豪快に歌ってみるのは案外悪くないと、兎真が言い出したものだから有栖はデンモクを手に当惑する。そもそも、あまり来た事のない馴染みの薄い場所――カラオケボックスを兎真が選んだ理由が分からない。
「じゃあ、とにかくピザでも頼む? あ、ポテトもねー」
兎真が注文する中で、有栖は飲み放題のコップに注いだメロンジュースと対面する幸子のグレープジュースに視線を落としていた。その顔が見られなかったのだ。
それも当然、幸子はつい先刻まで兎真と戦っていた。殺し合いを繰り広げていたのに、まさか狭いカラオケルームで三人で顔を突き合わせるとは思いも寄らない。
「有栖は何か要る? スイーツとかもあるみたいだけれど」
「あっ……あたしはまだいいかな……」
「遠慮しないでいいってば。ここはあーしの奢り! ちゃんと食べないと、晩御飯まだ抜いているんでしょ?」
兎真はパフェを頼んでから、受話器を壁にかけてから、さてと、とデンモクを探る。
「……その、歌う曲とか決まってるんですか……?」
「うん? まぁ、その時の流行りもあるからねぇ。けれど、一曲目はちゃんとルーティーンって言うか、それなりに点数が取れるのを選んで……ああ、そっか。点数あったほうがいい? あーしはどっちもやるけれどさ」
「あ、……あたしは……点数はないほうが……」
「何で? あっ、さてはぁー……有栖、意外と音痴だなぁ?」
勘繰られれば有栖も羞恥心に顔を真っ赤にする。確かに歌は得意ではないが、音痴と言うほどでもないはずだ。
「……じゃあまずはあーしねー。今日の喉はちゃんと開いてるかなぁ。げほん、ごほん……」
喉のチューニングをしてから兎真が選んだのは流行りの曲の一つで、アップテンポな曲調が耳馴染がよい。有栖も盛り上げようと部屋の隅にあったタンバリンを手にしたところで、幸子が出し抜けに口にする。
「……やっぱりヘン。こんなの……ヘンだってば……!」
その言葉に返答する前に幸子は立ち上がり、兎真へとモンスターボールを突きつける。兎真はしかし、歌に夢中でそれに気づいてすらいない。
「……幸子……!」
「早谷兎真……! ……私と戦いなさい!」
その挑発にも兎真は乗らない。それどころか喉の奥から発した歌唱力は大したもので、聞き惚れる、と言う言葉が相応しい。あまりにも無視をするものだから、幸子は痺れを切らしたようにモンスターボールを投げようとして、部屋に押し入ってきた店員の目に制される。
カラオケあるあるの店員が居る間は何も出来ないという説を立証するように、今に血を見るかに思われた戦いは沈静化し、その一方で兎真は一曲歌い上げていた。
思わず有栖はぱちぱちと拍手する。
「……すごい……! 兎真さん、すごく歌が上手……?」
「そう? あーしはこれでもヒトカラ上級者だかんねぇ。ま、ぼっちを誇っているようであんまし言うもんでもないんだけれどさ。今度は有栖が歌ってみ?」
「あ、うーん……。けれどあたし、下手だから……」
「好きこそものの上手けれ、だっけ? 下手だっていいんだってば。ソウルが籠っていれば聴けるもんだよ」
「じ、じゃあ……」
最近の流行歌を入れようとして幸子の声に遮られる。
「何だって言うの!」
びくっ、と肩を震わせた有栖が硬直していると、兎真は何でもないようにポテトを頬張る。
「だから言ったじゃん。女子会だって」
「……女子会……? 何を言ってるの……。私達は敵対しているのよ……!」
「あーねぇ。そんなに偏狭に思い込むもんでもないと思うなぁ。ほら、ピザ美味しいよ?」
兎真がピザの一切れを差し出すと、幸子はそれを手で払う。一瞬だけ床に落ちたが、すぐさま拾い上げて兎真は頬張る。
「あっぶな! 三秒ルール!」
「……一体何だって言うの! ……私を馬鹿にして……それで楽しんでいるつもり?」
「そんな気はないんだけれどなぁ……」
兎真はピザのチーズを舐め取ってから、うーんと思案する。有栖にしてみればいつ戦いが始まっても不思議ではなかったので気が気ではない。
「……いい? そっちは敵で……前の“シーズン”で私を殺した! お互いに恨む理由は充分にある! だってのに……だってのに、女子会? だってのにカラオケ? ……意味が分かんない。頭イっちゃってるの?」
「失礼だなぁ。あーしはこれでも考えて……あっ、有栖。そっちの抹茶アイス美味しそうだからちょっと貰っていい?」
「あ、はい……」
抹茶アイスを食べてから兎真はうんと頷き、そしてデンモクを眺めつつ言葉を紡ぐ。
「……あのさ。別に殺し合いしか答えがないからって、じゃあそれで全部の因縁が納まるのかって話。殺されたから殺し返す? それってさ、終わんないじゃん。どっちかが完全にこの世から消滅しない限りはね。“コール”やら“レイズ”に関しては聞いてるんでしょ?」
幸子が沈黙を答えにする。兎真はデンモクの履歴を遡りながら曲目を探っている。
「じゃあさ、余計にこの問題は解決しないよ。殺し殺されだけでどうこうなるって言うんなら、あーしはやるけれど。でもさ、それって妥協点も何もない、ただの喰らい合い。そんなのって意味ないってば。あーしは恨みっこなしだと思うなぁ」
「恨みっこなしって……! そんなわけはないでしょう! だって、“ゲーム”の勝者を決するために……!」
「じゃあ、もう一個質問。あーし達を殺して、高峰幸子は……言い辛いな。サッチーでいい?」
「サッチーって……」
思わず吹き出した有栖へと幸子が睨む目を寄越す。今は一触即発の空気が起こりつつあるのに、先ほどから何故なのだか暖簾に腕押し状態で、兎真にはまるで効果もないようであった。
「……いいよね? じゃあサッチーはさ。あーしらを全員殺して、その後に色々あって、望みを叶えたいの? それってさ、あの綾坂美月やらリー・マオフェンとかに……言いたくないけれど利用されるだけだよ?」
「そんな……そんな事……ッ! 私は私の信じるもののために戦って――!」
「その結果が有栖を悲しませるコトになったとしても?」
まさしく正鵠を射た意見であったのだろう。幸子は言葉を彷徨わせる。有栖も思っていた事だが兎真はほとんど心の壁なんてないようにズバズバと正論を述べてみせる。それは自分の呪詛のような恨みや怒りを溶かすのには充分であった。
「……だ、だとしても……! 私は私のために戦ってるの! あんた達みたいに……昨日敵だったのに味方になれって……? そんな事、出来るわけ……」
「何で? 有栖はやってるよ? そのとても難しいコトをねー」
「……有栖が……?」
「……幸子。あたしさ、幸子が殺された時には多分この世で一番、兎真さんを恨んだよ。殺し返してやるって……本気で思ってた。けれど……けれどね? あたし、どうしたらいいんだか分からなくなっちゃった……。お姉ちゃんとお母さんを取り戻したい。そのためには、綺咲ちゃんも兎真さんの力も必要。あたし個人の憎しみだけで、動いてちゃいけないんだと思う」
自分なりに不器用でも今の気持ちを逸したくないと幸子へと言い聞かせる。これで戦いが終わるなんて思っちゃいない。そんな簡単ならこんな悲しい殺し合いになるわけがないからだ。
「……そんな……そんな風に……分かり切れって言うの? 自分の復讐心にまで蓋をして……全部許せって? そんなの……!」
「あーしはね。これまでだって何人もの転生者の恨みを買ってきた。殺されそうになった事も一度や二度じゃない。全体の幸福だとか、最終的な勝利条件だとか、そんな風に物分かりがいいわけでもないってコトも分かってる。けれど、あーし達に出来るのは、せいぜいこの程度の反抗。チェシャーだけじゃない。向こうのシュレディンガーとか言うのも完全な想定外。だからこそ、あーしは一個でも理解したい。復讐するのは大いに結構。だけれどさ。足の踏み場を誤ると、人間、すぐに真っ逆さまだよ?」
「……そんな事……言われるまでも……!」
しかし、それ以上は言い返せないのか幸子はソファに座り込む。酷く憔悴しているのが窺えた。無理もない。昨日今日で転生者になったかと思えば、今度は親友同士で殺し合えと言われて真っ当であるはずもない。
「……幸子。あたしはね……恨みと憎しみを忘れろなんて言えないよ。あたし自身、兎真さんを……許し切れていない部分もある。それでも……憎しみだけじゃ、お姉ちゃんもお母さんも取り返せない。あたしが……強くならなくっちゃ」
胸の前でぎゅっと拳を握り締める。この胸に灯した篝火だけは絶対に誰かの思惑ではない。自分の意思。それを違えないようにしなければ、闇に惑うだけだ。
「……何で……。あんたはもっと……もっと弱かったはずでしょう? 弱くても……いいはずでしょうに。何で……何でそこまで……思い切れるのよ……」
幸子にしてみれば本物の疑問なのだろう。有栖はその眼差しから逃げないように、ハッキリとした論調で返す。
「……復讐の連鎖だとか、憎しみの連鎖はあたしで終わりにしたい。……霧子さんも言っていたの。恨みっこなし、殺し殺されでも憎まないって。それは多分、相手を許す事に意味があるんだと思う。あたしは……戦う事そのものの罪さえも、背負っていく。ううん、背負いたい。それが幸子に嫌われる事になったとしても」
幸子は戸惑いを浮かべたまま、静かに後ずさる。
「……有栖。あんた本気なの? それって……これから先に起こる悲劇も、これまでに起こってしまった災厄も……何もかもを背負うって言ってるんだよ? 誰が死んでも、誰が裏切っても、それでも前に行くって……前を見続けるって……そう言ってるんだよ……!」
幸子が肩を引っ掴む。その力が痛いほどであったが、有栖は兎真を視線で制する。今の幸子に向かい合うのは親友としての責務だ。
「……うん。あたしは……転生者同士の戦いを、あたし自身で終わらせたい。これが誰かにとっての不都合だったり、誰かの想いを踏みにじったりする事であったとしても……あたしはあたし自身の決意に、もう恥ずかしい自分で居たくないの」
「……それが誰かの……本物の想いを踏み締めて……誰かを不幸にするとしても……?」
有栖は強く頷く。幸子の眼差しを真っ直ぐに見返して。
「……どうやら。あーしが思ってる以上に、有栖が強かったみたいだねー」
幸子は一度俯く。その気持ちは痛いほどに分かる。復讐心でもなければ、単純な因縁でもない。この戦いの連鎖そのものを断ち切るなんて、思い違いもあるだろう。それでも、この言葉と想いを取り消したくない。
ふっと、幸子がマイクを手に取る。何をするのだろうと思っているとデンモクを操作して曲を入れてから、肩でリズムを取りつつ絶叫する。
『有栖の……有栖のバカぁ――っ!』
「な……っ。バカって言う事ないじゃない!」
「おっ、乱闘か? ほれ、有栖。マイクマイクぅ」
この状況を楽しむかのように兎真がこちらにマイクを差し出す。有栖は思いの丈をぶちまけるようにマイクの音量をマックスにしていた。
『だって……だってあたしがこうしないと……! みんながみんな、嫌な思いのまま戦うじゃないのぉーっ!』
『それがバカだって言ってるの! いい子ちゃんになって……それで世界でも救うつもり? 有栖のバカ! もっと自分の領分を理解しなさいよね――ッ!』
幸子の雄叫びのほうが強い。びりびりと身体の芯が震える中で、有栖は叫び返す。
『だって……そうじゃないと堂々巡りだよ! こんな事……どっかで終わらせないとなのに……! 幸子の分からず屋ぁーっ!』
『その物分かりのいいフリってのが嫌なのよぉ! 有栖なんて……私の後ろをついていくのがちょうどいいってのにぃ……っ! そういうのが生意気!』
『生意気って……! ……言ってなかったけれど、幸子のいつも自分がリードしてあげるって感じ……あたしは本当はちょっと嫌だったんだよぉ――っ!』
そこで幸子が言葉を区切る。パンクロックの音階がカラオケルームを満たす中で、互いをディスり続ける悲しいステージが繰り広げられていた。
『あんたが……あんたがもっと……もっとさぁーっ! もっと物分かりの悪い、個人的な事ばーっか気に掛ける人間なら……楽だったのにぃーっ!』
『幸子のほうこそ……! あたしの道を邪魔しないでぇーっ!』
「いいぞぉー、もっとやれー!」
兎真が囃し立てるので、有栖は汗を流しながら言葉を絞り出そうと力を込める。
『有栖なんて……もっと、もーっと! 大人しい子だったでしょ……!』
『そんな風にラベル付けしないで! あたしは……あたしぃーっ!』
ハァハァと息を荒立たせながら丹田から声を放つ。その想いに対して、幸子は負けないように大声を振り切る。
『……有栖は……有栖は私の後ろをついて来ればいいのにぃーっ!』
『それが思い違いでしょ……。あたしは……あたしは前に行きたい……! あたしは……幸子の影じゃないのぉーっ!』
『何をぅ!』
『何なの!』
互いに息も絶え絶えだ。それでも、こうして声をぶつかり合わせる。息の続く限り。声の続く限り。
輝きを鈍らせず、ここでは潰えさせず。
ほんの一時の瞬きであろうとも、ここに生まれた超新星の想いだけは、誰かに譲れるものではなく。
『……有栖は……本当にその道を行くつもりなの……。そんなの……茨道じゃん……。分かってるの? 嫌な事だとか……辛い事も全部……全部なんだよ? 他人の汚いところを見ないといけない』
『……うん』
『それで……どれだけやったって裏切られて……すごく惨めな思いをしなくちゃいけないかもしれない……。それでもいいって言うの? あらゆる人間に……切り捨てられるかもなんて可能性……』
有栖は強く頷く。ここまで築き上げてきた弱い自己ではない、ここから先の未来を行くための新しい自分のために。
幸子は弱々しくこぼす。
『……バカだよ、本当に……。そんな事したって……誰もあんたに感謝なんてしないんだよ?』
『だとしても……あたしはあたしの思うままの自分で居たい。幸子は……反対かもしれないけれど……』
妙子と母親を取り戻し、この戦いに終止符を打つために。全ての因果は彼方に置いて行く。その覚悟があるのならば。
『……あーあ! 本当にバッカみたい! ……デンモク貸して』
幸子が歌い上げたのは思いっ切り高音域を必要とするデスメタルで有栖は面食らう。
『……どう? 私だって有栖の知らない事の一つや二つはあるんだからね』
負けていられない――有栖もデンモクを操作し、自分の最も得意とする曲を入れて間髪入れずに歌い紡いでいく。
「おーっ! やれやれぇー!」
兎真は完全に応援する側になっており、有栖は幸子の番になればデンモクを漁り、幸子よりも優位を立てる曲を探す。幸子も余念がないようで、自分が歌い終わると同時に入れ替わりで幸子が得意な曲を解き放っていく。
お互いに知らない、これまでに知りようのなかった相手の側面。幸子がデスメタル好きな事なんて知らなかった、思ったよりも歌が上手くって、それでいて聞かせるように情感たっぷりに歌えるなんて、知りようもなかった。
それは相手も同じのはずだ。
こんな風に――大人しいだけではなく、もっともっと先を目指して身体の奥から熱くなる歌声を奏でられるなんて自分でも思いも寄らない。歌えば歌うほど、沸騰するように脳髄の奥が白く輝いていく。
幸子の歌の番、次いで自分の歌の番。歌い終わるなり、疲れ切った様子さえも見せずに幸子の番、そしてまた自分が歌う――と、それを何周も繰り返しただろうか。
ついに声が枯れ、喉に力も入らなくなってから、有栖はソファに寝転がる。幸子もぜいぜいと呼吸しながら、インターバルを終えようとしている。負けていられない、と有栖はマイクを掴んだところで幸子とデンモクを探る手が触れる。
あ、とお互いに硬直したのも一瞬、兎真がにへらと笑う。
「なぁーんだ。二人とも、仲良しだねぇ」
「……仲良し……」
何だかその言葉だけで救われたような気がして有栖は胸元で拳をぎゅっと握り締める。そうだ、自分のやりたい事は変わっていない。“ゲーム”を生き抜き、そして大事な者達を助けるのだと。それだけを篝火として燃やし続ければ、きっと不完全燃焼にはならない。文字通りの完全燃焼――真っ白な灰になったとしても、それでも構わない。
「……有栖が歌いなさいよ」
「……うん。ねぇ、幸子。あたしね、もっと……もっとちゃんと、幸子と向かい合いたい。それがどんな形になったとしても……。幸子にがっかりされたくないから」
「……恥ずかしい事言っちゃって。いいから歌いなさい」
有栖はマイクを手に取って丹田の奥から声を発する。
しかし、こういう時にぶきっちょなのが自分なので音程正確グラフを外しまくってしまいとんだ赤っ恥だ。
「……やっぱり有栖はちょっとカラオケは苦手?」
面白がる兎真相手に、有栖は羞恥に顔を真っ赤にしながらも途中で投げ出したりはしない。最後まで、どのような結果になろうとも遂行する。それが自分の中にある、ささやかな抵抗であり覚悟だ。
「……本当、有栖ってば音痴のクセに、最後までは絶対に歌うんだもんなぁ」
自分の声が誰かに届くわけでもない。ただ、この二人の前で背中を見せるわけにはいかないと、喉の奥から歌声を紡ぎ上げる。
それが正解かどうかは分からない。ただ、ただ最後まで――終わりまでやったからこそ、完成するのだと言う事は、知っているのだから。