ノックスらとの顔合わせは最小限に行われる、と朝方通達されたばかりの有栖はトランプ兵団離反者達を率いるコウジに疑念を抱いてはいたが、それも意味はないのだと思い知ったのはその背中に続く二人の人影にであった。
「……チェシャー……?」
「有栖。貴女には辛い宿命を強いてしまいましたね」
この半年間、チェシャーとは隔絶されていたが、こうして再会してみればあらゆる感情が渦巻く。しかし、その追及は言葉も足りなければ時間もない。
「……言いたい事はたくさんあるだろうが、今は作戦開始までの概算時間があまりにも少ない。コハク、説明を」
「了承しました。浮上境界を突破する手段が昨夜では議題に上がっていましたが、それを解決する術は既に締結されております」
コハクはGIGの構成員服に身を包んでいるから辛うじてチェシャーと見分けがつく。そのたおやかな指先がコンソールを撫で、投射映像の中に紡錘形の三次元図を呼び出す。
「……これは……?」
「我が社がアメリカと合同で作り上げた、鏡面界への切り札だ。光体爆弾と言う」
「光体爆弾……」
気圧された心地で有栖が呟くと、コハクは説明を続ける。
「光体爆弾はダイマックスエネルギーを収束させ、それを一点で起爆。拡散と収束の際に生じる莫大な膨張光体を利用し、対象をこの世から完全に消し去ります。今回の場合は、浮上境界に用いる事で、構築されているイニシャライズの壁を一時的に消失出来る事でしょう」
「……でも、そんな大げさな爆弾、向こうが放っておくとは思えないけれど……」
兎真の意見には有栖も賛同していた。半年前の米国のステルス機を簡単に撃墜してみせたネクロズマが待っているのに、ダイマックスエネルギーを利用した爆弾で事が済むとは考えられない。
「……無論、これはあくまでも君達の降下強襲を誤魔化すための措置だ。爆弾自体で鏡面界にダメージはほとんど入らないだろう。それどころか、光体爆弾はそれ以降の潜入を警戒されかねない。だからこそ」
「……我々が先行して、鏡面界へと潜入する、か。わたし達のイニシャライズで光体爆弾が本命である事を隠す。なるほど、現世の人間らしい、欺き合いと言うわけだ」
ノックスが吐き捨てるように口にするが、コウジは訂正もしない。
「……言っちゃうと……ノックス兵団長達は囮って事ですか……? それって承服は……」
「トリア。彼らも覚悟して我々に情報を与えてくれたのだ。今さらその決意に唾を吐くつもりか」
隊長に遮られ、トリアは言葉を仕舞う。恐らく、ここに居る全員が既に固い決意を抱いている。
「……だとして、その……。強襲作戦が上手くいったとして……あたし達は……」
「ハートの女王を打倒すれば、この半年間……いや、この“ゲーム”におけるルールが適応される可能性がある。それはチェシャーから」
コウジに促され、半年ぶりに目にするチェシャーが恭しく頭を垂れてからロングスカートの裾を摘まむ。
「……わたくしが関知したところ、現状は言うなれば第三“ゲーム”……。即ちチームロワイヤルの続行が試みられているのだと推察されます。わたくし達の転生者と、受付嬢バステトの生み出した転生者との血で血を洗うチーム戦……ですが、これは圧倒的不利なのは言うまでもありません」
「チェシャー。6000人以上の転生者相手に最高得点を取るのは無理……だよね? これをどう処理するのか聞かせてよ」
兎真が挙手するとチェシャーは軽やかに手を払う。するとそれだけでアルセウスフォンの上にここまでの情報が表示されていた。
「言葉を尽くすよりも、皆様にはアルセウスフォンで知っていただいたほうが早いかと。これがチームロワイヤルであるのならば、赴く先は一つです」
有栖がアルセウスフォンに触れると、眩暈のような感覚と共に情報が脳髄に流し込まれる。一拍のよろめきの後に、有栖は口走る。
「……転生者の数で競うのではなく……バステトを押さえて倒すか、“ゲーム”のルールに則って、バステト側に認めさせる……。こちらで最高得点を取るのには、強い転生者を倒すしかない……」
「バステトが身を隠しているのはこのルールから逃れられないからでしょう。今、この場に居る誰かが接触すれば、最高得点者への報酬を出さないわけにはいかない。バステトが転生者の数を増やしているのは、その分母で本来の目的を悟らせないようにするため」
「バステト本人を探すって言うか……それが出来れば苦労はしないって言うのが、この半年間の結論だったんじゃ?」
トリアの質問にチェシャーはその眼差しに迷いの一つでさえも浮かべずに次の情報をアルセウスフォンに流入させる。
「……バステトの位置は、我々がどれだけ探査しても見つからなかった、唯一の場所であると推察されます。逆さ吊りの鏡面界の最奥、全世界の人間の視線が突き刺さっているはずでありながら、誰もが観測出来ない場所。――ハートの女王の玉座こそが、バステトの隠れ家と呼べるはずです」
「待て。待って欲しい。……では何故、我々には分からなかった……?」
ノックスの疑問ももっともだ。つい最近までハートの女王と顔を合わせていた証言もある。
「ハートの女王は、“感情”を司ります。感情とは、隠匿する意図の方向性とも合致する。恐らくは、認知をゆがめられ、その結果として見えなかったのでしょう」
「……“感情”を操るって……そこまで出来るって事なの……」
驚嘆した様子で幸子が息を呑む。ここまでの情報を精査すれば、それくらいの権能を持っていても可笑しくはない。それに、ノックス達が気付けなかったのならば、各国諜報機関がどれだけ力を尽くしても結果が出なかったのも頷ける。
「可能です。それに、バステトの転生者には願いを叶えるための方法論以外はほとんど教えられていないのでしょう。開示されていない情報は、受付嬢にとっては優位となる」
「……半年前にあんたがやっていた事と同じか……。聞かれないから答えないって言う……」
呆れ返った幸子に有栖はチェシャーへと一歩踏み込んで尋ねていた。
「ねぇ、チェシャー……! あたしは……あたしはこの作戦、きっちりと遂行しないとって思ってる。チェシャーは……同じ気持ちなの?」
チェシャーは半年前、自分達に味方してくれていた。その気持ちが同じならばこれほどまでに頼りになる戦力もない。有栖はチェシャーの水晶のように澄んだ眼差しを直視する。チェシャーは澱みなく、それに応じていた。
「ええ、有栖。わたくしもハートの女王を倒さなければ、この先の未来はないと考えております。よって、今回の降下強襲作戦において、浮上境界を破壊し、皆様方におかれましては安全に降り立ってもらう必要性があるかと」
その相貌を覗き込んでも、まるで能面のような無感情さが浮かんでいるばかり。今のチェシャーを信じていいのだろうか――そのような疑問は、綺咲の言葉に掻き消される。
「いずれにせよ、作戦開始までいくばくもないわ。光体爆弾の輸送はどれほどかかるの?」
「明日の朝には完品が届く。……合衆国大統領を守ってくれたお陰だ。それがなければ、光体爆弾の使用は憚られていただろう」
「そう。なら、あと一日ね。本当の意味で日常を過ごせるのは」
綺咲のどこまでも冷たく切り詰めた声音に有栖は何も言えなくなっていた。本当ならばコウジと親子水入らずの時間も必要だろうだとか、もっと自分達と話さなくっていいのかだとかを論ずる暇もあっていいはずだ。しかし、綺咲は容赦などしない。必要のないものは必要のないもの。無意味なものは無意味なものと断じている。
「……綺咲ちゃん、そんな言い草……」
呼び止める前に綺咲は既に身を翻している。
「……トレーニングに戻るわ。どうあったって、ハートの女王を倒さないといけない。それが私達の責務よ」
「それは……そうなんだけれど……」
何か、もっと気の利いた言葉が吐ければいいのに、空回りばかりの自分が恨めしい。直接的な言葉で、もっと純粋な気持ちで綺咲に向かい合いたいのに、それでさえも霧散する。もう、これ以上呼び止めても時間の無駄かと掠めたところで不意に肩を組んできたのは兎真であった。
「じゃあさ! ひっさびさにやりますかぁ!」
その底抜けに明るい声音に有栖が瞠目すると、綺咲が足を止める。
「……何をよ」
「わっかんないかなぁ? って言うかヒメ、この半年間、ずぅーっと戦ってきたんだし、最後の休日じゃん? なら、付き合ってよね!」
「……だから、何に……」
少しだけ苛立ちを募らせた綺咲へと兎真はきょとんとしてそれから指差す。
「いや、だってさ。そりゃーもち! 女子会に決まってんじゃん♪」