ALICE   作:オンドゥル大使

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第71話 さんざめく『奇跡』

 

 漂っていた。

 

 意識がどこまでも、滞留し続けながら。

 

 虚空に広がるのは、夢遊の感覚。生きているのか、死んでいるのか。これが現実なのか、それとも夢なのかも定かではない。

 

 それでも、愚かな選択肢を取った事だけは明瞭に分かるのが、救われないなと有栖は感じていた。生き残るのだと、何をしてでも縋りつくのだと決めたのに、こんなにも容易く脱落とは我ながら情けない。

 

 オニシズクモの攻撃を受けた脇腹から、じわじわと手足が冷たくなっていく。意識は靄のように掠れているのに、血の熱さだけがハッキリとしている。それに比して、全身は脱力し切っている。

 

 分かっている、もう自分は死に行くだけなのだ。

 

 だがそれでもいいと思えていた。

 

 妙子を救えなかった、それだけではない、ツバサの狂気じみた野望を止められなかった。誰にも、報いられなかった。

 

 きっと自分が頑張った程度では未来は変わらないのだ。それが今だけは、何よりも雄弁に伝わってくる。

 

 さよならなんて、簡単な四音でしかないのにせめて綺咲や幸子には伝えたかったなと後悔の念ばかりが押し寄せてくる。

 

 意識はたゆたう。

 

 精神はがらんどう。

 

 魂は今に掻き消える。

 

 そうなのだと、最早諦め切っている。

 

 今、どう足掻いたところで何一つ、好転する事はないのだろう。挫かれた意志、蹴躓いただけの決意。

 

 自分は、いつでもこうであったのだなと思い知る。

 

 誰かのために何者かであろうとして、そのくせ肝心な時に何も出来ないままで。

 

 幸子の事も、ツバサの事ももっと早く気づけたかもしれないのに。綺咲の隠していた真実も、兎真に告げられたこの世界の仕組みも、もっと容易く受け入れられたかもしれないのに。

 

 いつだって、手遅れになってから全てを知る。

 

 そして、あの時知っていれば。あの時教わっていればなどと懺悔するのみであった。空回りするばかりの決心。空回りし続ける、この胸に抱いた決意。

 

 カラオケで幸子とは分かり合えたと思えた。綺咲とも兎真とも、戦いの中でお互いを知れる機会はあったはず。ツバサの黒い意志にも、どこかで上手く立ち回ったら勘付けたかもしれない。

 

 いや、今さらかと有栖は全てを諦観の中に押し込もうとしていた。

 

 きっと、自分は一生そうなのだ。

 

 妙子の事も、この世界に生まれ落ちた罪科も。気づけたのなら、もっと優しさと覚悟を保てたのなら、誰かを救う事も出来たのだろうか。

 

「……でも、もうなにも……ないよぉ……」

 

 何もかも霧散してしまった。

 

 決意も覚悟も、黄金のように思えた意志でさえも。

 

 ならば、どうすればいい。どうやって、自分に諦めを刻めばいい?

 

 遠くで、自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。

 

 灰色に包まれた空間の中で、遥か遠くに一番星の輝きが視界に入る。

 

 星を、求めていいのだろうか。

 

 輝きを、この胸に宿していいのだろうか。

 

 希望を、抱いてもいいのだろうか。

 

 それは一筋の流星。終わりの淵に沈んだ、この絶望の園で輝く、黄金の輝き。世界の果てに居ても、たとえこの星が丸くなくっても灯る希望の光。

 

 手を伸ばす。

 

 その星を、握り締めたくって。

 

 けれど、握れなくって。

 

 それでも、終わりを紡ぎたくなくって。

 

 涙が滴る。涙の粒は無重力状態のように玉となって浮かび上がる。脇腹から激痛が走る。血が服飾を染め、指先からは力と熱が凪いでいく。

 

 それでも、それでも。

 

 希望を抱いてはいけないのだろうか。

 

 明日を描いては、いけないのだろうか。

 

「……あたしはぁ……っ。あたしは……っ」

 

 無音地帯で、自分の声だけが耳朶を打つ。地獄の極地でも、まだ声が聞こえる。この世の終焉でも、まだ言葉を紡ぎ出せるのならば。

 

 星がひときわ強く輝く。

 

 流星に変わる前に、手を伸ばす。必死に、決死で。届かなくってもいい、伝わらなくってもいい、けれど、ただ一つ。

 

 ただ――こんな結末でいいはずがないのだから。

 

 途端、黄金の星へと一瞬にして指先が届く。

 

 伝わってくるのは人の温かさを映した温度であった。指先から、爪を伝ってその星の温度が伝導する。

 

 それはまるで血のように。

 

 それはまるで涙のように。

 

 それはまるで――最後に残った、一筋の道のように。

 

 直後、視界は開けていた。

 

 涙は、明けの明星に掻き消されていた。

 

 あたたかな、人間の温度。

 

 あたたかな、人の意志。

 

 誰かが、星を挟んで自分を見つめている。

 

 鏡写しのように、片腕を伸ばして。

 

「……おとう、さん……?」

 

 何故なのだろうか。

 

 知るはずのない情報。知るはずのない後ろ姿。

 

 豊穣の証のような金髪をなびかせ、稲穂の園で、その誰かが振り向いてこちらへと手を差し伸べる。

 

 その手を、有栖は鏡の向こう側から――闇の彼方から握り締めていた。

 

 青い瞳を逸らさず、希望の温度を携えたまま。まるでゆりかごに揺られるように、心地のいい金色の光を浴びて有栖はその声を聞く。

 

「……――(アリス、目を醒まして)――……」

 

 さんざめく輝きの奔流の向こう側で、有栖は瞼を開いていた。

 

 

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