ALICE   作:オンドゥル大使

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第75話 溶け合う『現世』

 

「……感動のハグ……ってわけにもいかなさそう……。みんな、こっちの通路だって危ない! 一気に駆け抜けるよ!」

 

 兎真を先頭にして不安定な異空間を抜けていく。その間、綺咲は言葉少なであった。あるいは、言うべき事はもうほとんどないのかもしれない。

 

 それでも、有栖は彼女と一緒に生きたいと願ったのだ。だからこそ、こうして繋ぎ合わせた氷の手錠と体温がある。

 

「……待って! 出口はどこに出るの……? このまま鏡面界にでも出たら……私達全員、全滅しちゃうんじゃ……」

 

 幸子の言葉に兎真は振り返りながら必死に声を絞る。

 

「そんな場合じゃないんだってば! ……何て言うのかなぁ……。現実だとか鏡面界だとか……もうそんな事、どうだってよくなってるって言うか……。とにかく! 今は脱出最優先! もし……目の前に飛び込んできた光景が信じられなくっても、あーしの責任じゃないかんね!」

 

 どこかやけっぱちにも映る兎真の様相に有栖は走りながらそう言えばまだ“ゲーム”の終了が宣告されていない事に気づく。以前のように“カタストロフィ”が明確に訪れたわけでもなく、ましてや得点計算が正常に実行されたようでもない。

 

 ともすれば、この“ゲーム”は想定外の方向に進んでいるではないかという感覚が脳裏を掠めた瞬間、不意に重力が身体を押し包む。

 

 異空間の通路を抜け、有栖達が飛び出したのはよく見知ったはずの現実世界であった。

 

 ――それが燃え盛る獄炎と、そして赤銅色の燐光を棚引かせる巨大ポケモンに蹂躙されていなければ。

 

「……これって……!」

 

「やっぱり……! 一旦戻ってこっちに来れば夢だったかぁとかなるのかなって思ってたら……これは夢でも何でもないんだよね? チェシャーにヒメ」

 

 兎真は額に手をやってこの状況をチェシャーと綺咲に問い返す。二人は言葉を詰めて、それから慎重に宣告する。

 

「……こうなってしまったのは“ゲーム”の在り方が歪まされたから。翡翠ツバサの目的はまさしく、これだった。鏡面界と現実世界の融合と、そして崩壊。上を見ればよく分かるわ」

 

「上……?」

 

 有栖が天上を仰ぎ見る。その瞬間、息を呑んでいた。

 

 何故ならば――白銀と茶褐色の巨大山脈がまるで夢仕掛けの不出来な舞台装置のように逆さ吊りで屹立しており、その輪郭を赤銅の燐光が覆っていたからだ。

 

「学園都市の空に……鏡面界の大地……?」

 

 幸子も戸惑いを隠せないようで、学園都市を象徴する姫宮財閥のツインタワービルと相克するかのように鏡面界の地平が広がっている。

 

「……どういう事……? ここは鏡面界なの? それとも……」

 

 それとも現実世界なのか。だとすれば、“カタストロフィ”が訪れた時よりもなお色濃い、死の気配とそして破壊の爪痕がある。学園都市は現れたポケモンによって蹂躙され、市民の姿はほとんど見えないが、そこいらに血溜まりが散見される。

 

 一夜にして、否、ほんの数時間でここまで酷い有様になったとはにわかには信じられず、有栖は絶句していた。

 

「……チェシャー。これがどういうコトなのか。説明、あるんだよね?」

 

 兎真の詰問の論調にチェシャーは頭を振ってから、意を決したように面を上げていた。その表情には苦渋が窺える。

 

「……はい。全てをお話しする時が訪れました。ただし、それは鏡面界の支配者――ハートの女王の宣言を目にしてから」

 

「ハートの女王……?」

 

 その時、不意打ち気味に街頭のモニターがジャックされる。映し出された姿に、有栖は息を呑んでいた。

 

 緋色の瞳に、一つ結びにした黒髪。そして、権威の象徴のような水色のドレス。頭部には薄いベールを纏っている。

 

 片手に携えたモンスターボールのはめ込まれた杖を、画面の向こうの少女はカンカンと突いていた。

 

『静粛に……とは言っても、現実世界の人間どもには理解も出来ぬ事よのぅ。ポケモンの浸食に、恐れおののいておるとよい。我が名はハートの女王。トランプ兵団を率いる、この現世とは理の違う、鏡面界とうぬらが呼ぶ世界の支配者。そして、妾はこの瞬間より、現実世界を基点として――独立国家を宣言する。無論、拒否権はない。現世と鏡面界が完全に溶け合うまで、残された時間はたったの三日。それまでをどのように過ごすのかはうぬら次第だが……まぁ、せいぜい愛する者と一緒に過ごすとよかろう』

 

 プツン、とモニターの映像が切られたかと思うと、全員の眼差しが綺咲へと赴いていた。だって、疑いようもなく今、ハートの女王と名乗った存在と綺咲は、同一人物のように思われたからだ。

 

「……やはり、まだ生きていたのね。私の憎むべき存在であり、アーキタイプ……」

 

「アーキタイプって……」

 

 幸子が困惑を浮かべている間に抱えていたキャロルが身をよじって瞼を開く。その赤い瞳がこちらを捉えると、自分が生きている事に驚いているようであった。

 

「……ここはどこ?」

 

「ここは現実世界……。キャロル、あなたは死ぬはずの運命から脱し……願いを叶えるためだけの存在ではなくなった。この意味が分かるわよね?」

 

「うん。わたしにはもう、ねがいをかなえるちからはないんだよね?」

 

 綺咲とキャロルの間でだけ成り立つ不文律に、有栖は翻弄されながらもこの状況をどうにか理解しようと努める。

 

「……あたし達は……もう“ゲーム”の外に居るの? それとも……これも“ゲーム”のうちなの? チェシャー……」

 

「……確定的な事はまだ言えませんが……間違いなく、第二“シーズン”は終わったはずです。しかし、“カタストロフィ”の結末は訪れなかった。それどころか“コール”でも“レイズ”でもなく、ましてや“このゲームから降りる”でもなく……。翡翠ツバサ様は第四の選択肢を選んだのです。それによって、この状況が作り出された。わたくしの不徳の致すところでもあります。もっと早く……翡翠ツバサ様を、排除すべきでした……」

 

「チェシャー……」

 

 シュレディンガーの言っていた通り、チェシャーには“感情”があるのだろうか。それとも、それらしい行動を模倣しているだけなのかは有栖には分からない。だが、敵対するような存在ではないのだけは確かであろう。

 

「――止まれ」

 

 不意に呼びかけられた声と共に、四方八方を固めたのは黒い装甲服に身を纏った者達であった。彼らは一様にコマのような装備を施され、煌めく線を棚引かせている。

 

「……これは……! 敵……?」

 

「いや、ちょっと待ってって! あーし! さっき会ったでしょ!」

 

 この場でまさか取りまとめようとするのが兎真だとは思いも寄らず、有栖が目を見開いていると黒服の者達の中でも偉丈夫の男が声を投げる。

 

「……早谷兎真か? だとすれば……転生者、なのか?」

 

「いきなりドタバタは御免なんだから! ほら、ヒメ! 言ってやってよ!」

 

 綺咲の背中を叩いた兎真に、彼女はどこか懺悔するかのように目を伏せてから周辺で警戒する者達へと言葉を絞り出す。

 

「……GIGの皆。よく……生き残って……」

 

 その声にマスクをずらして、男が綺咲の前で平伏する。

 

「……お嬢様、よくぞ御無事で……」

 

「お嬢様ぁ~……! 私達、頑張ったんですよぉ? 頑張ったんですけれど……」

 

 どこか頼りにならなさそうな女性が綺咲へと歩み寄る。それを男が制していた。

 

「トリア! お前は……お嬢様を困らせて」

 

「だってぇ~……私達だって初の実戦だったんですもん。怖いに決まっているじゃないですかぁ~」

 

 唇を尖らせたトリアと呼ばれた女性に綺咲は少しだけ微笑みかけてから、この状況のまずさを宣告する。

 

「……先にも見た通り。ハートの女王が現実世界に浸蝕してきたわ。あれだけは……絶対に許しちゃいけない……邪悪そのものよ」

 

 そこまで綺咲が断ずるのは珍しいと、有栖は何か言葉を投げようとして赤銅色の燐光を帯びた巨大ポケモンが吼え立てる。

 

 すると、統率された軍隊のように黒の装甲服の者達が散開し、ダイマックスポケモンを包囲する。

 

「各員! 対ダイマックスポケモン編成! キャプチャ・スタイラー、用意……!」

 

「了解っ!」

 

 茫然としたのは彼らの統率力の高さもある。磁石を想起させるような無駄のなさでダイマックスポケモンを四方八方から囲み、その手の中にあったコマにしか映らない武装を解き放つ。

 

 それがダイマックスポケモンへと光の軌跡を棚引かせて円弧を描いたかと思うと、赤銅色のエネルギー磁場が拡散し、ダイマックスが解除されていく。通常サイズに戻ったポケモンへと無数の光輪が拘束具のように重ねられ、やがて巻き付いてからポケモンから野生の本能を取り払っていく。

 

 ほんの一分にも満たない交錯で、彼らはダイマックスポケモンを無力化してみせたのだ。その手腕に舌を巻いた自分達に綺咲は言い添える。

 

「彼らは姫宮財閥で訓練した、対ダイマックスポケモン、及びオヤブン個体への対抗策。ガッツィー・インシデント・ガード――通常、GIGの構成員。ポケモンを従える我が社の開発部門が造り上げた武装を使う、ポケモンレンジャーよ」

 

「ポケモンレンジャー……」

 

 魅せられたように有栖が声にした途端、空を無数の影が突っ切っていく。一体何が、と仰ぎ見た有栖の視界に映ったのは三角形の全翼型戦闘機であった。

 

 何が起こるのか、と有栖が悠長に構えていた瞬間、綺咲が声を迸らせる。

 

「伏せて!」

 

 何の事を――と思う間にそれは巻き起こっていた。

 

 爆発が連鎖し、逆さ吊りの鏡面界を無数の爆雷が焼き払おうとする。ポケモンの絶叫と咆哮が迸る中で、ステルス機と呼ばれるのであろう戦闘機が機銃掃射を見舞って一気に本丸へと仕掛けようとする。

 

「……いけない……! 死ぬわよ……!」

 

 切迫した綺咲の声に有栖は転がっていくばかりの戦況を理解する事も出来ないまま、ただただ事態に振り回されていくばかりであった。

 

 

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