妖精がおとぎ話の中だけの存在ではない、ということは、この世界では常識の範疇になる。
あくまでも事情通の間では、だが。
ここで言う事情通とは、きちんと歴史を学んだ者、程度の意味だ。
妖精という存在について、教会は魔物の一種であると発表している。
逆に言えば、妖精は実在しており、この存在を隠蔽することはできないと、教会すら認識しているのだ。
世間における妖精の認知度というものがどれほどか、わかろうというものだろう。
ただこれは、妖精という存在が正しく認識されていかどうか、ということを意味しない。
妖精に関する情報は多岐にわたり、しかも互いに矛盾している。
いわく、神民の末裔である。
いわく、邪神の遣いである。
いわく、魔物を操る。
いわく、魔物からヒトを守るものである。
いわく、ヒトに敵対している。
いわく、困ったヒトを助けるものである。
このあたりを専門で調べている人というのは、研究棟にもいない。
必然的に教会と対立することになるからである。
しかも得られる情報というのが曖昧な上に確たるものがなにひとつないのだから……。
予算がつかないのも致し方なしといったところだ。
目撃証言も、最新のものが何年も前だったりする程度にはレアである。
ただ、この北方山脈のどこかで妖精の姿を見た、という騎士の証言はわりと昔からあって……。
といっても、それも数年とか十数年に一度くらいなんだけどね。
魔物や、風にそよぐ草木の見間違いと思われるような証言なら、いっぱいあるんだけど。
その姿も判然としない。
というか、明らかに証言ごとにバラバラである。
ある妖精は小柄で子どものような男性だったかと思えば、別の証言では大型な女性だったり。
不思議な魔法を使ったという証言もあれば、いや太い樹を根っこから引っこ抜いて暴れていたとかだったり。
気さくに話しかけてきたという話があれば、気難しくヒトに対して敵対的だった、という話だったり。
怪我を治療してくれた、という者がいれば、いや襲ってきて怪我を負わされたという者もいたり。
頭に触角のようなものが生えているという話や、耳が尖っているという話。
いや頭には角があるという話や、耳が頭の上についているという話まで。
たぶん、いろいろな存在が妖精としてひとくくりにされているんだよなあ。
前世の創作でいうゴブリンとオークとエルフとドワーフが全部妖精のくくりになっているような感じだろうか。
というか、ヒト以外の知性体のことを全部妖精って言ってるんだろう。
神民は滅びたという認識だけど、もし神民がまだ生き残っていたら神民のことも妖精と呼んでいたかもしれない。
この世界における妖精とは、そんな存在である。
おれはこの人生において、妖精に出会える確率は非常に低いと思っていた。
おそらく個体数が非常に少なく、しかもヒトとの接触を避けているからだ。
加えて高濃度魔素地帯での目撃証言が多いことから、魔物のように高濃度の魔素を好む性質があると思われた。
いま、魔素が極めて少ない場所に妖精が出現しているんですけどね。
おれの予想のひとつは、外れたわけだ。
「あなたのことは、妖精、と呼べばいいのだろうか」
突如として姿を現したその存在に対して、口を開いたのは殿下だった。
小柄な少女とおぼしきその人物は、小首をかしげてみせる。
「好きに呼んで構わないんじゃないかな。ああ、でも個体名が欲しいというなら、あたしのことは
「わかった、
さすが、殿下。
いまおれが聞きたいことを正確に理解している。
そのうえで、おれが迂闊なことをしゃべらないようにと目で牽制してきた。
はっはっは、心配しなくても王国にとって不利になるようなことは言いませんって。
「
「巻き込まれたというのは、
「
おれと琥珀の姫君が、妖精に対して同時に身を乗り出した。
殿下が、おれたちふたりの首根っこを同時にひっつかみ、ステイ、と冷静に告げる。
「そういうことなら、
今日一日、観察されていたとは思ったけど、ちゃんと偵察隊における役割、個々人の認識もできているというわけだ。
実に興味深い。
妖精がヒトのことを知らない、という俗説については、少なくとも誤りと考えた方がいいだろう。
少なくとも目の前の妖精は、ヒトのことをよく研究して、よく理解している。
ひょっとしたら、ヒト自身よりも。
「聞きたいことがたくさんある、という顔だね。好奇心が強いのはいいことだ。少しだけなら、話をしてあげてもいい」
「では率直にお聞きします」
この機会を逃すものか。
おれは琥珀の姫君とほんの少しだけ目線で語り合った後、口を開いた。
今度は、殿下も邪魔しない。
彼女も頭の中では疑問でいっぱいに違いないが……。
さて、とりあえず。
目下、おれと琥珀の姫君にとって一番の関心事から片づけておこうか。
「魔素が世界中から完全に失われるのは、あとどれくらいとお考えですか」
あ、殿下の顔がめちゃくちゃ歪んでる。
その目が、いきなりなに言ってるんだこいつ、って感じになってた。
しまったな、間合いを思いきり間違えた気がする。
もうちょっと、ジャブから打つべきだったか。
たまに前提条件の確認を忘れて、こういうことやらかすんだよね……。
もう口に出したことは取り消せないけど……。
はたして
にやりとしてみせる。
「その質問をするということは、いろいろ理解しているわけだね」
「バックグラウンド魔素に関する各地の記録がそう語っています」
「いいだろう、答えようじゃないか。きみたちが魔法を使えなくなるまでは、なにもしなくても、あと二千年くらいじゃないかな。でもそれを早めている奴らがいてね。彼らが暴れるに任せたら、二百年と保たないんじゃないかなあ」
うわ、殿下が両手で顔を覆った。
そんなに聞きたくない話だったか……。
いやでも、おれたちも二百年というのは初耳である。
「そんなに早く? こちらが得られた記録だと……いや、でも」
絶句したおれに代わって、琥珀の姫君がおれの後を引き継ぐ。
「
妖精は、ぱちぱちぱち、と手を打ち鳴らした。
「そうだ。いやあ、掘り出し物だね。きみら、まだ幼体なんだろう? ヒトはたいした個体を生み出したものだ。うちに持ち帰ってもいい?」
「行っていいんですか!」
おれと琥珀の姫君が、揃って前のめりになる。
今度こそ、殿下はおれたちふたりを止められず……。
おれたちふたりの顔が、妖精の前にずいと突き出された。
「そ、そこまで喜ぶとは思わなかったよ」
「聞きたいことも知りたいこともたくさんあります! ご迷惑はおかけしませんからどうか!」
「少しだけ、ほんの少しだけですわ!」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっときみたち……」
「うちの阿呆どもが本当に申し訳ない」
殿下が素早く動き、おれと琥珀の姫君の身体をかっさらうと、腕をまわして首をぎゅっと絞めてきた。
ぐええ、息が、息が。
「まったく、もう。油断も隙もない……」
「知的好奇心の発露です!」
「反省は?」
「してません!」
「絞め落とすよ?」
「大変申し訳ございませんでしたわ!」
あ、琥珀の姫君が先に裏切った。
仕方がないのでおれも降参する。
殿下は深いため息をついて、おれたちふたりを解放してくれた。
地面に膝をついて、息を整える。
「すまないが、こんなのでも、彼らはうちの秘蔵っ子でね。気軽にあげるわけにはいかないんだ」
「その子たちが大切なのはわかるよ。でもきみらは、ずいぶんと不自由なんだね。上の許可がなければ他所の家を訪れることもできないとは」
「あー、そのことなんだが。彼らはまだ一人前じゃないんだ。だから、保護者がついていくなら許可する、というのは駄目かな。さっきの話はわたしも気になる」
「きみがついてくるということかい? きみ、魔力量からして、おそらくきみたちの組織における頂点に近いんじゃないかな」
「わたしは王家に生まれた者だ。とはいえ、別にわたしの代わりは何人もいる。その程度だよ」
「わかった、そういうことなら、きみを含めた三人をあたしの家に招こう。ただ、それは
「助かるよ。それを見に行くのも、わたしたち三人だけで構わないかい?」
偵察隊の隊長がなにか言いたそうに口を開くが、殿下は手でそれを制した。
まあ、彼らが来ても、たぶんできることはなにもないからなあ。
「明日、わたしたちだけでこの者についていく。きみたちはここに待機。わたしたちが一両日中に戻らなければ、帰還して辺境伯閣下に状況を報告するように。これは王族としての言葉だ」
「かしこまりました、殿下」
びしっと敬礼する隊長。
うーん、殿下に勝手に決められてしまった。
おれたちとしては、まあ、妖精の棲み処を見られるなら特に不満はないんだけど。
加えて、
うん、いいことだらけだな!
「それで、きみたち」
殿下がおれと琥珀の姫君の方に向き直る。
「世界中から魔素が消える、とはどういうことだい?」
あ、そこから説明しないと駄目っぽい?
「これはおれたちだけじゃなくて、研究棟の方でも何人かが唱えている説なんですけど……。いずれ世界から魔素が消えて、ヒトは魔法を使えなくなります」
「初耳だね」
「公にすると影響が大きいと判断されているんです。それがいつか、というのも学説を唱える人によって大きく違うんです」
後ろで話を聞いていた偵察隊の隊長が、嫌そうな顔をした。
ごめんね、影響が大きい話をきかせちゃって。
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