。

 

 今度こそ終わった――そう感覚して瞼を強く閉じた有栖はいつまで経っても痛みが訪れない事に薄く目を開く。

 

 眼前に佇んでいたのは、間違えようもなく――。

 

「……綺咲、ちゃん……?」

 

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