この会議の場において異質とも言える――十歳にも満たない幼い相貌に恐れを宿しながらも凛としている少女へと有栖は視線を向ける。
「うん。もんだいなくあっちにいけたとしても、みんながぶじなほしょうはない。だから、わたしもちょっとかんがえた」
端末を操作するキャロルにこの場に居る人間で異を唱えるような人物は居ない。なにせ、彼女は半年前に保護されてからずっと――姫宮財閥の開発部門に所属してきたのだ。ある時はGIGの装甲服を強化し、今日までの戦いを補強してきた立役者である。
操作されたのはモニター上の俯瞰図であり、逆さ吊りの鏡面界と現世の間に漂うのはまるで靄のようなエネルギー境界であった。
「なにこれ? 溶け合っているようで……そうでもないような……」
「これが、あっちのせかいがまだかんぜんにとけこんでいないしょうめいなんだとおもう。わたしはこれを……えっと……」
「――浮上境界、と呼ぶ事にした、ね。逆さ吊りになっているけれど、鏡面界側が現世へと浮上出来るのは、ほんの数十キロに及ぶ領域だけ。……キャロル、サポートはするから続けて」
「……うん。ありがとう、サチコ」
キャロルはまだこちら側の文字に適応出来ていない、と言うよりも出来ないのだと報告書の一部にはあった。曰く、「文字を文字として認識出来ない」と。だからたどたどしい物言いになってしまうが、それでも彼女の誇る叡智は本物であった。それはGIG隊員ならば誰しも実感している。
「浮上境界はこの世界と鏡面界を隔てる……イニシャライズ時における齟齬のようなもの。その摩耗を完全にゼロにする事は不可能だけれど、限りなく減らす事は出来る。そのためのダイマックスリアクターと思っていただければ」
「一つ、いい……?」
おずおずと挙手した有栖に一拍の緊張を差し挟んでから、幸子が促す。
「……ええ、どうぞ」
「じゃあ。……イニシャライズを可能にするのなら、アルセウスフォンによってあちら側に降り立つのはダメなの? 記憶している範囲なら、半年前はそれが有効だったはずだけれど」
「それにかんして、いくつかこのはんとしでダメになったことがあるの。まずアルセウスフォンは、あいてにかんづかれるよ」
「キャロルの概算通りでは……チェシャーら受付嬢によるイニシャライズは確実に読まれると出ている。つまり、既存の方法ではハートの女王を欺く事は出来ないと言うわけね。それと、今回は大規模作戦になる。一人二人なら相手も脅威だと思わないでしょうけれど、GIG総員とこちら側に味方してくれるトランプ兵団、総数は三十人を超える……。確実に相手に先んじられるわ。鏡面界とこちら側の時間差を利用してね」
モニターにキャロルが作り上げたプログラムによる鏡面界側と現世側の時差がレイコンマ単位で表示される。それもこれも、キャロルが技術顧問として半年間、働いてくれたお陰であった。キャロルにしか明言化出来ない鏡面界の仕組みがあり、それをオペレーターの女性陣が翻訳する事でようやく、鏡面界の仕組みの一割程度が引き出されたのだ。
「でも、じょうおうはこわいよ。どんなてをうってくるかわからない……」
「キャロルの作ってくれた時差の補正パッチは有効と思われます。それに、GIG隊服の改修も二日あれば全員分揃うでしょう。問題があるとすれば、それだけ兵力を揃えたとしても、ハートの女王の手札は割れていない事にあります」
幸子が画面上に呼び出したのは半年前に米国のステルス機をバラバラに引き裂いた漆黒のポケモンの姿であった。浮上境界を無理やり突っ切ったせいでほとんど摩耗した全翼機を断ち割った光芒をこの時、あらゆる国家とあらゆる機関が観測している。
曰く、「人類史において最も醜悪な敗残の記憶」として。
『……このポケモンのデータは?』
「残念ながら……。こちらで探れる範囲の全てのデータベース、及び我が姫宮財閥が保有する資産を投じても、これだけは分からなかった。ですが、ノックス兵団長の証言によると、これもポケモンの一種であり、そして名前は明らかとなりました」
「それが……UB:BLACK――ネクロズマ」
トリアが恐れを宿したかのようにほとんどが黒塗りの書面の中で唯一ハッキリしている名称を紡ぎ上げる。ここまで情報網が発達してもなお、姿かたちを見せた相手ポケモンが割れないなど異常事態と言うほかない。
「それも名前だけ……タイプ構成も能力も不明……。かなり劣勢と言われればそこまで。ですが、ここまで情報が出揃った今だからこそ徹底抗戦に打って出るべきだと進言します。如何にネクロズマが強力なポケモンであろうとも、我々には技術があります」
幸子の言う技術とはGIG隊員が持つ標準装備であるキャプチャ・スタイラーと、そして開発中の新装備の事でもある。キャロルの協力と、そしてノックスらトランプ兵団の情報提供でそれがもう一押しで完成を見るとの事であったが、残りはほんの四日間。僅かな時間に完璧に仕上がるとは思っていない。
『……GIGの戦力は当てにしている。無論、キャロル君を含む技術部の開発にも。しかし、我々にしてみれば可能な限り死傷者は減らしたい。他の策があると言うのならば、それを選択する事も視野に入れておこう』
コウジが慎重になるのも分かる。この半年間の戦いで何人ものGIG隊員が殉職した。それもこれも、バステトの呼び出した転生者による攻撃。世界規模で実行された同時多発の強襲は、あらゆる国家あらゆる人種を巻き込んだ。
「……バステトの転生者のリアルタイム解析は?」
「今は6823人……ってところ。本当、ネズミ算式に増えていくものだから、参ってしまいますね。不幸中の幸いはアルセウスフォンによる同期によって何人の転生者が存在しているのかをある程度捕捉出来る事くらいでしょうか」
隊長からの質問に肩を竦める幸子に、有栖自身どれだけ戦い抜けばいいのか分からない感傷を持て余す。如何に優れた転生者としての実力を有していても、質より量なのだ。六千人以上の転生者をたった一人でどうこう出来るわけがない。それに、有栖はこの半年間で現れた転生者のデータを端末で参照していた。
「ただの転生者くずれじゃない……。前回の合衆国大統領への暗殺作戦は、特別なポケモンが使われていた……ですよね?」
ふむ、と隊長が腕を組んで嘆息を漏らす。
「幾度となく、前線では遭遇してきたが……やはり、バステトの転生者には特別な仕様が施されていると見るべきだろう。資料を」
投射モニター上に立体的に表示されたのはその姿そのものが前衛的な戦闘機を思わせるポケモンであった。実際、戦闘データと照らし合わせればその機動力と能力は通常のポケモンを凌駕している。
「……進化を超える進化……。メガシンカ、なる現象の解明も急ぎたいところだけれど、私達はまず、鏡面界に無事に辿り着かなければ話にならない。キャロル、鏡面界に降り立つのには浮上境界を突破する必要があるのよね? それに関して、説明を」
「うん。あっちのせかいにいくのには、ただダイマックスリアクターをつかえばいいだけじゃないよ。すべてのエネルギーをつかいつくしても、それでもはんぱつをうけちゃう。それに、あっちのせかいの……いってしまうときょぜつはんのうとしかいいようのないものもあるの」
キャロルが素早くキータイピングして鏡面界と現実世界の反作用とでも言うべきものを概算していく。しかし見れば見るほどに――有栖はキャロルが自分そっくりである事に違和感を覚える。ツバサとの戦いの時にはそれを強くは感じなかったが、今となればその異様さが際立っている。この世に存在するはずのない――「篠崎有栖」なるイレギュラーと同一存在だとすればそれはどのような意味を持つのか。
別段、有栖に悲観はないつもりであった。だが、キャロルが自分のやるべき事を見出し、他のメンバーも覚悟を決めている中でまだ自分だけが決めあぐねているのは正直居心地も悪い。
「……でた。これがあっちのせかいとこっちのせかいのちがいかな……。すうちではさほどへんかはないようにおもえるけれど、これはぶっしつだとかじゃない、がいねんのもんだいなんだとおもう」
「……概念、か。確かにこの半年間、学園都市の空に現れた畏れの天蓋は、人々の意識を変えた。それを込みで、概念を反転させたと言えるのだろう。しかし、だとしても鏡面界への降下作戦が上手くいかない可能性すらあるのは僅かに気にかかる。これまでのイニシャライズではハートの女王に勘付かれるのは分かった。だが、ここまで強硬策を取らなければならないのは……妙に感じる。ダイマックスポケモンやヌシポケモンは際限なく降ってくるが、奴らに損耗したような感覚は覚えない。これはポケモンと人間の差だと思っていいのか?」
「それも解析中だけれど……どうにも鏡面界側のポケモンには特別な加護がかかっているようですらあるようで。その加護がダイマックスエネルギーなのか、あるいはポケモンに備わっている生まれながらの生存本能なのか……。いずれにせよ、私達が進軍するのには思ったよりも警戒が必要だと言う事です」
幸子がいくつかの資料を呼び起こしてはスクロールさせる。それらはこの半年間だけではなく、十二年もの間に姫宮財閥が手に入れてきた機密情報であった。イニシャライズするポケモン、そしてトランプ兵団、転生者に関しての分かっている限りの情報。どれもこれも大国と取引するのに相応する。
「しっつもーん。ダイマックスリアクターを使って、それで何とかして鏡面界に到達したとして、そこからは? ハートの女王暗殺に向かうとして、そうなると全員で雁首揃えてネクロズマの前に? それって……ちょっと迂闊なんじゃ?」
挙手したトリアにキャロルが予め用意しておいたプレゼン資料を呼び起こす。
「えっと……あっちのせかいとこっちじゃどこにいるのかだとかがやくにたたないかもしれないの。だから、ぜんいんでそろってしかけられるかのうせいはすくないよ」
「要は、浮上境界を何とかして排除して、それで鏡面界に無理やり降下しても、全員が揃って作戦行動が出来る可能性は思ったよりも低く見積もっていい。……いや、それ以前に作戦指揮がかく乱される可能性だってある。ノックス兵団長は浮上境界をイニシャライズ以外で抜けるのには、莫大なエネルギーが必要なのだと証言しているし……」
ハートの女王に勘付かれてしまえばそこまで。秘密裏の作戦において、未だに決め手には欠けると言うのがこの場の総意だ。しかし、コウジはそれに関して言及する。
『その心配は要らない。既に米国政府とは渡りをつけている。浮上境界を破壊するための兵器はじきに実装されるだろう』
「とは言ったって、残り四日以内……。あまり悠長にはしていられないわ。私はこの後、トレーニングルームに向かう」
そう言うなり綺咲は立ち上がり、他の面々の言葉を待つまでに扉へと歩み進む。その誰も寄せ付けないような冷徹な背中に、唯一声を出す事が出来たのは有栖であった。
「待って……! 待って、綺咲ちゃん……」
自分もすくっと立ち上がったものだから全員分の視線を受け止める。有栖は物怖じしないように息を詰め、綺咲の姿を捉える。しかし、綺咲にとっては名を呼ばれた程度では振り返る意味さえもない。
「……綺咲ちゃんだけで戦っているわけじゃないよ。それは分かっているでしょう? だから……だから無理はして欲しくないって言うか……」
暫時の沈黙。
背中を向けたままの綺咲からの返答はない。この場で自分に問い返すような物言いなど最初からないかのように。
「……綺咲ちゃんは大事なんだよ? あたしにとっても、みんなにとっても……。だから――」
「だからチープな物言いで私の足並みを止めるって言うの? 愚かね、篠崎さん」
ようやく返ってきた言葉の冷徹さに有栖は息を詰まらせる。綺咲からの純度百パーセントの拒絶に、ここまで考えてきた様々な言い訳や様々な言葉が霧散する。
そうだ、結局のところ自分は綺咲を救いたいなどと言う身勝手な理想を振り翳しているだけ。当の綺咲がどう思っているかなど、まるで知る由はなく。
「……あたし……迷惑かな……」
「不必要な事に足を取られるのならば、そうでしょうね」
「ちょっと! 姫宮! あんた、どれだけ大変だって言っても、限度ってもんが……!」
思わずと言った様子で卓上を叩いて立ち上がった幸子であったが、綺咲は自分には目線を振り向けないのに幸子は直視する。
「高峰さん。あなたも気を付けたほうがいいわ。どこに目があるのか分かったもんじゃない。その立ち振る舞い次第で、ここから先の未来は変動する。勝ちたければ喰らう事よ。どれだけ醜悪にまみれた汚泥であろうとも。それが出来ないのなら、戦いの真似事なんて続けるもんじゃないわ」
綺咲が真鍮製の扉を開け、全員分の沈黙を受け止めて退室する。その足音が遠ざかってから思わずと言った様子で幸子が舌打ちを漏らす。
「……あんなのでも、姫宮財閥の主戦力。歯がゆいわね……所詮はオペレーターって言うのも……」
「……幸子はよくやってくれてるよ。ごめんね、気を遣わせて……」
椅子に腰かけると会議室に重苦しい空気が降り立ちかけて、トリアが大仰に手を振ってそれを拡散させる。
「やめやめ! お嬢様も、有栖嬢も幸子嬢も! こういう時に高校生しないでくださいよ!」
ある意味ではトリアのどこかやけっぱちめいた言葉も今は助かる。幸子相手にも無言になりかけたこの場の清涼剤に、隊長が口にする。
「……無自覚なんだろうな。まぁ、それはいい。問題なのは、わたし達だけでは、浮上境界を破壊する事でさえも独断専行は不可能であると言う事実。ノックス兵団長の導きと、そして米国との協定。それがこの先、効いてくるのは間違いない。どうあったとしても、隊の練度を引き上げるのが近道であるのはお嬢様の言う通りでもある。正直に言えば、米軍のステルス機を焼き切るほどの火力を誇るネクロズマをどう倒すのか、など議論するのならばこの会議室では足りんくらいだ。だが、希望はある。そう捉えていいのだな? キャロル君」
キャロルは隊長の強面に少しだけうろたえたようであったが、すぐさま端末を操作してしっかりと頷く。
「……うん。じょうおうがなにをしてくるのかはまるでわからないけれど、サチコといっしょにかんがえたさくせんならたくさんある。わたしたちはこのさくせんをぶきに、やっていくしかないよ」
キャロルにとっての最大の武器はその頭脳。現世のあらゆる技術を理解し、解析し、そして一段階上どころかその架け橋さえも跳び越えて実現してみせる。ともすれば、鏡面界との戦争がなければ飛躍しなかったかもしれない技術もあるのだ。
それはGIG隊員が所持するキャプチャ・スタイラーの技術も入っており、半年前に比べれば格段にその性能を跳ね上げている。
「……作戦、か。けれど実際のところ……わたし達でハートの女王に比肩するためには、ノックス兵団長の率いている人達以外のトランプ兵団と一端に戦わないといけない。手はあるの?」
カイにとってのこの疑問は、恐らくは自身の出身地であるところのヒスイ地方を戦場にしていいのか、と言う疑念もあったのだろう。実際、カイがどこから来て、そしてどこへ行くのかはこの場に居る誰にも分からない。彼女自身も問い続けるほかないはずだ。
ゆえに、戦いにおいて迷わないと言う点で言えばカイほどの適任者も居ない。現世に行き場はなく、かといって鏡面界に帰れるわけでもない。今さら無頼漢を決め込めるほど、彼女だって踏み込んでくれていないわけではないのだ。
有栖にとっては半年間、背中を預けた味方でもある。この街で戦い、そして同じ釜の飯を食ってきた。共に同じ空気を吸い、同じ感傷に足を取られてきた仲間であるはずだ。
『手段としてはいくつか考えられてはいるが……やはり個としての戦力補充は欲しいところだな。ノックス兵団長の調書の中には、必要に駆られれれば戦力を惜しまないとあったが……』
コウジが調書を捲りながら、その不確かさに懐疑的な声を出す。昨日まで敵であった相手を信じる、と言うのはなかなかに厳しい。殊に鏡面界からの亡命者であるのならばなおの事。
「……私の主観ですが、いいですか?」
トリアが挙手する。幸子が発言権を渡すと、彼女はわざわざ立ち上がって口にしていた。
「……その、取り調べと言いますか……何時間も一緒に居れば……ちょっとばかしは分かります。私もGIGの隊員ですので。害意はないと言いますか……ウソはほとんどついていないのではないかと」
「ほとんど、か。何やら含む物言いだな」
隣の隊長の声にトリアは一拍置いて頷く。
「……我々を信用し切ってくれ、と言うのはどだい無理な話です。半年前まで、我々だけじゃない、鏡面界の事を知っている転生者は時折イニシャライズしては戯れのように彼の仲間を……部下を殺してきたのです。それをなかった事にしてくれとは言えません。知らなかったとは言え、ノックス兵団長は苦しんでいた。その事実から目を逸らす事は、この協定を根底から覆しかねないからです。その前提条件は構いませんね?」
しかし、トリアがノックスの側に完全に転んだとは思えない。むしろ、その瞳に映した意思の光はより強く眩しくなってこの場に居る全員を見返す。
「……話を続けるといい」
隊長からの許しを得て、トリアは言葉の穂を継ぐ。
「では。……ノックス兵団長の論点は、しかし部下を殺した転生者を苦しめて復讐したい、と言うミニマムな動機ではないようでした。むしろ、それは捨てたかのような……彼にはもう、身を焼くような復讐心も、ましてや兵団長としての義務感も……まるで死んでいるかのような……そう、私は感じました」
『調書にもあるな。“ノックス兵団長が義憤の念に駆られて降りてきたとは考えづらい”とは』
コウジの言葉も受けてトリアは全員を見渡してから、ゆっくりと続ける。
「もう……そういう場合ではないのかもしれません。現世だとか鏡面界だとか……そういう表層ではない部分に事態がシフトしているのだとすれば? ともすれば我々が日夜、野良の転生者と交戦している事でさえも、鏡面界……と言うよりもハートの女王にとって優位なのだと仮定してみれば、どうです?」
「ハートの女王が、“感情”を読み取る以上の権能を持っているとでも? それはトリア副長……飛躍し過ぎなんじゃ……」
幸子が諫めようとするも、トリアは落ち着き払って返答する。
「ですが……今回明らかとなった情報も含めると……ハートの女王はただの鏡面界の支配特権層とは思えません。むしろ、支配と言うのはハートの女王にとっては第一段階以下なのではないでしょうか? トランプ兵団を率いるのは、彼女にとってはまばたきするのと同義のように、当たり前の事。ならば、狙っているのは自ずと……」
「……現実世界への浮上そのもの、か。それを強固にするのは、転生者の数であったな」
幸子が必要に駆られたのだと察して、投射画面に情報を映し出す。半年前の戦いの決着そのものが映像として表示されるのは、アルセウスフォンの同期機能の応用であった。
「半年前にシュレディンガーがツバサ姉……翡翠ツバサと共謀し、そして鏡面界と現世を楔で留めた……。その後、バステトが出現し、全世界に転生者を生み出した。この順序こそ意味があったのだと判断すれば、バステトによる数千単位の転生者こそが、鏡面界にとって優位である……と言うのは仮説としては頷けるけれど……」
しかしあの時、シュレディンガーが完全にそれを受け入れていたとは考えづらいと有栖は感じていた。それが最終目的ならば、何故、キャロルからアルコスを奪わなければならなかったのか。何故、それに固執していたのにあんなに呆気なく死んだのか。
「……キャロル。アルコスのシステムに関しては、分かる事はある? あのツバサ姉……翡翠ツバサがあれだけ執着していたんだから、意味はあると思うんだけれど」
顔を覗き込んで問いかける幸子に対し、キャロルは申し訳なさそうに頭を振る。
「……ごめん、サチコ。それにみんなも。わたしにもアルコスのことは……もやがかかったみたいになってて……。あのときはたしかに、ぜんぶわかっていたはずなのに……」
「いいの。いいのよ、キャロル。あなたには他にも役割はある。過去に縛られないで」
キャロルの小さな手を包み込む幸子に、有栖は自分の知らぬところでの絆の深め合いもあったのだろうと察する。
「それで、何ですが……。あの時……私達が現世に降ってくるポケモンに対応していた時……お嬢様や幸子嬢、それに有栖嬢はアルコス……と呼ばれる高次元のエネルギーを目の当たりにしていた……で、いいんですよね?」
トリアの疑問の矛先は自分に向いていた。それも当然だろう。あの時、唯一ツバサを倒し、そしてアルコスの権能を理解していたのだ。糾弾のような眼差しが向けられたのを感じ取り、有栖は立ち上がる。
「……あたしも……その、明言化は難しい……です。これは半年前の報告書の通り。けれど、この半年間……学園都市で戦ってきて、あれはなんて言うのかな……。転生者が最後に授かる……それこそ願いそのものなんじゃないかって、自己分析してきました」
「願いそのもの、か。転生者は最後の一人になるか、“カタストロフィ”が訪れる前に最高得点者を決めなければいけない。そのルールがまだ効いているのだとすれば、この半年間は“ゲーム”の延長戦なのだと。これはお嬢様の予測にもあったが、バステトとそれ以外の転生者との……決戦。チームロワイヤルが継続しているとすれば、それこそ数が優位になる」
「ただ……疑問なのはこれまでは最高得点者の算出方法が不明なままだったのに、ここに来て半年も“ゲーム”を延長するメリット……ですよねぇ……。わっかんないなぁ……」
トリアも威厳を保つのが限界なのか、椅子に座り直してだらしなく頬杖を突く。
「……トリア。少しは真っ当な状態を保て。お嬢様の眼が届く範囲でなくなった途端にこれだ」
「でもですよ? 隊長ぉ~……ずっと私達、お嬢様と同じ任務で……気を抜く暇なんてないですよぉ~」
『……わたしの前ならいいのかね?』
思わずと言った様子でコウジが口を差し挟むと、トリアが稲妻に打たれたようにびくりと立ち上がる。
「は、はっひ……っ! す、すみません……。あの、これってクビですか……ね?」
「……馬鹿を言え。ここまで重要機密に踏み込んでおいて今さら不敬罪でクビにはならん。安心しろ」
「……た、隊長ぉ~……。ビビったぁ~……」
こほん、とコウジが咳払いする。そうすると少しだけこの切り詰めたかのような会議の場も穏やかになって、トリアの存在も一服の清涼剤なのだと理解させられる。
『……一旦、お開きにしよう。会議室で頭を突き合わせても解決しない事は往々にしてある。有栖君、それに幸子君は引き続き会議に参加してもらうが、トリア副長とGIG隊長はノックス兵団長の取り調べに戻ってくれ。キャロル君は技術開発部に。伝えておきたい事もあるからね』
「……あ~……。生きた心地しなかったぁ~……。代表直々にクビ言い渡されるなんて壮絶過ぎですよぉ~……」
「……言われても可笑しくない態度ではあったがな。では、一時閉廷。頭を切り替えていくとするか」
GIG隊長が腰を上げる事で、ようやく全員が会議室から出る段階になる。
「有栖。……ちょっといい?」