も
自分がどこにいればいいのか、どこにいてもいいのか、なんの許可も知らず、ただこの施設で唯一余した|存在(じぶんというもの)を無意味に漂わせることとなった。
あれこれ執着的に考えても仕方がない。
シュンはふらふらと平凡な季節風のような心持ちで、王宮内を探索することとした。
段々と日が昇ってきて、この建物でつくられた光の輪郭を視線でなぞりながら、歪に入り組む廊下を巡ったり、用途不明の妙に広い空間を回ってみたり、段差の均等でない階段に毒を吐くなどした。不自然なほどに人がいないことに、美術館の絵画のひとつに迷い込んでしまったような錯覚をしながら、ただひたすらに知らない道を巡る。積極的迷子である。
その最中、遠くからかすかに旋律を感じて、シュンは立ち止まる。春のゆるやかに流れる小川を彷彿とさせるような、おだやかな曲調。
なんとなく付近の窓を開け、音色のもとはどこか、好奇心のままに特定してみようと、窓枠から外へ上半身を乗り出して耳を傾ける。どうやらそれがうえのほうからすると確認して、どこの室から鳴っているのだろうと、シュンは窓を閉めて付近の階段を登る。
足もとには些細に注意しながら、しかし上階へもう一歩というところで盛大に躓いた。「わッ」と鳴き、あっけなく床に身体を叩きつけて、鈍い音が響く。
「いててて……、」
三度目の罠にさすがに巨大な独り言でも漏らしておこうかと考えながら立ち上がると、ふと、さっきまでの旋律が途切れたことに気づく。好奇心の素が変形した。シュンは辺りを見回しながら歩き出す。
そこからの廊下は長い一本道で、並んだ窓からは青空が見えた。扉ひとつない壁に手で触れて、手のひらを引きずりながら、シュンは神妙な表情をして、自身の内外に視線を行き来させる。突き当たりを曲がると、長ったらしい廊下のおわりに扉があった。
疑いようのない疑問を抱いて、扉に向かった。
道中に別の空間は見当たらない、やけに不自然な道のりの結果だからこそ、そのまま手を伸ばす。
しかし、ドアノブを握ろうとした途端、それはひとりでに回りだし、
「あ」
「──おっと、きみは……」
開いた扉の先から昨日すれ違った壮年が、顔を出した。
シュンはだれか人物がいたことを考慮していなかったため、後悔と焦燥を感じながらじりとあとじさりする。
「さっきの大きな音は、きみかな?」
「えー、まぁ、はい」
「だいじょうぶ? けがはないかな」
「たぶん、だいじょうぶです」
なんとなく下を向いて身体のいたるところを見ながらシュンはこたえた。
壮年は柔和な目でシュンを見つめ、
「ちなみに今はなにをしているのかな。ゼリューはどうしたの?」
「あ、えと……あの人はなんか、きょう徹夜してたみたいで、眠くて寝ました」
「そうか……変わらないなぁ、あの子は」
濁った緑の目を、遠く床の底を突き刺すように落とす。
「それで、きみは今何をしているんだい?」
「えっ、」
答えのない疑問がシュンの胸を刺した。なんとか胸の中にある記憶などから言葉を手繰り寄せていく。
「っと。その、あのせんせいが急に寝てしまったもので、急に解放されて必然的に迷子になってしまったというか……」
壮年に目を合わせたり合わせなかったりをして、語気が弱くなるころには虚空に視線を合わせることに落ち着いた。
「まぁ、それは仕方がないね。昔からあの子は自由だったし。」
「そうなん、ですか」
「そうだよ。手を焼いたものさ」
言いながら彼は扉から手を離し、室の奥へと歩き出すと、
「それで、どうだい? みんなが動くまで時間がかかるから、それまでここでお茶でも飲んで、話でもしていかないかな」
ティーカップやらポットやらを用意しだす。
急な誘いにシュンはもう一歩後方に足を運びながら、困惑の顔を壮年に向けた。
「──いいんですか……? なんか、仕事とかの邪魔になりません?」
「仕事までにはまだ時間があるからね。きみも行くあてがなくて困っているだろう?」
「それは。そうですけれども」
ぼんやりと彼から視線を外しながら返事をすると、「ほら、そこに座って」と壮年が促したので、シュンは嫌々でも肯定的でもなんでもない心持でとりあえず、向き合った|長椅子(ソファ)のひとつに座った。
室のなかは彼の書斎といったふうで、中央にはソファと背の低いテーブル、奥には机や棚には雑貨、またピアノやギターのような楽器やその機材、さっきまで音楽を流していたらしい蓄音機のようなものはテーブルの上に置いてある。
はっきりとした了承はないが、彼は茶を淹れる準備を進める。シュンはその最中にその様子と、棚のなかにあるガラスの器に閉じ込められている宝石のような真っ赤な炎やら、壁に掛けられている大きな剣やらに視線を引き寄せられる。最終的には、独りよがりな気のしたための沈黙を破るために、蓄音機を見つめて言った。
「……音楽、すきなんですか?」
「うん。音楽は現実を忘れさせてくれる。そういう気分にさせてくれるからね。」
「まぁ、たしかに」
それには充分の納得をするだけして、シュンは頷いて話が終わった。
「昨日リアリから聞いたかもしれないが、わたしはルーマという。きみのなまえは?」
「────」
ルーマはウォーターサーバーのような、壁に取り付けられた機械から湯を注ぎ、その栓をしめて返事のないシュンを見つめる。
「どうしたんだい?」
「──えっと、まだ、この場所のことよく知らなくて、その……」
信用していない、と言えるほど強くもないし、醜くもないシュンは、昨日のできごとと目の前の会話へそれぞれに意識を交錯させて、思考を混濁させている。答えの出せないという焦燥は膨れ上がるばかりで、背を丸めて顔を俯かせるシュンの目の前に、ことりと何かが置かれた。
「おいしいお茶だよ。甘いお菓子もあるからね。」
「……ぁ、えと、すみません」
湯気の立ったあたたかい紅茶のようなものと、小さい小皿には焼き菓子。ルーマは微笑んで、シュンを見つめる。
「できない話は後回しでいいんだ。昨日、彼女にきみの名前について聞いていたのを忘れていた、すまない」
「あ、いやこっちこそ……! ごめんなさい、ほんとは、偽名とか考えるべきなんでしょうけど」
再度自信なさげに俯いて、顔を下ろす最中に目に入った紅茶をどうしようもなく手に取って、シュンは水面を見つめる。
「──きみは、どこからきたの?」
ルーマはぽかんとした面持ちで訊いた。シュンはそれにまず沈黙で答え、
「…………朝日の向こう側にあるくらいの、東の国です」
「別の世界、ということかな」
「言い換えればそうです」
なんだかようやく安心した。簡単なようで難しいこの認識の差が埋まるだけで、会話がかなり円滑になると思っていたのだ。
「じゃあ、やっぱりきみが勇者ということ?」
「それはマジでよくわかんないです。あんまり大層なのに関わりたくはないんですが、ここに来た異世界人って確定で勇者だったりしますか?」
「うーん、この世界が危機に陥ったときに、別の世界からきた勇者が現れると聞くね。勇者はその存在を証明するために、手紙を持っているという。」
「はぁ、てがみ……──手紙?」
シュンは静かに反芻して、回想する。
夢の中で名も形も知らぬ人物に手渡されたもので、それから役に立たないと紙飛行機にし、最終的にはラディアが山羊に食わせていた、あれである。
まさかここに意味があったとは、とひとり驚愕しながら、その心の内を誤魔化すようにシュンは紅茶を啜った。
「なにか心当たりがあるのかな」
「あー、えっと、そのぉ、えーっと、信じなくてもいいんですけれども、」
一旦ティーカップを机上の皿にそっと置いて、ちらりと彼の顔を見る。
「ああ、なんだい?」
「手紙は持ってたんですけれど、ここにくる道中でなくした場合、じぶんは何者になりますか……?」
「ぇ」
シュンがそれを言い終えた途端、ルーマが啜っていた紅茶のカップを持つ手を震わせ、盛大にむせた。
「ああすみません! ほんとに、変なこと言っちゃって……」
「いや、いいんだよ。きみが勇者ということがわかってよかった。」
顔を背けてせき込みながら、彼はそう溢す。何故だかそのまま、安心したような微笑みを再度シュンに向けた。
「……ほんとうに、よかった」
「そんなにですか」
「ああ。きみに、とある話をしたくてね。ようやく誰かに伝えられるのが、うれしくてたまらない」
「はぁ」
きょとんとしたシュンを横目に、ルーマは立ち上がり、なにやら室の奥の机の引き出しから一通の手紙を取り出し、シュンの前に置く。
「今から話すことについては、他言無用で頼むよ」
「……これは?」
「脅迫状だよ。わたしと、きみと、このまちに関しての」
きょとんとしているシュンに、ルーマは続ける。
「【契約】というものは、知っているかな」
「大雑把には、知っているつもりです」
シュンは焼き菓子をつまみながら素直に答えた。
「念のため言うけれど、【契約】は人と人との公平さを保つためのものだ。交わせば、その内容に逸れた行為をした際に火傷を負う。【契約】は書類に、本人の直筆で本名を書いて燃やし、はじめて成立する。ここまではわかるね?」
「はい。それで、手紙の内容は?」
「こう書いてある。これは、わたしとあなたの契約内容を記したものとする──」
一、トペリの各所に小さな石の形をした爆弾を仕込んだ。これらは勇者がこの世界にたどり着いてからちょうど三日後の日が落ちた途端に、一斉に起爆する。これを止めるには、それまでにあなたの命が勇者の手によって停止するほかない。
二、あなたに自傷、自殺行為はゆるされない。
三、この手紙に書かれている内容は、わたしとあなたと勇者以外にいつまでも、どのような形であっても知られてはならない。
もし、以上のことを違反した場合、直ちに爆弾は起爆する。
「あまりに一方的すぎる。これは本当に署名したんですか?」
「するわけがない。差出人はおそらく、いや、始祖の遺物を使って書いている。本人を偽って署名ができるという筆記具だ」
「噂の。」
ルーマが読み上げたその手紙をシュンも手に取って眺めてみる。当然読めない。封筒には名前らしき数文字があり、本文とそれ以外には他に何も書かれていなかった。
「まぁ、詐欺じゃないんですか? 胡散臭いし」
シュンは昨日の手紙の山を思い浮かべながら言う。
「だといいが、詐欺と証明するには真実だったときの言葉が重すぎる。どうにも、嘘と突くには難しい。たとえば、きみ以外の誰かにこのことを伝えたとして、このまちが爆発するという可能性が一切ないわけではないということだ。」
「それはまぁ、たしかに……」
「それに、真実味を帯びた証拠しか見つからない」
穏やかでおとなしい低い声は、早口で言葉を並べ、緊張を隠しきれていない。
「手紙にはほかに、爆発するらしい石も入っていた。まちへ行って、工場のほうでもいくつか見つかった。きっと地中に埋まっているのもいくつかあるだろう」
シュンは彼が懐から机上へ放り出した石を拾い、観察してみる。
すべすべとした手触りで、表面は光を反射する。目を惹きつけるような赤と漆黒が混ざり合っており、形は丸っこいもので、如何にも魔法を起こしそうな宝石といった印象。
「ただの石という可能性は?」
「詳しくはないから、すぐに図鑑を開いた。魔力に反応する鉱石で、一定の魔力を注ぐことで起爆するという性質なのだという。この契約がその回路の一部としてはたらいていることは間違いない」
「……ほんとに、本当っぽい」
「だろう? 極めつけは──」
詐欺にしては手が込んでいる。シュンは知らない焦燥で、なんだか小さく笑っていたくなった。ルーマも同じ表情で、手紙の封筒を手に取り、
「封筒にわたしの本名を書いているところだ。」
そう、指をさして言った。
シュンはようやく、得体の知れないものに追い込まれていることを自覚する。
ゆっくりと二人は顔を見合わせた。
「……これを噓と証明するより、わたしがきみに殺された方がはやいんだ」
「いや、まだ穴があったり、」
「ないよ、どこにもないさ。わたしだって手の込んだいたずらだとしたいんだ!」
顔を手で覆って叫ぶルーマに、シュンは身体をこわばらせる。
「あぁ、すまない。しかし、解決策はそれしかないんだ」
「……」
「なんとか、わかってくれないだろうか。わかるもクソもないとおもうけれどね」
無言のまま顔を伏せ、思考を巡らせているシュンの前に、ルーマは懐からあるものを取り出して置き、
「ここからは簡単な話だ、」
「……それは」
「これでわたしを撃ち抜けばいい。きみの世界にあった武器ときいて、使いやすいかと思ったんだ」
白い身の拳銃からそっと手を離し、彼は勇者をじっと見つめた。
「──、ほんもの?」
「本物だよ。弾はすでに入っている。いつでも撃っていい」
「う、撃たないよ!」
朗らかさを繕って言う彼に、シュンは叫ぶ。
「いきなりなんなんだよ、考える時間も、納得する時間もくれないまま、ころしてほしいって……!」
「荷が重いのはわたしもわかっている。しかしこれが、きみの最初の使命なんだ」
「その最初の使命が嘱託殺人自殺幇助っていうのがいやだ! そんな脅迫状に則って人を殺すなんて、たとえ筋が通っていようが、殺人に正当性があるなんて間違ってる!」
「ここで正しいのは道徳や倫理ではないんだよ」
シュンの心は強く無視される。
「きみはたしかに正しい。しかし、もしこれが本当だったら、ここで大切なのはすべてを保つ努力は叶わず、なにかを切り捨てる選択をしなければならないということだ。ここにある無数の爆弾と、この先長くもないわたしと、どちらをとるか。わかりきっているだろう? 爆弾は家が一軒吹き飛ぶほどの火力だ。これが爆発したとして、何人が犠牲になる? 工場がいくつも潰れて、それで稼いできたトペリごとなくなってしまえば、いままであった安全も平和も、なにもかも失ってしまう」
ルーマはただ、勇者の赤い眼だけを見ている。
「そして、これが本当という可能性は高いということだ。きみはまだ何も知らないと思うが、これでするべきことはわかっただろう」
「……けれどそれは、なにかを犠牲にするってことは──」
「そうしていかないと保てない世界があるんだ。だからどうか、わかってくれ……」
シュンはただ、彼に用意された言葉を飲み込めずに見つめ、思考を巡らせている。俯きがちに、差し出された拳銃を見つめながら。
「……それに、きみを犯罪者にはしないように協力する。確かにきみが罪を感じる必要はないんだ」
「────」
無気力に無言を返す。
「それでも、きみは勇者だ。きみを疑う人は、ここには誰もいない。」
嫌がる背中を押して、ルーマは紅茶を飲みほした。
「きっと大丈夫だよ」
そういって立ち上がって、自身のティーカップなどを片づけ始める。
「すこし、ひとりになったほうがいいのかもしれないね。このことについてなにかあったら、また会いに来てほしい。きみは昨日にここにきたのなら、明日までに殺してくれ」
もちろん、ここですぐにわたしを殺してくれたっていい。
余計なことを付け足して、いつも通りのような、そんな雰囲気の心持を演じて、ちらと勇者を見る。
「────」
シュンは沈黙してそれからの言葉を待ち、なにもないことを判断して、選択肢に沿って静かに立ち上がり、何も言わずに扉を開け、この件をあとにした。
あとがき
今回から少しシリアス且つミステリーが入ります。少し長いですけれど、解決とこの章の終わりまで投稿していきますので、よろしければ最後までお付き合いください。ちなみに小説家になろうでは既にすべて上がっています。
作者の音楽好きな要素がルーマには反映されたように思います。音楽をききながら小説を書いたりしています。一部の曲を登場人物に重ねちゃったりしてさ! 意外とそういう気分になったりしますからね。