ALICE   作:オンドゥル大使

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第86話 獣達の『領域』

 

 いずれにせよ、世界はもう転がり出した石に等しい。災禍に蝕まれていく現世にて、鏡面界の破壊と消去こそが、この状況下においての唯一の希望であろう。

 

 ちょうどエレベーターが会議室のある階層に辿り着いたところで出くわしたのは綺咲と兎真で、彼女らと視線があった途端、有栖は縮み上がったが兎真のほうが駆け寄ってくる。

 

「有栖! それにカイとサッチーも! よかったぁ……! 留守にしている間の防衛戦力とかちょっと心配してたんだよ?」

 

「サッチーって呼ばないでよね。……あと、その程度で瓦解するほどやわじゃないし。有栖とカイさんだってよくやってるでしょ」

 

「それはそうなんだけれどさぁ……いやぁー、生きた心地がしないってのはああいう事を言うんだろうねぇ! こっちは心配しないで! ミッションコンプリート! ね? ヒメ!」

 

 呼びかけられた綺咲がぎこちなく頷く。まるでその意思を感じさせないような冷徹なまばゆい緋色の眼差しに、ただただ諦観を浮かべて。

 

「……そうね。任務の第一段階は達成された。篠崎さん、それに早谷兎真。あなた達には権利と義務がある」

 

「……権利ぃ?」

 

 兎真が小首を傾げると、綺咲は振り向きもせずに続ける。

 

「不合理には不合理なのだと叫ぶ権利が。不条理には不条理を嘆く義務が。この狂ったような世界の中で、その二つを宣言出来るのは貴重よ。誇っていいわ」

 

 そう言ったきり、歩み出そうとする綺咲の背中に思わず有栖は呼び止める。

 

「待って! ……待って、綺咲ちゃん……。ねぇ、あたし達……もっと話さないと……もっと喋らないと……! だって、そうじゃないと綺咲ちゃんは――」

 

「必要ない」

 

 断じる論調で遮られた言葉に、有栖は胸の奥がきゅっと締まったのを感じる。綺咲の眼差しの先には、何が映っているのかなどまるで分からない。否、分かろうと思ったところでここでは仕方ないのだ。

 

 半年前に、彼女は死のうとした。

 

 しかし、その手を取り、握り締め、生きていいのだと告げたのは自分自身。きっと、綺咲はあそこで終わらせるつもりだったに違いない。だと言うのに、その決意を先延ばしにさせて、結果として空回りさせているような気さえしてくる。

 

「ちょっとぉー。ヒメらしくもない悲観じゃんねぇ? あーしらが任務達成しなかったら、合衆国は今頃火の海なんだよ? それってさ、世界救ったって事になんない?」

 

「……相変わらずの自意識過剰。酷い自己認識の甘さね、早谷兎真。けれど、篠崎さんはそれを噛み締めておくといいわ。どうせ……私には世界を壊す事は出来ても、救う事なんて出来やしないのだから」

 

「綺咲ちゃん……」

 

 踏み出すその足取りを止める言葉は持たなかった。すぐにでもその背中に縋りついて、そして抱き締めるような空気の読めなさがあればきっと今頃、この距離はもっと簡単に埋まっていて。

 

「……姫宮は思い詰めてるんだよ。私達じゃ、逆効果」

 

 幸子に肩をぽんと叩かれ有栖は想いを改める。綺咲は姫宮財閥の社長令嬢としての顔だけではない、今やこの世界で彼女を知らぬ人間は居ないのだ。

 

「……本当に……姫宮綺咲は……ハートの女王と、そっくり……」

 

 こばとの言葉を咎められなかったのは、己の弱さもあるのだろう。ハートの女王が転生者を通じて公表した情報の中には、姫宮綺咲と瓜二つと言うだけではない。

 

「……ま、ヒメにとっちゃ、今の状況は辛いだけだよねぇ。ショージキ言えば、こんな世界情勢になっちゃえば、そりゃー自分を責めもするわ」

 

 兎真の言葉振りは軽い調子ではあったが、これまで何度も綺咲と共闘し、時には争い合った事もあった人間の説得力が込められていた。そうだ、綺咲をよく知るからこそ軽々しく彼女の領域に踏み入る事は出来ない。綺咲は一度、この世界に絶望し切っている。その歩調を止めないのは、責任感とそして彼女自身に流れる血潮の決定権の強さに他ならない。

 

 自分の身体くらいは自分で動かす。

 

 きっと、綺咲はそれを誓ってこの半年の激しい戦いを超えてきた。そのはずなのだ。ならば歩みを嘲る事も、ましてや蔑むなんて。

 

「……あっ、会議室から出てきたのって……! あれ、姫宮財閥の代表の……」

 

「綺咲ちゃんのお父さん……」

 

 綺咲の父親であるコウジが会議室から出てくるなり、自分達と顔を合わせる。その中には綺咲も含まれていたが、彼は意図的に綺咲に声を掛けなかった。

 

「……すまなかった。GIGの職務としてはかなりハードだっただろう?」

 

「いえいえ、ヒメパッパ。あーし達は結局、GIGの一構成員に過ぎねーって言うか、ま、居場所貰っているだけありがたいって言うか」

 

「そうかな。……合衆国大統領の護衛任務、ご苦労だった。早谷さん、篠崎さんとそれにカイさん。つい先ほど、転生者の少女を確保したと伝え聞いている」

 

 綺咲がコウジの傍らを歩み去っていく。その違和感に、有栖が口を差し挟もうとして幸子が首を横に振る。このような問題に、軽く立ち入っていいはずがない。

 

「……いえ。その……! あたし達、居場所をいただいているのは、本当に事実で……。けれど、いい、んでしょうか……?」

 

「何も断りを入れる事はないよ。君達は転生者だ。この壊れかけた世界で、唯一とも言える、抵抗者達であり、なおかつ狂った時計の針を戻せる可能性を持つ者達。保護しないわけにはいかない」

 

「……それって、ぼくも……?」

 

 コウジは軽く微笑む。その皺だらけの相好を崩し、人のいい笑みを浮かべて。

 

「大変だったね、如月こばとさん。君もわたし達に協力してくれるのならば嬉しい。もちろん、これは君の自由だ。当然、突っぱねる事だって出来る。しかし……学園都市の惨状を見たから分かると思うが、あまりそれは賢明な判断とは言えない。ここまで来たのならば、可能なら命は守りたい」

 

 コウジが歩み出す。反して、綺咲が無言で遠ざかっていく。

 

 まるで正反対の方向に亀裂が走ったかの如く、二人の距離は離れていく。有栖は自分が言えた義理ではないと思わず口を噤んでいた。なにせ、自分が当たり前だと思っていた家族の関係性は、いつの間にか構築された偽物だったのだから。だから、偽物の関係性しか知らない自分に、本物の親子の距離感など分かるはずがないのだと。

 

「……でも、こんなのって……」

 

「有栖。……ダメよ」

 

 言葉少なだが、幸子の言葉に浮かんだのは確かな意志であった。この親子に、誰が分け入る事など出来るのだろう。きっと兎真だって分かっているのに、わざと口出しをしないのだ。それはカイも同じで、ここまで保護してきたこばとの肩を叩く。

 

「けれど、社長さん。わたし達が保護してきた転生者なんだし、そういう危うい綱渡りみたいな言葉はどうかなと思うな」

 

 カイはこの世界の人間ではない。鏡面界側の人間だからこそ、言える意見であったのだろう。コウジはなるほどと柔らかく微笑む。こばとの恐怖を理解したように、そっと言い添えていた。

 

「怖かっただろう? すまなかったね。調停ばかり上手くなって嫌になる。……転生者だからと言って、それ以前に君は女の子なんだ。軽蔑してくれて構わない」

 

「い、いえ……っ! って言うか、それどころじゃ……。合衆国? ……ネット仲間の言っていたの、本当だったんだ。大統領が姫宮財閥と調停を結ぼうとしているって……あ、いやこれ……!」

 

 失言だと感じたのだろうが、コウジに責める意図はないようであった。

 

「……ああ、本当だよ。君らの国の代表者と話させてもらった。今や、転生者と鏡面界の出来事はこの街だけに留まるものではないからね。世界規模で、決定権は預けられていると言ってもいいだろう。連日のように出現するダイマックスポケモンに、それに野良の転生者、か」

 

「……ねぇ、ヒメパッパ。あーし達は所詮、ただの構成員だけれどさ。転生者の数だってバカになんないわけじゃん? 対処の目星はついてるの?」

 

「兎真さんの言う通り、わたし達だって無限の戦力ってわけじゃないよ。わたしとアリスさんがたまたま居合わせたからよかったものの、こばとさんだって危なかったんだし。社長さん、手はあると思っていいの?」

 

 兎真とカイの追及を前にコウジは一つ頷いてエレベーターへと促す。

 

「その話は最上階で」

 

 コウジが静脈認証を施して隔壁に閉ざされた最上階層へと有栖達は共に向かっていた。綺咲を会議室の階に留めるのは気掛かりではあったが、自分達はあくまでもGIGの構成員。もっと言えば兵士だ。

 

 だからこそ、コウジに逆らうわけにはいかない。転生者だから生かされているのではない。この事態とそして転がっていく世界に異を唱えるからこそ、共に歩めている事実を噛み締める。

 

 やがて階層は要塞じみた隔壁に閉ざされた最上階のオペレータールームへと至る。エレベーターホールにも仄暗い青の光が染み出していた。

 

「代表、今しがたダイマックスポケモンの反応増大を確認。野良の転生者と三十七区画で抗戦を確認しました」

 

 ゴーグルをかけてリニアシートに座り込んでいるのは数名のオペレーターであり、彼女らを束ねるのは見知った人影であった。えんじ色の服装に身を包み、スカートの裾を摘まんで会釈する。

 

「代表、会談は終わられたのですね」

 

「ああ。現状を知りたい。説明を願えるかな、コハク」

 

「承知しました」

 

 そう応じたのはチェシャーの姿かたちを取っていながら、チェシャー本人ではない。姫宮コハク、と名乗った相手はコンソールへと歩み寄り、素早くキータイピングして中央のメインモニターに学園都市の現状を浮遊させる。

 

「現在、全七十区画のうち、半分以上が大破。あるいは復旧不可能です。転生者相当の能力を持つ存在は、イニシャライズ反応から追跡しても五百人以上。この学園都市だけでも、一国と戦争出来るほどでしょう」

 

 戦争。その言葉が重く沈殿する。

 

 鏡面界が宣戦布告し、独立国家の樹立をこの現世に発表してから半年間――世界は未だに混迷の中にあった。そもそも、鏡面界を攻撃すれば済む話かと思われたこの事象は、そう容易くはないのだと各国が知ったのがその出現から半日以内。そして鏡面界が現世の国家とほぼ同等の権限を手中に入れたのが、遡ること六時間前。

 

「……鏡面界は転生者の存在を我々に通達してきた。それはこの学園都市だけではない。コハク、世界規模での、転生者の確認出来る数は?」

 

「現在、把握している限り――6542人。これが全世界での転生者の総数でしょう。無論、これより多いと思われます」

 

「……いつ聞いても威圧されるよねー。あーしら以外に6000人以上も転生者が居るなんてさ」

 

 兎真が軽い論調で言ってくれなければ、その絶望的な彼我戦力差に何もかも諦めてしまいかねなかった。だが、コウジは後ろ手の拳を強く握って言い放つ。

 

「そうか。……6000人を超えたか。だとすれば、わたし達はやはり、鏡面界との徹底抗戦を選ばざるを得ないだろう。……悲しい事だがね」

 

 そう、鏡面界と6000人以上の転生者には相互関係がある。その理由は――。

 

 

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