「こうも好奇心で動いている輩と言うのは困ったものね。巻き込まれたにしても性質が悪いわ」
どこか侮蔑さえも浮かべた眼差しで見据えられ、有栖は茫然とする。そんな中で敵の生命体が動いていた。
鎌の標的を捉え直し、綺咲へと打ち下ろす。
「綺咲ちゃん! 危ない!」
「危ない? 危ないと言うのはこういう事を言うのよ。何よりも――私相手にカブトプスでやるなんて、生意気なのよ。行きなさい、ジャラコ」
綺咲がホルスターより取り出したのは赤と白の色調が特異な球体端末であった。その中央にあるボタンを押し込み、投擲した瞬間、光に包まれた矮躯が敵の鎌を受け止める。
気高さを感じさせる声の主は夢で見た獣と同じであった。
灰色に染まった表皮を震わせ、カブトプスと呼称された相手を押し返す。
「レベルが違う。野生個体で育てが足りてないのよ。そんなだから、トランプ兵団の戦力なんてたかが知れている」
ジャラコが吼え、カブトプスへと一気に駆け込んだと思うと、至近距離で不快感の塊のような音階を発する。
カブトプスが酩酊したようにくらくらとよろめく中で、ジャラコはその躯体の小ささを活かして股下から背後に回り込む。
「ジャラコ、ドラゴンテール」
綺咲の命令を受けてジャラコが青い息吹を纏わせた尻尾でカブトプスの頭蓋を叩き据える。亀裂が走ったカブトプスへと再び接近しての不愉快な音響を放つ。三半規管が狂ったのか、カブトプスは四方八方へと無茶苦茶に鎌を振るう。
「……厄介よね。イニシャライズしてきたのに物を壊されちゃ。しょうがない。私から行くわ」
そう言って綺咲が取り出したのは白亜の端末であった。特徴的であったのは刺々しい意匠と、それに相反するかのようなどこか神々しささえも感じさせるミスマッチさであった。
「チェシャー。どうせ、これも見張ってるんでしょう? すぐに私をあちら側にイニシャライズしなさい。トランプ兵団の暴走ポケモンが現実に出て来ている。討伐しなければ被害が出るわ」
『承知しました。姫宮綺咲様をイニシャライズします』
濃霧の中で綺咲の姿が極色彩に包み込まれていく。有栖は思わずその姿に縋りついていた。
どこか――自分の窺い知らぬ遠くの場所に行ってしまうような気がして、とっさの判断であった。綺咲は目を見開いて有栖を振り払おうとする。
「……退きなさい。イニシャライズまで……残り30秒以内……」
「綺咲ちゃん! 綺咲ちゃんはその……やっぱりそうなの? 夢の中で会った……」
「私は夢の中で会った覚えはないけれど。……まずいわね。イニシャライズが遂行されるわ」
その言葉の意味を解する前に、世界は網膜に染み込んでくる虹と相反する暗黒に流し込まれていた。
上下左右の感覚が失せ、宇宙空間を漂うように有栖の身体は浮かび上がる。それを綺咲が手首を握り締めていた。
「ここで迷えば永遠に彷徨う事になる」
「……綺咲ちゃん……」
「誤解しないで。寝覚めが悪いからって言う理由だけよ」
直後、開けた世界は太陽光の指す平原であった。鼻孔を抜けるのは澄んだ空気の匂い。水面を揺らすせせらぎや、生き物の息遣いが聞こえてくる中で、綺咲が対峙していたのはカブトプスと、朧気ながら見えていた鎖帷子姿の男であった。
長方形の鎧を身に纏い、中世を想起させるその立ち振る舞いに有栖は戸惑う。
「……あれは……」
「トランプ兵団。まぁ、けれどザコよ。本来なら歯牙にかけるまでもないんだけれど」
綺咲は舌打ちを滲ませてトランプ兵団の下っ端の操るカブトプスの一閃を掻い潜る。ジャラコにだけ前を行かせるのではなく、自らカブトプスの猛攻を肌で感じ、その息吹を理解しているようであった。
「カブトプス! 水の波導!」
カブトプスが全身に滾らせた青の紋様から水を噴き出させる。それはさしずめ集積回路のようであった。幾何学の軌道を描く水流に対してジャラコが尻尾で叩いて躍り上がる。綺咲自身もその攻撃を恐れずに進軍し、鋭く足を踏み込ませていた。
「ジャラコ! 鉄壁を張って一撃を耐える!」
中空のジャラコへと四方八方から「みずのはどう」の放射が迫る。
「危ない……!」
「大丈夫よ。この程度でジャラコは沈まない」
思わず出てしまった有栖の声に綺咲は何でもないように応じる。ジャラコを包囲し尽くした鋭い水の砲弾が命中するも、その躯体を丸まらせて白銀の防御のために羽毛のような毛を逆立たせているジャラコには通用していないようだ。
否、微かに皮膚が濡れているがどれも決定打にはなっていない。まさしく、その防御力は「てっぺき」と呼べるだろう。
「カブトプス! 水を纏え!」
カブトプスがその口腔部から天に向けて水を放射する。途端、降り注ぐ水が岩を溶解させていた。思わぬ攻勢に綺咲は有栖へと視線を振り向ける。
「しまった! 前に出過ぎたか……!」
「転生者! 我々トランプ兵団の支配のために、卑怯と言われようとも勝利してみせる! 塩水からのアクアジェット!」
岩礁を溶かし、草花が枯れていく。「しおみず」と言う言葉通りであるのならば、その水を一滴でも浴びれば有栖も危うい。
「い、いや……」
降り注ぐのは死の足音そのもの。
その予感に瞼を閉じた瞬間、有栖は内奥に響く声を聞いていた。
鋭く、そして息吹を感じさせる鳴き声を。
「……これ、は……」
「どうやら、貴女に“憑いている”と思ったのは間違いでななかったようですね」
世界のフィルターが全て剥がれてしまったような、異様な景色であった。
フレームレートの遅れが生じたかのように、綺咲の動きはスローモーションに。今に自分を貫くかに思われた水滴は眼前にまで迫っているが、時間が止まっている。
そして――緑と白の電子信号で崩れた景色の中で、先刻の書店で出会った女性が一人。
ロングスカートの裾をつまみ、貴族めいた物腰で一礼する。
「おめでとうございます。貴女は“ゲーム”の転生者に選ばれました」
「て、転生者……? ゲームって、一体……」
「言葉通りです。貴女は現世より転生し、この“ゲーム”世界で戦う転生者として選ばれたのです。トランプ兵団の野望を砕き、“ゲーム”を制してください」
どくん、と脈打つ鼓動に有栖は胸元を押さえる。
「……なにこれ、熱い……っ!」
「本来ならばこちらで最初の一匹の選定を行うのですが、貴女は“ツイて”いるし“憑いて”いたようですね。そのポケモンを最初の一匹として、“ゲーム”を勝ち抜いてください」
その言葉の意味を解する前に、有栖の胸元からせり出したのは蒼銀の光を放射するタマゴであった。今も脈打つ獣の鼓動と、有栖自身の鼓動が同期する。
「……この子は……」
「これを。分からぬ事があれば、この参加資格である“アルセウスフォン”を参照してください。きっと、貴女の道行きを照らす事でしょう」
先ほどの喧騒で割れたはずの端末が白く染まり、棘と円環を組み合わせた装飾を得て新生する。
「……待って。どういう事なの……? あなたは……」
「わたくしはこの“ゲーム”の受付嬢、チェシャー。――ポケットモンスターの世界へようこそ、篠崎有栖様」