ALICE   作:オンドゥル大使

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第82話 空想からの『侵略』

 

「はい。はい……そうですか。はい……」

 

 当時は実行力に乏しい、いいところ二流と言ったところの公社が姫宮コウジの在籍する町工場であった。それでも地域の人々には愛され、そして連綿と続いてきた看板を下ろすわけにはいかない、そういった立場であったコウジは三日前に失踪した一人娘の発見を素直に喜べないでいた。

 

 ただでさえ、人の口に戸は立てられない程度の片田舎。ここ数年で工業的な成功をおさめ、近代化改修が施されつつある年代物の路面電車に揺られながらコウジはその当時の代表であった綺咲にしてみれば祖父からの報告に憔悴していた。

 

 孫娘が見つかった、旧都心で、だと伝えられた時、ああきっと開発計画から差っ引かれた旧都心の会社の差し金であったのだろうと暗澹たる気持ちに駆られていたのだ。

 

 旧都心を中心とする者達とは自ずと旧知の仲であり、身内の犯行であったとなれば後々に禍根を残す。それは自分だけではなく、一応はこの小さな田舎町を統治する会社としての責任問題に発展するのであろう。

 

 路面電車が目的の駅へと到達し、コウジは今日も憂鬱な生活が始まるのだとため息を漏らしてから、警察によって保護されたと言う綺咲と再会すると言う段になって、やはり来なければよかったと何度目かの自責の念に駆られる。

 

 きっと綺咲は怖い目に遭ったはずなのだ。だと言うのに、自分は責任論や方々からの意見の事を予見して嫌気が差している。コウジにしてみれば、祖父に溺愛されている一人娘はどうしようもない枷のようなものであった。この会社を辞めたいと願ったのは一度や二度ではなく、路面電車に飛び込んでしまおうかと思った事も、片手ほどはある。

 

 別段、生活に困窮しているわけではない。

 

 ただ、無理な都市開発とそれに伴う旧都心勢と新都心側とのパワーバランスに嫌気が差していたのは事実で、それを取りまとめる役割から降りようとしている祖父の厚顔無恥さと、いずれは継がなければいけない代表職に関してで言えば消極的であったのだろう。

 

 しかし遠ざけたところで直面する問題であるのは明白で、せめて綺咲の前では毅然とした大人でいようとドアノブを回した途端、声がかかる。

 

「おとうさん!」

 

 駆けてくる綺咲へとコウジは抱きかかえようとして、その手が凍り付いたのを感じ取る。このよく出来た一人娘にしてはちょっとした家出だったのか、あるいは本当に誘拐であったのかは警察の見解を待つしかない。それでも、こうして自分を頼ってくれているのは綺咲の出生にも関係してくるのだろうとは思う。

 

「……ああ、すまなかった、綺咲……。お母さんが居ればこんな事には……」

 

「姫宮コウジさん、ですね?」

 

 警察が歩み寄ってくる。大方、旧都心勢と新都心勢の諍いによる誘拐か、あるいは姫宮財閥内での派閥争いかと思っていたコウジは、この場に居合わせている白黒の服を身に纏った女性に気が付いてはたと意識を止める。

 

「……その方は……」

 

「あのね! チェシャーはわたしをこっちに……つれてこなくっちゃいけないって……!」

 

「チェシャー……?」

 

 まさか海外マフィアでも関わっていたのだろうかと勘繰った自分に対し、チェシャーと呼ばれた女性は手錠をかけられたまま、恭しく頭を垂れる。

 

「申し訳ありません。姫宮綺咲様の……お父様ですね? 本来ならば時間差を限りなくゼロにしてお返しするつもりだったのですが、あまりにも姫宮綺咲様はあちら側に居過ぎたようですので」

 

「……あちら側……? あの、もし……。まさか綺咲に何か……」

 

 自分とて人の親だ。さすがに違法薬物やあるいは非人道的な行いには異を唱え、怒りを覚えるくらいの正義感はある。だが、警察もそれに関してで言えばまるでお手上げとでも言うように一旦首を横に振ってから、婦人警官に綺咲を任せて自分を別室へと案内する。

 

「……娘さん……えっと、姫宮綺咲さんでしたか。三日前に忽然と姿を消し、その後捜索願が出されていた……」

 

「はい……」

 

 この空間は何なのだろうとコウジは額を流れる汗を止められないでいた。まるで自分が犯行を犯したかのようにこうして警察官一人と真正面から机を挟んで面談し、傍らではその記録を取る警官が居る。

 

「……ですが、ちょっと妙なんです。間違いなく、綺咲さんは三日間、行方不明だったんですよね……?」

 

 何故、そのような分かり切った事を聞くのだろうと思っていると、警官自身も困惑したように額を拭っている。

 

「……何か、あったんですか?」

 

「……綺咲さんの証言では……ああ、もちろん、まだ五歳ですので。その……行き違いと言うか、勘違いもあるのかなと思ったのですが……。自分は何年も、あちら側に居た、と」

 

「あちら側……と仰るのは……?」

 

 警官は困り果てたように調書を取る。

 

「……分かりません。この世ではなかったと言うのが最も適した言葉なのでしょうが……。あの女性が犯行グループの一員だとして調べは尽くしたのですが……どうにも、あのチェシャーと名乗る女性には、痕跡がないのです」

 

「……痕跡、ですか」

 

「ええ。さすがにあらゆる科学捜査が行われている現在、神隠し、なんてものは存在しないと言い切っていいと思うのですが……。チェシャーなる女性と綺咲さんの証言はぴったりと合っていて……なおかつ、チェシャー……と名乗る女性にはこの世ではない、痕跡があったと言いますか……」

 

「この世ではない……? 意味がよく……」

 

 警官はうぅんと呻った後に、調書に挟まれた数枚の絵を取り出す。それは綺咲による絵であったのだが、警官はラミネート加工されたそれらを指差す。

 

「この絵……ですが、クレヨンに見えますよね?」

 

「……違うんですか?」

 

「……科学的な観点であらゆるアプローチが行われましたが……このクレヨンによるとしか思えない顔料は、この世界に存在していない着色料である事が判明しました」

 

 悪い冗談なのだと、コウジは最初に思った。考えてみれば、チェシャーなる異様な姿をした女性も、綺咲の三日間の行方不明も納得いかない部分が大きい。だから、こうして担いでいるのだと。

 

 しかし、目の前の警官は脂汗を掻いて、もたらされた無数の書類を捲っていく。

 

「クレヨンじゃないって言うんですか……?」

 

「それどころか……この画用紙にしか見えない紙も変なんです。年代測定の結果、数百年前の画用紙に近いものなのだと、結果が出ていまして……」

 

 数百年前の画用紙に、存在しない顔料で描かれた絵は、綺咲と思しき少女とそれと手を繋ぐ水色の服を着たように映る金髪の少女が笑顔で描かれている。

 

 当然、まだ五歳の絵だ。お世辞にも上手いとは言えないが、凡庸な少女の描くものにしか映らない。

 

「……綺咲さんは、お母様がいらっしゃらないのですよね?」

 

 不意に首筋を掴まれたような嫌な感覚にコウジは目線を逸らしていた。

 

「……あの子には、不幸であったとは思っているのですが……」

 

「出産の際に……ご不幸があったと……」

 

 どこか歯切れの悪い警官の言葉振りに、なるほど、綺咲は精神鑑定が疑われているのだなとコウジは察する。そして、五歳でしかないはずの綺咲にストレスをかけるとすればそれは父親である自分かあるいは家系の責任か。

 

「……わたしも男手でそれなりに……世間の真似事ながらに教育したつもりではありますが……」

 

「いえ、姫宮コウジさんを疑っているわけではないのです。ただ……この世のものではない画用紙に、クレヨンのようにしか見えないが実際のところは存在しない顔料。そして、三日間であるはずなのに、何年もこの少女に会っていたのだと、綺咲さんは証言なさいました。それと、これを」

 

 綺咲の描いた絵の中には、この世の物とは思えない怪物の絵もあった。これがストレスの権化なのだろうかと思っていると、警官は人差し指でとんとんと机を叩く。

 

「これは……?」

 

「実際、幼少期にはありがちだとは思うのです。ないはずのものをあると言い張ったり、あるいはあるはずのものをないと言い張るのは。自分も覚えがありますし。ですが……これを空想と言うのには、少し量が……尋常ではなく……」

 

 記録を取っていた警官が差し出したのはファイル数十枚分にも及ぶ綺咲の描いた怪物の絵であった。どれもこれも、空想の域を出ない画力でしかないのに数百枚となれば真に迫ってくるものがあってコウジは息を呑む。

 

「……これは……何なのです?」

 

 綺咲の空想の産物だと断ずるのには、あまりにも常軌を逸している。まさか、犯行グループからもたらされた影響が現実に作用しているのではないかと危惧したコウジに警官は一言だけ言い添える。

 

「あのチェシャーなる女性も、綺咲さんも口裏を合わせたわけではないはずなのに、これを一言で言い表しているのです。これは“図鑑”なのだと」

 

「図鑑……?」

 

 そう言われてしまえば、怪物の絵の左上に番号が振ってある。まるで規則性のない怪物達の展覧は、一枚目の綺咲の文字によって補強されていた。

 

 呼称するに『ポケモンずかん』なのだと。

 

 

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