わたしの上兄さまは学院の生徒会長で、下兄さまは
対してわたしは、なんの取柄もない学院の一年生。
平凡も平凡な、なにものでもない、ただの少女。
でも、だからこそ胸を張って前を向かなければならない。
ふたりの兄さまと弟のために。
わたし自身のために、勝利する。
そんな強い決意でもって、学院の門をくぐったわたしは……。
琥珀の姫君というふたつ名を持つ女に、即行で強い敗北感を味わった。
というかこいつなんなのですか、下兄さまと親しいし、殿下とも軽口を叩きあうし、美人だし!
スタイルもいいし、笑顔もかわいいし……。
なにより、とんでもなく頭がいい。
知ってる。
わが家のライバルである魂狂いの、特別な……。
ええと何て言うんだっけ、そう、星宿し。
彼女は、わたしとふたりきりになったとき、こう言った。
「あなたがわたくしのことを好ましからぬとお考えでも、それは問題ありません。態度に出さぬ限りは」
ですが、と彼女は続ける。
「わたくしたちは、これから共にこの寮で暮らす、いわば一時的な家族。不和は日常生活に差し障りがございますこと、よく承知してください」
「えっと、その……まわりくどいです!」
「表向きだけでも仲良くいたしましょう、と申しております」
彼女はそう言って、右手を差し出してきた。
わたしは少しためらった末、彼女の手を握った。
「そう、それでよろしい。あなたの尊敬する兄上がたも、安心なさるでしょう」
「そこで兄さまたちの話をするのはズルです!」
「では寮の管理人たる殿下も……」
「お姉さまを出すのもズルです!」
「難しい年ごろでございますね」
ふたつしか年が変わらないのに!
年上ぶって! たしかに頭はいいのかもしれないけど!
いや、お姉さまは馬鹿って言ってたけど……下兄さまとふたりで馬鹿コンビって。
お姉さまの基準はよくわからない。
王族だからなのかな。
爆発がどうのって、本当によくわからないよ……。
※
学院での生活は新鮮なことばかりで、目まぐるしく日々が過ぎていく。
毎日の講義についていくだけで精一杯だった。
入学前に、たっぷり予習をしていたはずなのに、余裕があったのは最初の方だけで、すぐに復習が必要になってしまった。
兄さまたちに聞いたら、「おまえは家庭教師がついていなかったから、仕方がない」と言われた。
たしかに、それはそうなのだ。
特に下兄さまは、幼いころから特別な家庭教師にいろいろ習っていた。
これは正確な表現じゃないな。
家庭教師に、あれこれ教えろって、ねだってねだって相手が辟易するくらい知識をせびっていた。
あれが普通じゃないというのは、当時のわたしも薄々思っていたのである。
毎日、夜遅くまで、下兄さまの部屋の明かりはついたままだった。
なんなら明かりをつけたまま机の前で寝ていて、朝になって下働きの人たちに起こされていた。
そう、わたしは知っている。
「あなたのお兄さまたちは、とびぬけていらっしゃるのね」
同級生たちが、そんなことを言う。
上兄さまは生徒会長をしている秀才で、下兄さまはふたつ名持ちの天才だと。
違う。
上兄さまは懸命に努力をして、寝る間も惜しんで勉学に励んでいたことをわたしは知っている。
下兄さまも、努力のひとだ。
幼いころから本を読んで、読んで、読んで、疑問に思ったことはなんでも大人に聞いて。
機工人形の仕組みが気になったらこっそり分解を始めて。
わたしがひょいと下兄さまの部屋を覗いたら、慌てた様子で「ないしょだよ」とおっしゃって。
うん、その後、お父さまにバレていた。
でもお父さまは、下兄さまの向上心を褒めていた。
わたしには、とてもできないことだ。
あそこまでがむしゃらになって、とことん突き詰めようと努力するのは、それだけで才能なのかもしれない。
でも、とにかく。
それが下兄さまであって、なんでもわかる天才、とかではないと、わたしは知っている。
同級生たちの言葉は、わざわざ訂正しないけど。
そもそも、お兄さまたちが褒められるのは嬉しいことだから。
わたしたちの家にとっても、いいことだから。
………。
わたしは、違うから。
ふたりの兄さまたちと、わたしのふたつ下の弟とは、違う道を歩むのだから。
家業に関することだ。
上兄さまは、いずれ家を継ぐことになるだろう。
下兄さまは上兄さまを支えつつ、次世代の機工人形の研究や開発において主軸になるのだろう。
弟は……まだわからないけど、でもたぶん、兄さまたちを補佐していくのだろう。
でもわたしは、そうじゃない。
いずれ、他の家に嫁ぐことになる。
だから家業のことなんて知らなくていい。
機工人形に関する知識を詰め込む必要はない。
ずっと、そう言い含められてきた。
それが普通だから。
貴族の娘とは、そういうものだから。
だって、女ってそういうものでしょう?
社交界で出会う同じくらいの年ごろの子たちも、皆、同じことを言っていたし。
わたしたちが身に着けるべきものは、貴族らしい知識と、いざという時身を守るための技術くらい。
それだって、基礎的な身体強化魔法を習得していれば、平民に殺されることなんてまずない、ハズ。
そういったものを身に着けるのが学院で、それも三年生か四年生くらいで充分で……。
なんなら、適当なところで結婚のために学院を中退する子もいると聞く。
別に、学院に通うことそのものは義務じゃないから。
まあ王都の貴族社会で一人前でいるためには、ある程度は通ってないと後ろ指さされたりするらしいんだけど。
でも、それも、子どもを産むためだったら問題ない、と言われたりもする。
殿方の場合は、ほぼ六年間通うことが義務なんだけど。
そのあたりは騎士団に入る条件とかも含めていろいろあって、わたしはよくわからない。
わかる必要もないことだ。
そういうのが、ごくあたりまえの価値観。
わたしたちの、普通。
そのはずなのに。
あの女は、そのあたりのふるまいが全然普通じゃない。
まずそもそも、普通の学院生は入れない研究棟に、入学前から通っていたらしい。
意味がわからない。
女は家業を継ぐこともないのに、入学前の時点で魂狂いの秘奥まで教わっているらしい。
あの女を他家に嫁がせる気が、魂狂いにはいっさいないということだ。
この時点でもう規格外だ。
お父さまがおっしゃる、エラー個体というやつである。
なんでも歩留まりが悪い部品はつくり方が悪いんだから、作業工程を一から見直す必要があるんだとか。
言ってることはよくわからないけど、ああいうヒトがいっぱいいたら駄目ってことだろう。
わかるよ、目ざわりだもの。
向こうはわたしのことなんて、兄さまたちのおまけくらいにしか思ってないだろうけど。
せめて学業で戦おうと思ったら……そもそもあの女は単位をほとんど取らなくていいんだとか。
これまでの研究が評価されたとかで、なんなら入学した時点でもう卒業しても問題なかったんだとか。
でたらめすぎる。
下兄さまも同じというのは誇らしいけど、それはそれ、なのだ。
だからあのふたりは、いつも旧校舎の一角に籠って実験に明け暮れているらしい。
そのあたりに近づくと、気味の悪い音が聞こえてきたり、怪しい光が出ていたり、爆発が起こったりするから危険なのだとか。
さすがは下兄さまだ。
きっとあの女が無茶を言って、下兄さまがあの女を上手く宥めて、その結果が爆発だったりするんだろう。
みたいなことを上兄さまとお姉さまに語ったところ、ふたりで曖昧な笑顔を浮かべていた。
その後、見つめ合ってふたりきりの空気をつくっていたりしたから、お幸せにとしか言いようがなかった。
「おまえが焦る気持ちはわかるけど、彼女と張り合うのはやめよう。おまえはおまえの道を歩けばいいんだ」
結局、上兄さまからは、そんな言葉をいただいた。
わかってる。
わたしには、あんな破天荒はできないってこと。
わたしの前にある道は、他の人と同じ、平凡なものだってことも。
「ぼくだってね、あの子たちを見ていて、思うところはあるんだよ。あいつらずるいな、と思うことだって……実のところ、しょっちゅうだった」
「上兄さまが?」
わたしは目を丸くして驚いた。
加えてお姉さまが……。
「わたしもだよ、彼らが羨ましい。何度も、そう思った」
と言葉を重ねてくる。
「お姉さままで!? だって、お姉さまは王家の方で……」
「でもね、わたしは所詮、魔力量が髙いだけの凡人なんだ」
いやお姉さま、二年前の生徒会長でしたよね。
この学院の生徒会長は、王族であるというだけではなれないということくらい、わたしは知っている。
武芸でもトップクラスの成績を収めていて、学院でも数少ない、
そもそも飛行魔法は才能が必要で、だから王族でも希少な才能、って話を聞いたことがありますよ。
そんなお姉さまが、凡人?
だったらわたしはなんなんですか。
「うん、あまり謙遜のつもりはないんだけどね。これはわたしの本心でもあるんだ」
「そう、なんですか」
「なにせわたしは、陛下じきじきにあのふたりのお目付け役を任されていてね……」
「あ、それは本当にお疲れさまです」
本心から、頭を下げた。
あのふたり……よくできた下兄さまはともかくあの女のお目付け役とか、しかも陛下からのご命令とか、素直に同情する。
下兄さまはともかく。
重ねて、下兄さまはともかく。
「見えているはずのものから目をそらしてはいけないよ」
上兄さまが苦笑いしながらそんなことを言う。
いったい、なんのことだろう。
「ところで、おまえは同級生と上手くやっているのかい?」
「はい! 以前パーティでお会いした方の他にも、たくさんお友達ができました! 勝利です!」
「それはよかった。その人たちを大切にね。学院での繋がりは、卒業した後もずっと続くのだから」
上兄さまとお姉さまのおっしゃる通りだ。
わたしは、わたしのできることをするしかない。
たとえば、学院に通う同級生たちとの交流。
学院の外では得られない、家の垣根を越えた繋がり。
それは得難いものであると、お父さまやお母さまもおっしゃっていた。
そういった普通のものを得ることが、とても大切なのであると。
だから、わたしはわたしにできる少しずつ勝利するのだ。
ひとつひとつの普通を手に入れて、それを積み重ねるのだ。
わたしは下兄さまにはなれないし、あの女の真似もできないのだから。
※
「安心したよ」
半年近く経ったある日。
たまたま寮のロビーで出会ったお姉さまに、そう言われた。
「きみが、プレッシャーに押しつぶされないか心配だったんだ。なにせきみがいままで見ていたのは、あのできすぎた兄ふたりだったのだから」
「ありがとうございます。でも、わたしは……わたしですから」
わたしは上兄さまにはなれないし、ましてや下兄さまになんてなれやしない。
でも、この学院の中では、特別なんて必要ない。
わたしはわたしとして少しずつ背伸びをする。
それが、わたしの勝利だ。
「そんなきみに、わたしの留守を任せたい。寮の管理人代理だ。頼めるかい?」
「……え?」
「問題児ふたりの引率をしなくちゃいけなくてね……。なに、マニュアルはある。上手くやってくれたまえ」
「ちょっと待ってください、わたし一年生なんですけど!?」
「できるさ。きみは、この寮のだいたいの人たちと仲良くできている。わからないところは、わが婚約者に聞いて欲しい」
「あ、上兄さまは残られるんですね……って、お姉さまや下兄さまは、いったいどこへ行かれるのですか?」
「ちょっと北へ」
「北?」
「うん。北方山脈のそばまで」
「魔物の最前線じゃないですか!?」
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