「わたくしにとってはどのような環境であろうとも、それが最大の罰であるのならば」
コハクと全く同じ顔、同じ姿かたちをしている相手へとコウジは言葉を継ぐ。
「しかし、過ぎたる罰は君には相応しくはない。……わたしとコハク、そして綺咲だけがこの場所を知っている。もう半年も経った。罪の清算には充分だ。チェシャー、協力して欲しい……とは言っても、コハクと繋がっている君にはもう自明の理であったか」
「鏡面界に攻め込むのですね。……ハートの女王を討伐するために。トランプ兵団の離反兵と協力して、ですか」
言葉で説明するよりも、チェシャーには雄弁に伝わるのはコハクとの同期現象であろう。この二人は元々同じ存在、だからこそこの距離まで近づけば自ずと考えている事は共有される。コハクの知った情報は、常に同期処理されるチェシャーにとっての既知となるはずであったが、この異空間の牢獄は受付嬢同士の同期を遮る効力があった。それもこれも、オリジンアルセウスフォンからもたらされた叡智の結晶だ。
「君にはこの半年間……あえての静観を貫いてもらった。綺咲もここの事は知っていて、遠ざけさせている。他の者達は知りようもない。……もっとも、君と契約した転生者である篠崎有栖君達は不可思議には思っているだろうが……」
「そのような余力はなかった、でしょうね。半年間で数百回を超える転生者との遭遇戦、わたくしの身柄を案ずるのには時間も経ち過ぎました」
コハクから繋げられた共有事項をチェシャーは今、この瞬間に知り得たはずだ。だが、その落ち着き払った声音にコウジは内心、恐怖を感じていた。
――これが“ゲーム”の受付嬢か。
半年もの間幽閉されていたとしても、同じ受付嬢同士ならばその隔たりを感じさせない速度での同期が成される。凄まじい、とでも言うべきだろう。
「……チェシャー。わたしの言いたい事は分かるね?」
「……ええ。わたくしに同行せよと。姫宮綺咲様や有栖、早谷兎真様と共に、ハートの女王を倒すために」
「チェシャー。理解は出来るはずです。貴女はわたくしなのですから」
コハクからの申し出はチェシャーには意外でも何でもないはず。どれだけ欺いてきたところで、受付嬢同士の腹の読み合いは出来ない。コウジには、見えざるそのシステムがまるで理解出来ない一方で、これがチェシャーにとっての弊害である事を承知している。
「君らは特殊な同期処理をこの十二年間、行ってきた。それこそが、151分間の硬直の正体。君は現世に居る限り、コハクへと情報を流し続けなければいけなかった」
「それこそが、わたくしにとっての罪と罰……ええ、存じ上げております。わたくしが貴方達に協力するのは、全く反論するつもりもございません。ですが、一つだけ」
「……何かな」
ここでの条件次第で自分はさらに抱え込まなければならなくなる。有栖や綺咲達には知られるわけにはいかない。一拍の緊張が走った後に、チェシャーはその水晶のような澄んだ眼差しで一言だけ発する。
「……シャワーを。さすがに半年も権能を封じられて幽閉されていれば、転生者の皆様の前に姿を晒すのは憚られます」
絶句する。
まさか、そのような人間らしい――否、コウジにしてみればどうでもいい条件があるなど。しかし、視線を振り向けたコハクは動じる事もなく首肯する。
「……この言葉に嘘はないかと」
「……ああ、すまない。わたしにも……考えが及んでいなかった」
「わたくしが逃げ出す事を考えておられるのならば、それは杞憂とでも呼べるものです。もう……わたくしにはそのような気概もございません」
チェシャーは“ゲーム”を回すために全ての意思決定を下す鋼の裁定者――そうなのだとコハクから教えられていただけに、この帰結は意想外でもあった。
「……では。わたしが同席するのは違うだろう」
コハクが歩み出る。チェシャーの左腕に嵌められている赤銅色の手錠を外し、その手を引く。
「こちらへ。わたくし自身も困ったものですね」
「それはわたくしも同じように感じております」
まるで鏡写しのようにしか映らないコハクとチェシャーが異空間を新たに生み出し、シャワールームを構成していく。
「……退席すべきかな。表で待っている」
さすがに空気くらいは読む。コウジは障壁の向こう側まで歩み出てから、そうかと胸中に結ぶ。
「……チェシャーとて、人の子、か。それもこれも……妙な取り合わせではあるのだがね」
半年間の隔たりはチェシャーの中に介在すると言う“感情”にどのような影響をもたらしたのだろうか。転生者との接触は禁じられ、自らが契約した者達の行方も知れないままの幽閉措置。それは彼女にとって、外の世界を封じるだけの罪過となったのか。あるいは、何も感じなかったのか。案外、チェシャーは何一つ不自由とも思っていないのかもしれない。水音が漏れ聞こえてくるのが如何に枯れた身であろうとも少しだけ毒だ。
「……終わりました」
ようやくコウジが振り返る。
チェシャーとコハクを分けているのはGIGの隊服かどうかだけ。しかし、十二年間も連れ添ったコハクが一歩歩み出てきたのを、コウジはきちんと見逃さない。
「……行こうか、コハク。君にとっては全ての決着をつけるために。そして、綺咲達にとっては、この狂った“ゲーム”を終わらせるために」
「……ええ、参りましょう。たとえ何が待っていようとも」
コハクの言葉振りには悔恨めいたものも滲んでいる。思えば、十二年前に綺咲が鏡面界に転生しなければ――そして“アリス”と出会わなければ起きなかった悲劇ばかり。
だが、悲劇だけではなかった。
少なくとも自分は、ここに居る「姫宮コウジ」は綺咲との十二年間をただただ後悔だけで終わらせるつもりはない。
「……余命僅かなこの世界に、終止符を打つぞ」