よ、よし、急いでかいて、今日中に投稿てきたぞ…。
グラスの中で揺れる黄金色の液体を眺めながら、私は内心で何度目かになる溜息を吐いた。
周囲に満ちるお世辞と虚飾の会話は、私にとって意味をなさない雑音でしかない。
私の視線の先、ひときわ騒がしい一団の中心で、我が弟カイルがいつものように「馬鹿王子」を演じている。
取り巻きの腐敗貴族どもに囲まれ、傲慢な笑みを浮かべるその姿は、もはや見慣れた光景だ。
あの道化芝居の裏にある、弟の真の目的を知る者は、この会場に、そしておそらくこの国に、私一人しかいないだろう。
「愚弟が、また何か騒ぎを起こさねば良いが」
近くにいた貴族に聞こえるように、わざとらしくため息をついてみせる。貴族は「ジュリアス王子殿下のご心労、お察しいたします」と、分かりやすい同情を向けてきた。
茶番だな。
その時、カイルの一団が動きを見せた。
弟が取り巻きから離れ、一人、誰かのもとへ向かっていく。
その視線の先にいるのは、今夜が社交界デビューとなるヴァンディミオン公爵が一人娘、スカーレット・エル・ヴァンディミオン。
私は近くの柱の影にさりげなく身を寄せ、会話が聞こえるギリギリの距離まで近づく。
(このような楽しげな見世物を見過ごしてなるものか、じっくりと楽しませて貰うとしよう)
「狂犬姫」の二つ名は、私の耳にも届いている。
そして何より、あのカイルの「婚約者」だ。
弟が、あの規格外の令嬢とどう接触するのか。……楽しみだ。
カイルの第一声は予想通り傲慢で、品性がなかった。
だが、スカーレット嬢の完璧なカーテシを前に、弟の動きが不自然に止まる。
(…どうした?らしくないな)
そして、沈黙を破って放たれたカイルの言葉に、私は危うく手にしていたグラスを取り落としそうになった。
「…どんな野蛮な雌ゴリラかと思えば…知性の宝珠!理性と美の調和!――――…星の白金などの名が余程お似合いだ!狂犬姫など名前負けも良いところだな!狂犬要素が薄すぎだ!馬鹿め!」
「…………ッ、ぷ」
ダメだ。堪えろ。
私としたことが、こんな公の場で吹き出すなどあってはならない。
グラスで口元を隠し、必死に込み上げる笑いを飲み込む。
肩が、意思に反してぷるぷると震え始めた。
なんだ、今のは。
貶しているのか? 褒めているのか?
支離滅裂。罵詈雑言と賛辞が、意味不明に渦巻いている。
そういえば、弟が同年代の貴族令嬢とまともに話している姿を、一度も見たことがない。
夜会では常にふてくされて一人でいるか、男の貴族に囲まれているか。
日常も引き篭もりのように部屋から出てこない、侍女に対しても、癇癪を起こすだけで、会話らしい会話をしているところを見たことがない。
まさかとは思うが、あれがカイルの全力のコミュニケーションなのか?
「貴様が同年代で一番お淑やかで、美しく、優雅で、優美で、可憐で、誰でもが連れ歩きたい美少女だからに決まっているだろう!」
決定的だった。
貶しているのか、口説いているのか。
いや、どちらも本気なのだろう。
私は弟の耳が、ほんのりと赤く染まっているのを見逃さなかった。
あの計算高く、常に一歩引いた場所から全てを操っていると思っていた弟が、貴族令嬢を前にすると、ここまで狼狽し、語彙と思考が崩壊するとは。
女慣れしていないにも程がある。
その不器用で、どこか人間臭い一面に、私は腹の底から愉快な気持ちになった。
そして、事件は起きた。
スカーレット嬢の拳が、カイルの頬を捉える。
私も、さすがに驚きに目を見開く。王族の顔に、公の場で拳を振るう令嬢など、前代未聞だ。
だが、驚きはすぐに、より強い興味へと変わった。
あの令嬢、まさしく狂犬姫の名に相応しい。
そしてカイルは…殴られてもなお、一歩も動じない。あの異常なまでの頑強さ。やはり、私の見立ては間違っていなかった。
その後の展開は、もはや喜劇だった。
婚約者だと知り、満面の笑みで「よろしくお願い致します」と頭を下げるスカーレット嬢。
完全に想定外の反応に、カイルの顔から血の気が引いていく。あの狼狽ぶりは、演技ではあるまい。
そして、カイルが最後の切り札として放った、渾身の挑発。
「貴様は……――弱い!」
ぷふっ…!駄目だ、もう笑いを堪えきれない。
私は柱の影で、声を殺して腹を抱えた。弱い?あの狂犬姫に向かって?火に油を注ぐとはこのことだ。
あの必死な形相。あれは間違いなく、本気で相手を貶しているつもりの顔だ。
私は、もはや笑いを隠す気もなかった。
口元に浮かんだ笑みは、もはや完璧な王子のそれではなく、ただ純粋に、目の前の見世物を楽しむ観客のそれだっただろう。
その煽りを受け、令嬢は怒るどころか、恍惚とした表情で弟を見つめている。
何を考えているんだあの二人は、ふ、くく……カイル、スカーレット嬢には完全に逆効果だったようだぞ。
カイルが捨て台詞を吐き、子供のように地団駄を踏みながら逃げるように去っていく背中を見送りながら、私は静かにグラスを傾けた。
今日のグラスは、格別に美味い。
二人の周りには人も少なく、カイルの悪評のおかげか、今の騒ぎも「また第二王子が何かやらかした」程度で済んでいるようだ。
誰も、王族が殴られたなどとは夢にも思っていないだろう。
私がカイルを「愚弟」と呼ぶのは、彼が望む役割を、私が演じてやっているに過ぎない。
決して、本心から見下しているわけではない。
むしろ、今日のことで、その評価を改めねばなるまい。
カイル・フォン・パリスタンは、私が想像する以上に、複雑で、不器用で、そして何より――面白い人間だ。
そして、弟の婚約者であるスカーレット・ヴァンディミオンもまた、最高の逸材だ。
あの二匹の珍獣が、これからどのような騒動を巻き起こしてくれるのか。
退屈なチェス盤の上に、予測不能な駒が二つも投じられたのだ。
これからの宮廷生活が、少しだけ楽しみだ。
▶カイルの口説き文句でジュリアスの好感度が上がった。
▶奴隷発言で第二王子派の好感度が上がった。
▶奴隷発言で第一王子派と中立派の好感度が下がった。
珍獣ハンタージュリアス「ぶふッ…くく…」プルプル(カイルへの好感度UP。スカーレットへの好感度UP