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この場所の名は確か、「王宮」といった気がする。しかしその内装は明らかに宮殿といった様相を呈してはおらず、豪華でもなければ貧相すぎるというわけではない。印象はその中間に位置する。
また、誰もいない。国の運営を担う的機関のわりに、うろうろと誰かが歩いているということがない。見る限りそれはシュンだけだった。収まるべき場所に留まっていないような感覚に、ここが生活の拠点となることへの違和感が生まれる。
似たような些細な変化を多く含む廊下をひたすら歩く。いたるところに扉が見られるが、まだこの廊下というひとつの室を見終わっていないと、その扉たちの取っ手を掴む気のないことを、そう脳内で言い訳をしては開かないままでいた。またひとつ、またひとつと、シュンは目的もなくぼんやりと扉を通り過ぎていく。
──そんなときだった
「うぉああああああ‼」
少女の甲高い悲鳴が、ちょうど通り過ぎた扉の先から聞こえてきたのは。
「何事?」
シュンは呟きながらその扉を開ける。そこには、ひっくり返って重そうな布類の下敷きになっている少女がいた。
「だ、だすけてくださーい……うごけないですー」
「……。」
埋もれていない足をそれに向けてばたばたと動かし、くぐもった声を上げる。
シュンは掛ける言葉が見当たらないので、ただ黙ってその布団のような白い布たちを一枚一枚剥がして、そばによけた。ぴくぴくと動く両足を横目に。
しばらくそれを繰り返し、布団の山が平たくなっていくと、少女がむくりと起き上がる。
「ふぅ、たすかりましたー。ありがとうございますー……ってあれ、だれです?」
くりくりとした黒い目玉がシュンを見つめると、彼女は身体に布団をかけたまま首を傾げた。
「あー……」
ついさっきニコルグの言ったことを思い出した。この場所に部外者は立ち入ることはできないという旨の。彼女にとってシュンは、怪しい部外者ということになるだろう。
それでも何故だか、少女の真っ黒の瞳は好奇心できらきらと光っている。
「──通りすがりの勇者です。」
「あーなんだ、勇者さまですか、って、えぇえええ?! ゆゆ、勇者さまって、あの!?」
「どの勇者さまか知らないですけど……」
自身に指をさして叫ぶ少女に、シュンは困ったように彼女に手を伸ばす。
「なまえは、しゅんといいます」
「あ、あたしはパツパチです……勇者さまがあたしとおんなじくらいだったなんて、お、おもいませんでした」
少女──パツパチは言いながら、シュンの手を握って立ち上がった。明るい茶髪を二つに結び、白いブラウスと黒いエプロン姿の簡易的で幼いメイドを彷彿とさせる格好をしている。
「それで、なにがあったんです? これは」
「えぇっと、あたしはお洗濯係なんです。このおしろに暮らしているみんなのお洋服とか、おふとんとか、ぜんぶここで洗うんですけど、」
辺りを見回しながら緊張した声で彼女は話す。
室には銭湯の脱衣所のような、大きな穴の開いた棚が並び、その中に籠が入っていた。外へ出るような硝子の戸と、隣にはドラム式洗濯機のような装置が三台ほど並んでいる。
「あ、あたしはまだここにきて一年もたっていなくって、失敗ばかりしているんです。仕事もなかなかおぼえられなくって、今日みたいに大きなお洗濯物の入った籠を落としちゃったりして、いっつもだれかに助けてもらわなくっちゃいけないんです……うぅ……」
「なるほど」
「だから、ありがとう、シュンちゃん。」
説明しながら徐々に涙声を絞り出すような声になり、それを精一杯抑え込むように笑った。
「あ、ああっ、勇者さまって呼んだほうがいいですよね、ご、ごめんなさいっ」
「いや、しゅんちゃんでお願いします。あんまりまだ、勇者って呼ばれ慣れてないんで……よろしくお願いします、パツパチちゃん。」
シュンは彼女の様子に困惑しつつも、その涙にぎこちなく笑い返して言う。
パツパチの黒い瞳がしっかりと輝き出すと、
「……! はいっ、シュンちゃん! こちらこそ、よろしくおねがいします!」
元気いっぱいの返事をして、心からぱっと笑ってみせた。
そして落ちている洗濯物に向き直り、三枚ほど布団を抱えては付近にあった巨大なバケツに入れなおす。力が弱いのか、少々ふらつきながら。
「えーと、じぶんもなんか……」
「いえ、あたしの仕事ですのでだいじょうぶです! 今日こそひとりでやり遂げてみせます! どわぁあああああ‼」
「あぁ……」
彼女の身長に近いほどあるバケツの縁へその布団を掲げたとき、垂れた布団が流れるように落ちてきて、あっけなくパツパチは潰されてしまった。
「だ、大丈夫?」
「だいじょうぶですー。まだまだいけます!」
「うわぁ心配だ、もう手伝いますよ」
すぐに立ち上がる彼女に、シュンも勝手に動き出す。
「ほ、ほんとにいいですよう。あ、あたしの仕事なんで」
「いやでも一人にしたらまた埋もれてそうなんで。」
「それはまぁ、そうですけど……」
最悪重い布類に埋もれて窒息死などされそうなので、彼女にはこの仕事が向いていないと言いたい気持ちもあるが、それもなんだか残酷なので彼女の仕事を手伝うことで一旦蓋をしようとする。
「これをそこに入れればいいんですか?」
「は、はい……」
シュンは布団を一枚拾い上げ、その大きなバケツへ放り入れる。バケツはシュンの身長を十センチほど超えるほどの背丈だ。パツパチはそれに向かって、一気に三枚ほど運ぼうとし、やはり潰れた。焦っているのかやり方が悪い、しかしシュンは指導する立場ではないので、潰れた彼女の上の布団を持ち上げて、バケツに放り入れた。
布団をすべて入れ終わると、実はキャスター付きだったバケツを押して、外へ出る。朝日の差すベランダには大きなドラム式洗濯機があり、人間のいくらか入れそうなそこへ息を合わせてバケツを倒し、中身をぶちまける。
小人のような気分で、二人でそれを持ちあげてすべての布団をそこへ流し込み、パツパチがボタンを押して、ようやくひとつ彼女の仕事が片付いた。
パツパチは顔の汗を袖で拭いながら、にっこりとその笑顔をシュンに向ける。
「ふぅ……、ありがとう、シュンちゃん。」
「……うん、えっとさ、」
シュンはなんだか照れくさいのと、別の疑問を言葉にするために目をそらす。
二人は並んで腰を下ろして洗濯機がうるさく動いている様子を眺めながら、この労働という名の儀式をこなしてから、なんだか一気に距離が近づいている感覚がした。
「なぁに?」
「仕事、大変じゃない?」
「たいへんですよ。でも、シュンちゃんやいろんなひとが助けてくれるし、みんなやさしいから、あたしも頑張ろうっておもってるんです。」
パツパチはぼんやりと顔を上げて、前を向いて、続ける。
「……あんまりダメダメなのは、わかってるんだけどね?」
隣を見て、そう言って笑った。
彼女が、パツパチが、ここに残る意味が、言葉にならない物体としてそれの心を突き刺す。シュンは抱えていた純粋な疑問に、なんだか気持ちよく後悔して、笑い返した。
幼い故の、眩しい光だった。
「パツパチちゃんは、」
「うん」
「ここではどんな人と会うの?」
「どんな人かぁ。多分、みぃんなにお世話になってます」
二人はどうでもいいような、よくないような話を始める。
「シュンちゃんはどんな人に会った?」
「ついさっき、ニコルグさんだかに会ったかな」
「ニコちゃんは、花冠を作るのが得意なんですよねー」
「にこちゃんマジか。」
あの青年の意外な呼ばれ方とその趣味にシュンは驚愕しながら訊く。意外と二人は距離が近いらしい。
「いろんな人の話聞きたいな。他に、どんな人がいるの?」
「そうだなぁ……あ、ほら、シュンちゃんのお隣の人とか。よくあたしのこと助けてくれるよー」
「となり──って」
パツパチの光る視線の先を辿ると、最初からいたかのような雰囲気で白い存在が縫われた目をシュンに向けていた。当然、動揺して肩を大きく跳ねさせる。
「そろそろ挨拶も終わるかなと思ってね」
「空気読めないなぁ」
「呼吸しなくてもよくてね」
「……。」
この世界に自身を召喚したのが熟練の魔術師などではなく、こんな化け物というのも中々に納得がいくと考えた。人間を超えているのだ、世界一つ越えているのも違和感はない。
しかしここにいるのはなんとも違和感まみれで、全く納得がいかないが。
「きみに最上階へ戻ってもらいたくてね、頼んだよ。」
「はぁ……」
それだけ言って瞬きすると、そこにはなんの変哲もない空気を残していた。ジアという名の違和感が消え去った。
「あの人、瞬間移動が使えたりする?」
「しゅんかん……? あー、いきなり出てきたり帰ったりするやつです?」
「それだけど……普段から、あんな感じなの?」
「そうですよー」
一切の動揺を見せないにこやかなパツパチに、シュンはこれからそれに慣れることへ恐怖を覚えるのだった。
あとがき
や、奇数主義のみなさん。
パツパチをえがくにあたって、私は今年から少し働き始めたのだけれど、それが中々に上手くいかないものだから、そこで彼女と重なった部分があって、それがなんだかよかった。パツパチ自体は私が中学生くらいからいました。投稿した小説では初めて姿を見せて、ああ、なんだか感慨深くなってきたな。ここからは言語道断だぜ。
また、人生経験がキャラクターをつくっていくというのはあるのではないのだろうかと思うなどします。