長い白亜のエントランスを抜け、姫宮財閥のツインタワービルの会議室に向かうまでにかかる時間は約十三分二十五秒だ。如何に最適化を身に沁みつかせても、必ずかかる時間はある意味ではコストとも呼べる。自分は常に毎日十三分半のコストを払い、姫宮財閥と言う名の大きな歯車となって業務に打って出る。
それは自身に課せられた責任そのものであるのだろう。どう足掻いたところで抜けられない因果とも言える。
「おはようございます、代表」
そう言って恭しく頭を垂れるえんじ色のスーツ姿の女性オペレーターへと自分は声を振り向ける。
「うむ。おはよう。今日のスケジュールは? コハク」
コハクと呼ばれたオペレーターは素早く手帳を取り出して綴られた一日のスケジュールを読み上げる。
「11時より合衆国大統領との秘密会談の予定でしたが、つい十五分前にGIG、及びお嬢様から入電。代表の読み通り、大統領暗殺に向かった一派があったと」
「そうか。何分遅れる?」
「それに関してはお嬢様から三分前に返信がありました。GIGによってプライベートジェットは姫宮財閥のヘリポートへと無事に着陸。時間の遅延はほぼなしとの事です」
「……合衆国大統領にはご足労をかける事になったな」
「ですが、GIGとお嬢様が動かなければ、彼の合衆国は頭目を失っていた事でしょう。そうなった場合、ただでさえ混迷に陥っている世界がより混乱に搔き乱されていた可能性があります。また、GIG隊長より、襲撃者の詳細情報が」
「続けてくれ」
コハクに促されて籠型のエレベーターに入ると、膨大な富を内包した姫宮財閥のツインタワービルから望める景色が視界に入る。
半年前までならば穏やかな学園都市の朝が視界に大写しになったものだが、今、視界を遮るのは天高くより宙吊りにされた悪夢のような山脈であった。日差しを遮り、学園都市の都市機能のことごとくを奪った悪逆の芽から今も赤銅色の閃光が降り注ぐ。また禁止区画が増えるなと思っていたところで、コハクの情報が入ってくる。
「襲撃者は他国の特殊部隊の線も考えられましたが、十中八九、“ただの”転生者であろう、との事です」
「……そうか」
予見出来ていたとはいえ、その事実は単純に辛い。これでは学園都市の実行力や、あるいは権限は次々と失われていく一方である。
「代表、ここまでの事態は……お嬢様が十二年前に預言なさった通りに進んでおります。やはり、我が社が“ポケモン”を世界に向けて発表したのは悪手であったのでは……」
「君はそう思うのか? 誰よりも雄弁に……あちら側の、鏡面界の出身である君が」
「それは……。お嬢様が世界の泥を被る事はないと思っているのです。このままでは……世界からの悪意に押し潰されてしまう」
「だが、綺咲はそれをよしとして、今日まで転生者との戦いを繰り広げてくれている。……わたしには過ぎるほどのよく出来た娘だよ」
眼鏡のブリッジを上げ、嘆息一つで憂いを打ち消す。そう、よく出来ている。それがたとえ、マイナスの方向であろうとも。
「もう一つ。篠崎有栖様とカイ様が巡回中に旅行者を見つけたとの報告が入っております。その旅行者も、どうやら転生者なのだと」
「……なるほど。事態は同時多発的に起きていると言う事か」
ならばのっぴきならない事態に陥る前に手を打たなければならないだろう。そう感じてエレベーターホールから出てからの長い廊下を歩む。そこいらに姫宮財閥の開発した今日までの財産である『ポケモン』の意匠を散りばめた高級品が並んでいる。それらの怪物の威容も、今ばかりはどこか刺すような視線でさえも感じるのは気のせいであろうか。
コハクが真鍮製の会議室の扉を開ける。
既にヘリポートから綺咲が案内していたのだろう、会議室で遭遇するなり大統領は気色ばむ。そしてその隣に居る綺咲と、一瞬だけ目線が合った。
「……失礼を」
「いい。……綺咲」
呼び止めると、綺咲はつかつかと冷たい足音を止めてから振り返らずに応じる。
「はい」
「よくやってくれた。下がっていい」
「……はい」
どうしてここまで不器用に成り下がったのだろうと後悔の念が一瞬だけ掠めたのも、ほんの一秒未満。綺咲は冷たい靴音を響かせながら会議室を後にしていた。
「さて、ミスター姫宮。まさかあなたの差し金だとは思いたくはないのですがね」
会議室に集っていたのは合衆国大統領だけではない。各国の統治者に近い人物や、為政者、あるいは宗教的な代表者など多岐に渡っていた。もっとも、この場で生身なのは大統領と自分だけで、他のメンバーは電子的な接触に留まっていたが。
「お待たせしました」
『会議を執り行いたまえ。姫宮コウジ代表』
早速追及が飛んでくるか、とコウジは着席して視線を振り向ける。投射画面に反射した自分の面持ちは平時と変わらないはずだったが、壮年の白髪交じりの眼差しに浮かんだ疲弊に、なんて顔だ、と自嘲する神経がなかったわけではない。
『左様……。半年前より学園都市に出現した……転生者。そして鏡面界、か。どれもこれも、フィクションの代物だと断定出来ればどれほどよかったか』
『しかし、今も学園都市の天空には浮かび続けている。君らが創り上げてきた、フィクションの虚像が』
自動翻訳機能は滞りなく言葉を翻訳し、この場での齟齬を限りなくゼロにしているが、それでも認識の違いまでは翻訳し切れないのだろう。
「……ミスター姫宮。あれは何なのだ?」
襲撃に遭ったとは言え、さすがは合衆国を束ねる大統領。こういった時にすぐに平然とした態度に戻れるのは器であろう。
「……先にも説明させていただいた通り。わたしどもはずっと、警戒を込めて世界に発表し続けてきた。あなた方にも幾度となく映像資料で語らせていただいてきました」
長机の中枢の球体上のホログラムが切り替わり、半年以上前からずっとイニシャライズしてきた巨獣の姿を克明に映し出す。全て、綺咲が対応してきた存在であったが、彼らは半年前の鏡面界の現出までそれを信じて来なかったのだ。
『……よく出来た映像資料だと、感心していた前任者を放逐したい気分だよ。まさかこうなってしまうとはね』
『だが、得心が行かぬのは、君らはその件の“ポケモン”とやらにどうして映像記録まで付けて……特殊部隊もそうだ。GIG、であったか? 一朝一夕では用意出来ない代物であろう。そこまで用意周到だと、勘繰る者達も居てね。最初から、姫宮財閥の自作自演。鏡面界の脅威も、それに“ポケモン”を操る“転生者”もね』
「……我々は映像資料と解析資料を差し出したはずです。それも何度も、この三年間では特に警戒すべきとして」
『解析資料にあった、ポケモンとモンスターボール、それに転生者の関連性か。まったく、悪い夢だと一蹴したいところだが、世界がこうなってしまえば信じざるを得ない。君らはフィクションを操るのに長けているものだから、それに対し国家予算を捻出してまで対応すべき事案だとは想定し切れないのもある』
「……そうでなくとも姫宮財閥はゲーム事業で成り上がった企業だ。一体どうして、君らはここまでの物を用意できた? ポケモンも、転生者も、最初から知っていなければ不可能なレベルだ」
大統領の組んだ手が震え始めている。実際にポケモンの脅威に晒されなければ驚異的な技術力も、ましてやその殺傷性能も実感出来なかったのだろう。確か、大統領はこの二年間半の任期しか全うしていないはずだ。実際に自分の身で実感してもらったほうが早い、と想定していたとはさすがに言えず、コウジは慎重に返答する。
「それに関してもお話ししてきた通り。ですが……本日初出席された方々もいらっしゃる様子です。順を追って説明いたしましょう。まずわたしがポケモンの存在に気づいたのは、十二年前です」
そう――十二年前。
一人娘の綺咲が三日間の神隠しより保護された時の事を、コウジは昨日の事のように思い出す。