ただのメモだとサイトに申し訳ないので文章の体にして投稿をする。
友人が死んだ。くも膜下出血だったらしい。
中学、高校の同級生で中学では同じ部活で汗を流し、よくカラオケにもいった。
歌うことが好きで、会わなくなってからもアカペラサークル的なところで活躍していたらしい。
残っていたフェイスブックで知った。
部活の大会では1回戦負けをしたが、その帰り道で他学校の子と合コンができることになったと知り、喜んでいたら顧問に「負けたのに喜ぶ奴がいるか」とこっぴどく叱られたのを覚えている。
レギュラーの中で1番弱かった私を大将にして捨て試合にさせたくせに、なぜか私が1番怒られた。
合コンのことは覚えてないからきっとタイプの子はいなかったに違いない。
微笑みの爆弾をよく歌い、私よりも部活は強く、そこそこにお調子者。彼から1点を取ったときのシーンは部活史上で2番目に印象に残っている光景であった。
1番目はかわいかった女の子がおならをしたところである。
友人が死んだと連絡が来たのは、彼と仲良くしているところをほとんど見たことがない男からだった。
どうやら同級生だった女性から聞いたとのこと。女性というのはいつの時も不思議な情報網を持っているものだ。
電話を受け取ったときは何の因果かわからないが、同じく中学の時に同じ部活だった男と合コンを行っている最中であった。もちろん死んだ友人とも同じ部活で面識はあったが、派閥の違いで彼らはそこまで仲良くはなかった記憶がある。
友人が死んだことをトイレで伝えると「そっか」と一言つぶやいた後、何事もなかったかのように合コンに戻っていった。合コンは楽しかった。
当時はまだコロナ禍ということもあり、葬式に参加することはできないとのことで、あまり現実感はなかった。
というよりも、高校を卒業してからは成人式と部活の顧問の葬式でしか会っていなかったが、なんとなく、人生の同じ道を少しだけ歩んだもの同士、どこかでつながっていると思っていたから現実感がなかったのかもしれない。
連絡を受けるまで全く思い出すことなどなかったというのに。
葬式に参加できない代わりにクラウド上で出来る寄せ書きを書こうという声が誰かからか上がったらしい。
まあそういったこともあることはわかっているが、馬鹿じゃないのかと思った。もういい大人が高校の卒業式じゃないんだから。
ましてやいい大人といってもアラサーで、人生はこれからって時に突然亡くなった友人に対して、寄せ書きというのはどこか無機質で無責任で無神経に感じた。
これは個人的な言語化がむずかしい感覚で、他の人からすると別に違和感はないのかもしれない。それにこのことを言い出したのは、きっと私よりも仲が良く、きっと私よりも長く彼と同じ道を歩いた人だろう。そう思い、送られてきたサイトを立ち上げれば、先に書かれていた言葉たちが目に入る。
どれも同じような言葉が書かれ、最後にはお悔やみ申し上げますとハンコのように並んでいる。口に出して読む分には別におかしな言葉じゃないが、文章にされ並べられた『お悔やみ申し上げます。』はどこか上滑りしているように見えた。
いったい誰に対してのお悔やみなのかわからなかった私は、もう一度会うことができなくて残念と書きサイトを閉じた。まるで悪いことをした時の子供のように、なにか急かされて閉じた気がする。
それから数年は特に彼のことを思い出すわけでもなく日々を過ごしていたが、人生の転機というものは誰にでも訪れるもので、私は病気によって数カ月の入院生活を送ることになった。命に別状はないが、動くこともままならない体で日々動画を見て小説を読みあさる生活を送っていると彼のことをなんとなく思い返す機会があった。部活の合宿のことや買い物しに行った池袋のこと、部活をやめてからどちらともなく疎遠になったこと。そういえば寄せ書きを募った誰かなら彼のお墓の場所がわかるのだろうか。
長いようで短い入院生活も終わり、仕事に戻り、結婚し日々を過ごしていく中でも時たまに思い返すことがある。
そういえば寄せ書きはどうなったのかとサイトを立ち上げると期限切れで削除されていた。
無神経はどちらだというのだ。
彼のお墓参りはまだいけていない