命令を待てと言うのはどう考えても不可解で、ノックスは謁見を試みようとして部下達に遮られる。
「ノックス兵団長! ……これは越権行為です!」
「だとして、だ。この情勢で話を聞かなければ納得も出来まい。……盟主の言葉を聞かせて欲しい」
いきり立った自分に対し、灰色のオーロラの向こうの玉座にふんぞり返ったハートの女王は鼻を鳴らす。
「そんなに許せんのか? ノックスとか言った兵士よ。妾はこれに関してで言えば、納得はしておると言うのに」
「それは……! それはトランプ兵団の戦力を減らしてでも実行すべき事でしょうか。我々はこれでも、命を絞り尽くしているのです。このヒスイ地方の……未来のために」
ノックスの言い分は明らかにその立場の領分を超えていたが、それでも構うものか。ここでハートの女王の意見を聞けないのならば、何のための兵団長の身分であろう。
ハートの女王は暫時、考えるような沈黙を挟んでから、やがて問いかける。
「……ぬし、よもやここで彼奴等と一戦を交えようとでも思っておるのではあるまいな?」
覚悟の要る問いであった。だが、ノックスは迷わない。
「……必要とあらば、いつでも」
その言葉にハートの女王が哄笑を上げる。高い結晶の天井に吸い込まれていくその笑い声は、心底愚かとでも言っているかのように。
「……ああ、すまぬな。あまりにも……独りよがりの言葉であったもので。しかし、確かうぬはヒスイ地方の生まれであったか。なるほど、故郷を蹂躙されるのは悔しかろう。転生者を殺したいのも、心象としては理解は出来る。だが、間違えるな。妾は転生者を警戒している。ただ闇雲に仕掛けて勝てる相手ではないぞ?」
「重々承知です。……だからこそ、答えを聞かせていただきたい。トランプ兵団は引き続き、転生者と、それを包括する上級存在に対し、叛逆の構えで戦い抜くのかを」
「ノックス兵団長! それはあまりにも……!」
「よい。ノックスは礼儀の話をしておる」
ハートの女王が過ぎたる言葉を諫めながら、オーロラの向こうで頬杖を突く。まるで値踏みされているかのように感じられて、ノックスは背筋を伸ばしていた。
「しかし、うぬ……この戦いがいつまでも続くものだと思っておるのか?」
「……転生者の胸先三寸でしょうが、どこかで終わりは来るのかと思っております」
転生者は無遠慮にヒスイ地方に踏み入り、仲間達を虐殺していく。それを看過出来ない気持ちは兵達を束ねる兵団長としては当たり前であったが、どれほど気を回してもどうしようもない事柄もある。
「終わり、か。それが訪れれば如何に良いか、いや、ここでは論ずるまい。ノックスよ。うぬは兵団長として、準備してもらいたい。来るべき厄災に備えるために」
厄災――それは転生者の存在が関知された時からハートの女王の言葉に上る議題であった。詳しい話はノックスにも分からない。ただ、ヒスイ地方が終わるのだと、それだけは確固として疑いようがないのだと。
「……わたしには分かりかねます。しかし、その時に戦力となれるよう、精進してまいりますので……!」
「口ではいくらでも言えよう。ノックス、妾を失望させるな。転生者を皆殺しにするためならば、手段を選ぶな。どれほど悪辣で、どれほど冷酷であろうとも、それが全てであるのだからな」
ハートの女王の言葉は絶対だ。反論など許されるはずがない。人がそう想像出来る全ての言葉を尽くしたとしても、彼女の言説を覆す事など出来ないのだろう。
「……承知いたしました」
「もうよい。下がれ」
ハートの女王に頭を垂れてから離れ、トランプ兵団の招集は終わりを告げる。その中でノックスはアジトから少し離れた場所にある墓地に訪れていた。
湿った風に、静謐の空気。
刻まれているのは転生者に殺された部下の名前であったが、ノックスは拳を骨が浮くほどに握り締める。
「……転生者の気紛れで殺された……! 絶対に許すわけにはいかない……!」
しかし、誅殺の誓いを立てたところで、それも致し方ない事柄ではあるのだ。
勝者こそが正義。弱者は尊厳を奪われ、蹂躙される――それこそが、この世の道理。それが分かり切っているからこそ、部下達の死に心を砕けない。弱かったから死んだ、一拍の油断を招いたから死んだ。
残酷だ、どこまでも。
それでもこの世界の真理でもある。
「……すまない、皆……。わたしは……結局は人でなしなのだろうな。ハートの女王に噛みついたところで、どうにもならないのだと分かっていると言うのに……」
ただただ復讐心を。
ただただ身に沁みついた恩讐の感情を。
決して絶やさず、消えない心の炎を忘れないようにノックスは枯葉を退けて部下の墓石を掃除する。これだけは唯一の弔い、手向けだ。所詮自分は、転生者に力の及ばぬ弱者。
しかし、牙を研げ、と己に課す。
決してこの胸に宿った復讐の火を絶やすなと言い続ける。
ハートの女王がどれほど転生者に入れ込んでいようが、転生者の存在がこの世界にとってプラスになろうが関係がない。
「……わたしは、お前達にだけは、恥じない生き方をしたいんだ。……笑うだろう? そのための言い訳じみていて。ハートの女王にも……自らの命を顧みない戦いが出来ればいいのだが……あのお方は……」
湿った風が吹き抜ける。
生まれ育ったヒスイ地方特有の乾いた冷たい風は、いつの間にか消え去っていた。
あれが現れてからだ、とテンガン山の頂で今ものたうつ時空の裂け目を睨む。この世界と醜き世界を繋ぐ、忌むべき門。
「……わたしは故郷と同胞の命に、顔向け出来るのだろうかな」
答えはなく、静寂の墓地に吹き付ける風は、ただひたすらに厳しいばかりであった。