ぐーすか寝息を立てている有栖と兎真相手に、幸子はデンモクの履歴を探りながらも二人の挙動を確かめる。
「……こんなに無防備なんて……あり得ないでしょうに」
ここで有栖を殺してしまえれば、あるいは兎真を潰せれば――そのような考えが脳裏を掠め、幸子は思わず有栖の鞄から覗くアルセウスフォンを目に留める。
――アルセウスフォンを破壊されれば失格となる。
そのルールが正しいのならば、有栖のアルセウスフォンを壊せば、この戦いは優位に運ばれる。幸子の手元には文房具のコンパスがあり、その針で貫けば全て終わるはずだ。それこそ、文字通り、全てが。
有栖との友愛も、信頼も、お互いに出し切った感情の箍も、何もかも。
終わらせてしまえれば、有栖は二度と抵抗出来ない。それどころか、この“ゲーム”で“レイズ”を選べば二度と復活もしない。
コンパスを握る手に嫌な汗が滲み、そして鼓動はこれまで感じた事のないほどにうるさい。この一個で、自分は親友を抹消出来る――その在り方、そして脳内を満たす邪悪な考えに、これが本当に自分の意思か、と自問する。
マオフェンらに植え付けられた選民意識、あるいは恨めと誘導されているのかもしれない。己の正義でも何でもないのに、ここで有栖を殺せるというアドバンテージだけが幸子の正常な判断を鈍らせる。
先刻までの、互いの気持ちを吐露したのは嘘だったのか。あるいは、ここまで打ち明けたからこそ、嫌になってしまったとでも言うのか。
――否、断じて否である。
きっと自分は、こうして有栖と話し合う機会が欲しかったのだ。悲しい戦いになるのは目に見えていた。ならば、少しでも語り合って、話し合って、縋り合って、それでその上で、殺すか殺さないかを決めたかった。
これは自分が篠崎有栖の親友である高峰幸子だから出来る決断である。こうして戦いを続けて、憎しみあって、他に何も知らなくとも、それでも願いのためならすべてを犠牲するとでも。
「……でも、分かんなくなった……のか」
ぼやき、我ながら女々しいと自嘲する。ストリンダーで殺すつもりで攻撃したのに、兎真は自分を殺し返さなかった。有栖はそんな兎真を許した。無論、こうしてチームロワイヤルをしているのだから、下手な感傷は逆効果であろう。その点で言えば、有栖は合理的な判断を下したと言える。
アリスの寝顔を眺める。顔にかかった絹のような麗しい金髪を撫でてから、幸子はその幼い姿にはまるで似つかわしくない決断をさせてしまったのだと悔恨する。有栖が居なければ、自分は復活してもただの駒であった。兎真が居なければ、有栖と仲違いをしたまま、一生であっただろう。
だが、どちらに感謝すればいいのかはまるで分からない。兎真は自分を殺したのだ。有栖も兎真と綺咲の味方、どう足掻いても有栖の味方には成れない。だからこそ、ここで胸が引き裂かれかねないほど苦しい。
有栖の傍に居られれば、いや、もっと。もっと強く、そして逞しくなれれば、こんな害悪のみしかない戦いを覆せるのに、自分には力がまるでない。
「……有栖。あんたの意見には負けたよ。だからこそ……置いとくね。有栖がきっと……本当の最適解を選べる時が来ると思うから、その時に……」
紙ナプキンにペンで文字を綴る。それは有栖に宛てた手紙であった。これまでの事、これからの事――そして、己の決意に関して。
「……さよなら、有栖。私は……自分の歩みを疑いたくはないの。だから……」
だから、さよならを目の前でするのはまだ憚られる。きっとまだ、こうして互いの鬱憤を晴らせる機会くらいは巡ってくるはずだ。その時にまた、せいぜい罵倒や暴言を受けるとしよう。いや、あるいはその時こそ本当の意味で気を許す事が出来るのかもしれない。まだ、有栖の事を自分は何一つ分かっていないのだ。
ポケモンを使い、自分を救ってくれた。
あるいは兎真に殺された自分の怒りを肩代わりして、彼女と真正面から向かい合った。
「……本当、有栖には参っちゃう。あんたがこんなにまで……強かったなんてね」
文字は綴り終わった。
幸子はカラオケボックスを出る。
もう――この決断に、後悔なんてないはずなのだから。