ALICE   作:オンドゥル大使

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第76話 境界の『侵犯』

 

「来たか」

 

 全翼型の戦闘機が鏡面界を蹂躙していく。ポケモンほどの火力はないが、それでもヒスイ地方を焼き払うだけの威力はある。山脈が削れ、がらがらと土砂崩れが起きる中で、ハートの女王は落ち着き払っていた。

 

 それを最も近い場所で目にしていたノックスは、この女王の精神性に驚嘆するほかない。

 

「……ハートの女王。あれは現世の者達が持つ叡智。簡単に打ち崩す事は……」

 

「可笑しな事を言うのぅ、うぬも。まったく、世界はどこまでも愚かしい帰結を辿ると言うのか。妾も飽きないで済むのが良い」

 

 カツン、とモンスターボールがはめ込まれた杖で地面を突く。

 

 その瞬間、波紋が浮かび上がり戦闘機から放たれた火炎と破壊の衝撃波を減殺させるが、それでも豊かな大地まで守れるわけではない。せいぜい、トランプ兵団の団員達を死なせないようにする程度だ。

 

 見知らぬ戦闘兵器を前に恐慌に駆られるトランプ兵団の者達へと、ハートの女王は呼び掛ける。

 

「うろたえるな! 者ども! 妾にしてみれば、ちょうど良い。試し撃ちにはな」

 

 杖に封じられたポケモンが今、この瞬間に解き放たれていた。

 

 それは漆黒の姿をしていた。バランスを欠いたかのような四肢と、そして結晶体を想起させる躯体。頭部には目鼻と言うよりも亀裂のような文様が蠢いている。どこをどう取っても、生物的とは正反対の場所にあるポケモンの顕現にトランプ兵団の団員達は息を呑む。

 

「……これが……」

 

「そうじゃ。これこそが、妾の愛しい――ネクロズマ」

 

 名前を呼ばれて愛おしい感情などあるのか、それとも機械的な反射を繰り返しているだけなのか。ネクロズマは平伏するように視線を下げてから、ハートの女王の敵である現実世界の戦闘機へと視線を振り向ける。

 

 亀裂めいた頭蓋が反射光を溢れさせ、ネクロズマは末端肥大気味の両腕を広げる。その途端、黒一色であった肉体を乱反射したのは光そのものであった。光速――それに相応する速度で肉体を血肉のように光が駆け巡った刹那、ハートの女王は声にする。

 

「――プリズムレーザー」

 

 直後、膨れ上がった火力と出力の光芒が瞬き、トランプ兵団の者達は眩惑されて思わず瞼を閉じた者が大勢であった。

 

 だがノックスは、決して目を閉ざさなかった。

 

 そして、見たのだ。

 

 四方八方、上下左右から放たれた光の乱反射がまるで獰猛な獣の牙のように、戦闘機を噛み砕いていくのを。それはレイコンマ一秒以下での交錯。そして回避不可能な劇薬の暴力。

 

 膨れ上がった灼熱で戦闘機が爆ぜる。

 

 その証左でさえも残さず、塵となった現実世界の兵器を前に玉座に座り直したハートの女王はさもつまらなさそうに頬杖を突く。

 

「この程度か。現世の兵器と言うものは」

 

 ノックスは恐怖していた。否、この少女を恐怖しなかった事などない、だがこの時ほど恐ろしいと思った事はない。現実世界の叡智の結晶を、まるで虫でも払うかのように軽く粉砕してみせた。それは何よりもハートの女王の在り方を雄弁に語っている。

 

「……ハートの女王。これ限りとも思えません。現世の人々が襲撃を仕掛けてくるのは……」

 

「それはそうじゃろうなぁ。しかし、そのような些末事にかまけておる場合でもあるまい。――そうであろう? 受付嬢よ」

 

 こちらへと恭しく頭を垂れているのは、給仕姿が板についた女性であった。ロングスカートを摘まんで華麗に挨拶する。

 

「その通り。シュレディンガーは上手くやったようですので、あとはわたくしの姉妹達が、この鏡面界を成立させるために、動くのみです」

 

「うぬも分からぬ事を言う。転生者の存在理由、そして何故、我々トランプ兵団はこの時を待ち望んでいたのか。全ては――現世を支配するために。要は特権層は少ないほうが良いとの事であろう?」

 

「その御言葉通りに。これよりわたくし達は――全世界の転生者候補に接触いたします」

 

「うぬ、名前は……何と言ったか。受付嬢は皆、似たような名前で良くない」

 

「つつしんで。バステト、の名前を取っております」

 

 その言葉を潮にしてバステトは消失する。今しがたまでハートの女王と会話していた事のほうが嘘のように。

 

「……信用なるのですか? あれは、だって……」

 

「ノックスと言ったか。うぬももう少し、大局を見据えたほうが良い。受付嬢は当てになる。それもこれも、我が鏡面界が現世を支配し尽くすまで。それまでにかかる時間は少なかろうな」

 

 ハートの女王が玉座から立ち上がり、奥の間へと向かう。ノックスが視線を振り向けると、結晶体に封じ込められた女性が今も沈黙を守っている。

 

「……これも納得の形であろうかのぅ。アーキタイプを持たない、ただの駒でしかない存在であるが、彼奴等に交渉条件を突きつけるのにはちょうど良い。現世の“影”でしかないアリスの、母親の役割を纏う者か」

 

 ハートの女王の愉悦にノックスは正直なところついていけていない部分もあった。その洞察力、そして先の未来を見据えた戦い方。どれを取ってしてみても、彼女は稀有なる存在だ。

 

「……“影”、ですか。転生者が……」

 

「ノックスよ。覚えておくが良い。所詮、ただの情報生命体でしかない現世の者達であっても、“感情”は存在するのであるのだからな。そこにこそ付け入る隙はある。妾には、この者は愛おしいほどだとも。転生者と、妾自身の“影”、それと戦うのにこれ以上の舞台もあるまい」

 

 恐ろしさに震えながらも、ノックスはおくびにも出さずにハートの女王に忠誠を誓う。

 

「……心得ました。ハートの女王、この世界が終わるその時まで、あなたに忠誠を」

 

 その言葉がただの世辞ではないのは理解出来たはずだが、ハートの女王は鼻を鳴らしてネクロズマを杖のボールに戻す。

 

 やがて、カツンとその杖で床を叩いていた。

 

「支配は、常に上から下へと流れるもの。例外はない。妾は、この現世を完全に掌握してみせようぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうそろそろゲームはやめなさーい! 明日もテストなんでしょう?」

 

 母親から呼びかけられ少年は反抗期剥き出しで応じる。

 

「分かってるってば……! うっさいなぁ、クソババァ……」

 

 それに、テストなんかに時間を割いているのももったいない。なにせ、『ポケモン』の最新作が出たばかりなのだ。一両日中にクリアするのがファン精神と言うもの。

 

 そう思って最新ハードで形成されるポケモンのフィールドを行っていると、不意に影が落ちていた。母親が業を煮やして邪魔しに来たのかと思ったが、違う。

 

 ゲーム機から浸蝕するようにして、ゴスロリ衣装を身に纏った女性が浮かび上がったのだ。

 

 少年が思わずゲーム機を取り落とす。

 

「な、なにが……!」

 

 戸惑う少年へと女性はにこやかに微笑みかける。

 

「おめでとうございます! 貴方は転生者に選ばれました!」

 

 差し出されたのは特徴的な形状のスマホであった。灰色の端末には『ポケモン』でよく目にしたモンスターボールの意匠が投射されている。

 

「……てんせいしゃ……? 何の事……」

 

「おや、これは失礼。では説明いたしますね。転生者とは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同刻、『ポケモン』の最新作をプレイしていたあらゆる人種、あらゆる人物へと、同じ現象が襲い掛かっていた。

 

「おめでとうございます!」

 

「Congratulations!」

 

「Félicitations!」

 

「Congratulazioni!」

 

「¡Felicidades!」

 

「Herzlichen Glückwunsch!」

 

「Parabéns!」

 

「مبروك」

 

「Поздравляю」

 

 世界各国――全ての人類へとあまねくもたらされる祝福。だがそれは、同時に戻れない道への誘因でもあった。

 

 彼らにとってハッキリしていたのは、ただ一つ。

 

 ポケモンを操る転生者としての覚醒、そしてまだ続く“ゲーム”への参戦であった。

 

「わたくしの名前はバステト。どうか、ご信頼を。貴方方の願いを叶えて差し上げましょう。皆さま――ポケットモンスターの世界へとようこそ」

 

 それはこの現実世界が融け落ちるその瞬間の言葉であるのだと、理解出来たのはほんの数名であったに違いない。

 

 だが、転生者は地球を巡る。

 

 バステトが同時刻、時差も加味して同時出現する。

 

 彼女から差し出された灰色のアルセウスフォンを手に、彼らは二度と捨てられない自らの罪過を背負うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第四章 了

 

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