おれが九歳、兄上は十二歳になる年。
年が明けて新年の祝祭が終わった後。
兄上が、王立学院に入学した。
学院は、おれたちの屋敷がある王都の一角にある。
貴族の子女が多く通い、教養と魔法、武芸を学ぶ場である。
また各種研究施設も併設されていた。
前世における高校と大学を合わせたような感じだ。
一般的な男性貴族のコースだと学院に六年間通い……。
卒業後に結婚、以後は各々、家が決めた道を進むことになる。
母上が父上を射止めたのもこの学院での日々の中であったとのこと。
敬愛する兄上におかれましては、くれぐれも女性関係に注意して学院生活を送って欲しいところである。
と兄上に進言したところ……。
「心配するな。ぼくの婚姻については、父上に一任している」
という返事がきた。
あらら、そうなのですか、兄上よ。
「ご自分で相手を選ばなくて、よろしいのですか」
性格の相性とか、そういうのって大事では?
家庭内の空気が地獄だと兄弟もその余波を被るのですよ?
「ぼくは、おまえほど頭がよくないからね。愚かな選択をしてしまうかもしれない。それよりは、父上にすべてお任せした方がいいだろう」
頭がいいのと妻を選ぶのは、あまり関係がないのでは……?
そもそも、おれだって別に頭がいいわけじゃなくて、単に前世の知識という若干のアドバンテージがあるだけだ。
そのおれは、前世において手痛い失敗をしている。
とうてい人を率いる器じゃないと、自己をそう認識していた。
「おまえはなんだってできる。もっと胸を張って欲しい」
兄上は、いつも少し寂しそうな笑顔でそう語る。
待て、騙されないぞ、そうやっておれに責任を押しつけようっていったって駄目だからな!
おれはあくまで、無責任に生きたいのだ。
それはそれとして兄上、学院に手続きにいくなら、ついでにこの手紙を持っていってください。
ええ、守衛に渡すだけで大丈夫ですから。
親切な守衛さんが研究棟に届けてくれますからね。
「学院の研究者とやりとりしていたのかい? おまえは本当にすごいね。学院に入る前から研究棟に誘われるなんて、わが国でも初めてのことじゃないかな」
「いくつか疑問を投げたら、親切な方々が教えて下さっただけです。おれみたいな子どもに、本当に親切な方々ですよ」
「本当にそう思っているのかい? ……うん、おまえがそう考えているなら、まあいいや……」
なんだか少し疲れた顔で首を振る兄上。
いやほんとに、ちょっとした疑問を答えてもらっただけなんですよ。
たぶん、おれが魔爵家の息子じゃなければスルーされていたことだろう。
相手は親切にも、「他に、現在の魔鉱形成理論について思ったことがあればなんでも教えて欲しい」というから、本を読んで不思議に思ったことを書き連ねただけなのである。
あとなんか、今度の論文に名前を載せたいとか言われたので、それはさすがに恐れ多いと断っておいた。
この件については後日、父から、「たしかにおまえの好きにしていいと言ったが、相手の心遣いを無下にしてはいけないよ」と諭されたものである。
うーん、そういうものか。
自分ごときに、高名な学問の戸を叩く価値があるとも思えないが……。
いやしかし、いまのおれは魔爵の次男坊であったか。
お家の価値を少しでも上げるというのは、それは些細なことでも意味のあることなのかもしれない。
あと同時に、研究者としても、魔爵家の名を借りることにはメリットがあるのかも……知れない?
このあたりはよくわからないが、父がもっと積極的になれと言うなら、それはそうするべきなのだろう。
そんなことを、つらつらと考えているうちに。
兄上は馬車に乗り、学院に赴いて行ってしまった。
なお同じ王都とはいえ、おれたちの屋敷がある一画と学院とはだいぶ離れているため、兄上は学院内の寮に入ることになっている。
といっても、十日に一度の祈りの日には帰って来るらしいけど。
故に寂しくない。
今年で七歳になる妹と五歳になる弟よ、だから泣くな、おれに抱きついてわんわんわめくな、あと鼻水をおれの服で拭くな。
「じゃあ、下兄ちゃがあそんでくれる?」
「あそんであそんで、下兄ちゃ」
「すまない、妹よ、弟よ。もうすぐ家庭教師が来るのだ。少し予習をしたい」
「また、おべんきょうに、にげる!」
ぷんすこ怒る、わが妹。
勉強に逃げる、か……。
そうかもしれない。
おれは己の非才をよく理解しているが故に、足踏みするわけにはいかないのだ。
これは責任や無責任とは違う。
わからないことを、わからないままにしておくというのは……。
とても、おそろしいことなのだ。
そう、なんか旋盤に異音が混じったらすぐ先輩社員に相談した方がいい。
何百万、何千万もする機械が壊れたらとり返しがつかないし、場合によっては人身事故が……。
うう、頭がっ。
あと営業だけに任せていたら勝手に無茶な注文をとってきて、あとで社長のおれが営業と顧客と工員の間で調整に走りまわる羽目になったり。
なまじ専門知識がないせいで言われるがままにうなずいたらめちゃくちゃな図面が来て社員と共に頭を抱えたり……。
重ねて言おう。
知識がない、とはおそろしいことなのだ。
だからおれは、将来的に己の専門分野となる機工人形関係だけでなく、その周辺分野も含めて頭に叩き込んでおかなければならない。
家庭教師の先生も、その方面で優秀だった人物を、父に探してもらった。
というか亡くなった祖父の友人で、現在は引退してうちの領地で気楽な老後を過ごしていたという老人である。
最初は渋っていたらしいものの、父が何度も彼の家に足を運んで説得してくれた。
彼に教わるようになって、もう二年になる。
厳めしい顔をしたじいさんで、最初はおれをギロっと睨んできたものだ。
初日に質問責めにしたら、なんか「うひょー、こいつおもしれぇなオイ」とか言い出して以後、一日おきに来てくれるようになった。
その教育は多少、スパルタ気味ながら……。
歴史や地理、各国の文化、各種教養。
そして魔法工学について広く浅く、彼から学んでいる。
「おめぇさんは、魔法工学以外の知識も貪欲に吸収しようとするなぁ。おめぇさんみたいな奴は、こうと決めたらそれ一筋、ってタイプが多いもんだが」
「でも、知らないと恥をかくことばかりでしょう? 学院には他国の研究者もいると聞きます。その国のことを知らなければ思わぬところで恥をかきます」
「その通りだ、道理ってものをよくわかっている」
うん、相手のことを知らないで交渉して大失敗、は前世でやらかしまくったからね……。
間違えてライバル企業の製品を褒めてしまったり、ね。
過去に因縁のある企業同士とかの業界地雷案件、本当に多いんですよ……。
やらかして出禁になりかねないようなところを、古参社員のフォローでかろうじて切り抜けたこともある。
あのときのことを思い出すたび、全身から冷や汗がドバドバ出るのだ。
もう違う世界の出来事なのにね……。
いや、しかし、世界が異なるとしても、ヒトのサガは同じだ。
この世界における歴史の紐を解けば、ちょっとした無理や無理解、誤解によって惨劇が起こった記録があちこちに出てくる。
そこから目を背けてはならない。
地雷はどこにだって埋まっているのだと、そう肝に銘じなければならない。
本当にね、マジであっちこっちに埋まっているからね、地雷。
この間もね。
さる高位貴族の青年同士がお互いの地雷に触れて決闘。
その後始末で関係各所が詰め腹切らされて大惨事みたいな話を父と母が真剣に話していたし……。
学院内でも、きっとそれに近い事故というか因縁みたいなのはあるんだろうなあ。
くれぐれも、兄上には気をつけて欲しいものである。
うちの兄上は、おれが言うのもなんだが品行方正で人がいいから大丈夫だとは思うんだけどね。
でも、兄上の人の良さにつけ込むようなヤツもいるだろうから……本当に、友人関係は注意して欲しい。
兄上自身も、そのあたりはよくわかっている様子ではあるんだが……。
貴族のパーティで出会った友人たちとは、上手くつきあっているみたいである。
彼らは同時に学院に入学しているし、お互いにフォローし合えるなら幸いだ。
おれもそろそろパーティにデビューらしい、という話は聞いている。
できればそういう場は勘弁なんだけど。
魔爵家の次男坊という立場上、避けては通れないこともある。
そのときのことを考えると、いまから憂鬱だ。
先生に処世術を聞いておかないとなあ。
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