ALICE   作:オンドゥル大使

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第64話 残酷な『対面』

 

 一瞬、意味が分からなかった。

 

 自分はこれまであらゆる過去があったし、幸子ともツバサとも仲良くやってきたはずだ。だと言うのに、それら全部が「なかった」なんて事があり得るはず……。

 

「ちゃんと説明しないと分かんないかな? 私が転生者だった六年前に、君の存在はなかった。シュレディンガーと再契約して思い出したその時、一番のイレギュラーが有栖ちゃんだったの。だって……それまでの過程を無視して、君はどうしてなのだか私の店の常連、という事になっていた。これは私だけじゃない、幸子ちゃんや妙子さんにも裏が取れている」

 

 妙子へと懇願の眼差しを寄越すが、彼女が視線を外した事で無言の肯定となった。

 

「……うそ……じゃあ、あたしは何なの……? お姉ちゃんの妹でもなくって……幸子の親友でもなくって……ツバサ姉も……。あたしは……何のために……」

 

「世界五分前仮説、って言うのを知ってる? この世界はつい五分前に創造されたんだって言う、ちょっと面白いオカルトなんだけれど、有栖ちゃん周りの人間関係はまさにそれだった。有栖ちゃんと言う中心軸を用いて、違和感のない人間を配置され、その結果として記憶の継続性を講じていた。私が断言するのは気が引けるけれど、有栖ちゃんの存在そのものが、この現世における異常事態。それとも鏡面界からの手の者なのかしらね?」

 

「アタシから言える事は少ないけれどね。情報交換は相変わらず禁止だし。けれど、チェシャー自ら選んだ転生者だって言うのは、確かな事よ。あの裏切り者が何の策もなく仕込んでおくはずがない。……篠崎有栖は、存在するはずのない転生者だった」

 

 シュレディンガーの言葉には怒りさえも窺える。だが、有栖自身そのような裏付けがまるで取れないでいた。妙子も嘘なら、幸子や母親、それにこれまで生きてきた全てが、虚飾――つい数分前に生み出された、虚構だと言うのか。

 

「……あたしは……じゃあ、なに……?」

 

「分かっている事は少ないけれど、すぐに“ゲーム”に順応してみせるそのセンス。そして違和感なく現実の情報に溶け込むいびつさ。それらを加味すれば、有栖ちゃんの正体は恐らく――」

 

 そこから先が紡がれなかったのは、大振りで爪を振るおうとしたジャランゴの攻撃があったからだろう。綺咲のジャランゴがツバサへと迷いのない一撃を食い込ませようとして、それをツバサは軽くステップで回避してからオニシズクモへと指示する。

 

「面倒な子が生きていたものね。オニシズクモ」

 

「ジャランゴ! 雄叫び!」

 

 オニシズクモの展開しようとしていた水の撚糸を掻っ切るかのようにジャランゴの「おたけび」が拡散する。しかし、水は掻き消えたわけではなく、オニシズクモは即座に異空間へと雨を降らせていく。

 

「……雨乞い。このフィールドでの優位を取らせてもらうわ、姫宮綺咲さん」

 

「……綺咲、ちゃん……? 幸子も……?」

 

「有栖! ツバサ姉が……!」

 

「それも説明する必要はないわよ、幸子ちゃん。いいえ、有栖ちゃんにとって都合のいいように用意された、駒の一人だものね、君も」

 

 にっこりと笑ってツバサが言い聞かせた真実に幸子は衝撃を受けるかに思わていたが、その反応は乏しかった。

 

「……やっぱり……ツバサ姉なんだね。片翼の蝶……!」

 

「確証がなかった? 信じられなかったのも無理ないけれど……うーん、じゃあどうしよっか? どうせ有栖ちゃんも殺しちゃうし、その後で白黒はっきりさせない? それに、今回はチームロワイヤルなんだしさ。私と幸子ちゃんが殺し合うメリットってないよね?」

 

「幸子ぉ……っ! 逃げて……ッ!」

 

「逃げて? 何を言ってるの?」

 

 ツバサがこちらへと向き直り、有栖の手を踏みつける。鋭い痛みが走る中で、視界に涙が滲む。悔しいだけではない、信じていたはずのツバサがここまでの非道に出るなど、夢にも思わなかったからだ。

 

「……翡翠ツバサ。……いいえ、片翼の蝶。赤沢霧子を殺したわね」

 

 確証めいた綺咲の問いかけにツバサは何でもないように応える。

 

「うん、そう。だって邪魔じゃない? “ゲーム”の仕組みを外から分かっている転生者なんて。それに、チームロワイヤルで有栖ちゃん側に付かれると面倒だったし」

 

 悪びれもせずにツバサは応え、フィールドに降りしきる雨は次第に強くなっていく。

 

「……あなたは篠崎さんを騙し、私達を欺き……一体何がしたいの。まさか殺人中毒者と言うわけでもないでしょう」

 

「そんなの当り前じゃない。願いを叶えてもらうのよ、“ゲーム”の最終勝利者としてね」

 

 まるで理解出来ないとでも言うような論調のツバサに対し、綺咲は奥歯を噛み締めて睨みつける。

 

「……あなただけは、最終勝利者にしてはいけない。これは正義感でも何でもなく、直感で。あなたが最後に生き残ってはいけないのだと、語りかけているわ」

 

「それはこれまで散々、“ゲーム”を掻き乱してきた側からの言葉かな? けれど、こんな事言うのもなんだけれど――私、これでも結構強いよ?」

 

 オニシズクモとジャランゴが同時に弾かれたように動き出す。ジャランゴは全身を擦り合わせた音響兵装でオニシズクモの体表に滴っていた雨粒を吹き飛ばすが、オニシズクモはうろたえた様子もない。

 

「オニシズクモ、アクアブレイク!」

 

「ジャランゴ、ドラゴンクロー!」

 

 オニシズクモが水泡をブクブクと膨れ上がらせ、頭部を肥大化させて全力のヘッドバットを見舞う。それをジャランゴは音叉で減殺しながら、オニシズクモの躯体へと「ドラゴンクロー」の爪を走らせたが、同時に攻撃したはずなのにオニシズクモの勢いに呑まれているように映っていた。

 

「オニシズクモの特性は、水泡。水タイプの威力は、オニシズクモの前では倍化する!」

 

 比してジャランゴはここまで相当に戦い抜いてきたのか、ダメージが窺えた。そんな状態でほぼ万全のオニシズクモと戦うのは無謀である。

 

「……ここまでの戦力の温存……。けれど、それじゃあ、得点は上手く稼げなかったはず。チームロワイヤルに“ゲーム”のルールが切り替わったのは、あなた達のせいと言うわけかしら」

 

「それは上に言ってよねー。私は運よく、このタイミングで全てを思い出し、そしてシュレディンガーと再契約出来た。それもこれも……チェシャー。六年前に裏切られさえしなければこうもならなかったでしょうに」

 

 糾弾の声音に傷だらけのチェシャーは面を伏せる。

 

「……貴女を生かしてはいけなかった。ですが、受付嬢による自己判断での転生者の脱落へのほう助は禁止されております。貴女自身に、抜けてもらうしかなかった……」

 

「それが! 騙したって言うんでしょうに! このペテン師!」

 

 オニシズクモが素早くジャランゴの攻撃をすり抜け、その矛先はチェシャーに向けられる。

 

「いけない……! ジャランゴ……!」

 

「もう無駄よ! オニシズクモ! チェシャーを溺死させなさい!」

 

 チェシャーの頭部を押し包む水の皮膜に、彼女自身抵抗しようともしない。これが似合いの末路だと思っているのだろうか。言葉もなく、運命を受け入れているようにも映った。

 

 ジャランゴが爪を軋らせて一撃を食い込ませようとするが、降りしきる雨がジャランゴの躯体を縛り上げる。オニシズクモとツバサの前では、全ての転生者はまるで赤子の手をひねるかのようだ。

 

「さぁ! 死になさい!」

 

 有栖は声を出そうとしていた。

 

 そんな事を、人殺しなんてこれ以上ツバサにさせては駄目なのだと。しかし、恐怖と裏切りの衝撃からか、真っ当に声も出せない。

 

 今にチェシャーが死の道筋を受け入れるかに思われた、その時であった。

 

 雷撃だ。

 

 稲光がチェシャーに伝っていた水泡を叩き割り、オニシズクモを退ける。

 

 何度も何度も、チェシャーが咳き込む。

 

「……貴女は……」

 

「……なぁーんで邪魔するのかなぁ? 幸子ちゃん?」

 

 チェシャーの前に歩み出た幸子と、そしてその手持ちであるストリンダーが雷のギターを担いでいる。

 

 鋭い眼差しは今、ツバサへと敵対の意志を含んで向けられていた。

 

「……ツバサ姉。私は可能ならツバサ姉の味方で居たいし、これまでだってそう。ツバサ姉は私達の事、誰よりも理解してくれてるんだと思ってた。……でも、だからこそ、なんだよ。こんな風なツバサ姉……見てらんない」

 

「それは誤解じゃない? 元々の私はこうだったのよ?」

 

「……そうかもしれない。けれどね、ツバサ姉。私の親友である有栖と、有栖の大切な人である妙子さん……それに、姫宮も。それを平気な顔をして傷つけるような人を……私は仲間だなんて思いたくない……! 行くよ、ストリンダー! ツバサ姉を……ぶっ飛ばす!」

 

 ストリンダーが応じるように鳴き、胸元を爪弾くと電撃が発生する。それを聞き届けたツバサは、あろう事かぷっと吹き出していた。

 

 哄笑を上げ、何度も何度も心底おかしいとでも言うように手を叩く。

 

「いや! いやいや! 何言ってんの、幸子ちゃん! 私達、チームなんだよ? チーム同士でいがみ合ってどうするの。殺し合いなんてしたってしょうがないんだからさ。そりゃー、妙子さんはちょっとの間大人しくしてもらうけれど、それもこれも私達が勝つため。そんな当たり前の事も分かんないようになっちゃった?」

 

「……ええ、分かりたくもないわね。ツバサ姉、今の考え方を改めないんなら――私とストリンダーでその腐った性根を、ぶち抜く」

 

 その返事にツバサは心底醒め切ったように吐き捨てる。

 

「……そっ。一時の感情に身を任せて浅慮な選択肢を取る事はないと思うけれど……まぁ、いいかな。来なよ、幸子ちゃん。揉んであげる」

 

「……後悔する! ストリンダー!」

 

 ストリンダーが跳躍し、稲光のギターを一直線に打ち下ろす。オニシズクモの構成する水の糸は容易く断ち切られ、さらに返す刀で一撃。オニシズクモの躯体へと横合いから打撃を浴びせると同時に電撃が迸る。

 

「十万ボルト!」

 

 オニシズクモの水泡の表皮を「10まんボルト」の熱波が焼き払う。さらにストリンダーが講じたのはその一撃だけではない。オニシズクモが距離を取って攻撃をいなそうとしたのを関知したかのように、全身から伸びたのは金糸の電流だ。

 

「……離すわけが……ない! エレキネット!」

 

「エレキネット」によって拘束を果たした幸子はストリンダーへと素早く命じる。そのたわみを利用して、一気に距離を詰めすれ違いざまにストリンダーが紫色に染まった手刀を差し込む。

 

「毒突き! からの――」

 

 オニシズクモの体表へと「どくづき」の貫手を突き込んだかと思うと、ストリンダーは直上へと躍り上がり、全身の体毛を震わせて内奥から電撃を最大規模で放出する。

 

「オーバー――ドライブ!」

 

 電気タイプの中でも高威力に分類される「オーバードライブ」、それを直上から逃げ場のない状態で放ったのだ。それもほとんどゼロ距離――水タイプを持つオニシズクモはそれだけでも陥落しかねないはずだろう。通常のタイプ相性と、そしてポケモンごとに振られたレベルや能力値だけならば、この情勢は分かり切っている結末――であるはずだった。

 

「……オニシズクモが……落ちない……?」

 

 有栖が思わずと言った様子で声にする。今、幸子の攻撃手順のどこにも慢心はなかった。それどころかツバサを強敵と判じ、徹底的に全ての力を注ぎ込む勢いで撃ち抜いたと言うのに、オニシズクモの内奥が灼熱の電撃に焼かれた様子も、ましてや体表の水が蒸発したわけでもない。

 

「……その程度?」

 

 オニシズクモの口吻と思しき器官が伸長され、ストリンダーの首筋に突き刺さる。

 

「ストリンダー……! 後退……」

 

「吸血」

 

 オニシズクモによって体液を吸われてしまったストリンダーは瞬時に接触点から枯れ果てようとしていた。まさか、ほんの一瞬の交錯で勝負が決してしまいそうになるとは思いも寄らず、ストリンダーが咄嗟に雷のギターを振るって口吻を引き千切るがすぐにそれは再生する。

 

 飛び退ったストリンダーが、不意に膝を折る。

 

「ストリンダー……!」

 

 大丈夫だとでも強がろうとして、ストリンダーがよろめく。ほんのレイコンマ以下の接触だけで、ストリンダーの体力は大幅に奪われ、そしてその代わりにオニシズクモは回復を果たしている。

 

「勝負にもならなさそうね、幸子ちゃん。それとも、所有ポケモンの死と言う形での幕引きがお似合いかしら?」

 

 ツバサは余裕を崩さず、一歩、また一歩と幸子へと近づいていく。口吻を突き出してストリンダーにトドメを刺そうとしているオニシズクモはその時、硬直していた。

 

「……瞬間凍結……!」

 

 カイがグレイシアを繰り出し、その有り余る冷気でオニシズクモの動きを阻害しようとするが、オニシズクモもツバサも意に介した様子もない。

 

「……君は……見たところ現地人、ってところかな。確か、カイだっけ? 惜しい事をしているとは思うわよ」

 

「わたしは……そうは思わない……! 常に、いい選択をして、自分自身に後悔だけはしたくないから……! だから、勝ち負けよりも誇りを選ぶよ……!」

 

「誇り、ね。吹いて消えてしまいそうな概念だわ」

 

「グレイシア! 吹雪!」

 

 グレイシアの放つ「ふぶき」がオニシズクモの体表を凍結しようとする。水タイプならば、多少なりとも影響を受けるはずだと思っていたが、結果はまるで違った。

 

「オニシズクモのもう一つの特性は貯水。それはただ単に水タイプの威力を引き上げるだけじゃない。水タイプの流動性、そして血液と共に流れるそれらの順応性を底上げしている。つまり、オニシズクモへの攻撃は常に変動を続ける湖へと冷房機で波を起こしているだけに過ぎない。ただのさざ波が、水そのものを操る存在に勝てると思う?」

 

 ツバサの余裕めいた声音に、それでもカイは屈しない。

 

「グレイシアにはまだ、先がある……! グレイシア、凍える風!」

 

「それはもう見切った!」

 

「こごえるかぜ」の冷風をオニシズクモは避けるまでもないと判断して身を反転させてカイへと矛先を絞る。

 

「……いけない! カイさん!」

 

 有栖が思わず声を上げたが、カイは焦りを浮かべるわけでもなく、直進してくるオニシズクモを直視している。

 

 それは覚悟か、あるいはギリギリの極点が見出した最適解か。

 

 いずれにせよ、この時、互いに回避と言う腰の引けた行動を取らなかった事が功を奏したのだ。オニシズクモの水泡の頭部による「アクアブレイク」、比してカイのグレイシアによる氷の精製が先んじていた。「こおりのつぶて」と呼ばれるそれを、グレイシアはオニシズクモの直下から生み出す。

 

 オニシズクモの突進の勢いが削がれるが、四脚を持つオニシズクモにとってはさほど問題ではない。別の経路を辿ればいいだけだとでも言うように蠢こうとして、その腹腔を山脈のような氷の突起が貫いている。

 

「……オニシズクモの水泡の防御壁を、割った……?」

 

「氷のつぶては相手の速さにかかわらず、必ず発動出来る技。だからこそ、オニシズクモの攻撃能力を削ぐのではなく、その姿かたちから逆算される弱点部位を突ければ、次の策を講じるのも難しくはないはずだよ」

 

「だとしても、氷タイプで水を凍て付かせる事なんて出来やしない……!」

 

「そうかな? 氷タイプで唯一、水タイプに有効打を浴びせられる技を、わたしは知っている。グレイシア」

 

 直後、オニシズクモの体躯が瞬間的に乾燥していく。水分を氷の山脈に奪われ、その命の息吹を吸い上げられていく。

 

「――フリーズドライ。これは水タイプにも通用する、氷タイプの技」

 

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