ALICE   作:オンドゥル大使

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第7話 答えなき『敵意』

 

 カワセミ書店に取って返してきた三人にとっては、やはりと言うべきか、今すぐにでも叫び出した気分であったのだろうが、コートを剥がすとセビエの氷の背びれがコートに霜を作っている。

 

「あー! これ、高かったのにぃ……」

 

「ツバサ姉、そんな事言っている場合? ……ねぇ、これ……。どう見ても動物とかじゃないよね?」

 

「うん、それっぽいけれど……」

 

「ぽいって何? 有栖は知ってるんじゃないの?」

 

「……そんな事を言われてもなぁ……」

 

 頬を掻いているとセビエが不意に鞄を額で小突く。何をしているのだろうと思っていると、昼休みに買っておいた茶菓子を探っていた。

 

「それ、欲しいの……?」

 

 セビエが主張の強い大きな瞳で頷く。一応包装を解いてから、有栖がおっかなびっくりにチョコチップクッキーを差し出す。セビエはそれをじっと待っているようで、噛み付くような気配はない。

 

「……犬とかじゃないんだからさ……」

 

 呆れ返った幸子の声にようやくセビエが短い両腕でクッキーを掴む。ぼりぼりと頬張っている辺り、牙は生えているようであった。

 

「それにしても……その子は何? ただの生き物ってわけじゃなさそうだけれど……」

 

 ツバサがコートを干してから、カワセミ書店の扉の鍵をかける。眼鏡のブリッジを上げて動物図鑑を取り出すが、やはりと言うべきか該当する生き物は居ない。

 

「うぅーん……何なんだろ、これ……」

 

「それってさ。さっき転校生が言っていた、“ポケモン”だとか、そういうのじゃないの?」

 

 幸子の疑問にそうなると、と有栖は神妙に呻る。

 

「姫宮財閥は……自分達で作ったゲームに出てくるキャラクターを……実体化させた、って言うのかな?」

 

「天下の姫宮財閥と言っても、そこまでする? って言うか、それって生物兵器を作るだとかそういう話なんじゃ……」

 

 ツバサの予感に有栖と幸子はお互いに顔を見合わせ合う。ともすればセビエは一国を揺るがす危険分子の可能性があると言うのか。

 

「……でも、あたしは……セビエがそんな悪い事に使われているとは思えない……かな」

 

「有栖、言いたい事は分かるけれど……けれど、明らかに変だったよ? いきなり濃霧の中に消えちゃうし、かと思ったら変なスマホを持って、この生き物と一緒に戻って来るし……。あ、そう言えばスマホは? それも言ってなかった?」

 

 あ、と今さら気づいた有栖はスマホを――否、アルセウスフォンなる大きな端末を机の上に置く。

 

「触ったら何か起こる?」

 

「どうなんだろ……。けれど、これ……何て言うか……」

 

 不思議と本能的な部分で惹かれるものを感じ、有栖は画面をタップする。その瞬間、起動したアルセウスフォンから飛び出したのは立体映像だ。

 

 突然の事にツバサが腰を抜かす。

 

「な……! な……っ!」

 

『ようこそおいでくださいました。転生者、篠崎有栖様。貴女は“ゲーム”の参加者に選ばれたのです』

 

 立体映像が構築したのは先刻の戦闘で現れた女性――確かチェシャーと名乗っていた人物と同じだった。

 

「えと……これ! これ、何? 姫宮財閥の新開発端末?」

 

『いえ、これはわたくし達の世界と貴女方の世界の仲立ちを行う、そういった触媒のようなもの』

 

「……世界……。そうだ、あなたは確か、あの……世界をヒスイ地方だって……?」

 

『その通り。わたくし達の住むヒスイ地方は今、危機に晒されています』

 

「危機……? それが私らと何の関係が……」

 

『ヒスイ地方はこの現世とは違う理で動く、広大な山々と自然に囲まれた世界。わたくし達はそれを“鏡面界”と呼んでおります』

 

「……“鏡面界”……? あれは異世界だとか、そういうものだって言うの?」

 

『大方の認識はそれで間違っておりません。鏡面界と現世は合わせ鏡のようなもの。どちらかの均衡が崩れれば、どちらかは滅びる運命にある。わたくし達の居る鏡面界は過激派集団、トランプ兵団の支配に苦しめられています』

 

「トランプ兵団って……あの鎧を着込んでいた……」

 

 カブトプスを操ったあのような人物が他にもたくさん居ると言うのか。それだけでも震撼したが、チェシャーは何でもないように応じる。

 

『トランプ兵団がその頭目として戴く“ハートの女王”。彼女の支配はヒスイ地方の民を圧政し、その人間性を奪ってきました。転生者、篠崎有栖様にはそれを救って欲しいのです』

 

「救うって……? 有栖が、世界を……?」

 

 どうにも冗談めいた言葉振りであったがチェシャーの返答は真剣そのものだ。

 

『はい。篠崎有栖様は転生者として選ばれたのです。是非、鏡面界に訪れ、そしてトランプ兵団を倒してください。それはわたくし達の願いそのものです』

 

「そんな事急に言われても……あたしに出来る事なんて、何も……」

 

「そ、そうだって! 大体、いきなり世界を救えなんて一方的過ぎるでしょ!」

 

 幸子も自分の言葉に重ねてくれるが、チェシャーはまるで理解出来ないとでも言うように首を傾げる。

 

『何故なのです? “ゲーム”を制すれば、貴女方は願いを叶えられると言うのに』

 

「願い……? ねぇ、さっきから胡乱な言葉ばっかりだけれど、そのゲームって言うのは報酬があるって言うの?」

 

 ツバサの質問にチェシャーは両腕を広げて喝采を叫ぶように恍惚とした表情で口にする。

 

『もちろんです。勝者には褒美を。貴女方転生者のうち、最後まで生き延びてトランプ兵団を倒す事に貢献した方には、どのような願いでも一つだけ叶えて差し上げましょう』

 

「……どんな」

 

「願いでも……?」

 

 有栖と幸子は思わず絶句する。しかし転生者として選ばれたのも偶然ならば、こうしてチェシャーから物事を聞かされているのも偶然のように思えてしまう。その感情が顔に出ていたのか、チェシャーはその疑問に応じていた。

 

『何もご心配されるような事はございません。転生者として選定された以上、貴女には資格があるのです。当然、トランプ兵団は強いですが、それを倒せる可能性があるのが転生者なのですから』

 

「ど、どうしよう……ツバサ姉」

 

「わ、私に聞くの? まぁ……あんた達にしてみれば保護者に近いのは私だけれどさ……。じゃあ質問、いいわね?」

 

『何でも聞いてください。答えられる範囲ならば全て答えましょう』

 

 その返答にツバサがぐっと唾を飲み下したのが伝わる。しかし、さすがに年長者としての威厳を保とうとしたのか、すぐに咳払いして尋ねる。

 

「……コホン。じゃあ、一つ目。この子……セビエだっけ? これは何? どこから来て、何で有栖ちゃんに懐いてるの?」

 

『セビエはポケモンの一種です。覚える技はアルセウスフォンを握れば篠崎有栖様ならば認識出来るはずですよ』

 

 その言葉に有栖はアルセウスフォンを握る。すると、脳内にするするとこれまで意識していなかったのが嘘のようにセビエの情報が流れ込んで来ていた。

 

「……あ、うん。本当みたい。戦い方とかも分かるんだ……」

 

「じゃあこれで一個確認したわね。次、二つ目。鏡面界って言うのに行けるのは転生者だけなの? 濃霧の中に飛び込んだように私達には映ったけれど」

 

『あの濃霧はこの世界と鏡面界が干渉した結果、生まれたものです。そうですね、端的な言葉を紡ぐのならば、あれは“扉”と呼べるでしょう。お互いの世界があやふやになっている空間ですので、鏡面界のポケモンが紛れ込んだり、先ほどのようにトランプ兵団との戦いになる事もあります。それと、鏡面界に転生者以外も行けるのかどうかですが、はぐれて迷い込む事自体はあります』

 

「じゃあ……あんなところ、危ないよ……」

 

 廃棄区画だからよかったものの、街中に湧く可能性もあるのだ。そうなると余計に責任重大であろう。

 

「ちょっと! チェシャーだっけ? あんた、さっきからいい加減過ぎじゃんか! そもそもの話、何で有栖を転生者として選んだの? 他の人だって居るでしょうに!」

 

 幸子が割って入ってチェシャーを糾弾するが、彼女は何でもないように応えていた。

 

『篠崎有栖様には素質があります。それと鏡面界へと迷い込んだのが偶然に作用し、セビエを操るのに長けた存在として選んだまでです。その点で言えば、貴女方も知っての通り、姫宮綺咲様も転生者ですが?』

 

 うっ、と幸子が弱気になる。綺咲も転生者だと言うのならば、これまであのような戦いを繰り広げてきたと言う事なのだろうか。

 

「……チェシャーさん。綺咲ちゃんはこれまでにも、ずっと戦って……?」

 

『すいません、転生者同士の情報にはお答え出来ません』

 

「はぁ? あんた、さっき何でも答えるって……!」

 

『答えられる範囲を逸脱しています。転生者同士の情報は生命線、篠崎有栖様だって相手に筒抜けでは困るはずです』

 

 確かに今の自分の状態が他の転生者に読まれているとすればじっとしてはいられないだろう。

 

「……じゃあ、最後に一つだけ。セビエをこのまま匿うのにも限界があるわ。何か方法はないの?」

 

 率先してツバサが尋ねるとチェシャーがこちらを向く。

 

『篠崎有栖様。アルセウスフォンを握ってください。必要な情報は分かるはずです』

 

「あ……うん」

 

 アルセウスフォンを再び握り締めると、画面からころりと落ちてきたのは綺咲が使っていたのと同型の球体であった。

 

 赤と白の色彩が眩しく、中央には円形のボタンが仕込まれている。

 

『モンスターボールです。鏡面界では一般的にこちらが使われています。これをポケモンの額に』

 

「セビエ、我慢してね」

 

 こつんとボタン部をセビエの額に向けると赤い粒子となってセビエの肉体が吸収される。有栖は瞬時に球体の中に納まる程度のサイズになったセビエに瞠目する。光に透かすと、中でセビエがうつらうつらとしていた。

 

『モンスターボール内のポケモンは休眠状態となり、基本的には傷や状態異常は進行しません。普段の持ち歩きはモンスターボールにするといいでしょう』

 

「……セビエ、ちょっとの間だからね」

 

 モンスターボール越しに呼びかけ、有栖は鞄の中に仕舞う。ツバサはそれでも困惑を隠せないのか、うーんと思い悩む。

 

「……これである程度は聞いたか……。転生者同士の情報が話せないって言うんなら、相手の願いが何なのかは分からないでしょうし。有栖ちゃんはアルセウスフォンで言葉で伝えるよりも分かっている感じだし……。じゃあ、これが本当に最後の最後。あんたはどっちの人間なの? 現実世界と鏡面界、どっち側なの?」

 

『わたくしは転生者の皆さまの受付窓口のようなものです。現実世界に現れる事もあれば、鏡面界にご同行する事もございます』

 

「……答えになってないなぁ……もう。けれどこれ以上の質問は思いつかないし……」

 

「ありがとう、ツバサ姉。ツバサ姉が聞いてくれないと、あたしじゃ状況に振り回されていたかも」

 

「そ、そう? まぁ年長者としての役割は果たすわよ……」

 

 眼鏡のブリッジを上げて少し照れた様子でツバサは腕を組む。

 

「けれど、わっかんないのは、あの転校生……最初から有栖が転生者だって分かっていたのかな? だってそうじゃないと……不自然なような……」

 

 この疑問に答える事もチェシャーの身分では許されていないのだろう。

 

「……分かった。チェシャーさん、あたし転生者として戦うよ。まだ覚悟なんて言うほど大したものじゃないけれど、ちょっとだけ面白そう」

 

「ちょ、ちょっと! 有栖一人にやらせられるわけないでしょ! 私も! 私の同行も許可させて!」

 

「幸子、チェシャーさんが困るよ……」

 

「構うもんですか! 私の友達に危ない目に遭わせらないわよ!」

 

『承知いたしました。篠崎有栖様の同行者として、お二人も登録しておきましょう』

 

「……よかった。けれど、仰々しくフルネームを呼ばれるのはニガテかも。有栖でいいよ」

 

『では、わたくしもチェシャーと呼び捨てで構いません。さん付けは苦手です、有栖』

 

 少しだけ打ち解けられたような気がして有栖が頬を掻いていると、ツバサが文句を垂れる。

 

「……私も同行させてもらえるのはいいんだけれどさ。今日はもうこの辺にしない? 夜遅くになったら有栖ちゃんも幸子ちゃんも親御さんが心配するでしょ」

 

 時計を見やると既に六時を回っている。

 

「じゃあ、ひとまず……明日も学校で」

 

「ツバサ姉。有栖は責任を持って私がお家まで送りましょう!」

 

「ふむ。良きに計らえ……って、ふざけてる場合? 幸子ちゃん」

 

 こういう時にノリがいいのが幸子とツバサで、有栖は微笑ましく思えてしまう。

 

 カワセミ書店を後にしてから、幸子はぽつりと呟いていた。

 

「けれどさ、願いってどの辺までのスケールなら叶えられるの? 億万長者、とか。この世界で最強にしてくれーとかもあり?」

 

「幸子ってば……マンガじゃないんだよ?」

 

『わたくし共が叶えられる範囲ならば、どのような荒唐無稽な願いでも構いません。ただし、転生者の方が心の底から願う事のみに限られますが』

 

「……うーん、それって誰かのために願うとかも?」

 

『その都度によります。転生者ならば、可能とする願いは変わるでしょう』

 

「なーんか現実感ないなぁ。その“ゲーム”って、言っちゃえばRPGみたいな? 魔王の軍団を倒して、世界平和を実現してくだーい、とか?」

 

「けれど状況的にはそうだよね……。トランプ兵団を倒して、鏡面界に平和を……って」

 

「有栖は怖くないわけ? だって私達には見えなかったけれど、セビエで戦ったんでしょう?」

 

「それは……」

 

 言葉を濁す。今、この胸に渦巻く感情を幸子に打ち明けていいものかと悩んでいる。どうしてなのだろう。幸子は親友として何でも話してくれるのに、自分は戦闘時に覚えた昂揚感にも似た衝動でさえも明かすのを躊躇っている。

 

「……ま。どんくさいのが有栖だしねぇ。こっからの話でもあるだろうし、いいよ。ほら、ちょうど家の前」

 

「あ、本当……。じゃあ、幸子。また明日」

 

「うん。また明日ねー」

 

 手を振る幸子の背中を最後まで見送っていると、チェシャーに尋ねられる。

 

『有栖。あのお方は大事なのですか?』

 

「そりゃ、そうだよ。幸子はあたしの、一番の友達だもん」

 

『同行者として、有栖の情報を引き渡すリスクもございます。他の転生者に割れてしまえば』

 

「大丈夫だってば! 幸子やツバサ姉にそんな事はないから。あーあ! お腹空いたぁ! ただいまー」

 

 そう言って詮無い考えを打ち切る。

 

 セビエを操っている際、心臓がこれまでにない鼓動を刻んでいた。あの熱い感触、そして内なる戦闘本能としか思えない衝動。セビエと同期して、喰らいかかるような獣の意識。

 

 あれも自分なのだろうか――そんな疑念を振り切って有栖は玄関を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――見ぃつけた」

 

 家屋に入るところを、双眼鏡越しに確かに視認した。これで相手の情報は確定事項となる。アルセウスフォンに浮かぶチェシャーへと言葉を振る。

 

「あれが新しい転生者ぁ? 姫宮財閥のご令嬢と一緒に行動していたのを見るに、すごく強いってわけじゃなさそうだけれどぉ?」

 

『気を付けてください。転生者が新たに生まれたと言う事は、“ゲーム”のシーズンが一刻早まったと言う事です』

 

「分かってるって。……へぇ、面白いわねぇ。まだレベルの低そうな転生者から刈っていくかぁ。姫宮財閥のご令嬢はなかなかガードが堅いけれど、こっちならいい餌になるかもだし」

 

 ビル風に長髪をなびかせ、一人の少女が黄金の月下で含み笑いを漏らす。

 

 それと同期するようにして肩より浮かび上がったのはティーカップ型のポケモンであった。紫色の内容物を晒してキキキ……と不気味に笑い声を上げる。

 

「狂ったお茶会(マッドティーパーティ)にしましょうか――ヤバチャ。私達のやり方で、転生者は刈る。願いを叶えるためにもねぇ……」

 

 宵闇を吹き抜ける風に、奇怪な笑い声だけが妖しく残響するのだった。

 

 

 

第一章 了

 

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