で
日のすべてが落ちきった夜のはじまりに、二人は背の低い塀を超え、広大な敷地へ入る。
「ここが王宮です。ひとまずはここで、怪我を治してもらいましょう。腹は立つけど腕も立つ馬鹿なお医者さんがいるんですよ。」
「……うん」
草むらの中を、容赦なく行く。辺りにはばらばらと何かのしるしのような石が並んで立っている。頑丈そうに揺れるスカートを、ただ見つめる。
シュンはあれから心ここにあらずといった様子で、要因のほとんどが疲労だった。歩く力を、最後の余力をリアリがその手を繫ぐことで何とか引き出しているという状態である。
「表の方では夕食の時間なので、子どもたちがいっぱいいます。なので裏から──ああそうそう、ここの一階は教堂という場所で、子どもたちが生活するところです。」
リアリはシュンの知識に合わせようと、文章の構築をあれこれ悩みながら話している。
小さな扉を開き、入るとまず壁に張り付いた、マンションにある小さなポストの巣のようなものが目に入った。
その中のひとつだけ、明らかに過剰に手紙が投函されているのをみて、シュンは一瞬だけ呼吸を詰まらせる。それは入りきらない、居所のない手紙は床に山をつくっているほどで、
「ぁ、あの、これは……」
ようやく建物についた安堵感からか、シュンははじめて好奇心をさらけ出す。リアリは当然の如く通り過ぎようとしたところだった。
「どうしましたか? あぁそれは、全部詐欺です。」
「さぎ?」
「詐欺というのは、嘘を吐いて得をしようとする愚か者の発想です。ほとんどは最近流行りの、伝説の文房具を利用した脅しらしいです。うちには有名人がいるので」
「なるほど……」
シュンはたどたどしい呂律で納得の意を示し、会話を終えたところで二人は階段へ差し掛かる。
リアリがシュンの様子を逐一確認しながらゆっくりと登っていると、
「あぁリアリ。いま戻ってきたのかい。随分遅かったね。」
「あ、ルーマおじさん。孤児を拾ってきたんです」
反対側から降りてくる人物──神父のような格好の壮年と出くわした。
狭い空間のなかを彼は壁際に寄りかかり、二人を先に通そうとする。
「いまからゼリューのところへ行って、怪我などを診てもらうところです。夕食は後で行きます。」
「そうか……、その子が、勇者かな」
おだやかな声で関心を向けられて、シュンはなんとなく彼から視線を外す。
「まだわかっていないです。それじゃあまた後で」
「ああ」
そうして素早く会話が終わり、二人はそそくさと彼の前を通り過ぎると、その際にシュンは小さく頭を下げるのだった。
「あの人はルーマさんと言って、この教堂のいちばんえらい人です。家系的には王族で、時代が違ったら王様のひとです。」
「ぇ」
通り過ぎてからさりげなく言うリアリに、シュンは小さく驚愕した。そういえばと、この街は元は王国だったことを思い出す。
王宮内では階段をいくつも登り、常に息を切らすシュンにリアリが励ましつつ、丁寧に案内しつつ進んだ。段差の高さの揃っていないものにシュンは心の中で毒を吐きながら、迷宮のようなダンジョンのような、複雑な内部構造をこれでもかというほど疲れた身体で堪能したところで、ようやくリアリが立ち止まる。
「ここが医務室です。お医者さんがいるかはわかりませんが、まぁだいじょうぶです。あの人の私室なので」
言いながら容赦なく引き戸を開ける姿に、シュンはなんだか既視感を覚えながら室のなかを見た。
最初に認識したのは、なんだか嗅いだ覚えのあるにおいだった。
「ゼリュー、いますか」
「……それ外で訊けよ」
室の奥で、机の前に座っていた人物が振り返って言う。
「まだ部屋に入っていないですよ? 煙たいのでさっさと窓開けてください」
「胃や腸が外の器官なように、戸を開けたらキミのいる場所もおんなじ空間になんだよ」
「屁理屈はよしてください、患者さんですよ」
うっすら煙の這う空間を破壊すべく、奥の人物は立ち上がって室の小さな窓を開け、
「患者って、そのガキか。吐いたのか?」
「あー、たぶん。いろいろあったみたいで、」
リアリが事情を話す中、煙を排出する要因を「まだ吸い始めたばっかなんだが」と独り言ちながら、金属の皿に押しつける。
「なんか、この子が勇者? みたいな話も出ているので、ちゃちゃっとみてあげてください」
「キミが勇者への診察をちゃちゃっとで表現していいのかよ」
「じゃああなたはなんて言うんですか?」
「……ちゃちゃっとやるかア」
観念したように白衣の女性は言って、診察の支度を始めた。
その様子を不安げに見つめるシュンに、リアリはそっと繫いでいた手を放す。
「あとはこの人に任せればだいじょうぶです。私はまだやることがあるので、戻りますね」
「ぇ、あの──」
シュンは声をかけてからどうしてそれをしたのか理解できず、目の前の人物に怪訝な表情をさせてしまったことを即座に後悔した。
「どうしましたか?」
「なんでも……ないです」
視線が右往左往と迷った末に、床へ落ち着いてから言う。
リアリはそんな様子をじっと見つめ、再度手を繫ぎなおしてから微笑んだ。
「またあした、あいましょう。ね?」
「……、はい」
正解不明の感情を二人は抱いて、仮の納得をして、少女は手を放す。「それじゃあ、ちゃんとしてくださいよー」と向こうの女医に投げかけて、シュンに手を振り、彼女はその場を後にした。
見送るシュンは、せめて笑顔を返そうとぎこちなく口角をあげながら、廊下を歩く彼女の背を見つめていると、
「うっ……⁉」
「まずは着てるのを脱いで、それで身体を拭け。そんで着替えろ。」
頭に投げつけられたタオルを手に取り、女医の顔とそれを交互に見ながら目を丸くする。
「少し寒いかもしれんけど、我慢しろ、ガキ。」
「──あの、」
「なんだよ」
「……とをしめて、よろしいですか?」
「いいけど」
じっと不審そうに、二人は見つめあう。シュンはそろりと室に入り、この室にある、とあるものを見つめながら戸を閉めた。
「──っあー。自己紹介が、遅れたな。ボクはゼリューだ。トペリ有数の医者で、ここはボクの私室兼寝室兼診察室だ。キミは」
「…………餓鬼で、いいです」シュンはゼリューの姿の横の壁に視線を滑らせながら答えた。
「よくないだろ、そこ譲歩すんのは。ボクが悪かったかもしれんけど」
ぎくしゃくとした雰囲気に二人は戸惑いながら、行動の最適解を探る。
「まぁさっさと着替えろ。後ろ向いてやるから。」
「……。」
背を向けてなんらかの作業をしているゼリューに、シュンはなんとなくあの女の目を思い出しながら、温いタオルに顔を突っ込む。上半身から服を脱ぎ、自発的な清拭的行為の最中、
「あ、着替えはこれだ。掴めよ」
用意していたけど渡しそびれたような、机の端に置いてある衣服を女医は手に取り、雑に後方へ投げた。衣服は書類や治療器具やらで散らかった室内を見渡すように弧を描き、再度呆気にとられていたシュンの頭部へ着地する。室のなかにはほかに、診察台、長椅子、薬棚、たらいのような灰皿などが見受けられた。
着替えが終わり、暇そうに頬杖をついている女医の背中に、シュンは何と言おうか考える。
「……きてたの、どこにおけばいいですか……?」
「そこら辺の床に置いとけ。それじゃあ診察だな、そこに座れ。」
女医が振り返り、シュンは言われた通りに付近のスツールへ腰掛ける。
二人を挟んでごちゃごちゃとした机上の、適当な紙類に筆記具を突き立てようとして、ゼリューはシュンの顔を見た。なんだか視線をふらつかせ、やや自信なさげな赤い瞳と、深い夜空の色の瞳がぶつかりあう。
「医者には正直でいることだ。症状がわからないんじゃ治療どころじゃないからな。気になったところがあるんならすぐに言えよ」
「……あの」
「なんだ?」
シュンはおずおずと口を開いた。
「たばこがおすきなんですか?」
「ボクのどこを気にしてんだよ」
言われた通り、正直に関心を吐露すると、彼女は室に広く分布されている灰皿を見つめながら、
「医者が喫煙してんのが鼻につくかんじか?」
「ぁ……そこまではいわないけど、患者によくないんじゃないかと……。真似されるかもだし」
「無駄に教養あるな、キミ。」
呆気に取られたように言い、シュンの顔の傷をじっと観察し、処置をはじめる。
「ボクはほら、ぴちぴちだろ? 騎士団では最年長だけど、これでも二十五だ。喫煙する余裕がある」
「余裕がどうこうではないとおもうんだけど……これから悪くなるよ」
「余裕っつのは消費しないと腐っていくだけだ、勿体無いだろ」
シュンの頬につけられた傷の消毒をし、絆創膏を貼って、話を続ける。
「あまり病などに罹らない体質でな。そういうやつなら喫煙していいとおもってるし、そういうやつしかしちゃいけない。吸いたいなら健康になれとボクはいつも言ってる。」
「煙草自体は悪くないと」
「そういうこと。納得できたか?」
「……まぁ」
やはり、健康を乱す行為を健康の代表例のような人物が行うのは、どうにもむずがゆい矛盾を感じる。ここではそんなもの当たり前かもしれないが、そんなことまでを考慮する体力がシュンには残っていない。
「で、他になんか……ゲロはどのくらいした?」
「えっと、からだじゅうの体液をすべて逃がした気がするくらい。」
「よく歩いてこれたな」
「もう寝たいです」
素直な気持ちを真っ直ぐに吐くシュンに、ゼリューは組んでいた足をほどいて、机上の紙と突き立てた文具の先を交互に見つめながら言う。
「マ、ききたいことはまだあるからもうすこし耐えろ。なんでそんなに吐いた?」
「──なんででしょ」
シュンは、天井の模様に視線を滑らせながらうつろに答えた。
「あんまとぼけるなよ? キミの拘束時間が延びるぞ。」
「あんまおぼえてないんです。女のひと三人組にいろいろされたけど、細かい部分は抜け落ちてる。」
「吐いた理由も抜け落ちたと」
こくりと頷くシュンの、女医を見つめる視線はなんだか弱々しい。
「……わかった。事情聴取は明日に回そう。飲み食いもよくなさそうだから、きょうはもう点滴して寝ろ。」
「ぇ、いいんですか」
「なんとなく平気そうではあると思ったが、楽なことが身体にいいのは確かだしな。なんかほかに言いたいことはあるか?」
シュンは待ちくたびれたように、むさぼるように女医にどっちつかずの顔色を向けて言った。
「ねたい」
「よし、寝ろ」
ゼリューは笑って、文具を手中から放して立ち上がる。
二人は室を出て、そこから数歩先のひとつの寝台と備品の集う室に入り、「そこに座ってろ」とぶっきらぼうに言う彼女の様子を、シュンは寝台に座って見つめる。
「利き手はどっちだ」
「左です」
「めずらし。反対の方を捲って待ってろよ」
シュンは言われた通りに右腕を捲り、液体の入った袋、イルリガートルを目の前に、準備を進めるゼリューを見たり、見なかったりする。
室のなかは薬棚やら医療器具が並んでいる殺風景で、いかにも予備という名を肌から理解していると、
「……あれ、さっきのへやは診察室なんだよね?」
「うん」
「それで、私室? せんせいが寝る場所でもあるの?」
「そうだ。私室兼寝室兼診察室だからな」
ふと思い浮かんだ疑問をぶつけ、彼女は処置をしながら答える。
「どこで寝るの? あそこのベットって患者の診察用だよね。」
「べっとって?」
「ねどこのこと」
「あー、そうだな。マ、ボクは天才だからだいじょうぶだ」
得意げに言うゼリューに、シュンは文脈の繫がりを感じられず首を傾げた。
「どう、大丈夫なの……?」
「あれでボクは寝ないからな」
「じゃあどうやって寝るの?」
「机に突っ伏すとか、床とか。寝るのは得意だ」
「からだ痛くなっちゃうよ。」
「ならない。なんせボクは天才だからな」
す、とゼリューはシュンの手を放し、処置の終了をなんとなくの空気だけで伝える。
シュンはいつの間にか自身の手と管の繫がっているという様子と、彼女の顔を赤い視線で二回ほど往復したのち、
「……寝つきの天才?」
「それもあるが、それだけで片づけるなよ。」
「他はまだ見てないんだから、しょーがなくない?」
あくびを手で隠しながら言うと、ゼリューはため息を吐いた。
「そうかもしれんけど……とりあえずあんまりそれ、動かすなよ。それと明日は事情聴取だ。今日あったことと、その目の色についても訊くからな。夢で余裕があったら答えを用意しておけよ」
「あぁ……はぁい」左の手で瞼に触れながら、シュンは呆気を取り返して返事する。
「ボクはそこにいるから、なんかあったらあらゆる方法で呼べよ。おやすみ」
曖昧なことで締めて室を出ようとする医者を、シュンは掛布団を自身の身体に被せながら、「せんせい?」と呼び止める。室と廊下の区切りの上で、彼女は振り返る。
「なんだよ」
「ありがとう」
「…………」
ゼリューはひどく幼い声で差し出された五文字に、シュンの微笑みに無言でじっと目をそらすと、
「……言うの忘れてたけど、便所は隣のとこにある。じゃあな」
「あぁはい。おやすみなさーい」
言い終わると同時に扉を閉じた。シュンはなんとなくそのままの声音で挨拶を済ませると、右の腕に刺さった針と繫がった管に気を遣いながら横になる。
ようやく安心できると思った途端、
「ッ! 腰いったぁ……!」
沁みるような腰の痛みに呻いた。いまさら一瞬だけ電流があったかのように錯覚したそれに、「歳かなぁ」などと鳴きながら触れてみる。
「あれ、なんかあるなぁ。かたいの」
ここにあるはずのない小さな、髪や爪に似たような感覚のする硬い物質に、すぐさまゼリューの顔が浮かび、シュンは扉に目を向けた。
その瞼が重い。扉が徐々に小さくなっていく錯覚をして、そばにあるイルリガートルの暗い足元を見て、そういえば、ここが現実でないような気がした。幼いころに遭った、握っていたはずの小さな玩具が、何故だかいつの間にか手から抜け落ちている幻想の、反対のことが今には起こっているのだろう。
しかしあの|錯覚(いたみ)にはもう遭いたくないので、渾身の力で枕を寝台の反対の端に投げ、
「……あしたでいいや」
と、最低限のベッドメイクを済ませてそこに自身を押し込むように、うつぶせになってシュンは眠った。
*
春の夜空の下には冷たい風が吹いていた。
日課のような、そんな雰囲気で毎日話す家族に似た友人に会うため、リアリは冬よりは暖かくなった世界に触れる。王宮の外側通路と呼ばれる、金属と柵でできただけの足場には、その手すりに寄りかかって喫煙をする医者がいる。
扉の開閉音にゼリューは気づき、夜景から目を離した。
「あの子の様子はどうでしたか?」
「……ふつうに変だ。熱心な死にたがりのわけでも、ぼくやきみにおびえきっているわけでもない、だのにあんな赤い眼をしている。あんま心には詳しくないけど」
「たしか、狂っている人は目が赤くなるんでしたっけ」
リアリは思考しながら言葉を紡ぐゼリューの手からそれを、そっと奪い取る。
「そうだ。怪しいけど、ぼくにはまだ浅い分野でいる」
「ふぅん、そういう患者さんが来たらどうするんですか?」
「こういうんは下の方が得意なんじゃないのか?」
ゼリューの隣に同じ姿勢で身体を柵に傾けながら、煙を吸い込み始めたところのリアリは「ぇ」と小さく鳴いてから、
「そうですかね」
「……少なくとも、哲学とか、宗教ってのは人の弱いところに効くところがあるんじゃないのか」
「哲学はよくわかりませんけど、宗教の部分は幼い子どもの大きな娯楽に過ぎませんよ。」
「もっといい焦点なかったのかよ。」
どうにもそれっぽいというだけで構築された言葉を辿る様子に、女医は気の進まなさと安心感を同時におもう。
懐から煙草の箱から一本と、着火具を出しながら続ける。
「ほら、なんかお悩み相談的な仕事とかあったろ?」
「告解室のことですか? それっぽい返事をするだけの作業ですよ、あれがどうかしたんです?」
「宗教の軽視が甚だしいけど、それで少しは救われる奴がいると思うんだよ。」
「……まぁ、そこは信じてますけど」
「だろー?」
煙草の先端に火を灯し、ゼリューはゆっくり吸い始める。
二つの小さな煙突が並ぶようだ。揃って肺を汚す最中は、リアリが女医の喫煙を止めるための好意でもあった。
「キミは愛とかなんとか、そういうのでみんなを救う役目だ。だからあんまり、自分の仕事の土壌を軽視するなよ。言葉にするの、よくないかもだ」
ゼリューは空を見上げて、微笑みながら言う。煙が暗闇の中に溶けていた。
「──…………それはそうかも。」
リアリも夜空を見上げて、新しい認識が沁み込むのを待った。かといって、なんだか過ちを茶化されたようなことによって生じる違和感を排泄するために、ゼリューに向き直る。
「でも、愛とかそういうのはあなたも仕事に生かせますよ。むしろ、ゼリューのほうが得意なはずです」
「そうか? そうでもないぞ。ぼくは曖昧な部分には弱い。それに、センセーの言う通り、愛は薬にはならないからな。だからボクがいる」
それぞれの役割があんだよ、なんて年上面をする彼女は、きっと姉という存在に似ている。
そして憎たらしくも追い越せない、けれど自分はどこにもいないという不安定な心地に、リアリは慣れないでいた。
「……まぁ、もうしばらくこの仕事続けます」
「そっか」
そんな時間に惹かれ続ける自分を、理解しないままでいたいと思った。
あとがき
ハーメルンに挿絵機能? 表紙機能なるものがあると知り、つけてみたいと思うなどします。いろいろ描いてはいてね……そういえばシュンを生んでから十年くらい経ちます。最初はピンク髪だったよ。
リアリとゼリューは、心の中に磁石を持っているみたいなやつらですね。
信仰心のないシスター的な人と、ヘビースモーカーの医者。そんな矛盾が彼女らを繫いでいる感じがします。なんか、倫理にはかなっていないようなところもさ……。
ちなみにリアリは治癒魔法みたいなんが使えるんですが、彼女も作者も忘れてしまっています。け、怪我するひとがあんまりいないからね! そのおかげでゼリューとの接点が少なくないのだともおもいます。