ALICE   作:オンドゥル大使

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第66話 愛しきものとの『訣別』

 

 無理やり突き飛ばされる。

 

 有栖にとっては何が起こったのか分からなかった。先刻まで自分が居た空間で、妙子がふっと微笑む。

 

 その笑顔の意味を解する前に、無数の針がその痩躯を射抜いていた。

 

「……いやぁ……」

 

 全身を貫かれた妙子から血が滴る。それでも、まだ諦めていないかのように彼女は最後の力を振り絞り指示する。

 

「ヌメルゴン……ッ!」

 

 ヌメルゴンが躍り上がり、その力を振り絞って鋼鉄の殻を使ってオニシズクモを叩き落す。後退したオニシズクモへとヌメルゴンが進軍し、その前足に力を込める。

 

「ヘビー……ボンバー!」

 

 その重量を活かして打撃を打ち込むが、オニシズクモは軽やかにその直撃を逸らし、横合いから口吻をその腹腔に突き刺す。

 

「這いよる一撃からの吸血!」

 

 瞬間的に加速してオニシズクモの口吻がヌメルゴンの肉体を突き刺す。主である妙子が倒れ込むのと、しもべであるヌメルゴンが倒れるのは同時であった。

 

「お姉ちゃん……っ!」

 

 慌てて駆け寄る。だが、出血があまりにも酷い。加えて全身を貫かれているせいで、その意識でさえも曖昧であった。

 

「あ、りす……?」

 

「バカっ! お姉ちゃんの……バカぁ……っ! 何でこんな事……」

 

「……なんで、でしょうねぇ……。ふしぎ、あんたなんてうっとうしい、としか……おもってこなかった、のに……」

 

「もう喋らないで! お姉ちゃんは……!」

 

 涙が伝う有栖の頬を妙子の手がさする。穏やかであたたかな掌。それが零れ落ちる涙を拭い、人間としての感情を伝達させる。

 

「……ほんとぉに、ふしぎ……。だって、あんたとの、おもいで、なんて……ない、のに……」

 

「そんな事……っ! たくさん喧嘩もしたじゃないの! 言い合いも、本当にくだらない事で……いがみ合いだって……!」

 

 せめて少しでも妙子の意識を保とうと有栖は必死に叫ぶが、口にすればするほどに実感はない。まるで――ツバサの言った通り、本当に思い出なんてなく、妙子もただの「それらしい」駒として配置されたという言い分が正しいかのように。

 

 どれもこれも、嘘、偽りに等しい。

 

 けれど、そうであったとしても――有栖は叫んでいた。声の限り、妙子との思い出を。何があったのか、どんな事で喧嘩をしたのか、どんな酷い言い分で争ったのかなんて思い出せなくとも、それでもいい。

 

 必死にそれらしい意味合いを見つけ。

 

 決死にその嘘を掴み取ろうとして、それらを掴み損ね。

 

 妙子は全て分かっているとでも言うように、穏やかに微笑む。

 

「……ほんとぅに……あんたは……てのかかる、いもうと……」

 

「うん……うんっ! そうだよっ! あたしは……篠崎有栖……っ! お姉ちゃんの、たった一人の、いも――」

 

「――うざいってば。消えなさいよ」

 

 オニシズクモの放った一撃が妙子の頭蓋を叩き潰す。抱えていた体温も、つい数秒前までやり取りをしていた証明も。そして――これまで疎んじていたはずの姉の命を、無慈悲に奪い去る暴力。

 

 手の中で消えていく命の残滓。肉体を割るのと同時にアルセウスフォンも砕かれたのだろう。妙子が居たはずの手の中で、黒いアルセウスフォンがことりと滑り落ちる。

 

「シュレディンガー! 何を手間取ってるのよ! さっさと倒してこっちの援護! そうじゃないとあんたと再契約した意味ないでしょうに!」

 

「分かっているけれど……チェシャー! あんた、剥がれなさいよ!」

 

「……剥がれはしません。ベベノム」

 

 紫色のベベノムと白いベベノムが激しく交錯し、それぞれの技を放出し合いながら互いを否定する。

 

 有栖は戦慄く視界の中で、小さく呼吸をしていた。

 

「いま……ここにいたの……。お姉ちゃんが……お姉ちゃんは……だって、だってぇ……っ」

 

「有栖ちゃん? もうどこにも君の姉の“役割”を被っていた存在なんて居ないわよ。それは所詮、アーキタイプも持たない仮初めの命なんだからね。まったく、こういうのも分からないんだから、本当に子供って嫌い……!」

 

 ツバサが舌打ちを滲ませて綺咲のジャランゴと打ち合う。

 

「篠崎さん! ……なんて、事を……! 翡翠ツバサ!」

 

「何よ! 姫宮綺咲さん、君だって結局のところ、本当の事を一切言わないまま、こうして停滞だけしていたのは、同じでしょうに!」

 

「アリスさん!」

 

 駆け寄ってきたのはカイであった。グレイシアの凍結領域を構築してオニシズクモの放つ雨の散弾を防御しながら、自分の肩に触れようとしてくる。

 

「……ねぇ、カイさん……。あたし……あたし、ヘンなのかなぁ……? お姉ちゃんが……お姉ちゃんがね? 目の前で死んだのに……何で、何も思い出せないんだろう……。ううん、お姉ちゃんだけじゃ、ない……の。幸子との事も、お母さんとの事も……近くに居てくれたはずの人達との思い出が……一個も……」

 

「落ち着いて! ……あなた以外の人が、今しがた生み出された存在なんて、そんな事……!」

 

 肩を揺さぶったカイの言葉に、ああそうなのだと実感してしまう。

 

「……カイさんも、知っていたんだね……」

 

「……それは……」

 

 思わず目を逸らしたのが答えとなっていた。ここに来るまでに幸子にでも聞いたのだろうか。いずれにせよ、有栖は虚脱していた。

 

 妙子を目の前で殺されても、ツバサが極悪人であろうとも――もう、戦う理由はない。自分の中に何もない、虚無であった事を明らかにされてしまえば、戦う意志を持つのなんてどだい無理な話だ。

 

 世界は虚飾であった。

 

 関係性は嘘で塗り固められていた。

 

 有栖は指先から体温が奪われていくのを感じる。もう、何も考えたくない。そう感じて面を伏せたところで、不意に声が漏れ聞こえる。

 

「……ごめんね……」

 

 直後、不意の熱が頬を打つ。カイにぶたれたのだと意識の表層が拾い上げたところで、彼女の声が耳朶を打つ。

 

「しっかりしてよ! ……確かに、記憶がない事は……自分の身の回りがウソなんだって事は……衝撃かもしれない。けれど……わたしは……! ここまで戦ってきた……戦う意志を持って、立ち向かってきたあなたの意志まで否定出来る事は……一つだってないよ! 思い出して! あなたは……アリスさんは……何で転生者に……なったのぉ……っ!」

 

「あたしが……転生者になった……理由は……」

 

 分からない。理由なんてない。いや、そんなもの最初から存在もしていなかったのかもしれない。だが、目の前のカイはそれを問い質している。

 

 全ては嘘だった。

 

 全ては偽りであった。

 

 だとしても――この胸に湧いた“感情”まで、嘘だと言うのか?

 

 動機があった、情動があった、憂いがあった、戸惑いがあった、友愛があった、衝動があった、躊躇いがあった、羨望があった、躍動があった――この胸の中に、確かに、感情の灯火があった。

 

 何もかもが消え去ろうとしていたとしても、ああこんなにもさんざめく――。

 

「いい加減にィ……ッ!」

 

 オニシズクモの矢のような水流が迸る。今にグレイシアとカイを射抜こうとしていたそれらを、有栖は凍結操作で凝固させる。

 

「……瞬間凍結……」

 

「……アリスさん……?」

 

 有栖は掌握するイメージを伴わせてセゴールの感情と同期させる。そうだ、ポケモンにも命がある、感情がある、その存在に意味がある。ならば、自分は進む。進まなければいけない。

 

 セゴールが低く唸ると同時に、有栖はゆらりと立ち上がり、その面を上げる。

 

 途端、凍り付いていた水流が砕け散っていた。

 

「……ツバサ姉。あたしは……うん、そうなのかもね、ウソ……全部、何もかもが虚飾なのかもしれない。だって、今だって何も思い出せないもの。けれど……けれどさ……! あたしも、周りの人達だって……命なんだよ……っ! だったら、最後までその責任を、全うするべき……っ! そうなんだと、あたしは思う……!」

 

「だから何? ……どれだけ言ったところで分かりもしない、物分かりの悪い子供が……!」

 

「それでいいの……っ! あたしは……物分かりの悪い子供で……いい……っ!」

 

 全てを受け入れて絶望するよりかは、何もかも理解を拒んでその上で賢しささえも捨てた子供でいい。それを教えてくれたのは妙子との日々と、幸子との友情だ。その中にツバサの存在も確かにあった。だが、今は怯んではいられない。

 

 有栖はその青い瞳に戦意を浮かべる。

 

 オニシズクモを操るツバサは綺咲のジャランゴの爪を弾き返して、身を翻させる。

 

「……そう。有栖ちゃん。君はバカである事に、そう決めたのね……。けれど、もう遅い。もう……時間が来てしまった。そうでしょう? シュレディンガー!」

 

 呼びかける声にシュレディンガーが応じて白いベベノムでチェシャーのベベノムを弾き落とす。

 

「ええ、ツバサ。もう終わりの時よ。――“カタストロフィ”が来るわ」

 

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