ALICE   作:オンドゥル大使

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第65話 限りない『激戦』

 

 勝負は決したかに思われた。

 

 何よりも、カイほどに洗練された転生者がオニシズクモを下したのだ。この状態でツバサに勝利は微笑まない――そうなのだと有栖は確証していたが、ツバサは余裕を崩すでもない。

 

「……そっかぁ。油断してたなぁ。フリーズドライ! そういうのもあったかぁ。……けれどさ、考えなかったの? 水タイプもまた、氷タイプへの対抗策がないとでも」

 

 オニシズクモを覆っている水泡が瞬時に湯気を帯びる。ほんの一秒未満であるのに、オニシズクモは眼窩を赤く輝かせて全身に巡らせた水を沸騰させていた。

 

 それにはカイも想定外であったようで、体躯に突き刺さった氷が融かされていくのに絶句していた。

 

「……これは……」

 

「これは熱湯。オニシズクモは体内の水温、水の粒子、そして霧の精製に至るまで、水の微細なコントロールに関してで言えば一流。たとえ体内を熱湯が巡ったとしても、それを相手への攻撃へと転化する。残念だったわね。オニシズクモはまだ沈まない」

 

 それよりも、有栖の焦燥は目の前でグレイシアを操っているカイにあった。完全に凍結領域を押し広げるつもりであったカイのグレイシアへとオニシズクモが口吻から水流を噴き出す。

 

「いけない! グレイシア!」

 

 グレイシアは咄嗟に瞬間凍結の壁を構築するが、それでも防御し切れなかった「ねっとう」によって表皮が焼け爛れる。

 

「カイさん! ……一度退いて……!」

 

「……悪いけれど、アリスさん。それは受け入れられないよ。みんなだって戦っているんだ。だって言うのに、わたしだけ敵に背中は見せられない……!」

 

 カイをここで佇ませているのは、間違いなく彼女自身の戦士としての素質であろう。だが同時に、ここで勝負を投げる事も必要な選択肢に思われていた。グレイシアは「ねっとう」を受けた箇所から弱りつつある。純氷タイプであるグレイシアにはテクニカルな戦い方を誇るツバサのオニシズクモに対抗する術はない。

 

「敵に背中は見せられない、か。立派な心掛けだけれど、一個だけ間違い。君の敵が、本当に私なのかしらね?」

 

「……どういう」

 

「全ては! チェシャーが画策した可能性だってないわけじゃないでしょう? それに、チェシャーが死ねばこの“ゲーム”は真っ当に戻りつつある。いい加減、チェシャーを引き渡しなさいな。そうすれば、痛くせずに殺してあげるから」

 

 にっこりと笑うツバサの狂気は本物だ。むしろ、これまでのツバサが偽物であったのだろうか。気圧されるカイに、ジャランゴを引き連れていた綺咲は歩み出る。

 

「……カイ、下がって。それと、翡翠ツバサ。一つ聞かせなさい。あなたがこれまで戦ってきたのは、殺しを楽しんできたから? それとも、願いがあったから?」

 

「どっちも正解よ、姫宮綺咲さん。殺しはちょうどいいストレス解消だったし、魂も馴染んでいた。同時に、私には叶えたい願いがあった。これは君達、転生者と同じ。だから、私にとっては目的と手段として、全てがあった。まぁ、楽しいに越した事はないでしょう?」

 

 綺咲はその言葉振りを否定するかに思われていた。しかし、綺咲は眉一つ動かさずに応じる。

 

「そうね。楽なほうに流れ、そして簡単ならばそれを実行する事に躊躇いはない。最短距離を講じ、最適解を導き出す。転生者としてのあなたは、まさに理想像なのでしょう」

 

「……綺咲ちゃん……」

 

「けれどね」

 

 綺咲は一呼吸置き、それからツバサをキッと睨み据える。

 

「理想と現実と、そして裏打ちされた完璧さはまた、別の話。私はあなたの言っている事に、矛盾も間違いもほとんど感じないけれど――転生者の一員ではなく、人として、許せないわ。ジャランゴ」

 

 ジャランゴが身体を揺らし、表皮を擦らせて音響を拡散させる。ツバサはそう来なくてはとでも言うように口角を吊り上げていた。

 

「でしょうねぇ。姫宮綺咲さん。あなたにとってはこの戦いも特別なんでしょう。願いを叶えるため……だけじゃないように映るけれどどうなのかしら。いずれにせよ、雌雄は決するべきよね?」

 

 ツバサが前に出かけた瞬間、綺咲はジャランゴに命じて異空間を跳躍する。回り込んで接近戦に持ち込むつもりなのだろうか。

 

「その動きは見切った!」

 

 ツバサのオニシズクモがジャランゴの振るった青い光の爪を弾き返す。有栖の眼からしてみても、オニシズクモは圧倒的だ。これまで遭遇したどの転生者の手持ちよりも強く、そして鋭い。

 

 だが、綺咲の考えを有栖は察知していた。

 

 オニシズクモにわざと動きを読ませ、交錯したほんの一瞬の隙を自分に突かせたのだ。

 

「……セゴール……!」

 

 凍結領域を操作し、今も妙子を縛り付ける水の糸を断ち切っていく。即座に倒れ込みかけた妙子を、有栖は抱えていた。

 

「……邪魔立てを……!」

 

「翡翠ツバサ、こっちを見なさい」

 

 綺咲のジャランゴがオニシズクモへと大振りで「ドラゴンクロー」を打ち下ろす。その一撃にツバサが舌打ちを漏らしつつ、オニシズクモの口吻から「ねっとう」を噴き出させてジャランゴを後退させようとするが、それを阻んだのはチェシャーの持つ紫色のポケモンであった。

 

「……ベベノム……姫宮綺咲様を援護します……!」

 

「あっれー? いいの、チェシャー。それっぽい理由を付けて、まだ誰かの側に寄り添わないのが、あんただったんじゃないの?」

 

 ツバサの挑発的な物言いに、チェシャーは目を伏せて、小さく呟く。

 

「……確かに。それが正しいのだと、わたくしは規定しておりました。ですが、この胸に湧く……“感情”を否定されたくはないのです。たとえ受付嬢としての素質を失ったとしても……貴女を、邪悪は止めなければいけない」

 

 その返答にツバサはつまらなさそうに吐き捨てる。

 

「……何それ。あんたにとってのそれって、私が沈黙してきた六年間の都合のいい整合性とか言う奴でしょう? “感情”に目覚めた受付嬢、不出来な存在のクセに、よくも私を脱落させてくれたわね。シュレディンガー」

 

「ええ、ツバサ。アタシに任せて。……同族を葬るのはアタシのような正しい受付嬢の務めですもの」

 

 シュレディンガーが繰り出したのはチェシャーのポケモンをそのまま白く反転させた姿であった。同一個体でありながら、まるで相克するような姿に、有栖は妙子を抱えたまま息を呑む。

 

「……これが……」

 

「あり、す……」

 

「お姉ちゃん……? 大丈夫……?」

 

「……ばか、ね。逃げればいいのよ。あんたは……不都合な真実なんかに、眼を向ける必要なんて……」

 

「バカっ! お姉ちゃんのバカぁ……っ! 見捨てられるわけないよ! だって……どんな事があったって……お姉ちゃんはお姉ちゃんだもん……っ!」

 

「……あんたって本当……」

 

「はいはーい。感動ポルノはいい加減にうんざりでーす。どうせ人質の価値なんてないんなら、死んじゃいなさいな」

 

 ツバサのオニシズクモがジャランゴを振り払い、四脚で躍り上がったかと思うと鋭い水の砲弾を矢継ぎ早に吐き出す。

 

「……させない! セゴール! 瞬間凍結……!」

 

 セゴールで覆った氷の天蓋で有栖自身と妙子を守らせようとしたが、それらを侵食してくるのは融解の蒸発であった。

 

「仕込んでいないと思った? 熱湯を込めておいた遅効性の水の弾丸。射抜かれちゃえ!」

 

 氷の瞬間凍結は付け焼刃だ。カイから教わった代物でしかないそれも、熟練の転生者であるツバサにとっては簡単に解析出来たのだろう。氷の皮膜は今に解け、鋭い針のような水の弾丸が今に有栖自身を貫くかに思われていた。

 

「……どき、なさい……ッ!」

 

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