ALICE   作:オンドゥル大使

95 / 100
第95話 明日への『矜持』

 

「幸子……。うん、あたしは大丈夫……」

 

 思えばほとんど顔を合わせる事も少ないとは言え、幸子と話はしておきたい。それは当然、彼女が伴わせているキャロルにも、だ。

 

 コウジや隊長の目がないと悟ったのか、キャロルが自分に抱き着いてくる。

 

「……おかあさん。わたし、よくやれたかな?」

 

「……うん。あたしよりもよっぽど。キャロルちゃんは優秀だと思う」

 

「……えへへ。なんだかうれしい……」

 

 キャロルが小さな身体で必死に腕を回そうとする。任務後の自分なんて汗くさいだろうに、と有栖は自嘲する。

 

「……くさくない?」

 

「ううん。……いいにおい。おかあさんのにおい……」

 

「……有栖。キャロルと会う時間を作るのは難しいのは分かっているけれど、こうしてあげて? この子にとっては……唯一心を許せる間柄なんだから」

 

 そんな事はない。幸子だってよくやっているとは言いたかったが、キャロルの前であまり弱気な事は言えないと近くのベンチを指差す。

 

「次の会議まで……そこで休もっか」

 

「奢るわよ。キャロルは何がいい?」

 

「オレンジジュース」

 

「おっけ。有栖は……あんたはブラックのコーヒーは……」

 

「飲めるように……なったかな」

 

 この半年間で泥にまみれ、煤けた戦場を突っ切れば苦いコーヒーの一つくらいは我慢出来るようになった。なってしまったのだ。

 

 ベンチに腰掛けるとキャロルがじゃれてくる。有栖は自分そっくりの相貌を撫で、絹のような金髪を手櫛で梳いていく。

 

 見れば見るほどに――まるで幼い自分の生き写し。

 

「……ここにツバサ姉が居ればね。この不可解さにも説明があったかもしれないけれど」

 

 はい、とブラックコーヒーが差し出され、有栖はそれを受け取る。冷たく、指先の体温を奪っていくかのようなアルミ缶をさすってからプルタブを開けていた。

 

「……ツバサ姉は、けれどあそこで楽にしてあげたのが一番だったのかも。こんな状況で……敵になった可能性よりかは……」

 

 否、これもずるい論法だ。自分の手で、自分の決断でツバサを打ち破り、そして殺しておいてこんな逃げ口上が通用するとは思っていない。

 

 キャロル一人分の空白を開けて、幸子が座り込む。キャロルにオレンジジュースを与えてから、自分自身は糖度の高いエナジードリンクをくっくっと飲んでいく。

 

 ふと、幸子は将来、酒飲みになるのだろうかなどと言うこの場に似つかわしくはない想いに囚われる。きっと、ただの女子高生として日々を過ごしていたのならば、適切であったその感情は今となってはもう手離して久しい。まるで陽だまりのように。

 

「……エナドリ、身体に悪いよ」

 

 そう言ってこの現状に抵抗するのが精一杯。所詮は綺咲一人繋ぎ留められなかった人間の言い訳めいた言葉である。

 

「……知るもんですか。第一、もっと上手くやれたはずだとか、もっと出来たはずだって後悔するのはもううんざりなのよ。……この世界の寿命がたったの四日間、か。半年も戦っておいて、今さら何言ってんだって話かもだけれど、正直ね。……ごめん、参ってる」

 

 幸子が天井を仰いでその腕で目元を隠す。天窓から降り注ぐはずの月明かりも、星明りもない。暗がりの廊下を等間隔で寒色の蛍光灯が続いている。それはこれまでの半年間でもあり、この四日に横たわる宿命の道の色調でもあった。

 

「……余命四日の……世界、か」

 

 これが自分達の望んだ世界か? と自問してもまるで実体感がない。嘘で塗り固められた道先で、震える手にランタンだけを携えているかのように不確かだ。

 

「……私ね。ダメになっちゃったのかもしれない。この半年間で……起こった事、成し遂げた事も……。全部全部さ、私達の生きてきた十七年間よりも濃度が濃くって……ううん、それもヘンなのか。ツバサ姉やマオフェンの言葉が正しいのなら……私ってさ」

 

 そこから先を有栖も口に出せない。

 

 ツバサの説いた、自分を中心軸にして全ての事象が組み替えられたのだと言う仮説。その際に生じた、違和感を覚えないための措置。その一つとして幸子と姉である妙子、そして母親が居たのだと。

 

 まるで突拍子もない話なのだと一笑に付すレベルであった――と、“コール”を経験しなければ言えたのだろう。実際にこの不可解な“ゲーム”と転生者の宿命を知れば、現実味なんてものは意味を持たない。

 

 そこに在るのならば、それは理由も説明も必要なく、ただ在るのだと。

 

 ただし、この説明を飲み込むのには有栖自身、痛みを背負う必要がある。

 

 ――自分はでは、一体何なのだ、と。

 

 ここで思考している「篠崎有栖」は一体何なのか。そもそも世界が五分前に創造されたとして、全ての事象と記憶を封じ込めて、そして改変するなど可能なのか。

 

 しかし、こうしてぬくもりとしてキャロルは存在し、そしてツバサの言った通り、妙子は自分を一面では呪っていたように思える。

 

 キャロルの体温を否定するのならば、あの時の――妙子の最期のぬくもりも否定しなければならない。しかし、そうなると今度は自分自身の存在さえも危うくなる。

 

 まるで薄氷の人生。

 

 誰かの生き様の肯定は、自分の否定となって身を傷つける氷結の刃となる。かといって誰かの否定も同義だ。ツバサの言説を否定したくとも、妙子との過去のくだらない喧嘩の一つも、幸子とのこれまでの思い出も――自分にはない。空っぽのがらんどうだ。こんな調子で、ハートの女王と戦えるのだろうかとキャロルの髪を撫でながら有栖は考える。

 

 いや、こうして考えたところで作り物ならば意味はないのかもしれない。

 

「……有栖」

 

「……うん?」

 

 不意に呼ばれて振り向くと、幸子の手が頬へと伸びる。一拍の呼吸の合間に、不意に呼吸がかかりそうなほど近づいたその双眸が揺れ、やがていたずらっ子の眼差しに変わって頬っぺたを引っ張る。

 

「……なんてね」

 

「ふへ……っ?」

 

「……有栖。あんたなんてどれだけ頭を悩ませたってどうせおつむの出来なんてたかが知れてるのよ。だってのに、この世の地獄を思い知ったみたいなツラしてさ。……有栖のクセに、生意気!」

 

 そのまま思いっ切り頬を引っ張られて有栖はベンチをタップする。

 

「い、痛い! 痛いってば! もう! 幸子ってば……!」

 

「おかあさん? サチコ! おかあさんをいじめないで!」

 

「ごめん、ごめんって。……いたた、ぽかぽか殴らないでー!」

 

「むぅ……サチコははんせいしてない!」

 

「反省してるってば……! いたた……っ!」

 

 キャロルの存在がかすがいのように、こうして今にも切れそうな自分と幸子の縁を紡いでくれている。

 

 本当ならば抱き締め合って、そしてお互いに悲観の言葉を吐いて、そして――。そして、どうしたいのだろうか。この運命が嫌だから、もうこんな目に遭うのはたくさんだから、逃げ出そうとでも言うのだろうか。

 

 ――きっと、出来やしないと有栖は感じる。

 

 それは自分にその資格がないのと同時に、まだ捨てられない希望があるからだ。幸子や兎真、それにカイにGIG隊長にトリア。ここまで自分と絆を結んでくれた人達を裏切るからだけではない。

 

 ――きっと、あたしは綺咲ちゃん一人に失望されたくない。

 

 その想いをより一層強く噛み締める。綺咲を裏切るくらいならば、自分の命で購ってしまってもいいと思えるほどに。

 

 だって、綺咲は自分の世界を変えてくれた少女なのだ。

 

 夢うつつの中で出会い、そしてこの日まで身を寄せ合うような猶予もないままただただ“ゲーム”の転生者としての間柄であった。

 

 時には対立した、時には協力もした。

 

 だが、その実は何なのだろう。

 

 自分にとっての綺咲は、一体どのような意味を――。

 

「……有栖? もう、ぼんやりし過ぎ! もうちょっとちゃんとしてよね!」

 

「あ、うん……。あたし……さ。よかったのかも」

 

「よかったって、この境遇が?」

 

「……うん。しっかりとは言えないんだけれど……だってこの戦いがなくっちゃ、みんなと出会えなかったかもだし。特に隊長とトリアさんなんて……絶対に会えなかったかも。それはキャロルもそう」

 

「わたしも?」

 

 幸子の背中に縋りついてぽかぽかと小さな拳で抵抗していたキャロルへと、有栖はそっと抱き寄せる。

 

「……うん。キャロルは……あたしがこの運命を選ばなくっちゃ、会えなかった子な気がする。ヘンだよね……? あたし、もしかして子供を持つつもりだったのかなぁ?」

 

「あー、でも案外、有栖ってそういうとこあるかも。流されてヤっちゃうって言うか、寂しがり屋なもんだかた……コロッとね」

 

「やっちゃう……?」

 

 キャロルが首を傾げているので有栖は耳まで真っ赤になって幸子へと反論する。

 

「も、……もうっ! 幸子ってば子供の前だよっ! その……下品って言うか……」

 

「下品なもんですか。私らだって大学にでも入れば彼氏の一人や二人……って言うのも、遠い願望になっちゃったなぁ。あのね、有栖。思っていた事、この際だから言うわ。別に勉強なんて出来なくったって、それなりの大学に入って……それでどうしようもない、なんて言うかしょーもないようなサークルに入って……それでお酒の味を知って、んで先輩だとかに憧れたりして……」

 

 幸子の独白に有栖は相槌を打つ。そうだ、そんな当たり前の、当たり障りのない毎日が待っているはずだったのだ。

 

「……うん」

 

「それでね? 男の……別にイケメンでもない同期と試しに付き合ってみてさ。あれ? 案外相性いいかもって……。つまんない事をさも面白いように喋ったり、彼氏に合わせてメイクを変えたり、指輪を買ってみたり……でも、私らにはそんな未来は永劫訪れないんだよね。大学で出会うはずだったイイ感じの男の子も、ましてやモラトリアムの毎日も、全部……全部焼けちゃった……」

 

 泣いてもよかったのだろう。悲嘆に暮れてもいいはずだ。それでも、幸子は涙を流さなかった。必死に堪えていた。それは彼女なりの、この道で踏みとどまると決めた覚悟なのだろう。姫宮財閥のオペレーターとして、実際幸子はよくやっている。半年前まではただの女子高生であったなんて信じられないほどに。

 

 だが、そのせいで大きなものを自分達は失ったのだ。

 

 恋バナに花を咲かせられたような余裕もあったのかもしれない。あるいは誰かがもう付き合っているだのそうでないだの、色恋沙汰に夢中で。

 

 まだまだ恋愛未満の関係性の気になる男の子だって遭遇したのかもしれない。

 

 そのもどかしい距離を楽しめるような権利も、資格も、そして何よりも未来は、もう存在しない。形あるものは朽ち果て、形のない想いは消え去った。だからこそ、こうして思い出にもならないじゃれ合いが愛おしい。キャロルは自分の下から離れるような日が来てもいいはずだったが、生憎とたった四日間では親離れを経験する事も、子離れを経験するのも無理そうだ。

 

「……ねぇ、幸子。あたしね。……あたしはもっと……楽しい未来を生きていきたい。もちろん、隣には幸子が居て欲しいし、可能ならキャロルも……。でもね? あたし……このままじゃ良くない事も一応は分かっているつもり。……だから、こんな有り様なのかな。どっちつかずって言うか……」

 

「有栖は元々優柔不断じゃん。……まぁ、けれど有栖には目的があるんでしょ? お姉さんをちゃんと送り出してあげたんだし。今度はお母さんの番かもね」

 

「……そうだね。お母さんも……そのほうがいいのかもしれない」

 

「おかあさんのおかあさん?」

 

 キャロルが不思議そうに尋ねてくる。有栖はその頭を撫でながら一つ頷く。

 

「……うん。あたしのお母さん。きっと……まだちゃんと、この“ゲーム”が有効なのだとすれば、待っているはずなの」

 

 しかし、妙子のように偽りでしかない家族なのだとすれば、もう会わないほうがいいのかもしれない。そのほうがお互いにとって幸福だとすれば? 有栖には分からない。判断するべき指標も、ましてや展望も見失った。だから、せめてこの手の中にあるものだけは守りたいと思うのに。

 

「……有栖。私は前に行くわ。何があったって……前を進み続けるしかない」

 

 立ち上がった幸子に有栖は何か、言うべき事があるのではないかと迷っていた。マオフェンやツバサの言い分が正しいのならば、幸子の今の決意でさえもそれは靄のように薄らいでいくもの。しかし、誰がその覚悟を笑えるものか。幸子はきちんと「高峰幸子」としての人生を生きていこうとしている。

 

 それが「篠崎有栖」の付随物だなんて、思いたくはないのだ。

 

「……うん。キャロル、技術開発部まで一緒に行こっか」

 

「いっしょにきてくれるの?」

 

 こんな時くらいしか、キャロルを年相応に甘えさせる事なんて出来やしない。有栖は微笑んでキャロルの小さな手を握る。

 

「……あたしに出来る事、ちゃんとしていたいから。だから、ね……」

 

 まだ悲嘆に暮れて泣くのには、早いはずなのだから。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。