ALICE   作:オンドゥル大使

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第30話 巡り来る『予兆』

 

 綺咲の言葉の意味を解する前に、首裏に独特の冷たさが走る。それを感知した直後には世界が切り替わっていた。

 

 自分達のテーブルがそのまま、六角形の足場の浮いた空間へと転送されている。

 

 何が起こったのか、まるで分からずに席を立った瞬間、眼前に現れた姿に有栖は息を呑む。

 

「……チェシャー……?」

 

「お久しぶりです、有栖。今のところは、参加者は三名ですか」

 

 足場の上で兎真はこれまでと変わらずにスイーツを味わっている。

 

「どうせ水増しするんでしょ? チェシャー、あんたの手口よね」

 

「どうとでも。姫宮綺咲様、引き続きのご参加ありがとうございます」

 

 綺咲も応じず、紅茶を飲み干す。

 

「……ねぇ、チェシャー……! これは何なの! 現実世界と鏡面界を救うための……それが転生者の務めなんじゃ……!」

 

 思わず激昂した自分に兎真が手を叩いて笑う。その哄笑が異空間の天井に吸い込まれていく。

 

「いやぁ、悪い悪い! ちょーっと可笑しくってさ。まさか慈善事業で転生者になったなんて……冗談にしても性質が……!」

 

 有栖はチェシャーと向かい合う。その読めない無表情と、表情筋一つ動かさない怜悧さを保ったまま、チェシャーは告げていた。

 

「有栖。貴女の仰っている事は間違いではありません。ハートの女王に支配されたヒスイ地方を救い、その結果として転生者として願いを叶えて差し上げましょう」

 

「じゃあ……じゃあ何で! 何で殺し合いなんて……!」

 

「お答え出来かねます。それは守秘義務です」

 

 またしても、チェシャーは応えてくれないのか。そのもどかしさに拳を握り締めていると、兎真が肩に手を置く。

 

「まぁまぁ。そういきり立つ事はないってば。それよりも、チェシャー。次の“シーズン”のルールを説明してもらおっか」

 

「……ルール……?」

 

「かしこまりました。現状、三名だけですが、ルールは前季から変わりません。トランプ兵団との戦いと、現世に紛れ込むポケモンの掃討、そして転生者同士の戦闘結果により、概算される得点を最も稼いだ方に、選択権が与えられます」

 

「……それは……“コール”だとか……」

 

「その通りです。しかし、仔細に関してはわたくしどもの口からは。誘導になりますので」

 

 結局は答えをはぐらかされている気分だ。

 

 その時、有栖は目の前に浮遊するモンスターボールを捉えていた。掴むべきなのだと本能の部分で理解した有栖は、それを手にする。

 

「……これ……セビエ?」

 

「“コール”が選択されましたので、転生者の皆様のポケモンは全て、経験値をリセットし、進化前になっております。技構成は残っておりますので、ご自由に」

 

 視線をやると綺咲の掴んだボールの中に眠っていたはジャラコで、兎真は三つのモンスターボールをホルスターに留める。

 

「この制度も面倒ねぇ。だから“レイズ”を選んだほうがお得なんだけれど」

 

「最高得点者は有栖です。そうしたければ、次の最高得点者に早谷兎真様がなればよろしいかと」

 

「……ムカつくほどの正論ね。まぁ、いっか。で、ここに呼んだって事は、次の“シーズン”が始まるまで幾ばくもないって事よね?」

 

「その通りです。次の“シーズン”は参加者が五名以上になった時点で開始されます。参加人数の枠は最大で十三名。これまで通りのレギュレーションです」

 

 チェシャーはそこまでで言い切ったかのように、一礼する。

 

 戸惑いがちに有栖が周囲に視線を配っていると、綺咲が一歩前に歩み出る。

 

「少しいいかしら。……チェシャー。前回の“シーズン”は少しばかり……贔屓があったような気がするわ。それを今回では払拭してもらえると信じていいのかどうかを」

 

「当然でございます。前回は新参の方が多かったですので、チュートリアルの意味が強かったのは謝罪いたします。姫宮綺咲様は熟練者ですので、これ以上の説明が必要とは思えませんが」

 

 しばしの沈黙。互いの双眸が交わされ合い、やがて綺咲は身を翻していた。

 

「ここで言い合ったって仕方がない……それは分かっていても、やり切れないのよ」

 

「ご安心ください。“ゲーム”は常に最新のアップデートを行っております。転生者の皆様にはこの戦いを楽しんでいただけるよう、運営は努めておりますので」

 

 スカートの裾をつまみ、チェシャーは恭しく頭を垂れる。その所作そのものが虚飾めいているように映って、有栖は問い質す。

 

「……一つだけ、いい?」

 

「何でしょう」

 

「……幸子を転生者に選んだのは、それは幸子自身の意志? それとも……チェシャーがそそのかしたの?」

 

 この答え次第ではチェシャーも許せない。有栖は返答を待ち望んでいたが、チェシャーの言葉は淡白であった。

 

「有栖、転生者同士の情報交換は禁止されております。それは最終的な願いに直結しますので、わたくしどもからは何も言えません」

 

 予感はあったのだが、それでも落胆せざるを得ない返答であった。だが、こうして直接言い合えた事で少しは前に進める――少なくとも自分にとっては大事な問いかけであったのだ。

 

「……チェシャー。そろそろ戻してよ。この空間に留めておくのは大変なんでしょ?」

 

 既に卓上のスイーツを食べ始めている兎真にチェシャーは頭を下げる。

 

「すみません。お時間を取らせてしまって」

 

「それはいいんだけれどさ。……チェシャー。あーしとヒメは変わりなく、協定を結ばせてもらうわ。それを他の連中を使って壊すだとか、そういうコトを考えたら容赦はしないから。そいつ諸共、あんたも叩き潰す」

 

「それは転生者同士の情報交換に相当いたしますので、わたくしどもは関知いたしません。これ以上、貴女方の関係に分け入る事もありませんので。皆様には自由に“ゲーム”を楽しんでいただきます。それこそが、至上の喜び」

 

 チェシャーの姿が遠ざかっていく。有栖が手を伸ばすと、その先に居たのは喫茶店のマスターだ。

 

「おっと……。どうしたの?」

 

 こちらの顔を覗き込んでくるマスターに有栖は恥じ入るように面を伏せて席へと戻っていく。綺咲と兎真は元の場所に戻される事が分かっていたのか、案外静かだ。

 

「……綺咲ちゃん。これってどういう意味なの? チェシャーは……“ゲーム”の管理者なの? だから、こういう事も自在に……」

 

「それに関しては私も調査中よ。チェシャーがどこまで分かっているのか、と言うのは。管理者と言うものが存在するとすれば、それはチェシャーの上の人間でしょうね。いえ、“人間”と呼べるのかしら」

 

 どこか意味深げに呟かれたその言葉に兎真はケーキを頬張る。ブラックコーヒーで流し込み、その食感を楽しんでいるようであった。

 

「うん、じゃあ行こっか」

 

 兎真がテーブルを叩いて立ち上がったので、有栖は戸惑う。

 

「……行くって……どこへ? だって、あたし達、まだ……」

 

「まぁまぁ。転生者として、やれるコトがあるって言うのなら、それこそ今じゃん? マスター、おあいそー」

 

「はいはい、ウチは寿司屋じゃないんだから。まぁ、兎真ちゃんは数少ないお客さんだからね。これからもごひいきに」

 

 兎真が率先して払い、その後でウインクする。

 

「あんがとー。マスターのケーキもコーヒーも絶品だから、また来るよん♪」

 

 兎真に完全に引っ掻き回された形であったが、有栖は大急ぎでコーヒーを飲み干して喫茶店を後にする。

 

「……兎真さん……! あれって、一体……!」

 

「あれって? ああ、マスターのコーヒーは美味しかったでしょ?」

 

「あ、それはもう……。って、違って! 何なんです? 首の裏が、ぴりりってなるみたいな……」

 

「独特の感じあるよねー。あれ、何度経験しても慣れないなぁ」

 

「あれはチェシャーが転生者をあの空間に呼ぶ時の感覚よ。他に言いようがないから、“金縛り”って呼んでいるけれど」

 

「……“金縛り”……でも、チェシャーはまだ、“ゲーム”は始まってないって言ってたよね? あれ……」

 

「人数が埋まればすぐに“シーズン”は始まるよん。それを待っているような余裕もないし、こっちから動こうじゃん?」

 

 兎真の酔っぱらったような歩みで率いられ、綺咲と有栖も路面電車に乗り込む。移動中、兎真はひっきりなしに最新端末を触っており、本当に転生者なのか疑わしいほどだったが、綺咲は特に気に留めたわけでもない。

 

「……ここって……」

 

 路面電車を乗り継ぎ、中心街にほど近い駅で降りて兎真が迷わずに向かったのは、いつかの雑居ビルであった。

 

「ここだねぇ~」

 

「ちょ……ちょっと! ここって、だって……」

 

 制する前に兎真が埃っぽい二階層に踏み出し、扉を無遠慮に開ける。

 

「……うそ……」

 

 そこで待ち構えていたのは他でもない。

 

「……誰ぇ……? せっかく休憩していたのにぃ……」

 

 本で顔を覆っていた少女が不機嫌そうにこちらへと視線を振る。黒い衣服に、どこか憂いを帯びた眼差しは変わらない――だが、変わらないはずがないのだ。

 

「……赤沢霧子、だね?」

 

 生きているはずのない相手が目の前で執務机の奥で足を組んで不遜そうにしている。有栖は絶対に人生を何度繰り返しても吐かないはずの言葉を吐いていた。

 

「……だって、死んだはずじゃ……」

 

「死んだはず? 随分とぉ……初対面で偉そうな事を言うのねぇ……あなた。誰だったかしらぁ……?」

 

 まさか、霧子も記憶を失っていると言うのか。そんな都合のいい話が、と息を呑んでいると歩み出た兎真が鞄から取り出したアルセウスフォンを霧子の手に握らせる。

 

 その瞬間、まるで雷に打たれたように霧子の身体が痙攣する。

 

 黙って事の次第を見守っていた有栖は、次の瞬間、霧子の眼差しに浮かんだ諦観と、そしてこちらを睨む殺気を帯びたものを感じ取る。

 

「……ああ、そう……。しくったわねぇ。まさか姫宮財閥のご令嬢と初心者に仕掛けた結果、返り討ちに遭っちゃうなんて……失態だわぁ……」

 

 舌打ちを滲ませる霧子に有栖は兎真へと目線で尋ねる。兎真は何でもないかのようにアルセウスフォンを翳していた。

 

「これ、握ると以前、転生者やっていた人間は記憶が戻るようになってんの。ただ……長期的に一般人やってるとすぐには戻らないコトもあるらしいけれどねー。赤沢霧子は前回の“シーズン”での敗北者だから、まだ通用したってわけ」

 

 兎真の説明に霧子は額に手をやってから、自身の失態を呪うかのように天井を仰ぐ。

 

「……ほんとぉ……バカみたいねぇ。私とした事が、あなたみたいな初心者にやられちゃうなんてぇ……」

 

 こちらを見据える恨みつらみは本物だ。まさしく“殺された”人間にしか分からないような怨嗟を湛えている。しかし、そのような因果は些末事だとでも言うように、綺咲は前に踏み出していた。

 

「赤沢霧子。お互い様でしょう? 仕掛ければ、殺されたって何も文句は言えないわ」

 

 綺咲のその言葉が有栖にとっては救いであった。なにせ、殺したはずの相手が生きていたのだ。自責の念に駆られても可笑しくはなかった自分を、公平な“ゲーム”上での決着であったと説得してくれている。

 

「……そうねぇ。恨んだってしょうがない、か。けれど、ここに来るなんて、とんだ勘違いだ事ぉ。今の私は転生者の資格を失っている。かと言って記憶が戻れば、いつでもチェシャーを呼び出す事も出来るのよぉ?」

 

「チェシャーにはさっき会ってきた。今回の“シーズン”で覚醒したのはまだあーし達、三人だけ。それは確認済みで、あんたに接触したのよ、赤沢霧子」

 

 そうだ、チェシャーが嘘を言うメリットはない。公平だと言うのならばなおさらだ。兎真は自分達以外のイレギュラーが存在しない構図を理解した上で、霧子に接触した。こう考えれば、兎真は立ち回りが慣れている。それもこれも、綺咲との協定と呼ばれる関係に集約されるのだろうか。

 

「……そぉ。だったら、遠回りな結論も、ましてや猫を被る必要性もないわねぇ……。で? 何を聞きに来たのぉ?」

 

「知ってるんでしょ? チェシャーの目を掻い潜る方法。そうじゃないと、あんたの存在の説明がつかない」

 

 まさか、そのような壮大な事を計画していたとは思いも寄らない。有栖が目を見開いていると、綺咲も尋ねる。

 

「赤沢霧子。あなたはダイマックスポケモンが出現する場所もある程度関知していた。その上での立ち回りがあったと、私達は想定している。となれば、当然。“ゲーム”の運営に近い場所をハック出来たと思ったほうがいい」

 

「……買い被り過ぎよぉ……って、前までなら言っていたんだけれどぉ。転生者が三人、雁首揃えてきたって言うのなら、ウソを言う意味はないわねぇ……。いいわぁ。ただし、これを聞いたら、あなた達も共犯よぉ? もう戻る事は出来ない、そう思って欲しいわねぇ……」

 

「その覚悟くらいは出来てる……って言いたいけれど、あーし達はともかく、有栖はどう? ここでその真相を聞くか、それとも帰って……まぁ、帰ったって転生者として覚醒したわけだから、この“シーズン”が終わるまで震えて待つしかないんだけれど……どうする?」

 

 つまりもう退路などないと言う事か。有栖は綺咲へと向き直る。

 

 いつかの夢で見たのと同じ、まばゆい緋色の瞳には揺らぎなどない。ただただ、この状況でさえも考慮のうちであったとでも言うような、迷いのない光だけが煌めいている。

 

「……あなたが決める事よ、篠崎さん」

 

 有栖は今一度、自身の内面に問いかける。

 

 幸子を目の前で失った、綺咲とも兎真とも、戦う事になってしまった。それは不幸なのか――否、と有栖は考える。

 

 きっと転生者として選ばれた以上、避けられない運命のうねりであったのだろう。

 

 ならば、何も知らずに生きている事など出来るものか。

 

「……お願い。綺咲ちゃん、兎真さんも。あたしは知りたい。この“ゲーム”が何なのか。一体、何が……この先に待っているのかを」

 

 その言葉を待っていたかのように、霧子は微笑みを浮かべる。

 

「いいわぁ……あなた、前の戦いよりも随分と……地獄を見たようねぇ。いずれにしたって、どうせ転生者になった時点でこの邂逅は仕組まれていたのよねぇ。教えましょう。私の知り得る限りの――この狂った遊びの真相を」

 

 もう戻れない。

 

 その感覚に有栖は人知れず身震いしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「接触を確認した。呵々、バカだねぇ。わざわざ転生者三人で、狩られに来たって言うの?」

 

 赤沢霧子の事務所に三人が集まる事は想定内――それを上機嫌に対面のビルから眺めたのはマオフェンであった。

 

 高級な中華料理を頬張りながら、オペラグラスを構えて尋ねる。

 

「ねぇ、こんな間抜けな連中が、本当に危険視しなくっちゃいけない相手なの?」

 

『実力は確かよ、マオフェン。貴女達には期待しているんだから、こっちの与える情報を使い潰さないでよね』

 

「分かってるって。シュレディンガーは心配性よねぇ」

 

 口元に喜悦の笑みを浮かべたマオフェンはアルセウスフォンから浮かび上がるゴスロリ姿の女性に視線を振る。

 

「マオフェン、ボクらにしてみても、敵の手数を知る事は重要だ。赤沢霧子の下に訪れるのは想定内だが、あまり悠長に遊んでもいられない」

 

「それもそっか。美月、あなたも見ておきなさい」

 

 オペラグラスを差し出したマオフェンは卓上の肉まんに乱暴に齧りつく。

 

「……ほう。本当にあの三人が。しかし、姫宮綺咲と、早谷兎真は予想出来たが、あとの一人は想定外だろう。確か、名前は……」

 

「――篠崎有栖。前回の“シーズン”で最高得点に躍り出た、期待のホープ、ってところかしらね。けれどあの程度で満足してもらっちゃ困るわ。次の“ゲーム”はもっと刺激的にして欲しいって、“ママ”からの頼みだって言うのならね」

 

 マオフェンは扇子を片手にその薄桃色の瞳を細める。特徴的な真紅のチャイナ服は自分なりの戦闘服だ。ファッションは自らの価値を最も高める儀礼的な意味も持つ。

 

 対面で観察する美月は雅にオペラグラスを下ろし、それから並べられた料理へと箸を伸ばす。

 

「我々がどう動くのか……彼女らには見えていない。ならば、その優位性を少しでも活用させてもらおうじゃないか。それもこれも、お母様のために、ね。ボクらがどうするのかを、そこで見守っているといいさ、シュレディンガー」

 

『頼むわよ、二人とも。チェシャーが入れ込んでいる転生者なんて、貴女達の実力でとっちめてやりなさい』

 

 マオフェンはその言葉への返答のように手元からボールを落とす。

 

 割れたボールから出現したのはぼやけた肉体を持つ扁平な姿のポケモンであった。浮遊しながら卓上の中華料理を見るなり、その裂けた口で平らげ始める。

 

「もうちょっとお行儀よくしなさいな、ドラメシヤ。……まぁ、戦いにお行儀なんて持ち出すのはナンセンスか。いいわ、残酷に殺して差し上げましょう、姫宮綺咲。それに篠崎有栖さん」

 

 小悪魔的な微笑みのまま、マオフェンは手元の扇子を畳んでいた。

 

 

 

第三章 了

 

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