翌日、日の出と共に
この場にいるのは、
あとはおれと琥珀の姫君を乗せた『相棒』である。
遠くの丘から
殿下が、慣れた様子でおれたちふたりの首根っこを捕まえる。
「待ちたまえ、なにをしに行く気だい?」
「だって! あんなもの! 調べないと!」
「そうですわ! あのようなものが、どうして存在するのか! わたくし非常に興味が……っ」
「わかった、わかったから、そう興奮しない。で……あれ、手で触れていいものなのかい?」
殿下の後半の言葉は、妖精に対してのものだった。
十歳くらいの少女に見えるその人物は、軽く肩をすくめてみせる。
「やめた方がいいだろうね。この世界から消えたくなければ」
世界から消える、か。
おれは、それをもう一度、遠くから観察する。
谷の中央に浮かぶ
ブラックホール、というのがおれの第一印象だった。
中天に到達する陽の光を浴びて、剥き出しになった地面から五十センチほどの高さに浮かぶ、直径一メートルの黒い球体だ。
黒く見えるのは、おそらくいっさいの光を通さないから。
それに触れるものを、すべて取り込んでしまうからに違いない。
もちろん、本物のブラックホールがここにあって、おれが無事なはずもないから、その能力は有限なのだろうが……。
いやそもそも本物のブラックホールなら、この世界が無事なはずがないわけで。
あれが、妖精の言う
この周囲にいっさいの魔素がないのは、おそらくあれが周囲の魔素を根こそぎ吸い取っているからなのだろう。
普通の魔素吸引器と違い、どこまでも際限なく魔素を吸引し続けるモノだ。
これが……二千年後の魔法文明の消滅を、たったの二百年後に縮める存在。
「なるほど」
とりあえず殿下に手を離してもらって、この離れた丘の上から、いくつか計器による観測を行う。
結果、すべての計器が起動しないことを確認して終わった。
「実に興味深い」
「さっきから、なにも計測出来ていないように思うんだけど、わたしの勘違いかな」
「殿下の見ているものは正しいですよ。ただ単に、すべての機器が動かないことが判明しただけです。これらはすべて魔道具ですからね」
「つまり、どういうことだい?」
「魔法を用いた機器は、こいつの周囲では動かなくなる、ということですね。起動に必要な魔素が足りない。ひょっとしたら『相棒』も、これ以上先に行ったら……」
『相棒』の方を見る。
四足歩行状態の対魔物戦闘用のボディに身を包んだ特別製機工人形だ。
「現状でもまったく動けないほどではありませんが、ボディに魔素を供給し続ける必要があります」
『相棒』が淡々と告げた。
「長くこの状態が続けば、耐用年数に大きな影響が出る恐れがあります」
「わかった。おまえは下がって、周囲を警戒してくれ」
「かしこまりました、マスター」
『相棒』が足音を立てて向きを変え、来た方角に丘を下りていく。
それを見送った後、おれは妖精に向き直った。
「
「さあ、彼らのつくったものには、あたしの理解が及ばないものがたくさんあってね。あれもそのひとつだ。
「彼ら、というのは神民ですか?」
おれが訊ねた。
殿下が、ぎょっとした様子でおれの方を見る。
妖精はしかし、平然と首を横に振った。
「きみたちの祖先だよ」
「なるほど、ヒトか。魔力を得る前の」
「……王国では偽史を教えていると聞いていたんだけど、ひょっとして
真実の歴史、か。
なるほど……つまり、ふむ。
あ、いろいろ繋がったかも。
「おれが勝手に状況証拠から推察しただけです」
「え、いまのでなにがわかったのかな? ひょっとしてあたし、余計なこと言った?」
いや実際のところ、たいしたことを理解したわけじゃないんだけど。
これたぶんあれでしょ、前世の創作でよく見たやつ。
そもそも、いまの王族、貴族といった人々は、神民と平民の血が混ざって生まれたという説もあるわけで。
教会にとっては異端だから大声では話されないだけで。
その仮説と、先ほどの妖精の言葉を総合すれば……。
「……わたしが許そう。いまきみが考えていること、話してみなさい」
よしっ、殿下からオーケーが出たぞ!
「えーと、つまりですね。こんな感じなんじゃないかと……。むかしむかしのヒトは魔法を使えなかった。そもそも魔素のないところに住んでいたんでしょう。だけど神民と出会って、混じり合った。結果、生まれたのがいまの我々です。殿下のような王族は神民の要素が強い。おれたち貴族は昔のヒトの要素が強い」
おれは滔々と語り始める。
あ、殿下が額を手で押さえて呻いている。
ヒトと神民の関わりは、これが教会にとってでかい爆弾なのくらい、幼い頃から理解していた。
なので、いままでこういうことを表で言ったことはなかったんだよね。
まあいいか、行くところまで行っちゃえ。
「
「う、うん。これからその説明をしようと思っていたんだけど……」
「やっぱり、そうか。神民と出会う前のヒトは、魔法によらない高度な技術を持っていた。でもそれはなんらかの理由で失われてしまっているわけだ。ああ、つまりこれを設置したやつらは、そうして自分たちの文明が
適当に、矢継ぎ早に推測を口にしてみた。
妖精の反応を探る。
あ、めちゃくちゃ慌てているわ。
わりと正鵠を射貫いたっぽい。
なんでも言ってみるもんだなあ。
「ねえこいつなんなの? あたしが言おうと思っていたこと、だいたい先取りされちゃったんだけど」
妖精が、呆れた様子でおれを指さす。
殿下と、ついでに琥珀の姫君が、しらんしらん、と手を横に振る。
相方よ、きみまでおれを裏切るというのかい?
殿下が呆れているのはいつものことだけどさ。
「この方がこうなっているときは、傾聴するべきですわ。経験上、大きく的を外れた意見のこともあれば、一足飛びに真実に辿り着いていることもございます」
琥珀の姫君が、ジト目でおれを睨んでいる。
「いったいどこから、その発想が生まれてくるのか……」
前世の知識、だけど。
殿下も、いまばかりは少女に同意し、しかし疲れたように首を振っていた。
「そこの妖精くんの反応から察するに、だいぶ当たっているみたいだね……。うーん、話せって言ったのはわたしだけど、だいぶ自分の軽率な言葉を後悔してきた」
殿下が本気で嫌がるなら、おれのことを即座にしばき倒しているはずだ。
これはフリだろう。
押すなよ、押すなよ、というわけである。
「というかこれ、本当に真実なの? 王家の者としては、これが歴史の真実とか、本当に勘弁して欲しいんだけど」
「ははは、だいたい真実だよ。そうか、王家にも伝わっていないのだね。もうそんな時代になってしまったか」
おっとこの妖精さん、長命種っぽいこと言い始めたな。
まあ、妖精は何千年も生きる、という噂もあるから、それが本当なら……。
「で、この
「その通りなんだけど。あたしは説明の手間が省けたと喜ぶべきなのかな?」
大いに喜んで欲しい。
「聞きたいことは、まだいろいろありますよ。……でもまずは、この
「わたしとしてはこれがきみたちと言う通りのものなら、是非ともやって欲しいと思っているよ。できるものならやりたまえ」
殿下は胸を張って、おれたちに命令を下した。
二百年というのはおれが死んだ先の遠い未来だが、でも殿下にとってはまだ存命中かもしれないくらいの時代だ。
老後には、魔法を使えなくなっているというなら……。
そりゃあ、切実な話だろう。
実際のところ、その前に王国はちからの由来を失って消滅しているだろうし、その次の秩序に王族たちの席はない気がするけど。
いや、天皇制みたいにすればいけるか……?
でもなあ、数年前の暴動なんかも考えると、平民たちが暴れてなにもかもぶちこわす未来しか見えないんだよなあ。
「ちょっと待っててくださいね。とりあえず、周囲の魔素を使わない計器をつくってみますから。話はそれからです」
おれと琥珀の姫君は、『相棒』のもとに駆け戻り、その背に積んだ工具箱からいくつか機器を持ってきた。
分解して、使えそうな部品を調達する。
前世の知識を思い出しながら、組み合わせて……。
ああそうか、おれたちヒトの体内魔素を使えばいいんだ。
おれと琥珀の姫君が肩を寄せ合って工作する様子を、殿下と妖精が、呆気に取られて眺めていた。
※
そもそもこの
そのことに気づいたのは、神民に近いはずの殿下や、これまで高濃度の魔素の下で生きていたはずの妖精が、この場で苦しそうにしていないからだ。
なんなら『相棒』の魂だって、虹色のコア結晶の中にある魔素に包まれている。
周囲の魔素をなにもかも奪いつくす装置だったら、『相棒』もとうに動けなくなっているはずだった。
つまり、とんでもなく強引な吸引力があるわけじゃない。
そのうえで……と
ひとつ、
ふたつ、火を焚いて煙で
地面から五十センチほど宙に浮いている
ただし、煙を送り込んだところ、ゆるやかに
それからそれから……。
「以上の観測から、
おれと琥珀の姫君は、メモが殴り書きされた羊皮紙を手に殿下と妖精に説明する。
ある程度、予想通りなんだよね。
だってなにもかもを吸い取るんだったら、空気とかも吸収して、この世界はじきに呼吸する大気すらなくなってしまうはずなのである。
だがそうはなっていなかったし、煙を流すことで周囲に反発フィールドのようなものが発生し、これが大気の流出を阻害していることを確かめることができた。
「それは、なんの役に立つデータなのかね」
「
馬鹿正直に、古代の優れた技術に正面からぶつかる必要はない。
満足できる結果さえ得られるなら、それでいいはずである。
「具体的な方策は?」
「空気も通さないよう、すっぽりと金属製のドームで覆ってしまえば、ひとまず解決じゃないですかね。ちょっと工事が大変そうですが」
別に金属じゃなくてもいいんだ。
あーでも、周囲に魔素が戻ったら魔物が暴れたりする?
いや、過去のデータから考えるに、一度、魔素濃度が減ったらふたたび高濃度魔素地帯に戻ったりはしないっぽいんだよな。
そのあたり、そもそも高濃度の魔素地帯が生まれる原因について、現段階では推測しかできないのでひとまず置いておく。
「それで? そんなものでいいのかい?」
「どうなんでしょうか、
え、マジで? そんなことで? という顔になっている殿下。
おれは妖精に、自分の案の是非について問いかけた。
「いや……え、どうなんだろう。試したこともなかったし、魔法を使わずに工事をするとか考えたこともなかったし……そもそも、対流とか反発とか、よくわからなかった」
あ、うん、科学的思考をしてこなかったタイプの人かー。
これひょっとして、妖精全体が彼女みたいな感じなのか?
だったら、早くヒトに相談して欲しかったなあ。
この程度の提案なら、おれたちでなくてもできる気がするし。
「いまこの子は、『この程度のことなら誰でもできる』と思っている顔をしているんだが、実際にあっという間にこういう回答を導けるのはヒトでも上澄み中の上澄みだからね。妖精くん、そこは勘違いしないでくれたまえ」
「まあ……そうだろうね……いやしかし、ええ……? あたしたちは千年以上、この問題に取り組んできたんだけどなあ」
あれ、そうなんだ?
うん、あなた方はもうちょっと他人に相談した方がいいんじゃないかなあ。
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