開拓地でスローライフを送りたい。   作:ごすろじ

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筆を動かす貴重な燃料が補充されました。



第十一話。婚約者ワカラセ【スカーレット視点】

 

 

 

なんて、退屈な場所なのでしょう。

 

 

初めて足を踏み入れた王城の夜会は、目の眩むようなシャンデリアの光と、耳障りなほどに陽気な楽団の演奏、そして鼻腔をくすぐる高価な香水の匂いで満ちていました。

 

 

誰もが煌びやかな衣装を身に纏い、扇子で口元を隠しながら、中身のないお世辞と探り合いの会話に興じている。

これが、貴族の社交界。

私がこれから生きていかねばならない世界。

 

 

(くだらない)

 

 

内心で何度そう吐き捨てたことでしょう。お父様であるヴァンディミオン公爵の隣で、私は淑女らしく振る舞った微笑みを顔に貼り付けていました。

 

 

背筋を伸ばし、視線は伏し目がちに、どんな下らない冗談にも「まあ」と小さく相槌を打つ。レオお兄様と交わした約束が、重い鎖のように私の全身を縛り付けていました。

 

 

『スカーレット。いいかい、今夜はお前の社交界デビューなのだから、決して粗相のないように。お前の銀髪はとても綺麗なのだから、血で汚すような真似はするな。暴力沙汰はやめて、淑女らしく振る舞うのだぞ』

 

 

 

一週間前の出来事が、脳裏に鮮やかに蘇ります。

 

平民の子供たちから無理やりパンを奪おうとしていたアレクシア家の子息。その傲慢な顔面に私の拳がめり込んだ瞬間の、あの骨が軋む心地よい感触と、鼻血が噴き出す様は、思い出すだけで口の端が吊り上がりそうになります。

 

返り血を浴びながら満面の笑みを浮かべる私を見て、お兄様は深いため息をついていましたわね。

 

 

今回は相手の素行の悪さと、私が平民の子を助けたという形になったからこそ、お咎めなしで済みました。けれど、次はありません。

 

分かっています。このヴァンディミオン公爵家の娘として、これ以上「狂犬姫」の名を広めるわけにはいかないのです。

 

 

だから、私は耐える。

この、どこを見ても弱い癖に威張り散らしている者たちで溢れた空間で、ただひたすらに完璧な人形を演じ続ける。

 

指がうずくのを感じながらお淑やかに振る舞います。誰でいい、何でもいい。思いっきり殴らせてくれる、都合のいいサンドバッグはどこかに転がってはいないものかしら。

 

 

そんな、不埒な考えを巡らせていた、その時でした。

ひときわ騒がしく、そして品のない一団が私の視界に入りました。

 

 

その中心にいるのは、焦げ茶色の髪をした、同い年くらいの少年。

 

悪趣味なほど華美な装飾の服を着こなし、取り巻きの貴族たちにちやほやされながら、軽薄な笑みを浮かべています。

パリスタン王国の第二王子、カイル・フォン・パリスタン様。

 

あまり良い噂を聞かない方でしたわね。

 

 

(馬鹿王子、でしたかしら)

 

 

その集団を冷ややかに観察していると、不意に、その馬鹿王子様がこちらに気づき、取り巻きを置いて一人でまっすぐに歩いてくるではありませんか。

面倒なことになりそうだ、という予感が、私の背筋を冷たく撫でました。

 

 

「おい。お前がスカーレットか?」

 

 

彼の足が私の前で止まり、傲慢な声が頭上から降ってきました。

ソファに座っていた私は、反射的に立ち上がります。

相手は王子。

礼を欠くことはできません。

 

 

見下すような視線、命令するような口調。

典型的な、血筋だけが取り柄の勘違いした輩。

 

私の最も嫌いな人種です。拳を握りしめる力が強くなるのを自覚しました。

 

 

いけませんわ、スカーレット。

レオお兄様との約束を思い出すのです。

 

 

私は、練習通りにドレスの裾を優雅につまみ、完璧なカーテシを披露しました。

 

 

「はい。私がヴァンディミオン公爵家の娘。スカーレット・エル・ヴァンディミオンですわ」

 

 

さあ、これでご満足でしょう。

適当な挨拶を交わして、早くどこかへ行ってくださればいい。

そう思っていたのに、王子は何も言いません。ただ、少しだけ驚いたような、困ったような顔で私を見つめている。

 

 

「あの……」

 

 

私が戸惑いの声を漏らすと、王子はハッとしたように口を開きました。

けれど、その口から飛び出した言葉は、私の予想を遥かに超える、意味不明なものでした。

 

 

「あぁ、いや何。随分と従順だな…俺は知っているのだぞ?ついこの間アレクシア家の子息を殴ったそうだな。どんな野蛮な雌ゴリラかと思えば、まるで淑女の鏡のような奴だな!知性の宝珠!理性と美の調和!優美なる叡智!沈着の薔薇!静謐の華!狂犬姫などとは片腹痛い、貴様を所詮夜空に爛々と輝く白銀、そうだな…その目立つ銀髪!そう星の白金(スター・プラチナ)などの名が余程お似合いだ!狂犬姫など名前負けも良いところだな!狂犬要素が薄すぎるだろう!馬鹿め!」

 

「は?」

 

 

思わず、素の声が漏れてしまいました。

今、この方は何と? 雌ゴリラ? 星の白金(スター・プラチナ)? 意味が分かりません。褒めているのか、貶しているのか。そのどちらでもない。

頭の中が真っ白になり、ただただ呆然と、息継ぎもせずに捲し立てる王子を見つめることしかできませんでした。

 

 

混乱する私を置き去りにして、王子はさらに畳み掛けてきます。

 

 

「お前、今日から俺の付き人な」

 

「はぁ?」

 

 

今度は、はっきりと苛立ちが声に滲みました。

なぜこんな訳の分からない子供の世話をしなければならないのですか。

 

無礼にもほどがあります。

 

私の眉間に、くっきりと青筋が浮かび、ギリ、と奥歯を噛みしめました。

右手で、衝動的に動きそうになる左の拳を必死に押さえつけます。

 

 

「ふざけないで。誰が貴方みたいな子供の付き人なんかしないといけないのかしら」

 

 

精一杯の冷静さを装い、拒絶の言葉を口にしました。

しかし、この王子には常識というものが通用しないようです。

 

 

「なんだと!たかが公爵家の娘如きが生意気な!貴様が同年代で一番お淑やかで、美しく、優雅で、優美で、可憐で、誰もが連れ歩きたい美少女だからに決まっているだろう!」

 

 

まただ。また意味の分からない賛辞の羅列。言葉はともかく表情がムカつきますね。

殴りたい。今すぐこの生意気で、支離滅裂で、見るからにひ弱そうな子供の顔面を、思いっきり殴り飛ばしたい。

 

けれど、ダメです。私は淑女。レオお兄様との約束があります…。

 

 

「付き合っていられませんわ」

 

 

これ以上関われば、私の理性が焼き切れてしまう。

そう判断し、私は彼に背を向け、この場を去ることにしました。

 

早く、この場から離れなければ。

 

 

――その時でした。

 

 

私の耳元で、まるで悪魔が囁くかのように、彼の声が聞こえたのです。

それは、周りの誰にも聞こえない、私だけに向けられた、禁断の告白でした。

 

 

「逃げるのか!くくっ、なら最後に覚えておくがいい、実は俺は生粋のマゾヒスト!人に殴られ蹴飛ばされるのが大好きな超弩級のマゾヒストなんだ、どうだキモくて声も出んだろう」

 

 

…………え?

 

 

私の足が、縫い付けられたように床に止まりました。

今、なんと言いました?

まぞひすと…? 殴られるのが、好き…?

 

 

一瞬、言葉の意味が理解できませんでした。幻聴でしょうか。

あまりにストレスが溜まりすぎて、ついに私の頭がおかしくなってしまったのでしょうか。

 

 

ゆっくりと、本当にゆっくりと、私は振り返りました。

 

 

そこに立っていたのは、勝ち誇ったような表情を浮かべたカイル王子でした。

その瞳は、嘘を言っているようには見えません。

 

 

思考が、停止しました。

そして、次の瞬間。私の頭の中に、まるで雷が落ちたかのような衝撃が走りました。

 

 

(この方は…殴られることを、望んでいる…?)

 

(殴っても、いい…?)

 

(いえ、違います。殴られるのが好き、ということは…殴ってあげた方が、この王子様のためになる…?)

 

 

レオお兄様の言葉が、淑女の仮面が、社交界のルールが、音を立てて砕け散っていくのが分かりました。

目の前にいるのは、ただの生意気な王子ではありません。

私の、積もり積もった鬱憤と、有り余る膂力を、何の後腐れもなく受け止めてくれる、まさに神が遣わしたもうた奇跡の存在。

 

 

私の理想の、サンドバッグ。

 

 

気づいた時には、私の右の拳が、カイル王子の左頬を捉えていました。

それは、力を込めた一撃ではありません。ただ、衝動のままに振り抜いただけの、軽いジャブのようなもの。

 

 

――ゴツッ。

 

 

硬質でありながら、どこか柔らかな肉を打つ、絶妙な感触が拳に伝わります。

芯がしっかりしている骨格に拳の骨が擦り込まれていくこの感覚。ああ、なんてことでしょう。

これは、紛れもなく「極上」の殴り心地。

 

 

全身を駆け巡る、稲妻のような爽快感。

ああ、これですわ。私が求めていたのは、この感覚。

 

 

目の前の王子が「ぶ!?」と情けない声を上げてよろめく姿が、スローモーションのように見えました。

私の心は、久しぶりに晴れ渡る青空のように、すっきりと澄み渡っていました。

 

 

「……どうやら本当のようですわね」

 

 

私の口から漏れた声は、自分でも驚くほど弾んでいました。仮面の下の表情が、自然と緩んでいくのが分かります。

なんだか、頬が熱い。

 

 

「とても…素晴らしい殴り心地でしたわ。いかがでしたか?私の拳は?」

 

 

もっと殴りたい。もっと、この素晴らしい感触を確かめたい。

そんな純粋な探求心で、私の瞳はキラキラと輝いていたことでしょう。

 

 

私がうっとりと王子の顔を眺めていると、慌てた様子でお父様が近づいてきました。

そして、信じられない言葉を口にしたのです。

 

 

「どうしたスカーレット。…ハッ、まさかとは思うがあのお方に無礼な言動はしていないだろうね?…あのお方の名前は、カイル・フォン・パリスタン殿下。お前の婚約者であるお方だ」

 

 

婚約者…?

この、素晴らしい殴り心地のサンドバッグ様が、私の?

 

 

カイル王子は、自分が婚約者だと知られた私が見せるであろう、絶望の表情を期待していたのでしょう。

渾身の、性悪そうな笑みを浮かべてこちらを見ています。

 

ああ、なんて愛おしいのでしょう。

 

 

その顔を、滅茶苦茶に殴りつけてあげられる。

そう思っただけで、私の心は歓喜に打ち震えました。

 

 

私は、淑女として持ちうる限り、最高の、満面の笑みを浮かべました。

そして、心の底からの歓びを込めて、深く、優雅にカーテシをしたのです。

 

 

 

「そうとは知らずご無礼を。不甲斐ない身ですが、これからよろしくお願い致します、カイル様(愛しのサンドバッグ)

 

 

 




馬鹿王子カイルの敗因
▼ほぼ何も知らない知識でスカーレットの人物像にあたりをつけていること。
▼糞ムカつく顔面を晒しまくったこと。
▼絶妙に苛立たせる発言と、謎の褒め言葉でスカーレットの判断力と自制心を若干鈍らせたこと。
▼最強の自爆カードを性癖開示を切ったこと。


次回も、スカーレット視点。



Q.今後の展開とか考えてる?
A.…ないです。

Q.プロットは作ったの?
A.…ないです。

Q.ストックは?
A.…ないです。

Q.なんで?最初に準備してないの?
A.ハーメルンに全然作品ないし、マイナーだし、こんなに人が読むとは思わなくてぇ…。

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