ALICE   作:オンドゥル大使

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第62話 醜悪な『運命』

 

「そんなはずが……! そんなはずがないでしょう……!」

 

 信じられない気持ちは誰しも同じであったのだろう。しかし、幸子は暗い面持ちで頭を振る。

 

「……信じられないかもしれないけれど、本当。ツバサ姉は私達に、けれど一個も嘘はついていなかった。チェシャーと契約していた時には記憶は戻っていなかったみたい。シュレディンガーと契約した瞬間、六年前の……最悪の転生者、“片翼の蝶”としての記憶が蘇った、……そう本人が言っていた」

 

 綺咲にしてみれば、ツバサは戦力の想定外にもほどがあった。そもそも、霧子との戦闘時に割って入ったシズクモではあまりにも弱小であった。それも偽っていたわけではなく、あの時の本人の実力であった、それがにわかには信じられない。

 

 まさかそこまで巧妙に身を隠し、そしてこのチームロワイヤルにおいて最も賢しく立ち回ったなど。

 

「……わたしはその……ツバサさんの事はよく知らないけれど、契約のシステムを逆利用していたって事なのかな? シュレディンガーと契約した時のみ、記憶が戻るように細工していた……って言うよりも、これは別の方法論なんだと思う」

 

 口火を切ったカイに、綺咲は異空間の通路の中で振り返る。

 

「……別の……?」

 

「うん。……思うに、他の転生者とは違うシステムだったんじゃないかな。わたし達は基本的に、一人の受付嬢と契約を交わし、転生者となる……これが基本システムのようなんだけれど、ツバサさんだけは二人の受付嬢と契約を交わす事が可能だった。これだけのイレギュラーを解消するのには、ツバサさんだけじゃ成り立たない。前回の“シーズン”時の立ち回りを聞くに……本当に記憶が戻るはずじゃなかった、とすれば?」

 

「それってどういう……ツバサ姉本人がチェシャーに頼んだんだよ? それを……」

 

 そこまで口にして幸子も勘付いたらしい。だが、その可能性が浮上してくるとなれば、チェシャーが接触した事、そのものが――。

 

「……チェシャーは翡翠ツバサを知っていた。そうとしか思えないわね」

 

「で、でも……! こんな確率ってある? ツバサ姉は、最初は記憶なんて……!」

 

「転生者が最大得点を取った際、選べる三つの選択肢、高峰さん、あなたも知っているはずよね?」

 

 幸子はうろたえ気味にその問いに応じる。

 

「う、うん……。確か、全てのゲーム結果を巻き戻してなかった事にする、“コール”。それと、ゲーム結果を引き継いで時間を先に進める、“レイズ”……」

 

「それともう一つ。……これを選ぶ転生者が居るとは思えないけれど……。全ての記憶と資格を失い、“ゲームから半永久的に降りる”……この三つよ」

 

 まさか、と幸子は絶句する。

 

「ツバサ姉が過去にそれを選んだって言うの……?」

 

「そうじゃなければ説明がつかないわ。それに、だとすれば辻褄が合うのよ。翡翠ツバサが、“片翼の蝶”なのだとすれば、その記述に統一性が出てくる。姫宮財閥で解析した結果、読み取れた範囲があったわ。片翼の蝶が得意としていた戦い方は水ポケモンによる、転生者本体への溺死……。シズクモにはそれだけの出力はないけれど、進化先であるオニシズクモの使い手なのだとすれば……」

 

「……それを分かっていて、リー・マオフェン達はツバサさんに接触。シュレディンガーと再契約し、記憶を取り戻させてから……あなた達を欺いていた」

 

「赤沢霧子を真っ先に殺したのも、“ゲーム”の流れを理解していた人間を抹殺するため。そうなれば自分の独壇場となる……。諜報部からの情報でつい一時間前にもたらされた情報と符合するわね。赤沢霧子の直接の死因は、溺死であった、と。陸で溺死なんて、あり得ないと棄却するところだったけれど……翡翠ツバサが転生者なら、あり得る話よ」

 

 それでも綺咲には分からない事があった。もし、ツバサの立場ならばもっと手早く全員を抹殺するスマートな方法があったはずだ。だと言うのに、チームロワイヤルを受け入れてこのような迂遠な立ち回りを行った理由が分からない。

 

 ともすれば、それこそがツバサの目論見か、と感じたところで不意にアルセウスフォンが鳴り響く。

 

「……もしもし? ……早谷兎真……!」

 

『あー、ヒメ? ……よかったぁ……何とか生きてたね』

 

「あなたは大丈夫なの? 綾坂美月との戦闘があったはず……!」

 

『あっれー? ヒメ、心配してくれてんのー? ……ま、今はおちゃらけている場合でもないかぁ。綾坂美月は倒したけれど、その先がまずい。五人目の転生者は……』

 

「翡翠ツバサ……ね?」

 

 心得たこちらの言葉に通話先の兎真はあちゃー、と声を発する。

 

『さっすがヒメだわ。そこんところはもう調査済みってワケ。じゃあもう一個。あれだけの実力、それに自由自在にオニシズクモを操るだけの技量。……恐らくは六年前の片翼の蝶は……』

 

「十中八九、翡翠ツバサ本人でしょうね。その証言は高峰さんから貰ったわ」

 

『……うーん、一手遅れているなぁ、あーし。けれど嘆いている場合じゃないない! ……ヒメ達は、今は?』

 

「チェシャーの作ってくれたショートカットで篠崎さんの増援に向かうつもりだけれど……何かあったの?」

 

『あーしは一度後退して体勢を立て直したほうがいいのかもね……。ダメージを受け過ぎている。このままじゃ、ヒメ達のお荷物になっちゃう』

 

 兎真の戦闘も苛烈であったのだろう。実際、綺咲もマオフェン相手に苦戦したのだ。このままでは、全員の足並みが揃う前に全滅してしまいかねない。

 

「……分かったわ。早谷兎真。別口から篠崎さんの位置情報を送る。そこに時間をかけてもいいから、何とか合流してちょうだい。そうでなければ……」

 

『押し負ける、か。けれど、有栖が負ける……のかな。あーしにはそうじゃないと思うけれど』

 

「有栖にツバサ姉を殺せると思ってるの?」

 

 割り込んできた幸子に通話先の兎真はうぅん、と困惑する。

 

『違ってさ。……今の有栖なら、もしかして、って思うんだよね。そりゃー、転生者同士の戦いは殺し合いだけれどさ。それでも……有栖なら、何とか出来るんじゃないかって。ああ、これ、希望的観測って奴ね?』

 

「物珍しい事もあったものよね。早谷兎真。あなたが他の転生者を当てにするなんて」

 

『当てにするってほどじゃないかもだけれどねー。たださ、サッチーと戦って……カラオケで論破してみせた有栖は……ちょーっとカッコよかったかなぁ。それを信じたいってのはあるじゃん?』

 

 ある意味では気紛れか。いずれにせよ、ここで有栖一人に戦わせていいはずがない。綺咲は声を詰める。

 

「……何とかして追いついて。篠崎さんに死なれるのは……まずいわよ」

 

『分かってるって。位置情報の共有はヒメの会社の人達の十八番でしょ? 頼んだよ』

 

 通話を切ると幸子は懸念事項を述べていた。

 

「ねぇ、もし……。ツバサ姉と相対したその時には……私も迷いなく……殺せると思うべきなのかな。だって、だってさ! ……たとえ記憶を失っていた、本物のツバサ姉じゃなかったとしても……私達にとっては気楽に立ち寄る場所で……思い出で……。有栖も私も……ツバサ姉に憧れた事だってあったんだよ? それなのに……」

 

「高峰さん。迷えば死に直結するわ。……けれど、一つだけ言っておくとすれば、自分の心に正直でいなさい。ウソをついてまで……あなた達は手を汚す必要性はない」

 

 綺咲は拳を骨が浮くほどに握り締める。そうだ、手を汚すのは自分の役割。ここで有栖や幸子に任せる必要はないのだ。傷つくのは、自分一人でいい。

 

「……でも、そんな事、言っている場合でもないってのも分かるんだ。転校生、私、誤解していた部分もあれば、今もあんたを好きになれないところもある。だから……せめてこの“シーズン”を生きる、高峰幸子は……! あんたの事を信じさせてよね……!」

 

 幸子が自身の胸元を叩く。

 

 まさか、そのような言葉が飛んでくるとは想定外で、綺咲は少しだけ気圧された心地で返す。

 

「……分かっているの? あなた達の味方であった翡翠ツバサはもう居ない。さらに言えば……かなり情勢としてはまずいわ。片翼の蝶である相手は、恐らく相当な修羅場をくぐってきている。……私達だけでは付け焼刃。力を合わせたところで勝てないかもしれない」

 

「かもしれない、ってだけじゃん。転校生、そうも卑屈になる事はないよ」

 

 幸子の言葉振りに、多少なりとも救われている己が居ることに、綺咲は驚いていた。他の転生者の物言いなんて意に介するまでもない、自分以外の誰も信じないのだ――そう信じ込んでいた姫宮綺咲は、ここで揺らいでいた。

 

 ぐっ、と幸子が拳を差し出す。うろたえ気味に、しかし自らの矜持を曲げぬようにして綺咲はグータッチする。

 

「……一つだけ。私の名前は姫宮綺咲。転校生、じゃないわ」

 

「……分かった。それは訂正しておく。カイ、あんたはどうするの? この“ゲーム”が逸脱してきているのは分かっているよね? それでもこのチームロワイヤルの最後まで?」

 

 幸子の問いかけにカイは一拍だけ逡巡を挟んでから、面を上げて応じる。

 

「……気になった事がいくつか。チェシャーはわたし達を最初から、片翼の蝶復活のための生贄にしたのかな? だって、シュレディンガーと契約したって言うのは、チェシャーだって知っているはずだよね?」

 

「それも確かに……。何でチェシャーは前の“シーズン”時点でツバサ姉を止めなかったんだろう……」

 

「――それは……わたくしに権限がなかったからです」

 

 不意に異空間が引き裂かれ、そこから現れたのは満身創痍のチェシャーであった。よろめいたので思わず幸子がその肩を貸す。

 

「チェシャー! 大丈夫……? 服もボロボロだし……傷だらけだよ……」

 

「わたくしは……大丈夫……とは言い難いですね。まさかシュレディンガーにここまで差を付けられているとは。努力不足でした」

 

 チェシャーの瞳に浮かんだ後悔に、踏み込むのは今しかないと綺咲は問い質す。

 

「チェシャー。翡翠ツバサが片翼の蝶である事を、あなたは知っていたわね? 知っていて……何で遠ざけなかったの?」

 

「ちょ、ちょっと転校生……じゃない。姫宮さ。それは今聞くのは酷ってもんなんじゃ……」

 

「けれど聞くのは今しかない。チェシャー、答えなさい。あなたの身勝手な思惑で、私達は戦わせられていたのか。あるいは他の意図があったのかを」

 

 普段ならば“ゲーム”の受付嬢であるところのチェシャーに対等な条件など持ち込めない。しかし、今の彼女ならば全てを話してくれるような気がしていた。

 

 チェシャーは傷だらけの頬をさすり、それから声にする。

 

「……わたくし個人が迂遠な言い回しをしたところで仕方ありませんね。ここで貴女方を止めるのが、本来の受付嬢の仕事なのですが……この道を作ったのもわたくし自身。どうしようもない……裏切りの血筋が、この身体を巡っているのでしょう」

 

「……裏切りの……? やっぱりあんた、私達を裏切っていたの……?」

 

 幸子の詰問にチェシャーは異空間の道の果てを視線で辿る。まるでその先に待っているのが、地獄のように目を細めて。

 

「……あと数刻で、有栖の戦っている場所に追いつけます。それまでの数分間、わたくしは打ち明けましょう。わたくし自身が持つ、功罪を。何故、貴女方を転生者に選び、何故翡翠ツバサ様が片翼の蝶である事を、ここに至るまで秘匿していたのかを」

 

「……翡翠ツバサにとって、それは承知の上であった、と言う推論は?」

 

 自分の問いかけに幸子が戸惑う。

 

「どういう……姫宮! それじゃ、まるで……」

 

「その通りです。翡翠ツバサ様ご本人の意思で、これは選ばれておりました。だから、わたくしの権限では記憶を持ち越す事も、ましてやそれを拒絶する事も出来なかった」

 

 意味が分かっていないのだろう。幸子は自分とチェシャーを交互に見る。

 

「……翡翠ツバサは、過去に“コール”でも“レイズ”でもない、第三の選択肢。この“ゲームから降りる”を選択したのね?」

 

 チェシャーはその面持ちにこれまでになかった揺らぎを抱えながら、こちらの問いに頷く。

 

「……そこまでご理解されているのならば、帰結は難しくはないはずです」

 

「ねぇ、待って! ……わたしもこの“ゲーム”に参加する前に、あなたから説明を受けたよね? “コール”で全てのものごと……人死にでさえも巻き戻して、なかった事にして次の“シーズン”を迎えるか、それとも“レイズ”で得点を継続して、次の“ゲーム”を待つか、って。もちろん、第三の選択肢である“ゲームから降りる”に関しても……けれど、それは……」

 

 カイが口ごもる。綺咲はこの場で唯一の発言権があるかのように、その先を紡いでいた。

 

「……“ゲームから降りる”を選択した場合、これまでの全ての記憶を失い、再度“ゲーム”に参加する事は原則出来ない。そのはずよね、チェシャー」

 

「……それってヘンじゃん……。ツバサ姉が元々、“ゲーム”に一度でも参加しているのなら……そんな不利益、選ぶ理由なんて……」

 

「そう、選ぶ理由なんてない。高峰さんの言う通りよ。その上で、翡翠ツバサが上位ランカーの片翼の蝶であったのならば余計に。……チェシャー。あなた、何かをしたわね?」

 

 幸子とカイの刺すような視線がチェシャーへと向けられる。ここでは逃れられないはずだと、綺咲はその返答を待っていた。

 

 やがて、チェシャーは観念したかのようにぽつりぽつりと語り出す。

 

「……翡翠ツバサ様は姫宮綺咲様の予測通り、六年前にてトップランカーでした。転生者を的確に葬り、余計な感傷を浮かべず、全てを排除する。まさに我々受付嬢にしてみれば理想の転生者だったでしょう。……ただ一人、わたくしを除いて」

 

「……チェシャーが……?」

 

 うろたえた幸子へとチェシャーは断言する。

 

「ええ。わたくしが――翡翠ツバサ様を謀り、あの方に“ゲームから降りる”を選択させた……運営側の裏切り者なのですからね」

 

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