ALICE   作:オンドゥル大使

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第78話 緋色の『魔女』

 

 忘れないで、と現実の喉が震わせた途端、綺咲は頬を伝う熱をなぞっていた。ああ、まだこの身体に流れる血潮にもそのような情が存在していたのかと不可思議な気分に駆られる。

 

『作戦開始時刻まで残り20セコンド。……GIG各員には酷な任務を強いるが、これが一つの分水嶺だ』

 

 GIG隊長の声が通信に接続され、綺咲はその中で不意に手首に巻かれた時計よりもたらされるポップアップの直通通信を繋いでいた。

 

「……なに、早谷兎真……」

 

『あっれー? ゴキゲン斜めじゃん。もしかして寝起き?』

 

 思ったよりも図星を突かれたので、綺咲は不機嫌そうに応じる。

 

「……放っておいて」

 

『ヒメさぁ、作戦実行までいくばくかもないってのに、まさか夢見心地じゃ困るんだけれど』

 

「……夢をね、見ていたのよ」

 

『うん、それは理解しているよ? 夢を見ない人間は……まぁ滅多なコトじゃ居ないかな』

 

「……そこでね、私はまたアリスと会ったの」

 

『……有栖と?』

 

 通信先で兎真が怪訝そうにしたのが伝わる。きっと言わないでいい情報だったのだろう。綺咲はすぐさま自身を切り替える。

 

「……いいえ、何でもないわ。作戦目標までの概算距離は?」

 

『ざっと目測で会敵時間は三分程度。ほんの一瞬のすれ違いざまに甲板に飛び乗ってあーし達は作戦開始するコトになるけれど……ホントに大丈夫? 寝不足とかなら……』

 

「……大丈夫よ。昨日はちゃんと寝たし」

 

『……そっ。それならいいんだけれどさぁ。目標は依然として健在。……いや、ちょっと待って……! 後方から高熱現反応! これ……!』

 

「……強襲をかけようって言うのね。まぁ、私達が言える事じゃないけれど」

 

『各員、対ショック姿勢! ポケモンによるソニックブームが来るぞ!』

 

 GIG隊長の声が響き終わるかどうかの瀬戸際で、自分達の搭乗するクジラのようなシルエットを誇る巡洋艦アゲハは大ダメージを負う事になる。高速で空を駆けるポケモンの放つ衝撃波だ、そう簡単に減殺出来るはずもない。

 

 激震を味わいながら綺咲は揺さぶられる視界の中で装甲服を着用する。今にも崩壊しかけている巡洋艦が轟沈した場合、その後の判断と正誤はそれぞれの判断に委ねられる。綺咲は空気を抜き、ぴっちりとした藍色の特殊装甲服に身を包み、直下の制圧目標を見据える。

 

「……こちらアルファ1、姫宮綺咲、目標へと飛び移るわ」

 

 とん、とそれこそ何でもないかのように綺咲は宙を舞う。他の隊員達も適切なタイミングで離脱したようで、脱落者は居なさそうだ。

 

 風圧に煽られながら、綺咲は装着しておいたゴーグル型のステータス端末を操作し、迫ってくる目標を至近距離に捉えようとして、不意打ち気味の接近警告に視線を振り向ける。

 

 そこに居たのは薄紫色のポケモンであった。航空機のような鋭角的なシルエットを誇り、翼を傾かせて綺咲の肉体を引き裂こうとする。

 

「……行って。ジャランゴ」

 

 飛び出させたジャランゴが航空ポケモンともつれ合い、互いに殴り合いになる。ジャランゴが相手の顎を殴り上げ、表皮の擦れ合う音波で相手ポケモンの三半規管を麻痺させる。

 

 だが、相手ポケモン――アルセウスフォンによるとメガラティオスと言うらしい――は即座に身を反転させてジャランゴを振り落とそうとする。空域では空を自在に舞うポケモンが圧倒的有利なのは自明の理。さらに衝撃波を伴わせて加速して突っ切っていくだけでジャランゴは断続的なダメージを受け続ける。

 

「ジャランゴ! 敵の攻撃に耐えながら、チャンスがあればすぐに離脱!」

 

 しかしそう口にした直後、メガラティオスの体躯が光り輝き、それらは眩いばかりの反射攻撃となってジャランゴを襲い掛かっていた。

 

「ラスターパージ」の威力を真正面から受けながら綺咲はジャランゴの戦闘続行時間を信じつつ、この場においての打開策を模索していた。

 

 メガラティオスが如何に強力なポケモンであろうとも、近づかなければポケモンに指示は与えられない。刻一刻と変わっていく戦場の空気に、予め決めておいた行動規範など意味はない。綺咲は装甲服に吹き荒ぶ風を感じながら、左腕に固定マウントされたアルセウスフォンをさすって操作する。

 

「ジャランゴ! 敵のタイプはドラゴン・エスパー! 苦手なタイプだけれど、どこかに付け入る隙はあるはず……! 頼んだわよ」

 

 ジャランゴが吼え立て、メガラティオスの躯体へと青い爪を振るい落とす。メガラティオスが身をよじり、錐揉みながらジャランゴを振り落とそうとする。ジャランゴは決死に爪を食い込ませ、全身の表皮を擦り合わせてゼロ距離の音波攻撃を放っていた。

 

 三半規管を狂わされたメガラティオスが一転して下降していくのをジャランゴは利用して飛び移り、別個体のメガラティオスへと仕掛ける。

 

 しかし、さすがは高レベルのポケモンと言うべきか、完全に墜落する前に即座に戦線復帰するせいでこちらの戦力は削られていくのに、相手の戦力は衰え知らずだ。

 

「……問題なのは……時間ね」

 

 航空機の甲板が迫る。綺咲は周囲で目まぐるしく変わっていく状況を視野に入れながら、ヘッドアップディスプレイ上に表示されたステータスを読み取り、脛に搭載された補助推進剤を焚かせて無事に目標へと到達する。

 

「こちら、アルファ1。無事に甲板に取り付けたわ。他のメンバーは……」

 

『こちらGIG隊長、デルタ1。メガラティオスへと立体機動戦闘でキャプチャを仕掛ける。総員、三次元立体攻撃を敢行せよ』

 

『了解っ! 隊長ぉ~! ぶっつけ本番のいきなりですけれど、上手くいきますかねぇ』

 

『上手くいくかどうかは日々の鍛錬が物を言う。……メガラティオスを留めるぞ』

 

 GIG各員の声が復唱され、向かって来るメガラティオスへとまずはGIG隊長がキャプチャ・スタイラーを走らせる。しかし、接地面積がないせいで、普段のようにコマを回転させながら放つのではない。

 

 ほんの一瞬の交錯。すれ違いざまにキャプチャ・スタイラーを縦に振るい上げ、メガラティオスの眼前を塞ぐ。続いて別の隊員が横合いから入ってちょうど十字の光の軌跡を紡ぐ。

 

 さらに、GIG隊員によって何度も何度もキャプチャ・スタイラーの疾走がメガラティオスを閉じ込め、結果的に籠のような光の形状を確立させる。

 

『通常ならば、地面を使ってのキャプチャなのだが……ここは空戦。ならば、空の流儀がある。全方位からのキャプチャ……喰らえ……!』

 

 メガラティオスをキャプチャ・スタイラーの籠が包み込み、次の瞬間には攻撃的であったメガラティオスがGIG隊長の空力を補助し、その背中に乗せる。どうやら危機的な状況からは脱したようで、キャプチャしたメガラティアスが矢継ぎ早にその攻撃を友軍のメガラティオスへと放っていく。

 

 こうなってしまえば、ポケモンレンジャーの独壇場でもある。

 

 メガラティオスを従え、GIG隊長は標的であるプライベートジェットへと追従していた。ポケモンによる強襲となれば、如何にあらゆる権限を凌駕したプライベートジェットであろうとも、僅かに速力を緩めなければならないだろう。

 

 綺咲が狙ったのはそのチャンスだ。

 

 予め装備しておいた爆雷で航空機の中に穴を開け、即座に構える。

 

「……敵襲!」

 

 SPが色めき立ったが、綺咲は落ち着き払って両袖に仕込んでおいた光のワイヤーを振るう。拳銃を落とさせ、さらにほぼ密室の中で席を蹴って一気に肉迫し、膝蹴りでSPを昏倒させる。

 

 瞬時に銃弾が飛んで来たが、これまで転生者として学園都市で戦ってきたのは何も伊達ではない。

 

 姿勢を沈めて回避するなり、もう片方の袖に仕込まれた光のクナイでSPの脛を掻っ切り、その動きが阻害されたほんの数秒にも満たない時間で身を躍らせて両足でその頭部をひねり、体重を利用して頸椎をねじる。

 

 SPがたったの三人であったのは、やはりポケモンによる戦力を過信していたのだろうか。

 

 綺咲はゴーグル越しにモンスターボールを突きつける。その対象は、仕立てのいいスーツを着込んだ金髪の男性であった。

 

「これより、私達の管轄下に入っていただきます。拒否権はありませんよ。――合衆国大統領」

 

 その名称に相手は観念したかのように項垂れながら両手を上げる。これで制圧任務は遂行したかに思われたが、直後に航空機を襲ったのはメガラティオスの体当たりであった。

 

「……メガラティオスの制御は……!」

 

「ポケモンを操る術は、“こちら側”の人間にはない。分かるだろう、姫宮財閥の“緋色の魔女(HEX)”ならば」

 

 簡単な帰結にもっと早く気付くべきであった。綺咲は兎真へと直通を繋ぐ。

 

「やられた……! 転生者の中に、裏切り者が居た……!」

 

『ちょっと待ってって、ヒメ! その転生者、一体どこに……!』

 

「多分、遠隔なんでしょう。メガラティオスほどの強力なポケモンを従えているのだから、米国に守られている可能性が高いわ。……私とジャランゴはプライベートジェットが撃墜されないように努める。あなたは――」

 

『リアルタイムで防御でしょ! 分かってるってば!』

 

 今ばかりはその空元気がありがたい。ジャランゴが甲板へと降りてきてすぐさまこちらの意図を理解したのか、大統領を保護するように配置に付く。

 

「……言っておくが、私は君らと交渉をしに来たのだ。殺し合いをしに来たわけではない」

 

「それはこちらも同じ。……あなた達がグラウンドゼロ地点に落としたがっている、爆弾の話もね」

 

 全て理解の上か、と大統領は憔悴し切ったように嘆息をつく。

 

「……世界は転がり始めているんだ。今さら、巻き戻しなんて出来やしない」

 

「だとしても、私は己に出来る事を模索したい。早谷兎真、やれるわね?」

 

 メガラティオスが空力の加護を受けて何度もプライベートジェットに追突する。その度に激震が機内を揺さぶるが、綺咲の目的は一つだ。

 

 ――このままVIP待遇の大統領を保護し、目的地までの水先案内人を果たす事。

 

 悲鳴を上げる大統領に綺咲は次なる手を巡らせていた。

 

「GIG、各員へ! キャプチャ・スタイラーの制限時間は!」

 

『残り三分未満です……! やはり上級ポケモンのキャプチャには、時間制限が……!』

 

 隊長からの返答に綺咲は次なる手を講じていた。

 

「早谷兎真! 残存しているメガラティオスの数は!」

 

『今のところ、三体! キャプチャした個体と、今、ヒメ達に仕掛けている個体。それ以外だと……! どこからでも仕掛けられるように上昇している個体が居る! こいつに応戦するのには骨が折れるかな……!』

 

 キャプチャによる応戦は持っても三分以下。その上、メガラティオスは加速衝撃波を伴わせて何度もプライベートジェットを襲う。通常の航空機ならば一撃で穴が開いても可笑しくはなかったが、さすがは要人のための機体だ。すぐに空中分解と言う事はないだろうが、それでも刻一刻と時間が迫っているのは窺える。

 

 綺咲はその時、この状況を打開する術のうち、一案を思い浮かべていた。

 

「……早谷兎真、上昇してばかりの個体が居るのよね? なら、そのポケモンがやる技はある程度絞れている……」

 

『ひ、ヒメ……? まさかとか言わないよね……?』

 

「そのまさかよ。あなたはその上昇して……一気に勝負を決めようとしている個体を担当。GIG各員へ! キャプチャしたメガラティオスで航空機を攻めてくるメガラティオスへと攻撃を仕掛けてちょうだい」

 

『ですが……! そうなるとパッケージの確保と、それにお嬢様の無事が……!』

 

「私の無事は二の次でいい。幸いにしてジャランゴなら大統領一人ならば連れ出せる。キャプチャしたメガラティオスで攻撃してくる個体を全力で排除。結果がどうなろうと、今は戦力が惜しいわ。実行してちょうだい」

 

 こちらの物言いもイレギュラーと不完全であるのは分かるが、GIG隊員と兎真がしたがってくれるかどうかは五分五分の賭けであった。しかし、すぐさま返事が返ってくる。

 

『……しょーがないんだからなぁ、ヒメは。あーしで上の個体は止めるから、GIGのみんなは航空機に仕掛けてくる奴をお願い』

 

『了解した。……お嬢様、これよりメガラティオスのキャプチャ最大戦力を用いて妨害を行います。もしもの時には……』

 

「安心して。覚悟は出来てる」

 

 それが認証としてはちょうどよかったのだろう。次の瞬間、メガラティオス同士が航空機のすぐ傍でもつれ合い、互いに鋼の技を見舞いながら弾かれ合う。生命波導を用いた「はどうだん」を弾幕にしながらメガラティオスはすれ違いざまに旋風の刃である「エアスラッシュ」を交わし合い、お互いの戦力を削っていく。

 

「……大統領。もしもの時には私のジャランゴが守ります。どうか、落ち着いてください」

 

「……この状況で落ち着けと言うのは、どだい無理な話だとは思うがね……」

 

「それでも信を置いていただけると助かります。早谷兎真……やれるわね?」

 

 天高くへと仰ぎ見た綺咲は拳をぎゅっと握り締めていた。

 

 

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