ALICE   作:オンドゥル大使

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第46話 氷結の『信念』

 

 邸宅に招いたのは何も口封じのためでもない。そもそも綺咲にはカイと名乗った少女を殺す理由など一つもないのだ。

 

「うひー……この部屋広くって涼しい……ー」

 

 カイはグレイシアの背中を撫でながら冷房をガンガンに効かせた部屋で座り込んでいる。綺咲にしてみれば、自室に他者を招くのは久しぶりであったので、この光景は異様さが浮き立つ。

 

「……あなた、そんなに暑いのが苦手なの?」

 

「うんー……。こっちの世界に馴染むのには、この暑さがまず問題だね」

 

 どうせならば、と綺咲は冷凍庫に仕舞っておいたアイスを取り出す。すると、それが何なのか分かっていないのか、カイは首を傾げていた。

 

「……なに、これ?」

 

「何って……氷菓子よ」

 

「へぇー……こっちの世界がすごいのは聞いていたけれど、ここまでなんてねー。貰っていい?」

 

 物欲しそうな顔をしていたので、綺咲が差し出すとカイは笑顔でしゃりと頬張る。途端、その頬が紅潮し、得も言われぬ甘美な味に感動しているようであった。

 

「すごい! すごいよ! こんなすごいお菓子があるんだね! 初めて知った! まだある?」

 

「あるけれど……あまり食べるとお腹壊すわよ」

 

「いいんだってば! グレイシアも食べたいだろうし」

 

 グレイシアと呼ばれたポケモンは小さな口でゆっくりとアイスを舐め取る。綺咲は部屋を見渡していた。天井から吊り下げられたシーリングファンの循環を確かめながら適性室温を探る。

 

「……居心地がよければいいけれど。もう一度、聞くわね? あなたはチェシャーの呼び込んだ、転生者……なのよね?」

 

「うん、そう。わたしは転生者として、こっちの世界に堕ちてきた……って言えばいいのかな?」

 

『ご報告が遅れたのは、あまりにも相手の攻勢が素早かったのもあります。選別するようなお時間もなく、こちらで手持ちの転生者を用意させていただきました』

 

 アルセウスフォンから浮かび上がったチェシャーに綺咲は嘆息を漏らす。

 

「……要は相談の時間もなく、勝手な事をされた、か。けれど敵を退けられたのは大きい。ドラメシヤとの戦いの深みにはまっていれば私だってタダじゃ済まなかった」

 

 むしろ、追い込まれたと言ってもいいだろう。学校の生徒を人質に取られれば、確実に後れを取っていた。

 

「……うーん、わたし、結構うまく立ち回ったのかな? チェシャー」

 

『それは十全にでしょう。姫宮綺咲様。早谷兎真様と有栖に連絡すべきと進言します。今のままでは、散り散りになったところを各個撃破されかねません』

 

 チェシャーの言葉は正論だったが、綺咲は現時刻を確かめる。夕刻に兎真と会敵した報を受けてからそろそろ二時間以上。安易な連絡は逆に探知されかねないという判断であったが、兎真からの返答がないと言う事は最悪、もう潰されている可能性も高い。

 

「……説明をどうすべきなのか悩んでいる」

 

『転生者が増えた、と報告すればいいのでは?』

 

「そう簡単じゃない。なにせ、あなた……」

 

「あっ、カイでいいよ! 呼び捨てで全然大丈夫!」

 

 快活に返答するカイに綺咲はこほんと咳払いしてから、調子を取り戻す。

 

「……では、カイ、は。明らかに私達、本来の転生者とは違う。これはどう説明すべきなの?」

 

「そんなの、転生者だって事を言えばいいんじゃない? 今回はチームロワイヤルなんでしょう? チェシャー」

 

『左様にございます。何も、カイ様に対してこれ以上説明する事はございません』

 

 スカートの裾を摘まんで厳かに頭を垂れるチェシャーの魂胆も、どこまでが本物なのだか疑ってしまう。しかし、助けられたのは事実。カイが居なければ、敗北していても不思議ではなかった。

 

「これ、貰っていい? どうやって開けるんだろう……?」

 

 パックのリンゴジュースを上下させて困惑しているので綺咲はそれをサポートする。

 

「これ。ストロー指したら飲めるから」

 

「これがストロー……。なるほど、こうなってるんだ! 便利ー! これなら携行も楽だし、こぼれる心配もないね!」

 

 上機嫌でリンゴジュースを飲むカイに綺咲はここからどうする? と自問する。兎真が生き残っているのならばそろそろ連絡が来るはずだ――そう思っていた矢先、アルセウスフォンに着信が来る。

 

「……もしもし?」

 

『あっ、ヒメー?』

 

「……生きていたのね」

 

『何それ。まるであーしがやられたかもって感じじゃん。ま、危なかったのは事実なんだけれどね』

 

「こっちもそれは同じよ。……どうやら完全にチームロワイヤルが始まるよりも先に、場外乱闘に打って出られたようね」

 

『その言い分だとヒメもヤバかったっぽいねぇ。……あーしはこれからでも……戦いよりも大変なコトを仕出かそうとしているから、それで死んだらゴメンかも』

 

「戦いよりも大変な事? それは一体……」

 

 問い返す前に有栖の声が通話先で弾ける。

 

『あ、兎真さん! 空きましたよ!』

 

『おっ、じゃあおっ始めますかぁー! ってコトで、ヒメ。明日何があったのかは説明するから、その辺はヨロシクー』

 

「あっ、ちょっと待ちなさい……って、もう切れているわね」

 

 だが、こうして兎真が生存してくれているのならば、こちらの策はまだ生きている。それに有栖の声も聞こえたなら、チームロワイヤルは思った以上に深刻ではなさそうだ。

 

「今の、ちょっと声聞こえたけれど、お仲間さん?」

 

 カイはリンゴジュースを飲み、アイスを頬張ってその美味さを全身を震わせて実感する。どうにも特別な存在には思えないが、纏った民族衣装めいた赤い装束と、そして目を引く金髪に水色の瞳は同じ常識で生きている人間とは思えない。

 

「……気にする事はないわ。二人とも無事みたいだし」

 

「それならいいんだけれど……わたしの存在って結構邪魔?」

 

「まさか。助けられておいて邪魔なんて言い出すわけがない」

 

「だ、だよねぇ……。でも、わたしは正規の転生者じゃないから、どうしても、ね……」

 

 正規の転生者ではない――カイの口調には迷いが窺える。それもこれもチェシャーに問い質せば分かる代物でもない。聞かれなかったので、を地で行くのだから信用も出来ない。とは言え、カイが自分達にとって害悪とも思えないのは事実。

 

 ここは歩み寄りのために会話に花を咲かせるべきであろうか、と思案した瞬間、邸宅内へと警報が劈く。

 

『……申し訳ありません、お嬢様。現状、姫宮財閥のセキュリティネットワークに介入が発生。お嬢様の邸宅にも影響が及んでいます』

 

 耳に嵌めたインカムからの伝令に綺咲はなるほど、と呟く。

 

「……敵チームの考えでは、私達を早々に始末したいようね」

 

「これ、敵の刺客?」

 

 カイはグレイシアの背中を撫でながら温厚な声音で尋ねる。彼女にしてみればこれが異常事態である事が伝わっていないのかもしれない。

 

 学園都市を支配する姫宮財閥のセキュリティに攻撃を与える事はまず不可能だ。電子戦や物理的な介在もほとんど不可能なはず。あり得るとすれば、一つだけ。

 

「……ポケモンによるネットワークへの干渉。仕掛けてくるのは間違いなさそうね」

 

「じゃあ、わたしも頑張るね! あなた達ばかり戦わせるのは心苦しいし」

 

 グレイシアと共にカイは立ち上がる。綺咲は邸宅のセキュリティネットワーク状況を読み取っていた。

 

「……レッドゾーンに染まっているのは……天井から? ちょっとした重火器でも破れないはずなのに」

 

「それだけ、相手の火力も相当なんだろうね。けれど、不思議なのは攻めてきているにしては、今しがたまで随分と静かだった事、かな? 高火力のポケモンなら、音を立てないで攻撃するなんて不可能だろうし」

 

 カイの審美眼は当てになる。敵が出力の高いだけのポケモンを使ってきているのだとすれば、ここまで隠密に秀でてはいないはず。接近を勘付けなかった時点で、こちらは一歩読み負けているのだ。

 

「……えっと、カイ……。私はこの敵は警戒すべきなのだと推察する。ここまで接近を許し、そして邸宅を発見された以上、戦闘を避ける事は出来ないわ」

 

「それには同意。わたしもここで逃げるなんて、一番嫌かも。相手の出鼻を挫きたいところだけれど、優位なのはあっちのほうだし……うーん……。じゃあいっその事、どんなポケモンを使っているのかだけでもハッキリさせよっか」

 

「そんな簡単に……」

 

「出来るよ。わたしとグレイシアなら」

 

 そう言うなりグレイシアが凍結領域を押し広げていく。室温が一気に10℃近く低下し、カイは何かを見定めるように周囲に視線を配る。

 

「……みしみしって聞こえたね。じゃあ、そこ!」

 

 グレイシアの収束させた氷結の光条が邸宅の天井に突き刺さる。そこから浸蝕した冷気が屋根裏を伝い、直後には溶解した強靭な材質の物体が落下する。

 

「……重火器に耐える事が出来る屋根を溶かして……それで入って来ていた……?」

 

「みたいだね。それと……このポケモンには見覚えがある。ヌメラ、だったはず」

 

 丸っこく小型の体躯を有するポケモンが水音のような鳴き声を上げる。ヌメラと呼ばれたポケモンは全身から緑色の粘液を発しており、そこから放たれた腐臭にも似た臭気に綺咲は思わず鼻をつまむ。

 

「……このポケモンは、何……?」

 

「ヌメラは粘液で相手を溶かして攻撃するドラゴンタイプのポケモン。ヒスイ地方じゃ珍しくもないけれど、このヌメラ……一体じゃない」

 

 カイが軽やかな所作で指を向けるとグレイシアの「れいとうビーム」がキッチンの隅に突き刺さる。換気扇を突き破り、今に潜入して背後から仕掛けようとしていたヌメラに直撃し、その動きを鈍らせる。

 

「……包囲陣形でも敷こうとしているの」

 

「みたい。けれど、妙なのはヌメラを二体使った程度で何が出来るのかって事。恐らく、本懐はヌメラによる包囲ではなく、別のポケモンを使っての直接攻撃だと思う。ヌメラはただの牽制」

 

 ただの牽制でこの街でも有数の防犯が破られるのだから、綺咲は息を詰まらせる。恐らくは昼に戦ったマオフェンらが仕掛けてきているのだろうが、それにしても邸宅を特定し、そしてこうして反撃するまでの時間があまりにも鮮やか過ぎる。

 

「……カイ。敵は私達の行動予測を既に済ませていると想定されるわ。当然、手持ちの情報もね。となると、この狭い部屋で戦うのは得策じゃない」

 

「わたしからの意見があるとすれば、ここで反撃すべきだと思う。他の場所に誘い出すのには、相手の布石が強過ぎる。もう逃げ場はないと思ったほうがいい。そうでなくっちゃ、ヌメラをこうして配備しているはずもないし……」

 

 カイは戦い慣れているのだろう。だからこそ、撤退戦や逃亡などは考慮の外となっている。綺咲はここで気持ち負けしてしまえばそこまでだ、と自身を奮い立たせる。

 

「……行って、ジャラコ」

 

 ジャラコを繰り出した途端、邸宅の電源がダウンする。恐らくはヌメラによって電気系統が阻害されたか。そうなってしまえば、今度は暗闇の中でどこから襲い掛かって来るのかも分からないヌメラに警戒を注ぐほかない。

 

 くちゅ、くちゅとどこからともなく水音が聞こえてくる。それはヌメラが既に邸宅に完全に入り込んでいる証か、あるいはもう逃げられないというプレッシャーか。いずれにせよ、ここで迎撃するのにはしてはヌメラのデータとその転生者の情報は乏しい。

 

 確定的な情報と対策が欲しいと綺咲が奥歯を噛み締めたところで、カイは出し抜けに口にする。

 

「……なるほどね。ヌメラの数は三体。今凍らせた個体と、天井に居た個体と合わせてね」

 

「……何でそこまで正確な数が……」

 

「簡単な事だよ。ヌメラってポケモンはね、ほとんど目が見えないの。となれば、ここまで正確な動きを指示するのには、明らかに指示する本命が居るのは明らかだけれど、転生者が扱える範囲を考えれば、三体が妥当なところ。そして、一体が凍ったのなら、別の二体の役割としてはわたし達に真綿で絞めるようなプレッシャーを与え続ける事が考えられる。この二体は攻撃してこない。となれば……グレイシア!」

 

 グレイシアが高い声で鳴き、カイの指示で空調システムへと凍結の息吹を吹きつかせる。綺咲にしてみれば空調システムへの攻撃の意図は分からないでいた。

 

「……何故、空調を? 敵が潜んでいる確証でも……?」

 

「いいえ。ヌメラは最も弱いと言われているドラゴンタイプ。そして皮膚呼吸であるために皮膚が乾けば出て来ざるを得ない。グレイシアの冷気でその表皮を乾燥させる。そうすれば……」

 

 カイの目論見通り、ヌメラはこれまでのようにじわじわと攻撃してくるのではなく、邸宅の空調機から転がり落ちてくる。表面が凍て付いており、氷の攻撃も有効であったようだ。

 

「これで、索敵用のヌメラは全部無効化した。……ねぇ、出て来なよ! 転生者同士、こんな迂遠な手を使うまでもないでしょう?」

 

 その挑発を受けてか、あるいはヌメラが使い物にならなくなったせいか、天井を破って現れたのはヌメラを僅かに大型化させたようなポケモンであった。

 

 ただし、全く異なるのは堅牢な甲殻からその肉体を覗かせている点だ。まるでカタツムリのようだ、と綺咲は警戒を怠らない。

 

「……残念ね。あなた達なんてヌメラだけで制圧出来ると思っていたのだけれど」

 

 降り立ったのは、確か有栖の姉であるはずの――。

 

「……篠崎……妙子……!」

 

「覚えてもらって光栄と思うべきなのかしらね? それとも、私じゃ何も出来ないと高を括っていた?」

 

 綺咲は沈黙を答えにする。ほとんど無理やりの形で転生者になった妙子に戦いの心得などないはずだ。だからこそ、この局面での対立は意味がない。大方、マオフェンらにそそのかされたか、と勘繰っていると妙子はふんを鼻を鳴らす。

 

「……気に入らないわね。有栖も……あの子も、仲間であるあんた達も。結局、ああして自分で全部知ったつもりになって……それで見下していたんでしょう。それが透けて見えるのよ」

 

「……篠崎さんはあなたを見下した事なんてない」

 

「戦いにおいて! 説得なんて一番に意味がないわ! 行きなさい、ヌメイル!」

 

 ヌメイルと呼ばれた甲殻のポケモンが地を這って迫る。動き自体に特段の素早さはないが、床を粘液で濡らし溶かしていくのは純然たる脅威だ。綺咲は咄嗟の判断でジャラコを飛び退らせるも、ヌメイルの放つ毒素を凝縮させた砲弾が襲い掛かる。

 

「アシッドボム!」

 

 毒の猛攻が天井から釣り下がっていたシャンデリアを融かして落とし、ガラスが砕けた瞬間、ジャラコへと回り込ませて「ドラゴンテール」を放つ。

 

「ジャラコ! ヌメイルへの接触技は危険! だから……」

 

 だからこそ、地面を捲り上がらせてヌメイルの出鼻を挫く――その考えはしかし妙子には割れていたようで割って入ったヌメラの放つ粘液が地面を割った攻撃をその身を挺して防御する。

 

 舌打ちを滲ませた直後にはヌメイルの攻撃が迫る。

 

「アイススピナー!」

 

 ヌメイルが殻にこもり、その身を高速回転させて粘液を飛ばしつつ、凍て付く氷の円環技を放出する。いけない、と判断したのはあまりにも遅い。

 

 ドラゴンタイプを持つジャラコにとって氷タイプは効果抜群。動きを鈍らせたジャラコへと、ヌメイルは空にこもったまま粘液を潤滑油にして疾走し、瞬時に距離を詰める。

 

「終わりね、姫宮綺咲。もっと強いと思っていたけれど……ね!」

 

 ヌメイルの攻撃が完遂される前に綺咲はすかさずアルセウスフォンを握り締めて、ほんの一瞬の間に進化を遂行する。

 

 めきめきと躯体が膨れ上がり、即座にジャランゴへと命じる。

 

「ジャランゴ! 雄叫び!」

 

 ほぼ至近距離での「おたけび」の音響攻撃がヌメイルの攻撃を躊躇わせたそのほんの一ミリの好機を縫い、ジャランゴは青い輝きを爪に宿して掻っ切る。

 

「ドラゴンクロー!」

 

 矢継ぎ早に放たれた連撃であったが、ヌメイルの表皮に触れた途端、ジャランゴの爪にかかった粘液が瘴気を発する。「ドラゴンクロー」の威力は大きく減殺しほとんど意味を成さない。

 

「残念ね。ヌメイルの粘液は他のポケモンの攻撃を低下させる。そして、その距離まで来たのなら、逃しはしない! ヌメイル、逆鱗!」

 

 ヌメイルの甲殻が赤く輝き、燐光を帯びた触手がジャランゴを包囲して襲い掛かる。効果抜群の技を受け続ければ、如何に自分が転生者としての歴が長くとも不利となる。

 

「ジャランゴ! 可能な限り距離を取りなさい! 逆鱗を連続で受ければ――!」

 

「受ければ、確実に戦闘不能にする。ヌメラ達! あんた達もよ。四方八方から竜の波導で拡散攻撃を浴びせる!」

 

 ヌメラはジャランゴが逃げられないように「りゅうのはどう」による波導攻撃で動きを乱す。綺咲はじわじわと追い込まれているのを感じ取っていた。転生者に成り立てにしてはあまりにも洗練された戦術である。それもこれも、全てがイレギュラー。

 

 波導攻撃はポケモンの体内に直接干渉する。ジャランゴが守りに徹しようとしても、肉体に亀裂が入り、その部位から臓腑をシェイクされる。

 

 このままでは無様に敗北する――そのような考えが脳裏を掠めた瞬間であった。

 

「……何だ、その程度?」

 

 不意打ち気味に差し挟まれたのはカイの冷徹な声であった。彼女は何でもないかのように指揮棒を振るうように鮮やかにグレイシアの凍結範囲を押し広げていく。ヌメイルの放った「げきりん」の打撃に氷の触媒を与え、直後にはその肉体に浸蝕の範囲を至らせていた。その鉄拳がジャランゴに触れた途端に砕け散り、ヌメイルは後退を選ぶほかない。

 

「……何よ、それ……。その技量は何……?」

 

「技量でも何でもない。ただ、たった一つ確かなのは。わたしはあなたよりも――強い」

 

 轟、と凍結の風が拡散する。

 

 カイとグレイシアを中心軸にして部屋の中の風圧、そして極度の冷却によって窓に霜が張り付く。キッチンのシンクから水滴が伝い落ち、蛇口から一滴の水が滴った瞬間に、その水の球は氷となって落下していた。

 

 それと同期してヌメイルの周囲を固めていたヌメラが完全に凍り付いていた。

 

 綺咲は思わず絶句する。

 

 確かにカイの技量は目を瞠るものがあったとは言え、味方を巻き込まないようにここまで繊細な凍結領域を可能とするとは思いも寄らない。吹き込む冷気はジャランゴにダメージを与えない。ジャランゴに吹く冷風は問題のない領域に押し留められ、ヌメラとヌメイルを抑えるためだけに極寒の冷却攻撃がもたらされる。

 

「……こんな……こんな風な事が可能なんて聞いて……」

 

「わたしはあなたも被害者だと、そう思っている。だから、ここでは退かない? わたし、人殺しはあまり好きじゃないんだよね。それに、話し振りじゃ、わたし達をここで孤立させて殺すつもりだったんだろうけれど、作戦も割れちゃったし、意味ないよね?」

 

 カイの透明度の高い瞳が妙子を捉える。挑発でもなければ、攻撃的な発言でもない。ただただ、既に分かり切っている明瞭な戦いを、これ以上愚かにも繰り返すのか、と言う名の問い。

 

 妙子は奥歯を噛み締めて恥辱に耐え、それから綺咲へと目線を振る。

 

「……いい気にならない事ね。あんた達を殺す事なんて、いつだって出来るのよ。今は……撤退を選ばせてもらうわ」

 

 四体をボールに戻し、妙子は飛び退って消えていく。その段になって邸宅の電気系統が復旧したのか、明かりが明滅する。

 

「……なるほどね。わたしが呼ばれた理由、ちょっと分かったかも。ああいうのと戦っていくんだね」

 

 カイは落ち着き払ってグレイシアをボールに戻す。綺咲にしてみれば、カイが居なければ死んでいても可笑しくはなかった。その重石を胸中に感じつつ、この状況でいけば、兎真達も危ういと通話を繋ごうとして何故なのだか返答がない。

 

「……何をやってるの……早谷兎真……!」

 

 

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