ALICE   作:オンドゥル大使

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第59話 信ずるものと『決着』

 

 世界に嫌われているのだと思った――と言うのは何も誇大妄想でも何でもなく、有栖にしてみれば、妙子との毎日は自分の未熟さを呪うばかりであった。

 

 しかし、今だけは。今ばっかりは――負けるわけにはいかない。

 

「セゴール! 氷のキバ!」

 

「甘い! アイアンテール!」

 

 凍結の牙がかかりかけたところで、妙子のヌメルゴンがその特徴的な尻尾を振り払い、セゴールを後退させる。

 

「くっ……!」

 

「そんなんじゃ私には敵わない! 濁流で追撃!」

 

 ヌメルゴンの表皮から粘液が放出され、それらが水属性と混ざり合い、一直線に有栖とセゴールを襲う。土くれだけではない、接触だけでもまずそうな瓦礫が混ざっており、有栖は即座に命令を下す。

 

「雪景色!」

 

 雪の屈折フィールドが功を奏したか、「だくりゅう」の大部分が逸れたが、それでもセゴールに突き刺さった木片は痛々しい。有栖自身、幾度となく追撃と迎撃を試みたが、妙子は間違いなく強者だ。それも、自分を憎み呪詛を吐く存在。

 

「……お姉ちゃん。あたしの事がそんなに憎い……?」

 

「ええ、憎いわ」

 

 一拍の逡巡の余地もない返答に、有栖は戸惑う。

 

「……何でそんなに……」

 

「何でそんなに? 本気で言っているの? 有栖、あんたどこまでも生意気なのよ。子供のくせに知った風な口を利いて……それで願いをかけた“ゲーム”? ……正直、どうかしているとしか思えないわ。あんたなんかに叶えたい願いなんてないでしょう?」

 

「あ、ある……! それは、だって、あたしは……!」

 

 赤沢霧子に背中を押された、綺咲達に戦う事の尊さを教わった。ならば、今度は自分が誰かの間違いを認め、その上で導くのだと。しかし、妙子は自分の驕りを許さないとでも言うようにヌメルゴンに前進させる。

 

「だって? どうと言ったって、あんたは邪魔者なのよ。何一つ理解していないクセに、一番深いところに居る……! それが、私にとっては一番鬱陶しい!」

 

 ヌメルゴンの体表から無数の粘液に包まれた触手が四方八方に弾き出される。

 

「あたしはぁ……ッ! セゴール!」

 

 瞬間凍結でいくつかを封じたが、それでもヌメルゴンと妙子の執念とも言える攻撃網は緩まない。セゴールの首筋を絞め上げ、ヌメルゴンがその額をセゴールにぶつける。

 

 それ自体が怨嗟。それ自体が妙子の恩讐そのものであるかのように。

 

 しかし、セゴールも退かない。有栖の信念を宿した瞳と同期したその瞳孔が細められ、至近距離で「ゆきげしき」を放つ。

 

「セゴール! 雪景色!」

 

「それはもう見た!」

 

 ヌメルゴンが鋼の殻を横合いからぶつけてセゴールの躯体に響かせる。氷タイプを持つセゴールにとって、それは致命的。有栖は脳髄を揺さぶられたような感覚に陥りながらも、必死に意識の手綱を握り締める。

 

 ――ポケモンと繋がる鼓動を止めるな、とカイから教わった。

 

 脈動が高鳴っている時には、よりポケモンの側に自らを浸すように。そしてその思惟に任せ、衝動と本能の境目で踊れ、と。

 

「瞬間凍結……ッ!」

 

「それも効かない!」

 

 妙子のヌメルゴンが鋼の殻を盾代わりにして向かい来る氷結範囲を突き破る。有栖はぜいぜいと息を切らしながら、それでもセゴールと同一化する意識を止めずに構えを取らせる。

 

「……いけるよね……? セゴール……!」

 

 セゴールが力強く吼えて頷く。氷の背びれから凍結領域が棚引き、セゴールが攻撃しようと口を開いたところで、ぴしりと亀裂が走っていた。

 

 まさか、と有栖が感覚したその時にはセゴールの左口腔部が裂け、血潮が撒き散らされていた。

 

「ダメージを分かっていないようね。鋼の殻の硬度はあんたのセゴールが構築する氷の強度を超えている。それを真横から、ほとんどゼロ距離で受けたのよ? 当然、内部に響いている衝撃はその程度じゃない」

 

 有栖は左頬をさする。熱い感覚と共に掌を真っ赤に血が染める。さあと血の気が引いていく。まさか、これほどまでの痛手を負っていながら、まだ戦うと言うのか。まだ、妙子に楯突いて、そして自分の意地を曲げないと言うのか。

 

 心根が芯から折れてしまいそうになる。固めたはずの決意も、燃え上がらせていたはずの戦意も、全てが削がれていく。

 

「……終わりね、有栖。あんた、結局のところ、私にとっては一生の足手纏いだったわ」

 

 ヌメルゴンが跳躍する。

 

 鋼の殻を腕に纏わせての一撃。それは恐らく、これまでのような表層だけに留まらない。喰らうだけで、容易く死に至る――それを想起した瞬間、怖くなる。

 

 ここで妙子相手に、負けたのだと。もう終わらせて欲しいと懇願すれば、それで済む話だ。

 

 綺咲達の勝ち負けは関係ない。

 

 自分は転生者として、姉に負けるだけの話。

 

 こんな簡単な帰結に気づけない。こんな簡単な終焉を辿れない。こんなにも――そうだ、こんなにも。

 

「……分かんない」

 

「何を? 今に分かるわ。その憎々しい、おめでたいだけの頭蓋を割ってね……! ヘビー――ボンバー!」

 

 ああ、妙子の言う通りに。自分はきっと、おめでたい考え方なのだろう。この世界で、甘美な夢だけを見ている、現実を知らない、半端者。

 

 だが、それでいけないのか。

 

 そんな風なだけでは、生きていては駄目なのか。

 

 ヌメルゴンの一撃が迫る。鋼の殻を纏い、打ち下ろされる必殺の鉄槌。それはセゴールの絶命と共に、有栖を殺し切る。

 

 けれど――けれど、それでも。

 

「……あたしは、あたしはお姉ちゃんにぃ……っ! 負けたくないもん!」

 

「だから何! あんたは負けるの! 何で……何で最後くらい、言う事を聞いてくれないのよぉ……ッ!」

 

「セゴール!」

 

 瞬間、意識を重ね合わせる。

 

 セゴールと同調した己の内奥が吼え立てていた。

 

 まだ戦える。まだ――負けていないのだと。

 

「墜ちなさい……ッ!」

 

「瞬間凍結……!」

 

 凍結範囲を押し広げ、ヌメルゴンの表皮を一瞬にして凍り付かせる。しかし、それほどまでの微細な凍結調整であったとしても、ヌメルゴンを止められない。その半身が凍て付き、ヌメルゴンの躯体が傾いだが、一撃を打ち下ろすだけだ。

 

 何も難しい事ではない。

 

 妙子は奥歯を噛み締め、そして叩きつける。最後の一撃、そしてこの戦いの終幕を。

 

「……さよなら、有栖……。あんたは私の……唯一の汚点だったわ」

 

 セゴールの頭蓋を打ち割ったはずの一撃であった。それはしかし、血と脳しょうを伴わせていない。炸裂したはずの「ヘビーボンバー」の鉄槌はセゴールの躯体を引き裂いたが、その直後に霧散している。

 

「……手応えがない……? ……まさか、ヌメルゴン!」

 

 ヌメルゴンが鋼の殻を引き戻そうとして、眼前の鏡像にその腕を押さえ込まれていた。割ったのはセゴールの本体ではない。セゴールを精巧に組み上げた氷の彫像だ。

 

 氷の像を割った瞬間に、ヌメルゴンの肉体の半身が凍り付いている。

 

 有栖の姿が像を結ばずに掻き消え、妙子はその段になってからセゴールが構築してみせた絶対凍結の世界に誘われたのが自分のほうであった事に気づく。

 

「……セゴール……雪景色で既に布石は打ってあった。屈折フィールドの中なら、あたしとセゴールは光でさえも操れる」

 

「どこ……! どこに居るって言うの、有栖!」

 

 全方向から反響する有栖の声に妙子は首を巡らせる。ヌメルゴンがそれと同期して四方八方に意識を飛ばそうとしたようであったが――既に手遅れだ。

 

「セゴールは素早いわけじゃない。もちろん、あたしだって転生者としてはまだまだ未熟。だからこそ、お姉ちゃんの一撃が来るのは分かっていた。どれくらいの精度で食い込むのか、どれほどの威力が打ち下ろされるのか。セゴールの頭部を割るのなら……どれくらいの速度が適切なのかを」

 

「どこ……! 逃げ回ってないで――!」

 

「あたしは一度だって逃げてないよ。お姉ちゃんとヌメルゴンの眼に映っていないだけ」

 

 氷の彫像が不意に融解する。氷の像は、逃げるためにあるのではない。ただ、僅かにヌメルゴンと妙子の狙いを逸らしただけだ。

 

 ヌメルゴンの視野を借りて、妙子はその現実を前に後ずさる。

 

「……まさか。氷の彫像を囮にしたんじゃない……。その中に潜んで……私のヌメルゴンが、少しでも一撃の精度を変えていれば、届いていた……?」

 

「お姉ちゃんなら……無駄な事はしないって、確信してたから、出来た策だよ」

 

 氷の像が内側から割れる。セゴールも有栖も一歩も逃げていない。後退もせず、そこから退かず、進まず。ただ信じ続けていた。

 

 妙子ならば、ここで踏み込んで来ない事を。そして、ヌメルゴンの射程と威力ならば、ほんの一インチ違うだけでも逃げたのだと感じて集中を切らす事までも。

 

 溶解した氷の彫像を裂いて、今、セゴールが吼え立てて出現する。

 

 有栖自身も、凍て付いた衝動のままにその場から動いていなかった。セゴールの凍結領域とその効果範囲を知っていれば、逃げる必要はない。

 

「ゆきげしき」によって光を屈折させ、瞬間凍結で声を反響させる――たったそれだけでいい。

 

 目の前の事象を信じられないのならば、この勝負の行方は。

 

「……あたしの――勝ちだよ」

 

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