あ
なにか、鋭く落ちる感覚がして、それは冷や汗をかきながら目を覚ました。
最初に認識したのは雲一つない青い空、次には空を青く見せるための太陽。
じっとそれを見つめ、ぼやけた違和感がじわりとした痛覚となってはっきりと異常を理解すると、シュンは上半身をがばっと起こした。
そこは、知らない|長椅子(ソファ)の上。
「あ……?」
なんだか低い気のする呆けた声を発して、辺りを見回す。
長椅子の前には背の低い机、それを囲うように、長椅子の隣には二脚ほど一人用の椅子が並べられている。
インテリアはあるが、シュンたちを囲う建造物内というわけではない。地面には草が広がっており、付近にはいくつか広葉樹が生えており、風がそれらの緑を揺らしている。遠くに古そうなミシンが見えた。
「やぁ、おはよう。調子はどうだい」
「うわぁ!」
そのとき、知らない男声がシュンをつついた。瞼を縫った両目のついた白い顔が首を回した際に不意に現れたので、それは叫び声を上げると同時に長椅子から転がり落ちる。
「ななななに! ユーレイ!?」
「ぼくはジアだよ。きみがそう呼びたいのなら、構わないけれど」
「ちょっと近づかないで! まだそこまでの関係じゃないから!」
赤の他人から初対面という関係の遷移に至っていない白ずくめの人物に、シュンは咄嗟に立ち上がって距離を置いた。
長椅子の背に肘を置いて身体を乗り出す姿勢の男は、血色が悪いと言えそうなほどに白い肌と真っ白の長髪、おまけに白衣、微笑みの形を維持した口。なんらかの植物の蔦が彼にはまとわりついており、不気味な白い花が髪飾りのように咲いていた。幽霊というよりは物理的な植物人間といったふうである。
シュンとジアは、彼の瞼越しにしばらく見つめ合うと、
「じゃあ、そろそろ話してもいいかな」
「……いいよ。」
「きみは、この世界に召喚された、勇者と呼ばれる存在だ。これから毒で腐っていくこの世を浄化してもらうために、きみには……」
「あー、やっぱりやめて?」
無機質な声の膨大な情報量に、咀嚼の限界を感じて声を上げた。
何故こんなにもこの異世界が回るのが早いのか疑問に思いながら、シュンはとりあえず口の渇きを感じて、彼から遠くにある長椅子に座りなおして言う。
「そういうのはさ、お茶でも飲みながらゆっくり話してくれるとさ、助かる。」
*
異世界に来たことをそこまで驚愕していないことに、シュンは驚く。
足もとの手前にある、自身の姿を見つめる。|釦(ボタン)とそれを通す穴がひとつずつ左右で入れ替わる服、上着は寝間着で来ていた黒いパーカー、動きやすさと年相応さを醸す丈の短い腰衣、何故かこれだけ誰かのおさがりのような、古ぼけた革靴。
知らない空、知らない星、知らない図書館と本たち、知らない人物、ついでに知らない格好をしている自身を見つめる。
「これ、異世界スターターセットってこと? じぶん、死んじゃったのかな。」
襟もとについた赤いリボンの先端を弄りながら、シュンはのんきに中身のない独り言を呟いた。どんなにくだらないことを思いついても、もうここに|手軽な発信媒体(エス・エヌ・エス)などないのに。これから徐々に失うものを受け入れていくのだろう。必死に納得をしているのに、懐には何故か場違いなスマートフォンがあった。
彼はシュンという存在を勇者という分類にあてはめながらの説明をひとしきり終えると、少しここを探検してみるといいよ、とすべて押しつけて忽然と姿を消してしまった。ひとまず話も聞き疲れたので、これからのことへの対価については考えないことにして、シュンはひたすらに続く螺旋階段をくだっていた。
何回回っただろうか。もしかして既に地上を過ぎてしまったんじゃないかといたずらに思い浮かべ、自分を怖がらせる。床屋の営業をする、回り続けるポールを思い出したところで、平らな場所に足裏を置いた。すぐそこに金属の扉がある。
その下もまだ階段が続いているが、シュンはその光景に飽きてしまったので、なんの躊躇もなくその扉の取っ手を掴んだ。
扉は古臭い音を立てながら簡単に開き、さわやかで鋭い陽の光にシュンは怯んでから、世界を見た。青い空が広がり、殺風景な広い屋上といった場所である。洗濯物を干すところらしい、物干し竿が整列している。
シュンはその端の方へ進む。強い風に髪を無残にされるが、そんなことは気にも留めず、縁から下を覗いてみた。小さくなった家々が想像以上に散らばっている。雰囲気の統一感のない街で、たまに長い煙突が煙をふかしていた。しばらく呆然と、異世界にきたのだと実感に浸って、風が意外にもシュンを冷たく歓迎してくれたので、逃げるように違う空間を探し始めた。
付近にはまた違った形でくだる階段があり、シュンはそこへ向かう。それを降りると今度は緑が目に入る。いろいろな木が生えそろっており、そのあしもとには花壇があった。ちょうど、さまざまな花の蕾が春を待っているようだった。
シュンはなんとなく知っている花はないかと、花壇の前で腰を下ろす。大きい花も、小さい花も、赤も白も青も、規則性のない配置をしており、まるで自由に咲く場所を選んでいるようだ。
ふと、シュンの前を蝶が横切った。金色の翅がシュンの視線を奪った。蝶はふわりと漂って、ゆらりと軌道を気まぐれに傾けて、白い指先にとまった。
「──この時期のこんな朝早くに蕾を見に来るなんて、珍しいね。」
やわらかい男声が言った。くせのある金髪、夜空のような色の瞳をした青年である。
「ここは|誰(たれ)かをもてなす場ではないのだけど、迷子にでもなって仕舞ったのかな、下まで案内してあげようか?」
「えっと……じぶんから進んでここを歩いているので迷子ではないというか、迷子と捉えてもいいんですけど、まぁ、どっちかというと受動的な迷子というか……」
寝起きでふんだんな情報量の話を聞いて、ぐるぐると螺旋階段を降りてきて体力が吸い取られた後、突然な第二村人の接触にシュンは思うように言葉を吐けない。
「ふむ。どんな迷子でもいいけれど、君はどうなりたいのかな。帰りたい?」
青年は柔和な笑みを浮かべて排他的に言う。白い手袋をした手の指を仕舞っては蝶が飛び立った。
どうすればいいかわからず、またその矛盾した言動も相まって、それは青年から目をそらして固まっていると、
「回答にも迷っているところ悪いのだけど、此処に部外者は立ち入ることができないのだよ。であるので──あら」
彼は腰を折ってシュンの顔を覗き込んだ。
「その生まれたての犬扱い──|彗星(スイセイ)だったの。道理で。」
「……すいせい?」
「此処とは別の世界から訪れた者のことを云うの。君のことだよ。」
そう呼ぶのは私だけかもしれないけど、と付け足しては、彼は黒い外套を翻して庭園の隅に落ちてある如雨露らしき物体を手に取る。
「ここにはいつ来たの?」
「えっと、ついさっきです」
「あの白い傀儡になにを云われたの?」
「ここを探検してこいみたいな……あの、これは」
気づけば手にそれをはめ込まれて、シュンは日陰のベンチに座って腕と足をそれぞれ組む青年と如雨露を交互に見た。
「向こうの泉から水を汲んできてほしいなァって。水にてらてら反射する日光におびえたくないのだよ。」
「近くに水道とかないんすか。蛇口ひねってさ」
「ないよ。」
「不便だな……」
目を閉じて二度寝でもしようとするかのような彼は、長い前髪で片方の目を隠している。
「……あとそれ、いつも誰かに頼んでるんですか?」
「そうなのだけど、彼らに、今日はまだ寝ていたいと云われてしまった。簡単なおつかいなのだから、頼むよ。」
「はぁ……ってか、日光におびえるってなんすか。吸血鬼でもあるまいし……」
木々の向こうに見える滝を見て、視線を名も知らない青年に戻すと、じっと瞼を開けてこちらを見ていることに思わずぎょっとした。
青かった瞳が、赤くなっていたような気がしたからだ。それがなんだか、警鐘に思えて。
「どうだろうね。」
「……。」
「知りたかったらさっさと水を汲んできたまえ。なァに、知識の対価は今の君にとって、とても大きいもののはずだよ、安心したまえ。」
雰囲気と正体の掴めない彼は、のんびりと八重歯の覗いた口で笑みを浮かべながら云った。
シュンはなんだかふわついた関心で、ひとまずはそれに沿って行動することとした。
庭園のなかを歩き、静かな滝が池に落ち続けているという場所で、如雨露の頭の蓋を開け、水を汲む。緩やかに落ちる滝は、きらきらと陽の光を反射し続けていた。
「なんか、よくみたら形が独特だな……」
如雨露はいかにもブリキな性質で、それぞれの取っ手とひとつの蓮口が器から四方に分かれている。蓮口の面には蓮口を挟んで対称の位置に石がはめ込まれており、それは目のようだった。その隣にある面から生えているボロボロの取っ手もまるで耳のようで──、簡単に言えば、アンティークなぞうさんじょうろといった形である。
容器のなかをゆらゆらとさせながら、シュンはさっきの場所へ戻ってくると、腰を下ろして蕾を眺める青年のまわりに小鳥が集まっていた。シュンがそれを散らしてしまうと、彼はそれに気づいて振り返る。
「有難う。では、話をしようか。」
「……」
如雨露を受け取って、あたりの土を潤し始める。
シュンも隣に屈んで、話に耳を傾ける準備をした。
「君が何故、吸血鬼という言葉を知っているのか私は知らないけれど、僕は吸血鬼の性質を身体に持っただけの人だ。この世に吸血鬼はひとりしかいないからね」
「なんで、その性質を持っているの?」
「襲われたらしい。どうやらあれの持つ力には、自身の能力や性質を人間に与えるといったことができるのだと聞くけれど、よく解明されていない。そんな、癒せない|禍(わざわい)のひとつだよ。」
「……。」
その被害者である青年に、シュンはなんと答えればいいのかわからない。その口調にはなんの悲しさも、なんの感情もなかったからだ。
彼は、各所を移動しつつ、ちらとそれの表情を見て言った。
「なんだいその顔は。私の話がなにか気に障ったかね。」
「あ、いや……あなたの傷を暴いてしまった気がして」
「はァ。少なくとも、晴天の|下(もと)、花の前でするような顔ではないよ。僕はただのヒトデナシさ。如何物食いの奇数主義だよ。」
「……はえ」
通り過ぎて行った見知らぬ言葉の羅列に、空気の抜けたような返事をする。
風が二人の髪を揺らした。
「あなたの名前は?」
「ニコルグ。」
「じぶんは、しゅんって言うよ。」
彼──ニコルグは、なんだかほんのりと目を見開いて、シュンの赤い瞳を見つめる。
今度はその様子にシュンは首をかしげて、
「なに?」
「春のような名だなァとおもって。」
「まんま春なんすよ」
そういえば、ここは異世界だったと、物事の理解のための一工程を挟む。この世界に漢字はないのだろう。
「ちょうど花たちにも春を教えようとおもっていたから、奇遇だね。まるで君の到来を教えてあげるみたい。」
「どう教えるの?」
「まァ、見ていなさい。」
彼は白い手袋を脱いで、土に指を突っ込んだ。シュンはそれを隣に座って見つめる。
しばらくそうして、じっと固まっているニコルグに、シュンはそわそわと視線をあちこちと動かして待ちくたびれてゆく。
「……なにしてるの?」
「魔法。」
「えっ、ニコルグさん魔法使いなの?」
想像の斜め上の答えから、シュンはつい声を幼くして訊いた。
「魔法が好きなら、私でなくて花たちをご覧なさい。魔法が体現するのは現象だからね。」
「はーい」
元気よく返事をして、じっととある一輪に目を凝らしてみる。こういうのは一つのものに集中したほうがわかりやすいと考えたのだ。
十秒、二十秒……一分、二分と、根気強くそれぞれの使命を果たそうとする時間が過ぎていく。ニコルグが胡坐をかいて両手を置き、シュンが道のように続く埋まった石に腰かけて足を延ばした。
三分……五分と経っていくと、シュンは草むらにべったりと仰向けに寝転んで腕を組みながら見上げる形となって、花と、たまに目を瞑って集中している様子の彼の姿を観察する。寝ているのかもしれないが、一回だけ開いた目と合ってしまったので、気まずくなって顔をそらした。
十分近く経ってくると、シュンは完全に眠り落ちて、鼻に止まった蝶に気づかないでいた。周囲にはいつの間にか小鳥や蝶が集まっていて、ふたりは彼らの見世物のようになってしまっている。
「……シュンさん」
「──はっ」
「そろそろだよ。」
青年の低くやわらかい声に、シュンが勢いよく四つん這いの姿勢に身体を動かすと、生き物たちは一斉に飛び上がった。
ひらひらと、鼻先にいた蝶がシュンの観察していた一輪に止まる。
しかし、蝶はすぐに飛び立った。
花に小さく違和感が現れる。それはとても小さいので、気のせいかもと疑って流せるようなものだったが、加速度的に変化は大きくなっていく。まるでコマ撮りの映像でも観ているような、とてもゆっくりにそれは動いて、開いていく。
その様子をシュンはきらきらとした目で凝視した。
「お、お、おー! すごい、咲いた! すごいすごい!」
「そうだね。すごいね。」
いつの間にか取り出していた紙束になにか書き留めて、ニコルグは無関心に言う。
「今のって──」
「さて、仕事は済んだので、僕はもう行くよ。」
「あれ、そうなの」
「確かに朝は眠いからね、彼らと二度寝してくるよ。」
あっさりと去ろうとする青年にシュンは一気に高揚を冷ましてしまうと、その大きな後ろ姿にすぐさま諦めをつける。気取ったような笑みが、興奮の絡んだ質問攻めといったものを嫌そうに見つめていたからだ。
「じゃ、おやすみ、ニコルグさん。」
シュンは手のひらを向けてそう言うと、彼はあくびをしながら特になんの返事もせず、階段をくだって消えてしまった。
そういえば、吸血鬼は日光を浴びると灰になってしまうという設定を、今更思い出した。
あとがき
どうも、奇数主義のみなさん。
『魔法陣グルグル』という作品をご存じでしょうか。あれの終わり際にジイファンタジーとかいうジジイの四人組が出てきまして、中々カオスなことをしているのですが、本作でもニコルグの登場でトペリのジイファンタジーが揃ってしまいました。
エフ、ラディア、ジア、ニコルグ……全員不老不死……か? とにもかくにもジジイです。見た目はみんな若いけれど、そのまま長く生き続けているというのはとてつもなくファンタジーをしている! 通常の人生の何倍も既に持っているから、こいつらのストーリーは他と比べてずっしりしています。
グルグルも読み返したくなってきたなァ。キタキタおやじの本名がアドバーグ・エルドルみたいなことしか覚えていない。