いかれた桃源郷   作:午睡御膳

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少年ら

以下5745字

 

「文字は一つの音に一つだ。この縦の列は、上からあ、え、い、お、うと発音する」

「これが母音ね」

 少年は喫煙をしながら即席で文字表を作り、さらに指をさしながら解説をしていた。

「あえいおう?」

「あえいおう。」

「きもいね」

「は?」

 しかしシュンは瞼をこすりながら率直な感想を述べる。こうも慣れていた土台のつくりが違うというのはとてつもない違和感がある。

 部屋には少年の煙草の煙が広がっていた。特になんのにおいも感じないが、何故か異様にあくびをしたくなる。横を見ると、エフが卓に突っ伏し自身の耳を枕にして居眠りしている。

「横の列はか行といって、か、け──」

「その法則性があるならあとはいける」

「なんなんだおまえは」

 ひらがなやカタカナと似ていて、文字は一音一字のような形。文字は違っていても、音は変わらないようだ。会話はほぼなんの障壁もなく交わすことができ、問題は同質異像の文字体系だけにあると言えるだろう。

「あ、でも一応子音の、横のあ行だけは言ってほしいかも」

「あ? ああ」

 少年は、シュンの謎に文字の慣れた雰囲気に困惑しつつも文字表に指をなぞって説明する。

「あ、か、さ、しゃ、た、ちゃ、」

「いや、え? 多くない?」

「多いってなんだ」

 育った土の違いというべきか。シュンはこの違和感を共有したくなる。

「多いよ。しゃ? しゃししゅしぇしょって言うの?」

「何故並び替えた。しゃしぇししょしゅになるはずだ」

「故郷ではあいうえおの並びだったんだよ。こっちのそういうのの並びが違いすぎて、びっくりしてる」

「故郷は何処だ?」

「朝日の向こう側にあるくらい東、とだけ言っておく」

「……」

 得意げにてきとうを投げつけて、シュンは文字表に目を落とす。少年は呆れたように煙を吸って吐いて、指を立て直し、

「ここではあ、か、さ、しゃ、た、ちゃ、つぁ、な、ひゃ、ふぁ、ま、ら、の清音が五音ずつだ。」

「はが無いんだね」

「は行は、は、へ、ほの三文字だけだ」

「はぁ。」

 文字表には少年が指でなぞっていない場所が、まだ広がっている。

「あとは……はやわから、濁音と、」 

「だ、だりぃ……」

「そちらの文盲が足を引っ張っている割に、よくそんな厚い顔ができるな」

 気が滅入って項垂れるシュンを、少年は正論で殴る。すると、虚空を横目に「う」と呻いて起き上がった。

「顔は厚くないと生き苦しいから」

「それでも交換条件である署名をしないと進まないぞ」

「でもこれ書類だけならアプリの利用規約みたいなものだよね……よっぽどのことがないと殴ったりなんかしないし。」

「ああ、そうだな」

「単純にあなたの仕事が増えるだけってこと……?」

 シュンは顎に手をあてて書類を見つめる。読めないがこれは書類。ただの紙に法の力はあっても物理的な支配力は存在しないはずだ。

 少年のほうを見ると、特になんの反応もなく煙を堪能している。

「……じゃあもう署名しようかな」

「本当に確認しなくていいのか?」

「なんかあったら逃げるよ」

「その前に、こちら側がそちらを一方的に殴れることになるが」

「その【契約】に対する圧倒的な信用はなんなの?」

「そういうものだからだ。それも、結んだ後に話してやる」

「いま話してほしいけど」

「もう疲れた。次に進みたいのならさっさと署名するか、ここを出ていくか選んでくれ」

「…………。」

 目の前に用意されたものが本当に食べられるのか、中に釣り針が入っているのではないか勘ぐっている、知恵を持った魚のような気分だ。しかし満足に情報が得られていない、謂わば不平等な取引を持ち込まれている可能性が高い。

 しかし、この机上に置いてあるものは、ただの紙だ。所詮ただの、紙。

「──、するよ」

「そうか」

「し、し、さし」

「……、」

 シュンは例の母音を声に出しながら指でなぞって、文字表で試しに自身の名前のそれを書き出してみる。

 そんなシュンを、少年はじっと見つめている。

「名前は、しゅんだったか。」

「そうです」

「実名か?」

「そうですよ。あの、ちっちゃいゆだけ教えてほしいです」

「……、ちっちゃい、ゆ?」

「ちっちゃいゆ」

 少年は呆れたように息をついて、シュンの横に座り鉛筆に似たクレヨンを執ると、

「今日はこれで、いいだろう」

 そんなことを言いながら、さらさらと文字を二つ、文字表の端に書き置いた。

「そちらの名前だ、そのまま書き写せ」

「なんか、こっちのとちがう……」

 用意された文字表を視線で指しながら言う。

「こっちは常用文字だ。それとは別に名用文字がある」

「先に言うべきじゃない? そういうの」

 果てしなくこの世界の常識に置いてけぼりのシュンがそう言うと、少年は「そうだな」と薄く笑って誤魔化した。

 とてつもなく不安な気持ちはあるが、彼が書いた文字をシュンはなるべく丁寧に書類へ書き写し、できたものを見せる。

「かきました」

「下手だがまぁ、いいだろう」

「もう、おわった……?」

ちょうどよくエフが目を覚まして、うーんと体を伸ばす。

「ああ、これから契るところだ」

「ほーん。シュンさんきちんと署名できたの?」

「うん、まぁ……」

 エフの問いかけに、シュンは視線をそらしながら曖昧に答える。

 その間、少年は辞典のようなものの鎖をほどき、ちらちらとシュンの顔を伺いながら頁をめくっている。

 そうしてしばらく経ったのち、

「──本当にするか?」

「するよ」

「そうか」

 何をいまさら確認されているのか疑問に思いつつ、首をかしげながらシュンはこたえる。

 すでにこの紙には、署名がされている。

「それでは、はじめよう」

 その一言で、契るという行為に、儀式的なものがあるのだということをなんとなく察した。

 少年は卓の上に再度乗って、明かりの役割をしている瓶を手に取り、卓を降りる。

「それをこちらに」

 シュンは言われたとおりに書類を差し出し、少年はそれをそのまま卓の上に置いて、瓶の蓋を外す。

白い輝きを発するその炎は、青みの強い二藍へと変色し、瓶を逆さにして煙管の先へ着地し、その手はいかにも慎重とはいえない振る舞いでゆるやかに傾けられ、契約書へと落とされた。

「え」

 当然、それは中心から燃える蒼に喰い破られ、無に帰していく。

「安心しろ。こちらが許可している。」

「きょか……?」

「ああ」

 シュンの動揺を見て、少年が意味の足りない補足を入れる。

 火事にならないかと焦るシュンは隣を見る。エフはまるで花火を眺めるかのように、その光景を見つめていた。

 困惑も動揺も束の間、契約書は灰も残さずあっという間に消えてしまった。

 部屋がふっと暗くなり、完全に明かりの消えた空間を、少年の煙管の先が再度照らし始めた。

 例の白い炎がなんの前触れもなく現れたことに、シュンは息を呑んで、なんとなく、ようやく、勘付く。

「これにて【契約】は結ばれた。内容は覚えているな?」

「──それを記録するために、書類があるんじゃ?」

「単なる記録をするなら他の紙でも役割を全うできる。いま終わらせたこの行為は、世界に記録を残すということだ。」

「世界に?」

「これよりそちらの業は清算され、違反が起きた際に罰が下されるという概念と成る。人と人との公平を、【契約】は謳う。」

 ここは異世界で、自身の無知も付け足された概念も、須らく受け入れなくてはならないのだ。

 突きつけられた白い炎を、見つめる。

「さて、名乗るのを忘れていたな。ラディアだ。」

 少年──ラディアは指先で宙に浮く炎をふわふわと操りながら、さらりと自己紹介をし、それを瓶の中へするりと入れると、

「そして、これから行うのは尋問だ」

「へ?」

 ふ、と一息ついて煙管を灰皿に下ろし、シュンを咎めるような白い視線で見つめる。

 エフが素早くシュンの横にぴったりくっついて、勝手に腕を絡むように回して悪戯に笑みを浮かべると

「抵抗したら痛い目見るよ?」

 なんて脅し文句を向けてきた。

 じわじわとシュンは納得する。最初からこの契約とやらは、不平等で、自身は罠にかかってしまったのだという自覚を。

「【契約】は、違反すると直ちに体のどこかが発火して火傷をつくるので、本当に抵抗はしないほうがいい。」

「なんでそれ最初に言わないの?」

「言ったら話が進まないだろう。そちらが【契約】は知らん、故に実名は簡単に明かす、文字は知らないのに母音と子音のことは知っているなど、奇怪すぎて疑うのにも気が疲れるからな」

 床に腰を下ろし、指折り数えながらラディアは言う。

 それについてシュンは、特に後者のものに関して「たしかに変かも……」と小声に出して納得した。

「ではそちら、何の目的でここへ来た。何を企んでいる。」

「あ、案内はどうしたんですか。それも契約でしょ?」

「時間はまだある。尋問の後だ。まずはこちらの質問に答えてもらわなくては」

 何の疑いをかけられているのか全くもって想像できないが、ひとまずは正直に答えるしかない。

 エフがシュンの頭の上に大きな耳を乗せてふわふわと遊びながら、尋問は始まる。

「……もくてきと、たくらみ?」

「そうだ」

「ないよ、ふつうに」

「とぼけるな。そちら、流れ着いた孤児などではないのだろう」

 一瞬、シュンの頭の中が固まる。しかし、朝目を覚ましたらここにいたということは、何度考えても意味がわからない、言えば混乱を招くだけだ。

「いや? みなしごだよ?」

「嘘を吐いたな? であればもう少しみすぼらしい姿をしているだろう」

「ぅぐ」

「ほらな」

 納得感が心の中の別の部分を押して、変な声が出た。しかし疑いを持たれるような行為をした記憶はない。それに加え、シュンはこういった追い詰められるような会話は慣れていない。

 しかし、ひとまずはこの最底辺にある信頼度を上げなくてはならない。

「全く話にならんな……では、どこから来た?」

「国の名前ならいえる」

「ああ」

「日本、っていうところ」

「そんな国はない。」

「どこそこ?」

 二人に疑問符が浮かび、自身の間違えを自覚するシュン。

「このままだと泥沼だ。そちらが正直に話さない限り、こちらも動くつもりはない。」

「【契約】をしてくれたのは助かるけど、シュンさんは少し、得体が知れなすぎるよ。だからなにか、知ってることがあったら話してくれるといいな」

 ラディアは堅い姿勢のままシュンを見つめ、エフは甘い声音で、懐柔をするような言葉をシュンに向ける。

 シュンは数秒、口をつぐむ。

 自身が生み出した停滞、説得という名の壁。しかし本当のことも、知っていることも、困惑を生むだけだ。自身が持っている情報の中で、使える手は無いに等しい。

 ──だとすれば、思考する場所はここではない。この向けられた矢印の性質を疑う、そもそもの話が、シュンには足りなかった。

「あの、どうして、じぶんはこう、疑われてるの? その、今までにも流れ着いた人たちはいたんだよね……?」

「それはそちらが知っているのではないか?」

「知らなかったら訊いてないよ。あの、じぶんは服とかへんな知識とかいろいろあるけど、そこだけ変ならこうして、【契約】して、抵抗できなくしてまで疑いを晴らす必要、なくない?」

 言いながら頭の中が冴えていくのを感じる。それが気のせいかどうか、今はどうでもいい。

 いまは、彼らの答えが、聞きたい。

「──こちらは、貴様のそういうところが恐い。獣のように赤い眼をして、理性を保ったまま会話をできる、今の不可解な状況が、恐い。」

「あかい、め?」

 ラディアは、自身を守るように腕を組みながら、様々な感情を孕んだ視線をシュンに向ける。

 それに含まれたものを直感的に、シュンは理解する。理解したところで、困惑が成長する。

「充血してるってこと?」

「違うよ、瞳の色が赤いんだよ」

「ひとみの色……?」

「うん。ほら」

 そう言って、エフは手鏡を懐から出してシュンに向ける。

 そこにいた自分の虹彩は、確かに血のように赤かった。

「え……っと、なに、これ」

「じゃあ無差別な殺人願望とか、なんか破壊の衝動が抑えきれないとか、いつの間にか意識を失ってて、起きたら周りのものが色々壊れてることとかある?」

「ないないないよ! どこの厨二病だよ!」

 エフの述べる物騒な興奮の具体例に、シュンは強く否定した。ちょうど、自身の瞳を見て思っていることがそのまま言葉にされながら。

「やっぱり、何もわからないみたいだよ? ラディ」

「……そうか」

 エフは「なにか、勘違いかもよ?」だなんて言いながら腕を解いて、手鏡を仕舞うと、

「そういえばシュンさん、その紙はなに? なんか飛ばしてたけど」

「ただのカスです。なんか持ってて」

「なんか持ってたの?」

 なんかなんかとエフが指をさしたのは、シュンが現実逃避のために折った紙飛行機だ。【契約】の締結や尋問をされている間、気づけば床の上にてきとうに放置されていた。

 シュンはそれを掴んで、エフに渡すといきさつを説明する。

「もともと誰かに貰った手紙で、けれど内容が読めないから、イラついて気づいたらそういう形になったよ」

 脱力して、少し支離滅裂になった説明をエフはあまり聞いていない。

「あんまり見たことないなぁ、こういうの」

「……その手紙とやら、何が書いてあるんだ?」

「あ、たしかに気になる。シュンさん、見ていい?」

「もちろん」

 ラディアもやや気分の沈み気味で疑問を呈し、活発なエフが紙飛行機を無慈悲に解剖する。

 

 開かれた文字群の、たった一行には、少年らの疑問と困惑を晴らすには十分な情報が詰まっていたらしい。

 

「それ、なんてかいてあるの?」

 無邪気に二人へ訊くシュンに、彼らはゆっくりと、揃って視線を合わせる。ラディアのそこに、恐怖の感情はなく、

「えっと、つうほ──」

「えふ」

 静かに名前を呼んで、エフの長く垂れた耳を引っ張る。

「ここはひとつ、作戦会議だ」

「あの、なんて」

「そちらには知らないほうがいいことだ。そこら辺の白紙でも使って、暇を潰していろ。」

 なりふり構わずのラディアに、エフが痛そうに喘ぐのをシュンはじっと心配することしかできない。

「ら、ラディ、いたいよ」

「いいからさっさと来い」

 ラディアはもう片方の手にその便箋を取り、嵐のような慌ただしさで、二人は二階へと消えていった。

 当然、この室に疑問は残ったまま。

「まぁ、なんかうまくいった……のかな」

 シュンはひとり、そう呟きながら、しばらく経って円卓の下を覗き、一枚てきとうに取り出して。

 鶴を折り始めるのだった。




あとがき

 そろそろ小説のなかみの話がしたい。でもネタバレになりそう。こわい。
 本作は実は書き直しなので、この形になる前の話でもします。概ねは変わりませんが、主人公の性格や世界観の細々とした設定が変更されています。ざっくりいうと、初期のシュンたんはめちゃくちゃおどおどしているし、エフくんに思考盗聴遮断機能はなかったし、ラディアさん家の二階に行くためには外から梯子で登らなくてはいけなかったなど、中々にロマンと不便を履き違えたことをしています。そんなラディアさんち住みたない。

 また、日本語と同質異像の文字体系は設定が変わるかもしれない。
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