す
「ガキ、起きろ。朝だぞ」
室の扉を勢いよく開いた音に、寝台の上の人物はもぞもぞと動き出す。
扉の前には眼鏡を頭にかけた状態の女医が、白衣を腕に通しながら立っている。
「あとごふん……」
「甘えんな。朝飯つくるから、さっさと起きろ」
シュンはいつものようにそう鳴くと、ゼリューは勢いよく扉を閉じて室をあとにした。
薄暗い空間の中に顔を出して、ぼやけた頭で周囲を確認する。知らないものばかり。シュンはなんだか脅威も去ったし、とゆるやかな納得をして再度布団の中に潜った。
そうして些細に二度寝を楽しんでいたところ──
「起きろって言ってるだろ」
「うわぁっ!」
再度扉の開く轟音でシュンは飛び上がった。
「しらないスヌーズ機能をかけないでくださいよ!」
「知らねえよ。さっさと起きろ」
「あぁ、そっすね、はい……」
思わず叫ぶシュンは女医のぶっきらぼうに自然な威圧で、弱々しく体を起こす。
「調子はどうだ?」
「なんか結構いいです。元気」
「ん、ならよかった」
手櫛で散らかった髪を乱雑に整え、寝台を降りて彼女のもとへ向かう。
歩き出すゼリューの横から、昨日と変わらない服装と、翡翠色の髪の上に乗っているマゼンタ色の下縁の眼鏡を見つめる。
「せんせいは朝強いね」
「仕事があるからな。それ以外は弱いし、あと今日のボクはまだ、昨日のボクのままだ。」
「はぁ、じぶんは平日でもダメだよ。起こしてくれる人がいないと無理」
「ほーん……マ、誰にでも得意不得意はあるだろ。」
廊下の窓から早朝の日が、隅に並んだ椅子を照らしている。
そんな中、シュンはじっと彼女の眼鏡を見つめていた。
「……なんだよさっきからじろじろと。ボクの顔になんかついてるか?」
「いつ自分の眼鏡を探し出すのかなって」
「あー、これ?」
ゼリューは頭に置いてあるそれを迷いなく手に取り、シュンの赤い眼を見ると、
「つけてみ」
「え、視力はどっちもエーなんですけど」
「どっちでもえーから、ほら」
てきとうな扱いで眼鏡を差し出す。
シュンは零れ落ちそうに差し出されたそれを慌てて受け取り、そのレンズを覗いて立ち止まり、神妙な顔をする。女医は空いた手で喫煙の準備をしながら、その数歩先でようやく隣の存在の有無に気づいて振り返った。
思わずそれを、シュンは素直にかけてみる。じっと遠くにいる彼女を見て、言う。
「これ……伊達メだ。」
*
「よく噛んで食えよ」
カウンターの上に用意されたそれをみて、シュンは「あ、ありがとうございます」とこたえる。
空間は広く、テーブルと椅子がとにかく並んでいる中の奥側に厨房のような広い台所があり、シュンたちはそこと隣接したカウンター席のようなところで、ゼリューの料理する姿と室の様子を見ていた。
会話の中から、ここは「大食堂」と呼ばれているらしい。まだ朝早いのか、ここには二人しかいない。
「いただきます」
料理に向かって手を合わせるシュンの隣に女医が怠そうに腰を下ろす。
用意されたのは、やわらかいパンと野菜のスープ。心を躍らせながらスプーンを持つシュンは、何もない隣を見て気分を失速させる。
「……せんせいはたべないの?」
「食事は趣味じゃないからな。昼近くに食うよ」
「趣味とかじゃないと思うけれど、まぁ、せんせいがそれでいいなら」
あくびで返事をするゼリュー。シュンはなんだか心を詰まらせながら、食事に手をつける。
そういえば昨日は一日一食はしたものの結局吐いた気がする。どうしてああなったかなと思考しつつ、口を動かして、じっとこちらを見る彼女に視線を返すと、
「……おいしいです」
「そうか」
感想を強く求められた気がして、咄嗟にこたえる。
あまり変わらない態度の反応に、自身の失敗を埋めるように話を続けた。
「きょうは、事情聴取でしたっけ」
「そうだな」
「──きのう何時に寝た?」
「徹夜した」
「寝たほうがいいよ、せんせい」
「そうだな」
この反応の薄さは疲労からくるものだとわかり、シュンはそこで話をやめた。
火のつけていない煙草を彼女は口に咥えてうとうととしている中、シュンはもくもくと食事をするのどかな時間が過ぎる。
「……ごちそうさまでした」
食べ終えた皿に手を合わせながら見つめた後、ほぼ眠り始めている女医を見る。寝つくのが早いことを特技のように言っていたが、単に徹夜が多いのかもしれない。
「せんせい? 食べ終わったよ」
「ん……、皿は流しにおいとけ」
「……寝たほうがいいよ」
「そうかも」
大きいあくびをして、ゼリューはカウンターに突っ伏し両腕を枕の如く自身の頭を包むようにすると、そのまま動かなくなった。
「ここで寝るの……?」
シュンの問いかけに返事はなく、彼女の背中はかすかに上下するだけだった。
しん、と静まりかえった無駄に広い空間で、シュンはひとまず食器を片付けようと椅子から立ち上がる。散らかった厨房のなかをおそるおそる通って、流しに皿を置き、戻ってみるが女医は眠りについたままだった。
どうしようかととりあえず再度彼女の隣に座り、悩んでみる。
ここは布団でもなんでもないし、彼女の寝床はよく知らないが、人ひとりを運ぶ体力は、小柄のシュンには無い。というかこの状況になったのはまさしく彼女の所為で、この他責思考にも正当性はあるわけだが、それを思考するのは今ではない。
ひとまず、こうも投げ出されてまず目に入るのは暇である。この状況での最適解は女医の目が覚めるのを待つべきだろうが、それが何時間後になるかわからないため、それは避けられない。
再度、他責思考に移行する手前にシュンは、自身が彼女に眠るように唆したことを思い出す。
「────」
寝起きの硬い頭を捻らせて、シュンは彼女の後頭部をみる。
なにも、彼女の睡眠を妨げずに平行線を維持する必要はないのだ。最善策を忘れていた。
「せんせいおきて。風邪引いちゃうよ」
普段よりもやんわりと高い声音でシュンは呼びかける。
「せんせいー? せんせいおきてー」
徐々に声量を上げていく。
「せんせいー! お布団いきましょー!」
「……」
自身の口周りをさらりと覆うように手のひらを立てて、シュンは叫ぶように呼びかけると、ゼリューはむくりと起き上がった。
しかし無言のまま、川で水がゆらりと流れるようなほど自然な振る舞いでライターを取り出し、煙草に火をつけ、椅子から立ち上がって食堂を後にする。
「………………あ、え?」
はっきりと困惑を口にして、シュンはひとまず走り出した。遠くに見える白衣の裾を追って、彼女の横に並ぶように歩くと、
「せんせ、せんせい? いきなりどうしたの?」
「ねたいな、って」
「あの、事情聴取は……?」
「あとにする。あたまうごかん」
「じゃあいつやるの?」
妙な期待を孕んだ必死の問いかけに、ゼリューは案外近い医務室の引き戸を開きながら言う。
「きょうのいつか」
それだけ告げて、ぴしゃりと戸を閉めた。
ひとり廊下に残ったシュンは、呆然とその戸の姿を眺めて、突如訪れたよりどころのない自由に戦慄するのだった。
あとがき
夜の時間というのは私やゼリューにとって尊いもんで、いろんな作業が進むんですよね。小説とか、小説とか、小説とか。彼女はヘビースモーカーなくせに飲酒も好きなので、酒を吞みながら作業をするんだろうかとおもいます。なにをしているかはまだ秘密。
その割には滅茶苦茶健康きゃぴきゃぴ乙女なのがすごい。しかし、どんな天才的健康体質を持っていても、睡魔には弱い。ゼリューは時間も凌駕できれば、無敵なのにね。