理解するよりも早く、脈動が急いて質問が霧散する。爆発寸前の鼓動の主を、有栖は口走っていた。
「……分かっている。分かっているから。――セビエ。あなたの鼓動を」
「どうぞ、お楽しみください」
チェシャーが掻き消える。それと同時に有栖は手を差し伸べていた。砕けたタマゴより、灰色の腕が繋がれる。
途端、時間は元の速度を取り戻す。
全てが決しようとしていた。
人体を溶かし、その証左を奪おうとしていた毒の水が今に降り注ぐ。
「……ダメ……っ!」
綺咲の声が響き渡る瞬間に、有栖は小さく声にする。
「セビエ、凍える風」
直後、「しおみず」が空中で凍て付いていた。草木を枯れさせ、岩をも貫く殺傷の水が凝固し有栖の眼前で佇む一体の獣が鋭く中空を睨む。
否、その名は「ポケモン」――。
「ドラゴンテールで打ち砕いて」
短く、それでいて力強さを感じさせる高い鳴き声を発し、セビエは両腕の肘から生えている黄色い器官を振るう。
蒼の色調を得た力場で殴りつけ、カブトプスの放った「しおみず」を叩き砕く。
「……まさか……! また転生者が生まれたと言うのか……!」
トランプ兵団の下っ端がうろたえる。
「……あなた……」
茫然自失の綺咲へと、立ち上がった有栖は双眸を投げていた。アルセウスフォンを握り締めると、セビエの能力が脳内に直接叩き込まれる。
軽い眩暈を覚えつつ、有栖は奥歯を噛み締める。
「そのまま攻め立てて!」
セビエが短い脚部に氷結の息吹を灯し、両腕を広げてカブトプスへと進撃する。
「……未進化ポケモンで何を! カブトプス! 纏った水でアクアジェット!」
カブトプスの躯体が水を纏い、加速度を得て推進する。その速力は通常ならば追い縋れないであろう。だが、技を既に布石として打っておいたのはこちらが先だ。
「塩水を触媒にして、凍える風!」
先ほど霧散したはずの「しおみず」をある程度空気中に留めておいた――それを繋げれば放出した主のカブトプスの口腔部に届く。
カブトプスはその堅牢な表皮に守られていない、粘膜部分からの凍結に「アクアジェット」を中断していた。
「な……っ! カブトプス! 何をやっている!」
カブトプスの頭蓋に凍結の傷が入っている。奇しくも綺咲のジャラコが攻撃を加えた箇所にひびが入っていたのだろう。氷の茨がカブトプスの頭部を侵食する。
「……チャンス! ジャラコ!」
ジャラコが尻尾に青い力場を帯びて今一度跳躍する。今度は薙ぎ払うようにして「ドラゴンテール」がカブトプスの頭蓋を叩いていた。
その一撃でカブトプスの表皮が真っ二つに割れる。
セビエが至近距離へと潜り込み、大地を蹴っていた。カブトプスがそれに反応して水流を放つ前に、セビエの山脈のような凍て付いた背びれから氷のエネルギーが放出される。
「その勢いを殺さずに、ドラゴンテール!」
くるりと丸まり、一回転してセビエが全身に帯びた蒼い色相の一撃を見舞う。カブトプスの重戦車のような装甲に亀裂が走っていた。
「く……っ! カブトプス、戻れ! おのれ、転生者……! 覚えていろ!」
トランプ兵団の下っ端が球体の中にカブトプスを戻し、自身の纏っている鎧から鎖を飛ばして岩場に巻き付ける。
そのまま、まるで野山を味方につけて滑るかのように撤退する。
取り残された有栖はその段になってようやく現実感が追いついてきたのか、その場にへたり込んでいた。
「……勝った……? あたしと、セビエ、が……」
「どうやらそのようね」
こちらを見下ろす綺咲の眼差しは自分の握っているアルセウスフォンに注がれている。まるで忌々しいものを見るかのように。
「……綺咲……ちゃん? あなたは一体……」
「同じ転生者ならば、仲良しこよしをやる道理もないわ。ただ、知っておく必要はありそうだけれど……」
その時、空間がぐにゃりと歪む。
広大な裾野を感じさせる高原は消え去り、あとに残ったのは元の世界の切り裂かれた鉄骨の廃棄区画であった。
「有栖! 大丈夫……?」
「幸子……。あたしは何とも……」
「こら! 転校生! あんた、何やってくれたのよ!」
「……待って。あれは何……?」
追いついてきた幸子が指差して文句を漏らすのと、眼鏡をかけ直したツバサが綺咲のジャラコに気づくのは同時であった。
「……まずいわね。戻りなさい」
綺咲がジャラコを球体型の端末に戻す。それは先ほどトランプ兵団の下っ端がカブトプスを戻してみせた玉によく酷似していた。
「何なの、あれ……。危ない武器とかを使ったとかじゃ……って、有栖! あんたのほうにも居るじゃない! 何なのよ、これ……!」
幸子が有栖の足元にすり寄るセビエに気づいて悲鳴を上げる。有栖は何とか取り成そうとしたが、それを阻むようにして綺咲が鉄骨へと舞い上がっていた。
何をしたのかはほんの一瞬のせいで判別出来なかったが、同じくボール状の道具から生じた糸を鉄骨に巻き付けてその上に着地する。
「篠崎さん、だったかしら。篠崎有栖、さん」
「あ……あなたはその……姫宮綺咲……ちゃん……」
「アルセウスフォンを通せば“ゲーム”に関してはチェシャーがサポートする。その二人の目撃者に関しても、ね。恐らくはどうにかするのでしょう。……私は、急いでいるから」
鉄骨の上を渡っていく綺咲に有栖は思わず駆け出す。
「待って……! 待って、綺咲ちゃん……。あたしは、何なの? これって一体……何が起こっているの?」
そのまばゆい緋色の瞳は何かを訴えかけているかのようであったが、それを口に出す前に噤んだ様子であった。
「……一つ。あなたは転生者として、これからさっきの場所に何度も赴く事になるでしょう。チェシャーの言っていた通り。トランプ兵団の野望を打ち砕き、“ゲーム”を遂行するために。あの場所……ヒスイ地方へと」
「ヒスイ地方……」
「こぉら! 待てーっ! どこへ行くのよ!」
幸子の声がかかった事で長居は無用だと判じたのか、綺咲は鉄骨を蹴ってビルの中へと埋没していく。
その姿が遠ざかってから、ツバサが羽織っていたコートでセビエを隠していた。
「ひとまず……この子は危ないわ。有栖ちゃん、一体、あの子は何なの? この……モンスターは何?」
モンスターと評されて、有栖はようやく脳内で記憶が結びつく。
「……確か“ポケットモンスター”だって……。でも、ポケモンって……」
「ポケモンって……これの事?」
幸子が姫宮財閥の製造しているゲーム機を取り出す。ポシェットには無数のキャラクターが図柄として映し込まれていた。
「……その、ポケモン……? だってこれは、作り物なんじゃ……」
「……廃棄区画に長居すると、姫宮財閥のセーフガードに見つかっちゃう。幸子ちゃんに有栖ちゃんも。とりあえず、逃げましょう」
ツバサに促されなければ自分達はいつまでもここに居座っていただろう。綺咲の考えは謎に包まれているが、それでも今だけは、この場から離れなければいけなかった。
「……けれど、一体どうして……。何で……あたしなの……?」