おれは五歳になった。
兄上は八歳で、すでに本格的な剣と魔法の訓練を始めている。
物覚えがよく、魔力量も充分で、しかも剣の腕に優れていると先生方が褒めているのを聞いた。
利発な人物であることは明白である。
これならおれの次男坊としての地位も確固たるものであろうことは間違いない。
最悪の展開は、兄上が貴族として使いものにならないせいでおれにお鉢がまわってくることだったからな……。
前世では、町工場ひとつで手一杯だったこのおれだ。
わが一族の何十人、その使用人を合わせて数百人……。
いや領地の人々も勘定に含めれば何千人にもなる関係者の人生を背負うなんて……。
うう、想像しただけで恐ろしい。
おれは今世を無責任に生きたいのだ。
そのためなら、いくらだって努力してみせよう。
なお、母上はおれの後もふたり、子どもを産んだ。
おれのふたつ下に妹がいて、そして去年、四つ下の弟ができた。
他の貴族家では第二夫人、第三夫人を娶ったり妾に産ませた子を実子として国に登録したりすることもあるらしい。
とにかくお家を継ぐ者がいないと、困るからね。
お家断絶ともなれば、代々仕えてくれた家臣まで放り出すことになってしまう。
うちの場合、多数の職人を雇っているから、彼らまで路頭に迷うことになる。
それは困る、というわけで、一方、家の存続という面から考えれば子は多ければ多いほどいい。
女は婚姻外交の弾になるし、男は戦争で使い減りするからね。
人権がないって?
この世界、貴族にも平民にも人権なんて概念はないです。
お家が第一である、という教育が骨の髄まで根づいている。
このあたりは郷に入っては郷に従えというやつで、おれが考えても仕方がないことだ。
ただ、うちのような魔法に偏った貴族家の場合、魔力量という生まれながらの要素も考慮する必要がある。
このヒトが持つ魔力量というもの、大きくは鍛える方法がないうえ、生まれで左右される部分が非常に大きいのだ。
この世界の人々が持つ素質には、以前の世界など比べ物にならないほどの格差がある。
基本的に、子の魔力量は両親の魔力量に沿ったものになると言われているが……。
たまに例外が産まれる。
伯爵家なのに王族級の魔力量を持った人物とか、王族なのに男爵級の魔力量しかない人物とかが。
生まれた子の魔力量が身分より下なら、まだ家にとっては判断が楽だ。
その者を家督相続候補から外して、 家業とは別のところで働いてもらえばいいのだから。
当の本人にとっては不幸なことかもしれないが……。
それも仕方のないことなのだ。
貴族としての仕事には戦場に出ることも含まれるから。
ちからが貴族の証のひとつである以上、ちから無き者が貴族を名乗ることはできないというわけである。
一方、生まれた子の魔力量が身分よりも上の場合は、どうか。
この場合、基本的には家格をその者に合わせることになる。
つまり、養子縁組とかだ。
男爵家に生まれた伯爵級の魔力量の持ち主は、伯爵家の養子になるわけである。
無論、男爵家には相応の補償が支払われる。
養子を迎える伯爵家側は、家督相続候補に困っているような家がマッチングされる。
というかこういうマッチングに頭を悩ませるのが王家の重要な仕事のひとつであるとか。
下手な差配をすれば貴族のヘイトが溜まって下剋上まったなしになるため、とてもとても神経を使うらしい。
いろいろ面倒なことである。
いやはやまったく他人事なのは、うちの場合、子どもが四人とも家格相応の魔力量であるからだ。
魔爵。
それが、わが家の爵位である。
公式な爵位としては伯爵より上で侯爵より下といったところだが……。
魔爵のいちばんの特徴は、過去に王家の領地を与えられた貴族家であるということだ。
それも、王都の近くのいい土地をね。
そのかわり領地はあまり大きくなくて、町がひとつと村がいくつか、民もせいぜい数千人程度なんだけども。
魔法に関して王国に多大な貢献をした者に与えられる爵位で、うちの家の場合は初代さまが画期的な機工人形を開発したことでこの爵位を得た。
その初代さまの魔力量は、子爵級だったらしい。
でもね、その機工人形がとても王国に貢献した、と言われていてね、そんな家を王国は絶対に手放したくなかったとのこと。
結果、わが家に嫁いで来る女性は侯爵級以上の魔力量を持つ者を、と王家から指示が出て……。
代を経るごとに子の魔力量が上がっていき、伯爵級以上侯爵級未満といういまの状態にまでなった。
すごいね、王家の肝入りって。
現におれの父親である現当主の魔力量は、おれたち兄弟の誰よりも低い。
生まれた時点の末弟よりも低くて……。
おれたち子どもはこれからの訓練でもう少し魔力量が伸びることも考えると、将来的にはけっこうな差がつくだろう。
で、わが母親である魔爵夫人は、おれたち兄弟の誰よりも魔力量がある。
なにせ公爵家から嫁いできたのだから。
でも父上と母上は、おれたちが見る限り、ラブラブ夫婦だ。
もちろんお互いの努力もあったんだろうが、とにかく子どもの前でもいちゃつくほどには仲が良い。
一度、兄上が「母さまは、えらいお家からわが家にあてがわれたのですよね」と無神経なことを訊ねたことがある。
母上は笑って、「違うのよ、わたしはあなたのお父さまに選ばれたの」と返事をしたのだ。
どうやら、父上が複数候補の中からひとりを選ぶ形であったらしい。
それも公爵家や侯爵家の女性の中から。
そうして父上が見初めた相手が母上だった、ということだ。
なんでも幼い頃から母上は果敢に父上にアタックしていったらしくて、母上の実家もそれを全力で支援していたとのこと。
え、うちの家ってそんな偉いの? と意外に思ったものだ。
一芸特化な魔爵家の立場が想像よりずっといいものだと、このあたりでようやく理解した。
たぶん、実態は王家にめちゃくちゃ気を遣われているのだろう。
兄上も、その話を聞いて「え、なんかおかしくない? 世間一般の貴族の結婚ってそういうものじゃなくない?」とおれに視線を投げかけてきたものである。
いやほんとなにそれ知らん、こわ……と視線で返した。
そんなわが家の主要財源が、機工人形の製造と新型の試作であるからして……。
たぶんこのへん、王家がまる抱えしなきゃいけない事情があるんだろうなあ。
で、そのあたりを引き継ぐのが、わが兄上である。
本当の本当に、心から頑張って欲しい。
おれなんてちょっと考えただけで胃がきゅっとなって緊張で便意を催すよ……。
くれぐれも、スペアであるおれの出番がありませんように……。
勉強は、するけどね。
魔法の腕も磨くし、家業についても全力で兄上を支援する所存であるけどね。
必要なら、いくらでも残業しよう。
土日出勤も辞さない覚悟である。
いやこの世界、労働基準法もなければ法定休日もないけど。
基本的には十日に一度、祈りの日と呼ばれる休日があるだけである。
でもその祈りの日に働くことも許容しようじゃないか。
下働きに甘んじるためなら、おれはいくらだって頑張ってみせるぞ。
でも、責任だけは勘弁して欲しいのである。
どうか、どうか、兄上よ、おれを無責任に生きさせて欲しい。
◇ ◇ ◇
「ねえ、あなた。この子、いくらなんでも勉強に熱を入れすぎじゃないかしら。まだ五歳なのよ」
「困ったことに、いくら言っても本を読むことを止めぬのだ。もうとっくにわが家の蔵書は読み尽くして、いまは借りてきた本を読んでいるのだぞ」
「知っているわよ。うちの実家から、無理を言って送ってもらった本もあるのよ」
「あれで内容を理解しているどころか、本の理論の間違いまで指摘するのだから……このままどこまで行くというのか」
「そろそろ、わが家の技術も教えた方がいいんじゃない?」
「いや、そちらはまだだ。いまは広くさまざまな知識を詰め込む方が、あの子のためだろう」
「そうかしら。あの子なら、うちの機工人形の技術をいっそう発展させるのではないかしら」
「いずれは、そうなって貰うさ。だが、いっそうの高みから見下ろした方が欠点はよくわかるというものだ。わが家の技術を開示するのは、最後でいい。それよりも、家庭教師だ。そろそろあの子に見合う相手を見つけなければな」
「いまの方じゃ、駄目なのかしら。長男と次男が同じ師に教わるのって、当然でしょう?」
「いいわけがない。あの子に普通の師をつけても意味がないのだ」
「そうね。堅実な後継ぎを育てるのと、とびきりの竜を育てるの、同じ家庭教師にさせるものではない、か」
「竜、か。……そうだな、あの子は竜だ。いずれ、おれたちのもとから飛び立っていくだろう。おれたちにできるのは、それまで竜の雛を見守る程度のこと」
「できれば、飛び立って欲しくなんてないわ。あの子を手放すなんて」
「おれだって、そうだ。それに、あの子がいるだけで、この家は飛び抜けた発展を遂げることは間違いない」
「それでも……」
「ああ。あの子にとって、それはひどく窮屈な生き方だろう。あの子の才能を潰してしまう。そんなこと、おれにはできない」
「そうね。本当に、そう。……この家は、あの子にとって狭すぎるわ」
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