ALICE   作:オンドゥル大使

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第61話 現れし『片翼』

 

 不意に妙子の首筋を巻いたのは、水流であった。

 

 妙子を引き寄せ、水の縄は自在に彼女を引き剥がす。有栖は目を見開き、それを手繰り寄せるように手を伸ばすが、その指先は途絶えていた。

 

 何故ならば、その水を操っていたのは――。

 

「……なにを、やっているの……。ツバサ姉」

 

「転生者としての素質も、資格も一級品だと思ったんだけれどねぇ。だって、有栖ちゃんを一番鬱陶しがっているのは、妙子さんだっただろうから」

 

 ツバサは超然として指揮棒のように手を振るう。すると、傍に佇んでいた四足のポケモンが水流の糸を用いて妙子の全身を縛る。自由自在な水の縄に拘束され、妙子は喉の奥から呼吸を阻害されていた。

 

「あ……有栖……」

 

「……あんなに憎かったんでしょう? ほだされてるんじゃないわよ。それでも転生者の端くれ? まったく、これだから使えないのは困るのよねー。転生者なら“攻撃を緩めるな”、“相手の完全な死亡を確認するまで、何度も殺し続けろ”……って、書いたんだけれどなぁ」

 

 ぽりぽりと長髪を掻くのは間違いなくツバサであった。

 

 その所作の野暮ったさも、眼鏡越しの視線も変わる事はない。

 

 ただ一つ――その瞳の奥に潜めたような殺意だけはまるで別人。

 

「……マオフェン達が用意した……転生者……!」

 

 有栖は即座に自身を戦闘用に切り替える。これまで動いていなかったセゴールが戦闘本能に瞳を染めた瞬間、ツバサはぱんぱんと手を叩く。

 

「おーっ、よく出来るように成ったじゃないの。この短時間でよく仕上げたわねぇ、有栖ちゃん。私がこれまで見てきたたくさんの転生者の中でも、君はやっぱり別格だわ。うん、お姉さん嬉しいなぁ……!」

 

 満足げに微笑むツバサは、恐らくマオフェンらによって擁立された、幻なのだろう。まだマオフェンの勢力が生きているのならば、幻を仕込むくらいは訳ないはず。

 

「……その程度で、あたしがうろたえると思ったの……。偽物なんか用意して……許さない……!」

 

 全身の毛穴が逆立ったような感覚をセゴールに纏わせ、即座に「ゆきげしき」で屈折フィールドを構築する。生み出した豪雪そのものを神経としてツバサを走査する。どこかで操っているポケモンが居るはずだと。

 

 マオフェンか、それとも美月か、あるいはまだ見ぬ相手チームの転生者か。何よりも、自分達を見守ってくれたツバサに擬態するなど、許すわけにはいかない。有栖はその全霊でツバサを操っているであろう、そう言った「線」を探した。

 

 どのように巧妙に取り繕おうと、ポケモンの力ならば分かるようになってきた。それがエスパータイプであれ、ゴーストタイプであれ。フェアリータイプの幻術かもしれない。全てのラインを取りこぼさないように意識を張り詰めさせ、有栖はツバサを全方位から見定めた結果――脳髄に叩き込まれた事実に愕然とする。

 

「……うそ……。なにも、ない……?」

 

 マオフェンの痕跡も、ましてや他の何者かの作為も。何もない。ツバサとその傍らで今も妙子を縛り上げる四つ足のポケモン以外は、何も。

 

「あれ? ああ、何もして来ないんだ? もしかして、私がエスパータイプだとかゴーストタイプだとか……それともフェアリータイプもかな? 色んな可能性を探してくれたんだ? 操られているんじゃないかとか、無理やり戦わせられているんじゃないか、とか? 優しいんだねぇ、有栖ちゃん♪」

 

 声を弾ませるツバサは、他の何者でもない。

 

 嘘も偽りもなく――間違いなく翡翠ツバサ本人であった。

 

「……何で……。何でこんな事を……」

 

「うぅーん……その質問に答える前に、お仲間をどうにかしないとなぁ。早谷兎真だっけ? あの子、私の思惑に気づいているっぽいから、とっとと始末したいんだけれど。ああ、でもいっかぁ。だって有栖ちゃん、ここでお姉さんと二人っきりだと思っていたんだもんねぇ。ここならそう簡単に捕捉出来ないだろうし」

 

 うんうん、と上機嫌に振る舞う目の前のツバサは明らかに自分のよく知っている姉御肌の女性ではない。有栖はポシェットから白いアルセウスフォンを取り出していた。

 

 もし――目の前の相手が本物のツバサであろうとも、偽物だろうともこれでハッキリするはずだと。コールしようとして、ツバサが軽くジャケットから取り出したのは――。

 

「……もしもしー? あっれー? 有栖ちゃん、いっけないんだー♪ 私がもしかして、まだ誰かに操られているのかも? って思ったのー?」

 

「……なんで……」

 

 コール先は間違いなくツバサであったが、目の前のツバサは黒いアルセウスフォンを握っている。

 

 ふふん、と鼻歌交じりにツバサはコールを切る。

 

「……なんかさー、誤解があるようだから色々と言っておこっか。私、誰かに強制されたり、ましてや操られているなんて事は一切ないんだ。むしろ、これが本当の私。翡翠ツバサ、ご本人登場ぉーってね♪」

 

 分からない。

 

 おどけるように微笑んで見せるツバサの顔には翳りなんて一ミリもない。これまで自分達と遊んでくれていたように。あるいは、これまでのように年長者として見守ってくれたのと同じ眼差しで、同じ唇で、同じ論調で、彼女はまるで正反対の言葉を吐く。

 

「……ずっと……裏切っていたの……?」

 

「うぅーん、それは語弊があるなぁ。じゃあ、分かりやすく行こっか。――オニシズクモ」

 

 オニシズクモと呼ばれたポケモンの口腔部から噴出された水流が有栖の手にあった白いアルセウスフォンを射抜く。

 

「あ……ああ……っ!」

 

 アルセウスフォンは完全に撃ち抜かれ、やがて塵になって消失するが、ツバサは何ともない。それどころか、どこかふざけるように息を止めてからぷっ、と噴き出す。

 

「有栖ちゃんさぁ~……騙されやすすぎ! あっ、今のは違って! 騙していたつもりはないのは本当。けれど、なんて言うのかなぁ。こんな簡単なトリックも見抜けない? 私、重複契約していたってわけ」

 

「……重複契約……?」

 

「チェシャーと契約したのが白いアルセウスフォン。私が本命として契約したのはそっちじゃなくって、こっち。黒いアルセウスフォン。そうだよね? ――シュレディンガー」

 

 呼びかけた瞬間、空間がねじれて飛び出してきたのはシュレディンガーのほうであった。

 

「……まったく。貴女には相変わらず振り回されっ放しだわ。六年前と何も変わらないのね」

 

「……六年前……?」

 

 有栖の脳内で符合したいくつかの情報。

 

 六年前にネットに書き付けてあった、とある転生者の記憶。小説形式で綴られた、血塗られた転生者の殺戮日誌。

 

「私がそっちの都合に巻き込まれたんだから、サポートくらいはしてよねー。ま、いいけれどさ。問題なく再契約出来たわけなんだから」

 

「……六年前の、転生者……。ツバサ姉……が?」

 

 絶望的に揺れる視界の中で、ツバサは満面の笑みを浮かべて眼鏡のブリッジを上げる。

 

 ようやく辿り着いた答えに、出来の悪い生徒を諫めるような穏やかさを伴わせて。

 

「そう。私が――“片翼の蝶”の名を取った、トップランカーの転生者。翡翠ツバサ」

 

 

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