ALICE   作:オンドゥル大使

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第57話 嗤う『子猫』

 

 まさかここでその名前が出てくるのは想定外で、綺咲は息を詰まらせる。

 

「……片翼の蝶が……復活しているとでも?」

 

「何を隠そう、私達が最初に接触したのは彼女なんだもの。片翼の蝶はかつて……六年前と同じか、それ以上の使い手となって舞い戻ってきたわ。後は……あなた達を順繰りに殺していくだけなんだけれど……思ったよりも時間がかかっている様子。早谷兎真は強敵のようね」

 

 どうやらここで自分達を分散させたのは片翼の蝶によって一人ずつ抹殺する意図もあったらしい。となれば、マズいのは有栖とカイの二人か。

 

「……答えなさい。篠崎さんとカイはどこにやったの」

 

「その状態でよく強気で言えるわねぇ……? ドラパルトの牙は鋭いのよ?」

 

 いつどのような時であったとしても、綺咲はしかし眉一つ動かさない。今に食い千切られるとしても、それでも己の信じる道を進みたいのだ。

 

「……構わないわ。やるのならやりなさい」

 

 噛み千切れば、ジャランゴの拳がマオフェンを貫くであろう。どちらかが恐れれば、どちらの攻撃も意味を持たない。ここで必要なのはハッタリと胆力だ。相手の攻撃が届くのは火を見るよりも明らか。だからこそ、決して衰えずそして瞳に灯った決意の眼差しを消さない。

 

「……騙し合いは、通用しそうになさそうねぇ」

 

 ドラパルトが大口を開ける。それと同時にジャランゴの鉄拳がマオフェンを貫く前に、ふと吹き荒んだのは首裏を粟立たせる冷気であった。

 

 ドラパルトが凍結する。その主の姿を認めずに、綺咲はジャランゴへと攻撃を命じていた。

 

 凍て付いたドラパルトの動きが鈍った、ほんのレイコンマの世界。その瞬間に、勝負は決していたのだ。

 

 マオフェンの腹腔をジャランゴの拳が貫く。激しくかっ血し、マオフェンは血濡れの中でよろめく。

 

「……最後まで、ポケモンを信じられたほうの勝利というわけ……」

 

「死ぬ前に聞かせなさい。あなた達は何故、私達にチームロワイヤルを持ちかけたの。その黒幕は誰? 転生者同士のチームロワイヤルなんて、すぐに旨味がない事に気づくはず。それに、今回の“シーズン”はこれまでのように多くの転生者を擁しなかった。そこから導かれるのは……」

 

 マオフェンは咳き込み、唇の端から血を滴らせる。

 

「あー……そんな事もあったわねぇ……。姫宮綺咲、私が教えるのは一個だけ。……この転生者同士の願いをかけての殺し合いは、ただの儀式じゃない。呼び水にしようとしているのは、もっと恐ろしい……おぞましいものよ。それを理解しない限り……この現実世界に、未来は、ないわ……」

 

 それ以上を問い質そうとしたが、マオフェンは項垂れる。事切れたマオフェンを見下ろし、綺咲は背後のカイへと声を振る。

 

「……分断されたんだと思っていたんだけれど」

 

「最初はそうだったけれど、わたしの相手の転生者が居なかったから、異空間を解析して出て来ちゃった。……面倒だったかな?」

 

「いいえ。危ないところだったわ」

 

 素直に謝辞を送ると、カイはマオフェンの遺骸を一瞥してから、何でもないように後方の人物へと視線を振る。

 

「確か……幸子さんだっけ? 何でわたしと戦わなかったの?」

 

 佇んでいるのは幸子で、恐らくはカイを封殺するために遣わされたのであろうが、実際には勝負にならなかったという意味だろうか。

 

「……勘違いをしないで、転校生。私はただ……正しい事を知りたいだけ。有栖の事も、この“ゲーム”の事も……。このまま騙されたままで……終わっていいわけがない」

 

 幸子の心象が変化したのはどのような理由があったのだろうか。自分や兎真を心底から憎んでいるはずなのに、ここで味方に転んだのは想定外である。

 

「……このままじゃ、篠崎さんだけじゃない。私達が負ければ、何が待っているのか分からない。リー・マオフェンは倒せたけれど……今回は5対5、まだ残っている勢力がある」

 

「それに関してだけれど……! 言わないといけない事がある」

 

 幸子の言葉振りは切迫していて、今すぐに開示しなければ手遅れになるとでも言うようであった。

 

「……それは最後の転生者の正体? けれど……切り札にしていたにしては、リー・マオフェンはそれを明かさなかった。理由があると、思っていいのかしら?」

 

 幸子は唾を飲み下し、それから慎重に頷く。まるでその行為そのものが、どこか罪悪感を伴わせているかのように。

 

「……私達の側に居た転生者は、有栖のお姉ちゃんと、リー・マオフェン、綾坂美月。それに私と……もう一人。その最後の一人が、私達にとっては最も……」

 

「不躾ですまないけれど、私達が知っている人間よね?」

 

 綺咲には予感があった。マオフェンらがあれほどまでに勝ちを確信していたのならば、そこにあったのは有栖や自分を欺いてみせる自信だ。しかし、考えてみれば考えて見るほどに、該当する人物が思い至らない。

 

「……私達は知っている。けれど本当のところでは、一個も知っていなかったのかもしれない。だから、私達も転校生も……この迷宮に囚われる。今の情勢は分からないけれど、私は有栖に合流すべきなのだと思っている」

 

「それは同感だね。多分だけれど、アリスさんは今、追い込まれているんじゃないかな? 肉親と殺し合うってなれば、冷静じゃいられないだろうし」

 

 カイの評価もさもありなん。このままでは有栖は抵抗も出来ないまま殺されていても不思議ではない。

 

「……異空間を行き来する術は……?」

 

『それに関してはご心配なく』

 

 不意にアルセウスフォンから浮かび上がったチェシャーに幸子が瞠目する中で、綺咲は確証めいたものを感じていた。

 

「……篠崎さんに何かあるのね? このチームロワイヤルを覆すほどの、何かが……」

 

『転生者同士の情報交換は原則禁止……とは、言っていられなくなりましたね。相手はわたくしと同レベルの権限を持つ存在。そして――わたくしの見立てでは、残っているのは恐らく、誰一人として勝てない、最強の転生者でしょう』

 

「その言葉には疑問が残るな……。わたし達総出でも? それって相当に……強いとかのレベルじゃないよ」

 

 カイの疑念ももっともだが、事ここに至るまで転生者同士の情報の開示を禁じてきたチェシャーがそう言うのだから信に足るものであろう。そもそもこの“ゲーム”自体、最終目的が未だに周知されていないのだ。

 

「……答えて、チェシャー。最強の転生者に、あなたと同じような権限持ちの受付嬢……。何か起ころうとしているのは明白よね?」

 

 チェシャーはアルセウスフォンの上でゆっくりと頭を振り、それから声を震えさせる。

 

『……元々は、わたくし達とてこの“ゲーム”を円滑に回すため。そのためならばどのような汚名を被る覚悟がありましたが、そうも言っていられません。カイ様をこちら側の転生者に設定したのは、裏で何かが蠢いている予感がしたからです。本来、カイ様は正規の転生者ではありませんでしたから』

 

 それは、カイが記憶喪失である事からも明らかだ。恐らくチェシャーはギリギリのところでカイをねじ込んだ事で、この戦いの行方を分岐させたのだろう。

 

「……リー・マオフェンや綾坂美月は何のために、私達にチームロワイヤルを? 何か……“ゲーム”の勝利条件に異常があったようにしか、そうでなければ私達が共闘する事もなかった」

 

『左様にございます。リー・マオフェン様達が目的としていたのは、“ゲーム”の先――“カタストロフィ”が何をもたらすのかを。そして……この“ゲーム”を管轄する存在への接触』

 

「それは……私達が願いを叶えてもらえる……そういった存在だと思っていいの?」

 

 幸子の問いかけにチェシャーは首肯する。

 

『如何なる願いでも叶える万能性。そして、どうして転生者として選ばれる素質が皆様にあったのか……それを紐解かなければなりませんが、時間はあまりにも少ない。……今現在、有栖と篠崎妙子様が戦っております。恐らくは……有栖の精神状態を追い込むための采配でしょう』

 

 マオフェンの目論見は元々、自分達との一対一ではなく、有栖を追い込みそして敗北させる事――少し突飛にも思えるが、そうとしか考えられない状況証拠が集まっている。

 

「……けれど、有栖がお姉さんと戦ったって……勝てる勝てないはともかく、それが情勢にどういう影響を及ぼすの? だって、黒幕だったマオフェンはこれ……」

 

 幸子が視線を振る。絶命したマオフェンの姿を見れば、その策は失敗したとみるべきだろう。だが、綺咲はそのような簡単な帰結を想定していなかった。それどころか、自らの命でさえもチップにして、マオフェンがこの状況を作り出したのだとすれば、今、自分達が寄り集まって喋っている時間も惜しい。

 

「……チェシャー。篠崎さんが戦っている異空間までの最短移動時間は?」

 

『最短でも30分以上……。わたくしの権能を使ってでも、急行したいところなのですが……』

 

「――邪魔が入っている、と言うわけよ。残念だったわね、チェシャー」

 

 異空間に降り立ったその姿に誰もが絶句する。まさか、自分達の前に現れるとは想定外であった。

 

「……確か、シュレディンガー……とか言う」

 

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