第31話 融け落ちる『極夜』
「アーリスちゃぁ~ん。どこ行ったのかなぁ?」
鼓動が早鐘を打つ。このような事態に巻き込まれるなんてまるで想定外。有栖はスプリンクラーが撒き散らす水滴を垣間見る。
キッチンは既に惨状だ。
無数の灼熱の息吹を放つ火球が燻り、硝煙を棚引かせて破壊の限りを尽くす。アルセウスフォンを握る事で少しでも鎮めようとしたが、それも不可能。
「……何で、よりにも寄ってこんな時に……」
アルセウスフォンは表面を叩いても、揺さぶってみても動かない。チェシャーの助けも得られず、そして誰かの援護も期待出来ない今、有栖はモンスターボールに収まったセビエの状態を確認する。チェシャーの言う通りならば技構成はまだ残っているはず、しかし無策で仕掛けて勝てるような相手には見えない。それどころか、下手に攻撃すれば手痛い反撃を受けるのは必定。
「……ねぇ、有栖。あれは何なの? あの子に、怪物が……」
歯の根が合わない様子の妙子とその奥で言葉を失った母親が居る。無理もない。一瞬の出来事であった――それを予見する事も不可能なら、回避する術もなかったのだから。
「……お母さん。お姉ちゃんも。今はあたしの事を信じて欲しいの。あれと戦えるのは……多分、今はあたしだけ」
「戦うって? 冗談じゃないわよ。有栖、あんたも見ていたでしょう? あんなの当たったら死んじゃうわよ!」
妙子が有栖の袖を引っ張る。平時ならば、その言い草も鬱陶しく感じるところであったが、今は純粋に心配してくれているのだと理解出来ていた。
「……大丈夫、あたしは勝つよ。お姉ちゃんはお母さんをお願い。裏口から逃げるのは……読まれているかもだから、窓からベランダ伝いに他の家を使ったほうがいいかも」
「……ねぇ、聞いてもいい? 有栖はこの事……全部分かっていたの? こんな事になるなんて……」
その問いかけに有栖は頭を振る。転生者として戦い抜くと決めた時点で覚悟はあったが、まさかそれがすぐに襲い掛かるなど想像も出来なかった。しかし、物語よりも現実は急かすようにして迫ってくる。夢を見ている暇などない。この世界に取り残されてしまう前に、自ら勝ちに行かなければ。
「……お姉ちゃん。あたしはお姉ちゃんの事、信じているからね」
その言葉を潮にして有栖は飛び出す。ごうごうと燃え盛るリビングでスプリンクラーの水しぶきを浴びたのは赤いチャイナ服に身を包んだ少女であった。その傍にはうすぼんやりとしか観測出来ない扁平な口のポケモンが居る。
「呵々。飛び出してくるなんて命知らずよね。だけれど、その勇気だけは買ってあげる。で、あなたは私に勝てると思っているの?」
「……少なくとも負けないとは思っている」
その返答に少女は手を叩いて哄笑を上げる。
「あー、本当……バカだバカだとは思っていたけれど、ここまでなんてね。私のドラメシヤ相手にどこまで立ち回れるかなぁ?」
少女がダイスを投げる。六面ダイスは一のゾロ目を弾き出していた。
「ツイてる! じゃあ、この運気のまま――残酷に死のっか?」
唐突に醒めたような声が放たれ、有栖は咄嗟に身をかわす。その空間を射抜いたのはドラメシヤの放った無数の砲弾であった。「りゅうせいぐん」と言う技であるのは理解出来るのだが、その正体や実態、そして性能まではまるで分からない。
「……これ以上、あたしの家を壊させない! 行って、セビエ!」
セビエを繰り出し、強く鳴いて放たせたのは「ゆきげしき」の屈折フィールドであった。この至近距離ではほとんど意味はないように思われるが、技の発動条件の仕様上、これを「こごえるかぜ」だと誤認しやすい。少しでも少女の動きを鈍らせ、その隙を突いてリビングを駆け抜ける事で母親と妙子を逃げやすくさせる。
しかし、その目論見など読むまでもないとでも言うように、少女は手を払う。
「呵々、甘いね。ドラメシヤ、まとわりつく」
ドラメシヤと呼ばれたポケモンがゆらゆら揺れたかと思うと、その像がぶれ直後にはセビエへと接近を果たしている。
「……速い? 雪景色の中を……!」
「だから、甘いって言ってるでしょ! ドラメシヤ、ドラゴンテール!」
「セビエ!」
すぐさま呼びつけて蒼い尻尾を振るい、両者の「ドラゴンテール」が衝突して火花を散らす。衝撃波でキッチンが粉砕され、セビエは大きく後退したが、それを完全に予期したかのようにドラメシヤの姿は有栖の眼前にあった。
「……後退を読んでいた……? いや、違う……」
ドラメシヤの動きは瞬間的な加速を物にしたというよりかは、事象として動いているだけに映る。有栖はアルセウスフォンを握り締めてセビエの「こおりのキバ」を命じていた。
「おっと! 氷タイプは受けないよ!」
噛みつきをドラメシヤのゆらりとした躯体がすり抜けていく。その動きの読めなさ、違和感に有栖は奥歯を噛み締めて玄関を守るべく相対する。
「……あなたの相手はあたしのはずでしょう。お母さんとお姉ちゃんを巻き込まないで」
「それはちょっと違うかなァ、篠崎有栖ちゃぁ~ん。私はあなたの大切なものごと、全部奪い去ってしまいたいんだよねぇ。だって、大事なものを失えばもうちょっと張り合い甲斐もあるでしょ? 今のままじゃ、あなたはこのまま“コール”以外を選ぶ。そうされると、ちょっと厄介って言うかさァ……。可能なら脱落して欲しいのが、私達の意見なわけ」
この少女は何を言っているのだ、と有栖は想定外の事柄に怖くなる。どう足掻いたところで、少女とここで決着をつける以外、逃れる術はないように思われた。
「……二人は関係がない。あたしだけを狙えばいいじゃない」
「そうともいかないんだよねェ……。強い転生者には枷持ちでちょうどくらいじゃないと。まぁ、それにィ……チェシャーのお気に入りだって言うんなら、私にとっても敵だし」
「……チェシャーの……?」
問答を交わす前にドラメシヤが壁をすり抜けていく。そのまま口腔内に溜められた「りゅうせいぐん」の灼熱のエネルギーに対し、有栖はすぐさまセビエに命じる。
「セビエ! お母さんとお姉ちゃんを!」
セビエが「ドラゴンテール」で壁を破砕し、ドラメシヤの針路を阻むが、二体はもつれ合うようにして階段にぶつかっていく。
「ひぃ……っ!」
母親の短い悲鳴を聞きつけ、有栖はこの戦いを長引かせてはいけないと判断する。
「……一つ。あなたは一体……」
「名前。私の名前はリー・マオフェン。さっきも名乗ったよね? リーでもマオフェンでも、呼びやすいほうで呼んでね?」
目の前の少女――マオフェンは身に纏った真紅のチャイナ服に馴染んだ炎を背にしている。有栖はセビエとドラメシヤが何度か鍔迫り合いを繰り広げるようにして「ドラゴンテール」で互いに死力を尽くすのを感じ取る。
「……転生者同士で戦ったって、旨味はないはずでしょう」
「どうかしら? だって……呵々、それもヘンねぇ。“カタストロフィ”が訪れる前に得点を稼げばそれが正義。あなたにはその程度分かっていると思ったけれど……?」
ドラメシヤとセビエが二階層の床をぶち抜き、再びリビングにて対峙する。
有栖は照り返す炎の熱を受けながら、アルセウスフォンの表面を三回タップしていた。
それは――緊急事態の発生を告げる、自分達の符丁であった。