ALICE   作:オンドゥル大使

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第91話 夢想の『論理』

 

 もたらされた情報の第一報に、瞠目したのは幸子だけではないようでオペレータールームで詰めている者達は皆、同じ感情のようであった。

 

「……ハートの女王には……人間の“感情”を読み解く権能があるって……? いや、それよりも……」

 

 尋問室を眺める自分へと振り返った幸子に、コウジは深く頷く。

 

「……やはり、そうであったか。ハートの女王の姿かたちは……綺咲と瓜二つなのは……」

 

 何度も噛み締めた事実であったがその当事者の口から語られたのは初めてであった。一体どれほどの世界の悪意に揉まれてきたのであろう、綺咲の想いは想像するほかないが、それでもノックスは映像越しに言いやる。

 

『……転生者、姫宮であったか。わたしは遭遇した事はないが、幾度となく部下達が辛酸を舐めさせられたのを伝え聞いている。凄まじい転生者であった、と』

 

『……それらの情報を、ハートの女王は見知っているの?』

 

 質問者はGIGのトリアで、決められた質問事項を埋めていくが、ノックスは淡白に応じる。

 

『……ああ。それは分かっているだろうな。魂の形が同じなのだ。自然と呼び合うようにして、双方は理解し合っているはず』

 

『……だとして、お嬢様がハートの女王と同じ権能を持つとは』

 

『無論、それも憶測でしかないが……もし、転生者、姫宮がハートの女王と同一存在なのだとすれば……貴様らの手はずは既に割れているのだろう。それでも我々に、向かって来るのかどうかを』

 

「……少し席を開ける。ノックス兵団長の証言はレコードしておいてくれ」

 

「……代表。どこへ……」

 

「……風に当たって来るだけさ」

 

 幸子にはそう応じておいたが、長年オペレーターを務めていた別の女性には察せられてしまったのか、踏み出そうとした幸子の袖を引っ張って頭を振ったのが視界に入る。

 

「……でも……」

 

「すぐ戻ってくる」

 

 とんだ言い訳だ。すぐ戻ってくる、など性質の悪いだけの。

 

 コウジは姫宮財閥のツインタワービル中腹部にある庭園へと歩み出していた。このロケーションは極上であるのと同時に、凄惨を極めた半年間を嫌でも突きつけてくる。つむじ風が巻き起こり、煤けた風を届けてくる。

 

「……代表。ここでしたか」

 

「……君か。GIG隊長……」

 

 すっ、とライターが差し出される。それに対して電子タバコをくゆらせようとしていたコウジは懐に仕舞っておいた安っぽいパッケージを取り出していた。

 

「……貧乏性でね。綺咲が鏡面界から帰ってくる前からこれは手離せない」

 

「代表の好みは分かっているつもりです」

 

「君もだ。……何だ、案外見知った銘柄を吸うんだな」

 

「自分も……あの時……代表に見出されなければ、いつまでも警官として、出張っていたのでしょうね」

 

 忘れもしない。GIGの隊長はあの時――チェシャーを拘置所から救出し、そしてその後に特殊編成部隊を立ち上げる際の功労者であり、自分達の事件に最も首を突っ込んでいる当事者だ。最早、他人とも思えない間柄で、コウジは甘ったるい煙を肺の中に取り込む。それは相手も同じのようで、闇市で取引される昔馴染みの銘柄に火を点け、長い吐息をつく。

 

「……トリア君にノックス兵団長の調書を任せたのは考えでも?」

 

「これから先、何が起こるのか……それを直属の部下には知らせておきたいと言う……ちょっとした親心です。それに、代表こそ珍しいじゃないですか。この庭園は……確か、代表の奥方のお気に入りでしたね」

 

「前の会社の時から、ここの庭園だけは持ち込んでくれと我儘を言った結果だよ。……しかし、綺咲の母親にはこんな景色は見せたくはなかったな」

 

 天を仰ぎ、紫煙をたゆたわせる。逆さ吊りの異常な舞台から今も赤銅色の隕石が降り、市街地を業火に包み込んでいく。

 

「……奥方は、ここまで生きた証を刻まれたのです。それこそお嬢様が立派になられたのも、姫宮財閥がここまで栄華を極めたのも……」

 

「君も不器用だな。わたしは結局のところ、持て余しているのだよ。この景色も、姫宮財閥の今日までの結果も、何もかも。……綺咲と二人、つつましくも静かに過ごせていればそれだけでよかった。だと言うのに、運命と言う奴は身勝手だよ」

 

「……代表はそれを考えられる器であったのでしょう。誰しもが、この結果に対しての代価を払えるわけじゃない。世界から恨まれる覚悟があっても、それを全うするなんて」

 

「人間なんて、突きつけられた結果次第で動くだけの……それだけの頭しか持っちゃいないんだ。状況に振り回されているのは今も昔も変わりはしない。あの時……チェシャーの……いや、姫宮コハクと言う名の女性を招き入れた瞬間から、ずっと。それとも、その前からか。綺咲が鏡面界に転生した、その時から……わたしの人生からは無頼漢を決め込めるような立場は消え去ったのだろうな」

 

「……お嬢様はご立派になられました。もう十二年ですか。秘密裏に編成されたGIGに自分が所属し、お嬢様は……矢面に立ってここまで……。正直、大の大人でも難しいですよ。世界に異を唱え続けるなど……」

 

「綺咲は見ている景色が違うのかもしれないな。鏡面界に転生し、そして……ハートの女王とその存在を別つ事となった。心残りを異世界に置き続けて……十二年は長いな」

 

 そう、心残りなのだ。

 

 特別な言葉は必要ない。綺咲はただ、一つだけの願いを胸に抱いて十二年もの間、生き続けてきた。大人でも無理であろう。たった一つの、切なる願いのために世界を謀り続けるなど。

 

「……嘘を、つき続けてきましたね。我々も。長く遠く……遠大なる嘘を」

 

「……そうだな。わたし達は大人だから耐えられたが、少女らには耐えられまい。篠崎……有栖君か」

 

 それもこれも、全ての始まりの名前。綺咲は“アリス”にもう一度会うために。コウジは空想でしか遭遇した事のないはずの“アリス”に、ずっと捕らえ続けられている。鏡の世界に旅立ってしまった綺咲は、愛おしい瞳を置いていってしまった。もう二度と、その眼差しが――まばゆい緋色のそれが現実を捉える事はないのだろう。

 

「……どうなさるのです。四日、と仰ったそうですね。それはノックスからしてもそうなのでしょう。最短距離で、ハートの女王と決着をつける。そのための……合同作戦」

 

「……世界が持たぬ時が来ている。四日の猶予は合衆国大統領に取り付けておいた。隊長、君もそうだ。もし……大切な人が居るのならば、この四日間だけしか時間はない。そこから先は、黙示録の世界となるのだろう」

 

 むしろ、半年もよく持ったものだ。この狂った時計の針のような不均衡な世界で、どこかでたがは外れていたと言うのに。

 

「……代表。あまり嘗めないでください。これでもあの日……姫宮コハク殿を招き入れた瞬間から、自分も覚悟は出来ておるのです。思えば、十二年間もよくやりました。自身の心に封をして、ただただその時が待ち構えているのを……そう、恐れていたのでしょうね。怖かったんですよ、自分も。だから、後進を育てた」

 

「トリア副長はよく出来た人材かい?」

 

 そう軽い調子で問いかけると、GIGの隊長は肩を竦める。

 

「……自分に頼り過ぎるきらいがあるのが玉に瑕ですが、それでもよくやってくれている部下です。可能なら、この戦いが終わった後も、ずっと……」

 

 隊長の持つ、恐らくは数少ない希望であったのだろう。それほどトリアに入れ込んでいるのも意外であったが、彼もまたその強面に似つかわしくない過去を背負っていると言う事なのだ。

 

「……空に恐れの天蓋が到来して、もう半年……。月明かりは閉ざされ、星々の灯りは掻き消えた。この街を照らすのは、炎の照り輝きとポケモンの誇る不可思議な光体だけだ。……いつからだろうな。この街にヒトの営みの明かりが潰えたのは。赤や青や……黄色の光も今は恋しい」

 

 人間の文明の証は消され、ポケモンの本能ばかりがやけにさんざめく。そんな学園都市を、それでも愛おしく思おう。十二年の月日で積み上げてきた、自分自身の功罪であり、なおかつ限られた抵抗でもある。たとえ、この世界が開けたような草原に埋め尽くされる宿命なのだとしても、今だけは唇の端で噛んだささやかな文明の灯火を頼りにしたい。

 

「……灰が落ちたな」

 

 携帯灰皿で揉み消し、その限りある時間を味わう。きっと、人間の人生も似通ったものなのだろう。有限の時間を、無限の夢で彩るのが正しい在り方であるのならば、天空に聳える夢幻の山脈を目の当たりにしてしまえば、その希望はゆっくりと潰えていくのみだ。

 

「……代表。何も二本目がないとは言わせませんよ。それに……この庭園も随分と、いい香りが漂うようになった。青い薔薇は代表の趣味でしょう?」

 

「……死んだ妻が、唯一褒めてくれてね。プロポーズの時に送った薔薇と同じ品種を植えてやっているんだ。……笑うだろう? わたしも心残りだらけなのだから」

 

 これも戒めめいたものの一つ。自分が生きてきた証を刻むためだけのエゴだ。だと言うのに、この思い出には美しさを期待しているのだから始末に負えない。

 

「代表。……自分は最後まで姫宮財閥のためにこの身を粉にして戦うつもりです。代表の痛みは、自分の痛みでもある」

 

「……あの日、チェシャーを引き入れてからの共犯関係か。わたしも……随分と偏狭に成り下がったものだよ」

 

「……代表は悪いわけではありませんよ」

 

「それでも、だ。世界の歯車を壊したのはわたしも同罪。鏡面界を破壊するのには、まだ足りない。この四日間で全ての決着をつけなければ」

 

 隊長はしばし沈黙を挟んでから、絞り出すように口にする。

 

「……どちらかが決定的に悪ならば……まだよかったのですがね」

 

 まさしくその単純な帰結こそが、この世界を簡略化するために必須であった、望むのも馬鹿馬鹿しいほどの理想論であったのだろう。

 

 

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