「代表と話してくれましたか。合衆国大統領」
会議室にて、綺咲は無数の各国代表者と顔を合わせていた。とは言え、そのほとんどが顔を隠した音声のみの参席であったが。
『姫宮綺咲……か。見た目だけではなく、声まで同じとはな』
忌まわしいものを見るかのように、世界を回す側の人々の糾弾の声が突き刺さる。その視線もほとんどが敵意だ。その中で唯一の生身の大統領は彼らを諫めていた。
「……よして欲しい。皆さん、既に条約は締結されました。皆さんの合意もあった。だからこんな……年かさの少女を、皆で責めるような言い草を……」
『だがな、合衆国大統領。その少女は同じ声で、同じ顔で……我が国の国民の半分以上をたぶらかし、そしてこう言い放ったのだぞ! “物言わぬ家畜”と!』
その言及に対し、他の国家元首からも同じような糾弾が発っせられる。
『その通りだ! 我が国でも転生者なる存在にされた者は、完全に国家と国民のバランスを欠いてしまった! 見ろ! 彼らによって蹂躙された地を! 未だ戻らぬ人々の営みと命を! 貴様は……それを見ているのだろう!』
『我が国でもだ!』
『その少女の罪過は重いぞ!』
「待っていただきたい! ……彼女は姫宮綺咲だ! ハートの女王ではないのは皆さん、ご存じのはずでしょう!」
大統領が必死に弁明するが、各国首脳の声に気圧されていく。
『何を言う! 合衆国大統領! あなたの国が最も深刻だ! 神を誰も信じなくなったのだろう? 転生者の力を得たものはその力に溺れ、そして不道徳と信仰なき世界を行くようになった! いわば反逆者の芽を生んだのだ! その少女がやった!』
「そうだ! ハートの女王と同じ姿をしているのならば……その身を焼き尽くせば、少しはあちらにも届くのではないか?」
「……何を……何を言って……」
『合衆国大統領! あなたも護身用の銃くらいは持っているはずだ! 今しかない! 他の転生者の眼がない今こそが!』
「そうだ、殺せ!」
「そんな……皆さん! やめましょう! こんな事……文明国のやる事では……」
『何が文明か! 今や人類史は大きく後退を余儀なくされた! たった一人の邪悪なる少女によって!』
『悪辣なる芽を摘んで何が悪い!』
『神を殺されたのだぞ……! 黙っていろと言うのか!』
徐々にヒートアップしていく中で、不意打ち気味の銃声が轟いていた。大統領が懐から取り出した拳銃で天井の照明を撃ち抜いている。
「……黙っていただきたい。ここで身一つで彼女と対面する勇気のない人間に……彼女を糾弾する証はない……!」
大統領の言葉に各国首脳の声が静まり返っていく。やがて水が引いたように次々と通信が遮断されていった。誰ともなく、言葉を仕舞って今しがたの銃弾を前にして黙りこくっていた。
やがて、全ての通信が途絶えたのを確認してから、大統領はその場にへたり込みかけて、ギリギリで押し留まり椅子に腰掛ける。
「……これで……よかったのだな? 姫宮綺咲……」
「……はい。辛い思いをさせました」
「君がそれを言うか。……わたしに拳銃を渡したのはこのためかね?」
強襲作戦の際に、綺咲は先んじて大統領に拳銃を渡しておいた。それも金属感知器が通らない特別製である。
「……あなたは私が思っているよりも、ずっと勇敢でした」
「よしてくれ。……国を束ねる人間が、口汚く君を罵るのが許せなかっただけの……そうだな、これは勇気とは呼ばない。ただの……自棄だ」
どこか憔悴し切ったような大統領の姿に、綺咲は落ち着き払った様子ですたすたと歩み寄り、声を潜めて尋ねる。
「……代表と締結された条約ですが、私が想定しているものと考えてよろしいのでしょうか?」
「……察しの通りだよ。全て、ね。プライベートジェット内で君が言った通りのものであった。……一つ、教えてくれ。君が代表を動かしているのか? それとも代表が……」
「どちらでもございません。私も代表も、お互いに出来る事をやっているのみです」
その返答に大統領はまるで想定外とでも言うように目線を伏せていた。
「……すまない。君達親子の関係性を……侮辱したようなものだ」
「いえ、それも致し方ないかと。……合衆国大統領、あなたは神様を信じますか」
「……何だそれは。転生者が闊歩するようになったこの世界で、もう無神論者を気取れと言うのか?」
「少し……聞いてみたかっただけです。たとえば、何もかもが手に入るのだと神に等しい存在に囁かれてしまえば、人はその欲望を押さえる事なんて出来やしない。人間の精神には限界があるのです。願いが叶うのだと、誰もが知れば。そしてその権利が誰しもにあるとすれば、統率など容易く失われるのでしょう」
それはこの半年間の世界の混迷を見ればどこまでも雄弁に明らかであった。転生者となった人間はポケモンの力に陶酔し、その力で神の領分でさえも侵せるのだと錯覚し、そして数千人の命が失われたのだと言う。
ある時には首都が炎に巻かれ。ある時には田舎町で人間の欲望が解放されて一夜にしてその町が地図から消え。そしてまたある時には、これまで無謀に思われていた世界秩序の基盤に対してのテロ行為が平然と行われた。
それらは全て転生者――そしてその悪魔の集団を統率する一人の少女、ハートの女王によるものであるのだから始末が悪い。盤石かと思われていた世界を破壊するのは、核抑止論でもなければ生物兵器でもなく、誰でも願いを叶えられると言う名の平等であったなど。
「……この国でも多くの人間が死に、多くの犠牲が生まれたのだと聞いている。わたしは無頼漢を気取れるほど、厚顔無恥ではないつもりだ」
「だとしても、世界の悪意が私に向くのは必然でしょう。……ハートの女王と全く同じ姿、同じ声なのですから。別人なのだと切り分けられるような理性のある人間は、思ったよりも少なかったと言う事です」
もっとも、別人説がどこからか沸いただけの嘘八百なのだと吹聴する人間も少なくはない。結局のところ、味方を探すほうが難しいのだ。
「……もう一つ、いいか? ハートの女王は分かっていて……このような侵攻を行ったのか? だとすれば……」
そこから先を大統領は口を噤む。だとすれば、如何に悪辣、そして害意の塊か。だが、それを否定するような言葉もなし。綺咲は、そう思う事こそが未だに人類が鏡面界とハートの女王に屈していない証だと感じて大統領から身を離す。
「人類は……まだやれます。転生者がどれほど増えようとも……まだ」
「だが、代表より聞いた話も統合すれば……転生者の数こそが、鏡面界を安定化させる術そのもの。それは半年前に……あの悪魔の女が告げた通り……」
大統領は額を押さえて頭を振る。全てはあの日――鏡面界が宣戦布告し、そして世界中の全ての『ポケモン』のプレイヤーへとバステトが現れた時に決したのだろう。