おれが学院の四年生になってから、ほぼ一年が経過した。
前世で言えば十二月の初め。
王都に疫病が蔓延した。
ある程度、予想されていたことではあったのだ。
なにせ、未だ四つ巴での殴り合いが続いている南方では、秋の終わり頃から、この疫病の蔓延が深刻であったのだから。
魔黒病。
非常に感染力が強い病であり、平民の致死率が非常に高い。
発病すると全身に真っ黒な斑点が出て、高熱を発し、口や鼻、耳から黄土色のどろりとした膿が出る。
この膿に触った者は高確率で感染すると言われており、故に感染者は家族からも見捨てられ、納屋などに押し込められてひとりで死ぬのが普通であるらしい。
魔力がある者は、また話が変わってくる。
この世界では、治療魔法によって体内の魔力を調整し病に対抗するという技術が発達しているからだ。
一般的に医療魔法と呼ばれるものである。
学院では、この医療魔法の研究も進んでいる。
魔黒病に関しても、騎士級以上の魔力量を持つものであればかなりの確率で治療できる病とされていた。
そう、平民にとっては不治の病でも、騎士や貴族にとっては違うのだ。
こういった研究及び実際の治療のため、学院のすぐそばには医療棟と呼ばれている大きな施設が建てられている。
現在、その医療棟は王都中から次々と運び込まれてくる感染者の受け入れにより大忙しとのことで、ひどく手が足りず……。
父上によれば、わが家で開発されているメイド型の機工人形が大量に発注され、その納品で大忙しとのことであった。
汎用的な機工人形、器用なことはできないけど、ちから仕事はできるし病院ではちから仕事がたくさんあるものである。
平民の致死率が高いから、日雇いの平民たちは感染を恐れ、その大半が医療棟から逃げ出してしまったらしい。
そりゃあ猫の手も借りたいどころか機工人形の手も借りたいだろう。
「おまえが研究で忙しいのはわかっている。だが、いまは緊急事態だ、手伝え」
そんな命令が、父上から下った。
おれとしても前世での知識や経験から、この手が人々の命を救う役に立つなら、と一時帰宅する。
そのついでに、『相棒』には医療棟での勤務を命じた。
琥珀の姫君には、今回『相棒』の補佐役として同行してもらう。
「お任せください。みなさまのお役に立ってみせましょう」
医療用に緊急開発した四本腕の増加装甲に身を包んだ身の丈180センチほどの武骨な機工人形がそう宣言する様子に、医療関係者は目をひん剥いて驚いていたが……。
なあに、あれの器用さがあれば、いろいろと役に立ってくれるはずである。
四本の腕はそれぞれ五本の指を持ち、ヒトと同じような動きができるように設計してあるのだ。
もちろん、その技術は実家の方にもフィードバックされる予定ではあったが……。
量産化に関してはコスト面で問題が出ており、『相棒』でつくりあげた技術の一般化には十年単位の時間がかかりそうである、とのことである。
この辺りは、ある程度予想の範疇ではあった。
※
実家の大規模工房は、土地が高い王都ではなく、わが家の領地である王都から一日ほどの距離の、ちいさな町にある。
幼いころから何度も足を運んでいた王都の小規模工房とは違い、研究ではなくひたすらに機工人形の量産を行うための工房であった。
町の住人のほとんどがこの大規模工房の関係者であり、つまりまあ前世で言えば愛知県の某自動車産業城下町みたいなものなのだ。
数度、訪れたことはあったが、いつも町は活気に満ちており、工房で働く者たちとそれを支える家族の息づかいのようなものが感じられる土地であった。
しかし、いま。
その町は、どんよりとした空気に覆われていた。
聞けばこの町にも魔黒病が入り込み、それが原因で平民と貴族の間に亀裂が入っているのだという。
「ちょっとよくわからないんですが、どうして平民と貴族が対立することになるんですか」
案内の騎士にそう訊ねたところ……。
「我々、魔力持ちが魔黒病を持ち込み、平民を苦しめているというのです」
という返事がきた。
思わず首をかしげてしまう。
詳しく聞けば、貴族は魔黒病でも死なないから無頓着に町を出入りし、疫病を持ち込んでいる。
それは騎士や貴族が平民の命などどうでもいいと腹の底では思っているからだ。
そんな、ちょっと飛躍した理屈が流行っているのであった。
「なるほど、病の潜伏期間というものを、平民の方々も理解していると」
「潜伏期間……ですか?」
「感染してからそれが表面化するまでにはタイムラグがあります。これを潜伏期間といいます。……学院でも習ってないな、これ」
ちょっと医療系の論文も漁っていた時期があったから、そのおかげで知ってるんだけどね。
いやだってさあ、これから自分が生きることになる世界の医療水準とか、知っておかないと死活問題になると思ってさ……。
結果、もしやおれは医療系の道に進む気なのかと父上がやたら気を揉んでいたらしい。
それはさておき、学院で習わないことなら学院に通ってすらいない騎士が知っているはずもない、と個人的に納得する。
「そもそも、魔黒病の膿に触ると感染するというのも間違いなんですよね」
「は?」
思わずへんな声を出してしまったといった感じの騎士が、慌てて謝罪してくる。
気にしなくていいですよと伝え、これは医療棟での最新の知見であることを伝えた。
「主に飛沫感染なので、患者に近づくと感染するのは間違ってないんですが……。膿そのものは、実は無害なんです」
「初耳です。あの、飛沫感染、とは?」
「たとえばこうして近くで会話していると唾が飛びますよね。この唾に、ええと……感染する原因が入っていると見られていまして」
この世界の医療知識は、ウイルスにまではたどり着いていない。
なのでそのあたりは言葉を濁すことにする。
エアロゾルの概念とかも説明が難しいなあ。
「唾だけじゃなくて呼気や、あと小便なんかもそうです」
ちょうど道端に立ち小便の跡を見つけたので、指差しておく。
「トイレに行ったあと手を洗わないで食事をしてませんか?」
ふとそう言ったところ、騎士はめちゃくちゃうろたえていた。
「これ、医療の基礎について啓蒙した方がいいのかなあ」
手洗い、うがい、マスク。
そんな基礎的なことすらできていないのが、この世界の一般的住人である。
平民はもちろん、騎士や貴族たちすら、トイレの後に手を洗わない。
風呂もあまり入らない。
うちの家は繊細な機工人形の製造という家業の関係上、比較的清潔にしている方なんだけどね。
石鹸とかは魔法を用いて比較的ちゃんとしたものがつくられているから、単に意識が低いだけなんだよなあ。
「工房の主要責任者と平民の代表を招いて、最低限の衛生観念について講義するか……」
思い立ったが吉日、先にこの町に入っていた兄上に合流し、医療衛生についての基礎講義の決行を宣言した。
兄上は「おまえが言うなら、それは必要なんだろうけど……みんなにも仕事があるんだよ」と渋っていたが……。
「この町は、王国でも……いえこの大陸でも比較的、貴族と平民の垣根が低い。チャンスなんですよ」
「なんのチャンスだい?」
「お互いの溝を埋めるための」
兄上は頭上にハテナマークを浮かべていたが、最終的には「おまえを信じるよ」と承認の判子を押してくれた。
かくして、翌日。
十数名の町の代表を集めた会議室で、おれは病気を防ぐための基礎について一時間ほど語ってみせる。
あくまでも、王都の医療棟で開発された最新の知見であるとしてね。
まあ内容は、本当に手洗い、うがい、煮沸消毒、マスク、汚れた服の着替え、入浴、定期的な換気とかその程度なんだけども。
あとこの町で一般的に生活用水はどうしているか訊ねたところ、町の井戸を使っているとわかった。
あとでこの井戸を調査しないとなあ。
貴族であれば魔法で水を生み出すこともできるが、これはコスパが悪いんだよね。
とにかく飲料水は一度、沸騰させる。
面倒でも、せめて冬の間だけでも、それを徹底させる。
「これだけで完璧に防げるというわけではありません。しかし、その確率を減らすことはできます。ひとりひとりが心がけることで、確率はより下がります」
また従来の魔黒病対策で医療棟から迷信と切って捨てられたことについても語った。
たとえば病人身体を傷つけて膿をたくさん出せば治りやすいとか、そういう民間療法についても弊害が多いことを指摘する。
この町の住人は、仕事の関係上、騎士に満たなくても多少の魔力を持つ者が多い。
そういった者であれば打てる手はあること、わが家としては助かる者に対しては身分を問わず治療を施すことを宣言した。
このあたりも大急ぎで関係各所と話をまとめ、おれの私財を投じて簡易医療テントを張り、そこに医療魔術師を配置するまでやってのけている。
いやー、『相棒』関係の技術のいくつかを研究棟に流して、相応に金稼ぎをしていてよかったよ……。
このあたり、本当は琥珀の姫君との共同資産なんだけど。
王都を出立する際に「お金はあなたが持って行きなさい。緊急時は断りなく使っても構わないですわ」と言われたときには首をかしげていたけども。
彼女はいったい、どこまでわかっていたのかな……。
いつものおれのことを「あなたは、どこまで先を読んでいるのかわからないわ」とか言う彼女だけど……。
あいつもあいつで、時々、千里眼のように先を見通すことがあるんだ。
たぶん、おれみたいに前世の知識とかじゃなくて、単純にその知性で状況から先の先を読んでいるだけなんだろうけど……。
改めて、彼女には感謝しつつ。
おれは一連の対策が動き出す様子を見守り、それから工房内部の機工人形の組み立てを手伝うのだった。
で、この早期の対策が功を奏して、町における平民と貴族の対立は急速に収束していく。
対して他の多くの町では、両者の対立が先鋭化し、暴動にまで発展することも多かったと後に聞いた。
「このクソ大変なときに暴動、ねえ」
おれは不審な臭いのようなものを感じて、両者の対立を煽っていた者がいないか、改めて町を調査した。
その結果……。
他国の間者とおぼしき人物が平民の貴族に対する憎悪を煽っていた形跡が発見され、大問題へと発展することになった。
彼らは、町の中に銃を持ち込み、特に貴族を憎んでいた平民にこれを配っていたことも。
おれは銃を貰ったという男に直接、話を聞いてみた。
なんでも、相手が同じ平民だから大丈夫だと思ったらしいが……。
うん? 待てよ。
「なんで、相手が平民だと思ったんですか」
平民が相手を平民だと見破ることは難しい。
だって平民は、相手に魔力があるかどうかもわからないのだから。
いやまあおれたちでも、相手の魔力量を魔道具なしで正確に判定するのは難しいんだが……。
「ああ、そりゃあ、貴族さま。騎士さまや貴族さまは、怪我をしてもすぐ治ってしまいなさる。でもあっしら平民はそうじゃないわけです」
「つまり?」
「その男は、左目に眼帯をしていたんでさぁ」
※
おれは即座に、王都の義姉上へ手紙を出した。
身体強化魔法を使った騎士が走る、前世で言えば飛脚のような郵便である。
「どう考えても、奴らです。というか去年、北に進出してきた六か国同盟の部隊と合流するはずだったヤツです」
「だろうね。左目に眼帯の男、か」
文字通り王都から飛んできた義姉上は、おれの言葉を聞き、腕組みして唸る。
「至急、陛下にお伝えするよ。よくやった。このことはしばらく内密に」
「もちろんです。あいつにもよろしく」
「自分で伝えたまえ。手紙を書く間くらいは待っていてあげよう。わたしも夫のもとに顔を出す時間が欲しいからね」
手紙か……面倒なんだよなあ。
と言ったところ「いいから書くんだ。きみがこっちにいる間、わたしが彼女の愚痴にどれだけつきあっていると思っているんだね」と睨まれてしまった。
仕方なく、ここでの日々についてしたため、ついでに筆不精を詫びる書面をつくった。
義姉上は手紙を受け取ると、これまた文字通り飛んで王都に帰っていった。
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