防御障壁はシステムガイドによるものであった。
一定の順序で音階を刻み、そして静脈認証と網膜認証。あらゆる生体認証を突破してようやく、この姫宮財閥の中枢部へと入る事が許される。
恐らく秘匿レベルで言えば最重要機密の一室に入ってきた人影に、そっと視線を振り向ける。
「……ここでしたか」
「ああ。すまないね、盗聴やポケモンによる察知を恐れるのならば、ここで会うほかない」
「いえ……。代表は、やはりこの先、上手く転がらないとお考えなのがよく分かりましたので」
「そう言ってもらえると助かるよ。――コハク」
名を呼ばれてコハクは恭しく頭を垂れる。
「……わたくしがここに入るのも、恐らくは今日で最後。これまで十二年間、続けてきた習慣も終わるのですね」
「申し訳ないと思っている。君には綺咲のサポートだけではなく、GIGの設立、そしてキャプチャ・スタイラーの開発まで押し付けてしまった」
「いえ。それも必要であった事なのです。わたくしがこちら側に……現世に呼び出されたその時から決められていた運命なのでしょう」
その言葉にコウジは唇の端を緩ませる。正直に言えば、そこまで思い切るものでもないと言い出せればよかったのだが、ありふれた人生を歩ませてあげられなかったのは心残りだ。
「……これを見に来たのだな。君も……」
仰ぎ見た先にあったのは一筋の光の皮膜に包み込まれている白い端末であった。
仰々しい神の装飾を施され、その液晶は明滅を続けている。
「わたくしが持ち込んだ、原初のアルセウスフォン。――オリジンアルセウスフォンは、まだ静謐を保って?」
「反応波長は変わらない。どれもこれもフラットのままだ。……しかし、わたしはこれこそが最終決戦に必要なピースなのだと考えている」
「……わたくしが再び、このオリジンアルセウスフォンを携え……そして鏡面界への降下強襲作戦に同行する、ですか」
「君にしてみれば十二年間も、この穢れた俗世に縛り付ける要因でもあった。最初の転生者である綺咲の魂の色相を写した、アルセウスフォン……か」
「わたくし達、受付嬢にとってアルセウスフォンは魂のパスに等しい。一度契約すれば、その相手と自身を繋ぐ、重要な糸となる。オリジンアルセウスフォンがここにある限り、わたくしは鏡面界へと帰る事は出来ない」
「……その宿縁も、もうすぐ終わる。すまなかった。わたしは自分のエゴのために……君をこの現世に留めてしまった」
「いえ、お嬢様を救うためには必須であったのは分かります。アルセウスフォンの解析と解明、そして鏡面界のシステムを理解するための、唯一の道標。今日までのイニシャライズへの対応策と、キャプチャ・スタイラーの発明の手助けを出来たのは僥倖でしょう」
「……キャプチャ・スタイラーの技術が刷新されたのも、この半年間の膨大な転生者との交戦データによるものが大きい。否が応でも、我々はこの時を待たなければならなかった。結果的に、わたし達は篠崎有栖君を含む、ほとんどの転生者を利用したも同然。恨まれても仕方ないとは思っている」
「……代表はノックス兵団長に関しても、思うところがあるように感じられましたが」
「……笑うかもしれないが、ノックス兵団長は被害者とも思っているんだ。現世と鏡面界が溶け合わなければ、彼のような人間を生む事もなかった」
「全てはハートの女王の打倒を掲げて。理解はしているつもりです」
「……コハク。この先に進むのも……もうあと三日もない。鏡面界強襲の際には、“君達”の協力が必須だと思っている」
「それは熟知しているつもりですが……彼女は別かもしれません」
コウジは特急秘匿障壁で守られた、さらなる深部へと進む。そこに赴く事が許可されているのはこの姫宮財閥では自分とコハク、そして綺咲だけだ。
「……これも我々の功罪の一つか」
重々しい音を立てて防御障壁が掻き消されていく中で、コウジは口にする。次元障壁に相当する牢獄はダイマックスエネルギーを利用しており、赤銅色に輝いている。
残されたのはあらゆる文明の利器から切り離された異空間とでも言うべき場所であった。緑色に反射する洞窟のような通路の先で、罪人の面持ちで佇んでいる女性にコウジは言葉をかける前に、漏れた吐息が白く凍えている事に気づく。
「寒くはないのか? ――チェシャー」